Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

東京・学園区総会 全員が健康で長生きを

1996.3.9 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

前後
2  仏法は健康の法
 仏典に、こんなエピソードがあります。(以下、説話は「相応部経典」〈『南伝大蔵経』12所収、大正新脩大蔵経刊行会〉、増谷文雄『仏教百話』〈筑摩書房〉を参照)
 ハシノク王はいつも人の何倍も食べる太った王で、この日もおなかいっぱい食べた後、息を切らしながら釈尊のもとを訪れたのでした。
 満腹で息が上がり、しんどそうにしている王の姿を見て、釈尊はこう教えました。
 「つねに正しい心がけを持ち、量を知って食をとる人には、苦しみは少なく、老いていくことも遅く、寿命がたもたれるでしょう」
 食べすぎに気をつけて、若さをたもち、長生きしなさいと教えたのです。釈尊の教えは、いつも具体的でした。
 大王の後ろに、お付きの少年が控えていました。名前をゼンケンといいました。大王は少年を呼んで、こう言いました。
 「ゼンケンよ、お前は今の教えを覚え、暗唱できるようにしておいてくれ。そして、私の食事のたびに、いつも唱えるのだ。そうしたら、毎日、お小遣いをあげよう」
 「承知しました、大王」
 少年は答え、釈尊の教えを、そらんじるようにしました。そしていつも食事の時には、大王のそばでこの言葉を繰り返したのです。
 大王は、食事のたびに耳もとで、「量を知って食をとる人には、苦しみは少なく、老いていくことも遅く、寿命がたもたれる」と、師匠の教えを聞かされるため、少しずつ食べすぎなくなり、量を減らしても満足できるようになりました。やがて肥満した体も、だんだんとスマートになり、健康になっていったのです。大王は歓喜して釈尊をたたえたといいます。このように、釈尊の教えは、人間を「老」と「病」の苦しみから救い、「生」を充実させ、「死」に準備させるものでした。
3  権力も軍隊も財産も「老」「死」には勝てない
 今度は、別の時の話です。(同前)
 ハシノク王がしばらくぶりに釈尊のもとにやってきた時のこと。
 「大王よ、これまでどちらへ行かれていたのですか」
 「釈尊よ、王たるもの、権力をもち、国家を保全し、広大な領土を従えるために、諸々の仕事があるのです。私はそれらのために、とても多忙だったのです」
 それを聞いて釈尊は、こう問いました。
 「大王よ、それでは、次のような報告が入ったら、どのように考えますか。『東の方向から、大空のように巨大な山が、すべての生き物を押しつぶしながら近づいてきます。大王よ、急いで何とかしてください』。そしてまた同じように、『西からも大きな山が近づいてきます』と知らせがあったとします。また、北からも、南からも同じ報告が入ってきたとします。まさに、このような大恐怖は、恐るべき人類滅亡の事態です。そういう時、大王よ、あなたはどうしますか」
 「釈尊よ、そんな大恐怖に陥り、命に限りあることを思えば、正しく法を行じ、善業を積み、功徳を積む以外、私には何ができましょう」
 釈尊は、うなずいて、こう言いました。
 「大王よ、それでは私は、あなたに告げましょう。『老い』そして『死』が大王の上に、のしかかりつつあります。こういう事態を前に、大王よ、あなたは何をなすというのでしょうか」
 大王は、わかりが早かった。
 「釈尊よ、まさに『老い』と『死』は、私の上にのしかかってきております。この事態にいたって、私がなすべきことは、正しく法を行じ、善業を積み、功徳を積むことだけです。どんな軍隊も、どんな黄金も、老死がのしかかってくることに対しては、防ぐことはできません」
 王は、こう言って、多忙を口実に仏道修行しなかった自分を反省したのです。
 王であろうと、だれであろうと、「老」「死」という巨大な山を避けられる人はいません。どんなに自分だけは別だと傲り高ぶっても、「無常迅速」をまぬかれる人はいません。そう自覚すれば、だれしも、死をも超える「永遠の幸福」を求め、仏道修行への心を起こすのではないでしょうか。
 今の世界の行き詰まりは、社会の指導者が、「死」を見つめることを避けていることに大きな原因があります。「自分」を見つめることを避け、目先の利害に目がくらんでいるのです。
 「近づく大いなる山」とは、個人の老死だけではありません。核の脅威ともいえるし、環境破壊ともいえます。
 ハシノク王の物語は現代にも、少しも色あせず生きているのです。
4  権力・名声は「夢の中の栄え」
 日蓮大聖人は仰せです。
 「或時は人に生れて諸の国王・大臣・公卿・殿上人等の身と成つて是れ程のたのしみなしと思ひ少きを得て足りぬと思ひ悦びあへり、是を仏は夢の中のさかへ・まぼろしの・たのしみなり唯法華経を持ち奉り速に仏になるべしと説き給へり
 ――(南無妙法蓮華経とさえ唱えれば、すみやかに仏になれるにもかかわらず)ある時は、人間として生まれて、もろもろの国王や大臣や貴族、宮廷に出入りできる身分などとなって、「これほどの楽しみはない」と思い、わずかなものを得て満足し、喜び合っている。こうした姿を、仏は「夢の中の栄華であり、幻の楽しみである。ただ法華経を持ち奉り、すみやかに仏になりなさい」と説かれたのである――。
