Nichiren・Ikeda
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死をどうみるか
妙法に寿命を延ばす大功徳
「健康対話」(池田大作全集第66巻)
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19 太陽が昇るがごとき喜び
池田 それはそれとして、病気になれば、だれもが不安になる。長く重くなれば、死への恐怖も生まれます。
大聖人は、そうした病身の夫を案ずる女性門下を、こう励まされている。
「ご主人は過去の宿習が因となって、この長く重い病気にかかられ、その病によって日夜暇なく悟りを求める心を起こされています。それゆえ、今生につくりおかれた小罪はすでに消えてしまったことでしよう。謗法の大悪もまた、法華経に帰依されたことにより、消え失せることでしょう。もしも今、霊山にまいられたならば、太陽が昇って、十方の世界を見晴らすように、うれしく、『早く死んでよかった』と、お喜びになられることでしょう」(御書一四八〇ページ、通解)
まさに生死を超えた、悠々たる大境涯です。
仏法で説く「死」は、決して苦しみの死ではない。悲しみ、絶望するものではないというのです。
「楽しき死」「うれしき死」「大歓喜の死」となるさまを、大聖人は太陽が夜の闇を破って全世界を照らす壮麗な光景に譬えられている。
妙法に生きぬいた人は、寂しい不安と恐れの「死」ではない。「大安心」と「大満足」の荘厳な死を迎え、永遠の生命を生きぬくことができる――。
これが御本仏日蓮大聖人の絶対の御約束なのです。