Nichiren・Ikeda
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後記
「池田大作全集」刊行委員会
「希望対話」(池田大作全集第65巻)
前後
2 『未来をひらく君たちへ』は、「少年少女との対話」との副題で、一九七二年に金の星社から単行本として発刊されたもの。
「私は少年と語りあうのが大好きだ」――『未来をひらく君たちへ』のはしがきで、最初に名誉会長はこうつづっている。
さらに、「私は、諸君を、大人と変わらぬ、立派な一個の人格として尊重し、尊敬もしています。紳士とも思い、淑女とも思っておつきあいしています。それが最も正しい態度だと思うし、これからもそうしていくつもりです」と述べている。
3 『未来をひらく君たちへ』の発刊当時、名誉会長は四十代である。名誉会長にとって、当時の中学生は、ちょうど、わが子にあたる年代だった。
それから三十年。『希望対話』を語りあった時の中学生は、名誉会長にとって孫にもひ孫にも相当する年代であり、自然とその語り口などは異なっている。
しかし、子どもを一個の「尊い人格」として尊重する。この一点は、どれほど歳月を経ても、何ら変わっていない。この名誉会長の姿勢は、どこからきているか。
それはまさに、牧口初代会長が「教育の目的は、子どもの幸福である」とし、一人一人の子どもたちの中に等しく「無上の宝」を見いだした姿と重なる。
そしてまた、戸田第二代会長が「子どもといっても、一人前として尊重しなくてはいけない」と叫んだこととも二重写しとなっている。
子どもたちを「未来の建設者」として最敬礼して迎えていく。そして、子どもたちの無限の可能性を開き、幸福を実現するためならば、自分は喜んで犠牲になっていく――そこに創価三代の会長に脈打つ、人間教育の魂がある。
4 名誉会長は若き日、日記につづっている。
「可愛い子等は、人生のオアシスだ。尊い、幼少の子供等を、万人が、お互いに大事にしてゆけば、自然に、戦争回避の一大思想になると思う」(『若き日の日記』昭和二十四年十月三十日。本全集36巻収録)
地球民族という視点に立つならば、すべての子どもは、わが子である。その思想が広まったとき、本当の教育優先の社会が築かれるであろうし、必ずや世界に「不戦の普退」は開かれていくであろう。
5 「いじめを見聞きしたときにどうするか」――二〇〇〇年に発表された四カ国での「いじめ調査」(国際いじめ問題研究会)の結果が、『希望対話』で紹介されている。
それによると、イギリスでは、中学生になると「いじめをやめるように働きかける生徒」が増加しているのに対して、日本では、「注意したり、先生に助けを求める」という答えが、小学校から中学校へと学年が上がるにつれて、少なくなっているという。
この注目すべき調査結果に対して、名誉会長は、中学生の心に寄り添い、こう答える。
「『数字』が示している『本当の意味』を知ることは、どんな場合も、じつにむずかしいものです。日本の中学生には、『その身になってみなければわからない』苦しみがあるんだと、私は思う」と。
たしかに、「長い物には巻かれよ」「大勢に逆らわない」という風潮の強い日本の社会において、「いじめをやめるように注意する」ことが、どれほどの深い意味をもつことか。ましてや、中学生である。安易な「中学生批判」は問題の火種を煽るだけである。
6 そのうえで、この調査結果が、日本の教育に欠けている何かを示唆しているのも事実であろう。
名誉会長と対談したイギリスの歴史学者トインビー博士は言う。
「教育は、人生の意味や目的を理解させ、正しい生き方を見いださせるための探求でなければならないのです」(『二十一世紀への対話』。本全集第3巻収録)
だが、語らいでは、現代の教育が、その本来の目的を忘れ、実利的な知識や技術にのみ価値が認められるために、そうした学問をする人々が知識や技術の奴隷に成り下がり、結果的に、「人間の尊厳」が蔑ろにされていることに、強い警鐘が鳴らされている。
7 教育とは、人間性を薫発するためにある。にもかかわらず、学べば学ぶほど、人間の尊厳を喪失していく。それではいったい、何のための学問なのか?
名誉会長は『希望対話』で語っている。
「多くの場合、医師は、患者よりも自分が偉いように錯覚する。政治家も、国民より自分が偉いように錯覚する。(中略)そういう『人間を見くだす人』が高い地位にいるのでは、いつまでたっても、社会はよくならない。その間違った考えを、ひっくり返さなければならない」
鋭く、的を射た指摘ではないか。さらに言う。
「人を差別するなら、何のための医学なのか。何のための政治なのか、法律なのか、学問なのか。少しばかりの知識を鼻にかけて、人を見くだすような人間をつくってしまったら、大失敗です。
『人の心を大切にする』人をつくるための勉強であり、学校です。それが『心の勉強』です。『頭の勉強』だけではなくて」
近年、若い世代に目立つ拝金主義。″ニー卜″(Not in Employment, Education, or Training の略称で、NEET〈ニート〉と表す。意味は、雇用されておらず、学業もせず、職業訓練も受けておらず、求職もしていない者をさす)と呼ばれるように、ややもすると教育や訓練を敬遠しがちな風潮。「勝ち組」「負け組」という言葉に象徴される、二極化を助長する格差社会。
そのなかで、「他者の痛みを知る」心をはぐくみ、「人の心を大切にする」人を育て、自身を磨きぬいていく社会をつくることが、どれほど大切なことか。また、きわめてむずかしい課題である。
それを痛感しながらも、名誉会長は、誠実に、真剣に、時にはユーモアを交えながら、中学生たちと真摯に向きあい、もつれた「心の糸」をときほぐすかのように、ともに語りあっているのである。
そこには、上から訓を垂れようとする説教じみた態度は微塵もない。それどころか、名誉会長は、つねに子どもたちの目線に立ち、子どもたちから学ぼうという謙虚な姿勢に徹している。二つの著作にあふれる名誉会長の思いやりの心こそが、活字離れが指摘される中学生たちにも広く受け入れられていった理由であろう。
8 ロシアの文豪トルストイは叫んだ。
「まず小さな子供たちに学ぶがよい。そして子供たちと同じように、愛と温情をもってすべての人と仲よく暮らし、あらゆる人に同じ態度で接するようにすることだ」(小沼文彦訳『ことばの日めくり』女子パウロ会)
9 読者のみなさんは、名誉会長と子どもたちとの「心の往来」のなかから、激動の社会を生きぬく智慧を、限りなき勇気を、そして、未来への希望を獲得することであろう。
二〇〇六年五月三日