 「夢の中の栄え」は、夢からさめれば、あとかたもありません。「幻の楽しみ」は、幻が消えれば、酒の酔いからさめたように、むなしさしか残りません。「成仏」の歓喜こそ、何ものにも壊されない永遠の大歓喜であります。
 政治は集散離合し、経済は栄枯盛衰し、社会は転変また転変します。結局、永遠に残るのは生命に積んだ福徳だけです。
 生命の大地に「仏界の大樹」を育てきった人が、本当の勝利者なのです。「正しき信仰」と「正しき生活」で、社会で勝ち、人生に勝ちながら――。
 ハシノク王は、釈尊の教えのとおり、「死」という迫りくる山を自覚し、善根を積んだようです。
 釈尊の敵(六師外道)から讒言を受けたこともありました。
 「瞿曇は閻浮第一の大悪人なり、彼がいたる処は三災七難を前とす
 ――釈尊は世界第一の大悪人である。彼が行く所は必ず三災七難が起こる――。
 「釈尊が社会を害している」という誹謗です。その他、ありとあらゆる悪口を彼らは、まき散らしました。六師外道は、釈尊が多くの人に尊敬され、自分たちの地位がおびやかされるのを憎んだのです。ハシノク王は、もちろんそんな誹謗には、耳を貸しませんでした。
 権力者になると、自分が、ただの「人間」にすぎないことを忘れます。しかし大王は、釈尊という師の、おかげで、「人間」として「人間の道」を歩むことを忘れなかったのです。
5  法華経は「更賜寿命」
 戸田先生は、こう言われました。
 「人生は最後が大事だ。最後の数年間が幸福であれば、人生は幸福である。最後の三年なり、七年なり、十年なり、幸福でたまらない境涯になってから死んでいくのが、この仏法なのです。
 日蓮大聖人が身延に入られて、最後の数年間、なに不自由のない自受法楽の姿を示してくださったのが、その証拠であります」
 「だから、本当に信心しきって、まだ苦しいうちは死なないから安心しなさい(笑い)とも言われています。「若いうちには、うんと苦労したほうがいいのです」とも。
 総仕上げが大事です。個人も、団体も――。
 釈尊が法華経を説いたのも、晩年の八年とされます。形式的に単純計算すると寿量品を含む本門を説いたのは最後の四年間となります。
 寿量品は「仏の永遠の寿命を量った」経典です。そして、同時にその「永遠の仏」を信じることによって、一切衆生が「寿命を延ばす」ことを教えています。
 寿量品の「更賜寿命」の文が、それです。
 「更に寿命を賜え」と。
 「更に寿命を賜え」とは、「長生き」のことですが、戸田先生は「生命力」を意味すると言われました。信心によって、生命力が旺盛になるのです。
 法華経本門には「不老不死」ともあります。(薬王品)
 不老不死とは何か。「年をとらない」「死にもしない」ということではありません。「境涯」のことであり、「生命力」のことであります。
 年をとっても、生き生きとした若々しい生命力。永遠の青春の魂。福智ともに、ますます輝く命。そういう自在の「境涯」「生命力」。そこに仏法の焦点があるのです。
 この「更賜寿命」で、私どもは生きぬきたい。
 私も病弱な体を、ここまでもたせていただきました。命を何度もねらわれながら、寿命を延ばしに延ばしてきました。戸田先生が「俺の命と交換するんだ」「お前は生きぬけ」と、私にくださった寿命であります。
6  きょうも「黄金の一日」を
 2005年は学会創立七十五周年妙法の七字五字にかなう意義ある年です。戸田先生の出獄60周年でもあります(=池田名誉会長の会長就任四十五周年)
 その年までに、明1997年には、創価学園の創立三十周年。
 さらに2000年には、戸田先生の生誕百周年。
 2001年には、戸田先生の会長就任五十周年。第二の「七つの鐘」の出発でもあります。
 2002年には、大聖人の立宗七百五十年。(1253年に立教開宗)
 また関西創価学園の開校三十年となります。
 2003年には、牧口先生の六十回忌を迎えます。
 その2005年まで、「健康第一」で生き、「更賜寿命」で生きぬきましょう。
 また、その年までに、宇宙にただ一つしかない宝の創価学会を、さらに永遠たらしめ、「不老不死の教団」として、より盤石な人材育成を果たしてまいりましょう。わが学園区は、その一大拠点であります。
 大聖人は、仰せであります。
 「法華経にあわせ給いぬ一日もきてをはせば功徳つもるべし、あらしの命や・をしの命や
 ――(あなたは)法華経(御本尊)にあわれたのです。(だから)一日でも生きておられれば、その分、功徳が生命に積もるのです。なんと大切な命でしょうか。大切な命でしょうか――。
 私どもの一日は、永遠の福徳を積む「黄金の一日」なのです。
 「生きぬこう!」と一念を決めれば、その瞬間から、その方向へ、心法が動き、色法が動き、五陰が動きます。衆生世間も、国土世間まで味方になります。これが一念三千の仏法です。
 2005年を目指して、晴ればれと、ともどもに、人生を仕上げてまいりましょう!
 学園区は、創価教育の原点の地であります。世界に世紀に、陸続と羽ばたく鳳雛たちの心の故郷でもあります。故郷が栄えれば、皆が喜びます。
 わが愛する学園区のさらなる希望の大前進を、心からお祈りして、私のメッセージといたします。
 本日は本当にご苦労さまでした!
 まだ寒い日が続きますので、風邪をひかれませんように!
 (創価国際友好会館)

1
2