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日蓮大聖人・池田大作

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健康革命は会合革命から リーダーの心配りが同志を守る

「健康対話」(池田大作全集第66巻)

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1  池田 今年(二〇〇五年)の夏は、とにかく暑かった。大雨や台風、地震に見舞われた地域もあった。その中を全国の同志は、日夜、広宣流布のために戦いぬいてくださった。
 皆さまの、おかげで、創立七十五周年を見事に大勝利で飾ることができました。本当に、ありがとうございます。心からお礼を申し上げたい。
 私は今、尊き学会員の方々に合掌する思いで、皆さまの健康・長寿を真剣に御本尊に祈念しています。
 夏の疲労が出てくるのは、これからでしょう。体調をくずされている方もいるかもしれない。睡眠を十分にとり、疲れをためないようにしてください。これが健康の根本です。
 また、たとえ病を患っていても、友のため、社会のため、広宣流布のために尽くしていとうという一念があれば、そこには真の健康が脈打っている。「戦う生命」こそ「健康な生命」です。
 どうか、朗々たる唱題で生命力を充電し、健康の秋、充実の秋へ、聡明なスタートを切っていただきたい。
 森田修平ドクター部長 そこできようは、白樺会・白樺グループ(婦人部・女子部の看護者の集い)の皆さんとともに、日ごろの活動で注意すべき健康のポイントをアドバイスできればと思います。
 池田 時にかなった大切な企画ですね。
 豊福裕幸ドクター部救護運営室議長 現在、ある一定以上の規模の会合には、白樺のメンバーが「救護役員」として出動してくださっています。学会本部主催の行事には、ドクター部も任務に就いています。
 小島明子白樺会委員長 日ごろ私たちが役員に就くさい、申し合わせていることがあります。
 一つは「絶対無事故。病人を出さない」。もう一つは「万一、具合の悪い方が出たとしても、″看護師さんがいてくれてよかった″。そう思っていただけるお世話をしよう」ということです。
 高田美穂白樺グループ関西委員長 任務に就いたメンバーは参加者の健康・無事故を願って、会合中も、心の中で唱題しています。
 池田 尊いことです。ありがたいことです。白樺の皆さんは、ただでさえ多忙な仕事の合間を縫って、出動してくださっている。全国の会員の方々を代表して、心から感謝申し上げます。
 同志の皆さんが健康で、生き生きと日々の活動に邁進できるよう、ぜひ率直なアドバイスをお願いします。
2  会合は短時間で、価値的に
 溝田栄子白樺グループ九州書記長 わかりました。
 高齢社会を迎えて、学会の会合でも、年配の方が目立つようになってきました。あまり長時間の会合ですと、お年寄りの方は大丈夫かな、気分が悪くならないかなと心配になります。
 小島 一時間半を超えるような長時間の会合は、必ず休憩をはさんでほしいですね。その間に、体操をするのもいいし、お手洗いに行ってもいい。いずれにしても、リフレッシュする時聞は欠かせないと思います。
 池田 そのとおりです。それが常識です。学校の授業でも、たいてい一コマ四十五分くらいです。それを、延々と黙って座らせて、お手洗いにも行かせないなんて″人権侵害″もはなはだしい。(笑い)
 高田 長時間の会合では、水分補給も大事です。気温や湿度にもよりますが、大勢の中にいると、汗をかいて水分が不足になりがちです。
 池田 リーダーの、こまやかな配慮が必要ですね。
 会合のさいも、具合の悪い人はいないか、疲れていないか、お手洗いは大丈夫か――そういう、こまかな点に最大に心を配っていただきたい。
 日蓮大聖人も、身辺におよぶ迫害と戦う四条金吾に対して、「これほどまでに」と思うほどこまかく御指導されている。
 たとえば、夜の一人歩き、家の出入りや火事のさいの注意など、「心に深く用心しなさい」(御書一一七六ページ、通解)と仰せです。
 小事こそ大事です。こまかなことに注意するのが真の仏法指導者です。
 それも、すべてはリーダーの智慧で決まる慈愛で決まります。学会を守ろう、広宣流布を推進する宝の同志を守ろう!――その一念が深ければ深いほど、智慧は限りなくわいてくるものです。
3  森田 休憩なしの長時間の会合で心配なのは、同じ姿勢を続けて、血行が悪くなり、筋肉が凝ってくることです。疲労もたまりやすい。まれに、下肢の静脈に血栓(血の固まり)ができることもあります。
 池田 たしかに長い会合だと、終わっても、なかなか立ち上がれませんね。ようやく立ち上がっても、足元はフラフラ、頭はクラクラで、登壇者の話なんか覚えていない場合がある。(笑い)
 学会の会合は、幸福になるための集いです。同志の健康のためにも、会合は「短時間で」「価値的に」を原則にしていただきたい。
 登壇者の話も同じです。簡潔にして、皆が満足し、気持ちが軽くなり、勇気がわいてくる内容が大事です。「悩みが吹き飛んだ」「心が希望でふくらんだ」「また一つ賢明になった」「元気が出た」「これで乗りきれる!」――参加者の歓喜がわき、生命力が増し、心身ともにすこやかになれるような、みずみずしい「会合革命」をお願いしたい。
