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後記 「池田

「健康対話」(池田大作全集第66巻)

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1  今回発刊の『池田 大作全集』第六十六巻は、「対話編」として『健康の智慧――仏法の眼・医学の眼』(一九九七年二月、聖教新聞社刊)と『健康と生命と仏法を語る』(二〇〇四年十一月、聖教新聞社刊)の二冊、ならびに「聖教新聞」に掲載された「健康対話」(〇五年九月)を収録している。表題が示すとおり、いずれも「健康」をテーマにした、池田名誉会長と創価学会のドクター部(医師会・医療従事者の集い)、白樺会・白樺グループ(女性看護者の集い)の代表による語らいである。
2  『健康の智慧』が「聖教新聞」に連載された一九九六年、わが国の保健行政に大きな変化があった。
 厚生省(現・厚生労働省)が、長年、慣れ親しんできた「成人病」にかわって、「生活習慣病」という新呼称を用いることを決定したのである。
 成人に多いとされてきた疾病の多くも、じつは、年齢に関係なく、食生活・運動習慣・喫煙・飲酒といった、日ごろの生活習慣に深く関係することが当時、明らかになっていた。そうした変化を背景に、従来の健診による早期発見から、生活習慣に着目した日常の予防へと″健康づくり″の重点を移行することにしたのだ。
 これによって「健康」は、今まで以上に国民の日常生活に根ざしたものとして、大きな焦点となっ
3  社会全体の急速な高齢化や介護の問題、健康器具・健康食品・健康法といったマスメディアにのった″健康ベーム″も、その底流にあったことは言うまでもない。それは、人々が正しい健康の知識、そして正しい健康観を強く希求していた証でもあった。
 本巻に収録された語らいは、いずれも、こうした時代の要請に応える形で、名誉会長により発案されたものである。
4  読者が一読して驚くのは、仏法と医学のその深い関係性であろう。
 科学と宗教は対立するものと見なされがちである。しかし名誉会長は、釈尊の出家の出発点が「生老病死」――「生まれる苦しみ」「老いる苦しみ」「病む苦しみ」「死ぬ苦しみ」の「四苦」の超克から出発していることや、仏典に、当時の最先端であったインド医学の真髄が取り入れられていることを紹介し、「健康」長寿」という課題は、仏法と医学の共通した目的であると論じている。
 また、仏法は、どこまでも「人間のための宗教」であり、医学を排除するのではなく、医学を価値的に使っていくことが、信仰者として当然の道理であると指摘する。
 では、仏法と医学の健康へのアプローチの相違点は――。
 医学が「知識」を賢明に使って、病気と闘うのに対し、仏法は人間の「智慧」を開発して、医学の力を最大限に生かしていく。また、自身の生命のリズムを整え、生命力を高めていくものであるという。いずれにせよ、病を克服するためには、医学の知識や力を聡明に活用する人間の「智慧」が大切であり、それを引き出すのが仏法であると強調している。
 折からの健康ブームによって膨大な情報を得ても、どう魂を養っていいかわからない、「知識と智慧」を混同した現代人への処方箋が、ここに記されている。
5  『健康の智慧』の「はじめにしにも紹介されているが、「聖教新聞」に連載が開始された日は、WHO(世界保健機関)発足(一九四八年四月七日)の記念日でもあった。
 「健康とは、身体的、精神的および社会的に完全によい状態」――WHOの健康の定義は、半世紀を超えた今も新鮮である。
 身体的次元だけに向けられがちだった人々の関心も、精神的次元の健康の重要性を無視できなくなった。さらに、環境汚染、地球温暖化などの、現実的な環境とのかかわり、すなわち社会的次元の健康の問題もいちだんと切実である。
 本巻に収録された語らいでは、仏法の説く健康観もテーマになっている。
 「『病気がない』だけが『健康』なのではない。一生涯、何かに挑戦する。何かを創造する。前へ前へと自分の世界を広げていく――この″創造的人生″こそ、真の″健康人生″ではないだろか」と。
 とくに『健康と生命と仏法を語る』では、人生の最終章を荘厳に飾り、生涯の幕を閉じた同志の生死のドラマを交えながら、今世にとどまらない世永遠の健康的生命」について論じられている。そこに紹介された「生も歓喜」「死も歓喜」という仏法の真髄の生命観は、まさに「死を忘れた文明」と言われる現代への大いなる警鐘であろう。
6  本巻収録の各巻は、いずれも仏法と医学の双方の視点から、さまざまな健康論を展開する一方、現代医療の課題にも話題がおよんでいる。
 それは、科学技術が発展するなか、医療の現場で失われてきた「人間性」の回復にほかならない。その多くは、「検査資け」「三時間待ちの三分診療」「病気を診て、病人を診ない」といった医師と患者の関係に象徴される。
 名誉会長は、こうした、とくにわが国に伝統的な「医師が上、患者が下」といった風潮を転換する、「患者第一」の医療革命の必要性を強調している。
7  そのために本巻で掲げられた医師の努力――「患者の話に丹念に耳をかたむける」「患者が納得のいく丁寧な説明を心がける」「患者に温かい励ましを送る」等――これらを追っていくと、決して医師という職業だけに求められる責任ではないことに気づく。「患者」を「顧客」「社員」「国民」「学生」に置き換えれば、社会の指導的立場にいる、すべての人間に求められる要件であろう。もちろん、名誉会長は医師ばかりに努力を求めているわけではない。患者にも「医師まかせ」でなく「自分が医師で、自分が看護師」との治療への主体的な自覚と行動をうながしている。
 高齢社会が進展するなかで、医療費の増大が指摘され、国民が安心できる社会保障制度の確立が模索されている現在、「自分の健康は自分で守る」との意識は、今後ますます必要とされることだろう。
8  全編を通して、おそらく読者が感じるであろうことは、とにかく「わかりやすい」という点である。
 かつて戸田記念国際平和研究所所長のテへラニアン博士は、名誉会長との対談で語ったことがある。
 「名誉会長の天才的な才能は、複雑な哲学をも、わかりやすい『物語』に翻訳して人々に伝えることができる点ではないでしょうか」「人々は、わかりやすい『物語』には耳をかたむけます。しかし、むずかしい哲学的な話は寝てしまいます」
 概して医学書は用語が難解で、一般の読者にはなじみがない。しかし本巻は、決して専門性におちいることなく、現代医学の豊富な「知識」を雄弁に伝えている。
 名誉会長は語っている。
 「どんな正しい思想も、人々が聞いてくれなければ、読んでくれなければ、力とならない。人々の胸に入っていくように工夫する――それが創価の智慧です」と。
 「疲れたら、年齢に応じて、よく休むこと。寝ることも戦い」「『風邪をひかないぞ』と決意することで抵抗力が高まる」「生活習慣病をさける、教養ある食生活を」「寒いときに外出するさいには、『これから寒い外に出るんだ』と意識して出る」等々。
 たしかに、名誉会長の語る「健康の智慧」の数々は、だれもが実践できる具体的なアドバイスだが、いずれも深い哲学に裏打ちされた重要な指針ばかりである。読者は、その一つ一つから「友に一日でも元気で長生きしてほしい」「二十一世紀を、人類が健康を満喫できる社会に」との深い慈愛を感じることであろう。
                      二〇〇八年五月三日

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