 溝田 大人数の会合にも配慮が必要です。結果として、身動きがとれなくなるくらい込みあってしまい、具合の悪くなった方がいます。
 豊福 大勢の方が、一カ所に集まって長時間いると、二酸化炭素が増えて空気が汚れます。
 池田 重要な観点ですね。その意味からも、会場の定員はきちんと守っていただきたい。無理して多くの人を入れ、事故を起こすようなことが絶対にあってはならない。
4  大勢の集いでは一度、換気を!
 小島会場の温度も注意してほしいですね。ただたんに″暑いから冷房を強くすればいい″というものではありません。冷えの影響を受けやすい女性や、病弱な方への気配りを忘れないでください。
 高田 大勢の会合の場合は、途中で一度、窓や扉を開けて新鮮な空気を入れると、心身とも爽快になります。
 池田 換気したほうがいい場合は換気する。当たり前のことです。それを形式にとらわれて、皆を苦しめるようなことがあってはなりません。
 仏法はどこまでいっても道理です。常識です。「人間のための宗教」です。
 たとえば、「死身弘法」といっても、それは奥底の不惜の一念を意味しているのであり、信心の自覚の問題です。決して、命を粗末にせよという意味ではない。それでは生命尊厳の仏法ではなくなってしまう。狂信です。皆が納得するわけがないし、世間からも信頼を失い、法を下げてしまうことになる。
 御書にも「命というのは、自分にとっていちばん、貴重な宝です」(九八六ページ、通解)と説かれている。「生命」「健康」に勝る宝はないのです。
5  長時間の唱題は足とのどに注意
 溝田 組織で″十時間唱題″等と銘打って行われる唱題会があります。
 大勢の人が集まって、締めきった部屋で、長時間の唱題に挑戦する。もちろん、唱題自体がいけないということではありませんが、健康面から考えると、どうでしょうか
 池田 これは大事な問題ですね。医学的には、どうなんでしょうか。
 森田 先ほども述べましたが、医学的に見れば、長時間、同じ姿勢でいると、血のめぐりが悪くなり、下肢の静脈に血栓症を起こす場合があります。いすに座っていても同じです。最近、よく聞かれる、「エコノミークラス症候群」(急性肺血栓塞栓症)は、この血栓症がもとで起こります。
 豊福 耳鼻科のドクターから聞いたことですが、長時間声を張り上げていると声帯を痛めるそうです。一日でポリープができた例もあると言います。
 小島ですから、休憩をはさむ、あまり声を張り上げない、水分を補給するなど、十分な注意が必要だと思います。
6  一遍の題目にも限りない功徳が
 池田 なるほど。
 そもそも、祈りの深さは、題目の数や時間で決まるものではありません。
 御書には、「何遍唱えなさい」とか、「何時間あげなさい」とは、どこにも記されていない。むしろ、大聖人は、「題目を一遍唱えたならば、一切衆生の仏の生命が皆呼ばれて、ここに集まる」(御書四九八ページ、通解)、「題目を一遍唱える功徳は法華経を一部八巻を読む功徳と同じであり、十遍は十部、百遍は百部、千遍は千部読んだのと同じ功徳である」(御書四一一ページ、趣意)等と、一遍の題目にも、限りない功徳があると言われている。
 大切なのは題目をあげようという「心」です。その心が強くあれば、福運はついていくのです。
 小島 よく題目を一日に「十時間あげた」「八時間、唱えた」という話を会合等で、うかがうことがありますが……。
 池田 それは、周囲に誤解をあたえる場合もある。近隣からも狂信のように思われかねない。
 また婦人部の方の場合、長時間の唱題の最中に、ご家族が「ご飯まだかな」(笑い)と心配することがあるかもしれない。
 森田 たしかに、それでは信心即生活とは言えませんね。
 池田 もちろん、唱題に挑戦することは尊い。わが同志、とくに婦人部の友の信心のいちずさや真剣さには本当に頭が下がります。
 また、題目をたくさんあげたほうが、得であることは言うまでもありません。それは全部、自分の福運となって返ってくるからです。ただ健康面から見れば、決して無理をする必要はない。私はそう思うし、戸田先生も言われていました。
 さし迫った悩みがあって、やむにやまれず唱題また唱題の戦いに挑戦する場合も、あるでしょう。その場合でも、十分に体調に注意することです。
 いずれにせよ、同じ唱題をするなら、苦痛を耐え忍びながら行うよりも、心身ともに自分の体調がいちばんいいときに終わらせて、さわやかな気持ちで、活動に飛び出したほうが価値的ではないでしょうか。
7  唱題会について
 高田 唱題会については、どう考えればよいでしょう。
 池田 あくまでも本人の自覚と決意、そして体調にまかせて行うべきでしょう。強制はいけません。二、三人の有志による自発的なものはいいが、大勢で一律に行おうとすれば、いろいろな面で、だれかに無理をさせてしまう可能性もある。無理は長続きしない。
 健康面で言えば、無理をして、足をくじいたり、体調をくずしたりするのでは愚かです。心身ともに健康になり、幸福になるための信仰なのに、それでは本末転倒です。
 御書には「賢い者を人といい、愚かな者を畜という(一一七四ページ、通解)と仰せである。最高に賢明に生きるのが、仏法の理想とする人間の生き方なのです。

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