Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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将来について  

「希望対話」(池田大作全集第65巻)

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2  問2 夢があるのに家業を継ぐように言われた
 僕は、プロ野球選手になりたいのですが、父は歯科医です。それで父は、僕に、歯科医のあとを継げと言いますが、どうしたらよいでしょうか。
 これは、少しむずかしい質問ですが、今の段階では、まだ、そんなに早く結論を出さなくてよいのではないでしょうか。
 今、プロ野球の選手になりたいという君の気持ちが、将来、変わるかもしれないし、なりたいと思っていても、体力に自信がないとか、自分の実力の限界を知るとか、あるいは、相当、実力には自信があるけれども、プロになるためには、やはり力不足であるとか、というような気持ちも、途中で起こってくるかもしれません。
 また、もし、君に、本当に、プロ野球の選手として成功する才能と実力があって、それが認められれば、君のお父さんも、あるいは気持ちを変えるかもしれません。お父さんにすれば、実際、君にどれだけの素質と実力があるかがわからないため、反対しているのかもしれません。
 小・中学生時代の男子の志望で、一番多いのは、プロ野球選手だと言われています。私の知っている人たちのなかでも、子どもが野球選手になりたいと言っているという話をよく聞きます。
 大勢の観客や、テレビをみる何百万という人の前で、だれをもうならせるファイン・プレーを演じたり、スカッとした逆転ホームランを打つ選手の姿を見ていると、元気な男の子なら、自分もやりたいと思うのも、ごく自然のことです。
 それだけに、お父さんとしても、野球選手になりたいという君の希望も、ふつうよくある男の子と同じような、一時的なものであると、軽く考えているのかもしれません。
 ですから、今は、そんなことに、くよくよせずに、君の好きな野球を、うんとやっておきなさい。スポーツは、健全な精神と体をつくるうえで、欠かせないものです。
 私は、少年のころから体が弱かったもので、そのことを痛感しています。少年時代に大事なことは、勉強ももちろんですが、将来、どのような立場になっても、十分働いていける体をつくっておくことです。
 いくら学校の成績が優秀であっても、体が弱くてすぐ寝こんでしまうようでは、大事な時に役に立ちません。また、頭がいいとか悪いとかいっても、全体観からみれば、そんなに大きな差はありません。むしろ、体が弱くて、一生棒に振ったという人のほうが多いようです。実際の社会では、体が根本だといっても、さしつかえないでしょう。
 ただ、君ぐらいの年齢で、いくら野球が好きだからといって、自分の将来は、野球選手以外にないと決めることも、必要ありません。成長するにつれて、途中、いろいろな希望も生まれ、願いも増えてくるでしょう。そして、そのうちに、自分は、やはり、これでいきたいと思える道が出てくるものです。
 それが、野球選手であるか、歯科医であるかは、私にはわかりません。しかし、もし、それが、お父さんのあとを継ぐ道ではなかったならば、そのときに、じっくりと、自分の将来について、お父さんを含め、家族の人と話しあうことが必要です。君の今の質問に対する具体的な回答は、そのときまでお預けにしましょう。
3  問3 自分の″天分″はどうすれば見つかるのか
 僕は、将来、何になるのが自分に適しているかわかりません。よく、人それぞれに″天分″があると言われますが、それを見いだすには、どうすればよいのでしょうか。
 自分が何に適しているかを見極めるのは、簡単なことではありません。幼い時から、自分はこれに適していると自覚して、その方面に特別な才能を発揮する人もなかにはいますが、それはむしろ例外的なことといえるのではないでしょうか。
 多くの人は、高校に進学し、大学の進学を決める時や、あるいは社会に出て、どういう職業につくかという時に、自分の道を決めるようです。しかし、その場合でも、はっきりと自分の適性を見いだしているかというと、決してそうとは言いきれない。ある時には″何となく、こちらに向いていそうだ″という、漠然とした気持ちで決めている場合も、少なくはないでしょう。
 ですから、社会に出て、成功した人の例を見てみると、実際には、大学や高校時代に専攻していた道と、まったく畑違いの場で活躍している人も多いのです。私は、高校や大学では、もっぱら理科系の勉強をした人が、詩人になり、あるいは評論家として名を成している例も、知っています。
 このようなことがどうして起こるかというと、これは、自分の″天分″をどうすれば見いだせるかという問題と関係してくることですが、結局、人それぞれに、その人らしい持ち味と才能、個性はあっても、それは自分ではなかなか発見できないものなのです。しかし、ある機会に接すると、急速に自覚できる場合がある。たとえば、それまでは不得意であった科日でも、好きな先生がいて、非常におもしろく授業をしてくれるので、自然と、その不得意科目に興味をいだくようになり、最後には、その方面に関係する仕事をしたいと思うようになるといったケースは、よくあります。
 また、その機会が、先生でなくても、一冊の本であったり、友だちとの討論であったりする場合もあるでしょう。そういう機会を通して、眠っていた天分を見いだし、自分の道を決めるようになることもあるのです。
 君は、まだ、その段階に達していないわけですが、中学時代の現在で、進むべき方向と適性がわからないからといって、あせることはありません。今は、学校で習う、いろいろな科目や実習を、しっかり吸収していくことが大事だと思います。
 とくに、中学時代で教わるものは、そのまま実社会に出た時にも、社会人として、十分に通じる基礎ばかりです。その基礎を完全にマスターしていれば、大学を卒業しても、なまはんかに勉強していた人と比べると、はるかに優れた力をもつことができるとも言われています。
 ただ、自分の適性はわかりにくいといっても、人には、何らかの興味や関心をもつことがあるはずです。そこに、その人の天分や適性があるとは、必ずしもいえないにしても、そうした興味や関心のあることがらは、それに通じる面が多いのも事実です。
 したがって、学校の勉強とともに、君が、日ごろ、好奇心や興味をもつ問題については、自分自身で積極的に取り組み、それをはぐくんでいくべきです。そうして青年時代において″これだけはだれにも負けない″と誇れるものを、何か一つでいいからもつことです。それをもっている人は強い。たとえ、仕事や職業が、自分の関心とは違うものであったとしても、それをもっている人は、実際の社会の場で生かせるものです。また、それがあれば、社会にあって、必ず、価値ある人だと尊敬されるものです。
4  問4 世界平和を実現する職業は政治が一番?
 私は、将来、自分の好きな音楽の道で、世界平和に貢献できる一員になりたいと思っていますが、現実に平和な社会をつくろうと思えば、政治が一番、身近なように思われます。この点、どのように考えていけばよいでしょうか。
 戦争のない、平和な世界をつくることは、決して、政治家だけでできることではありません。社会の、あらゆる階層の人たちが、それぞれの職業や立場の違いを超えて、幅広いスクラムを組み、戦争を起こそうとする勢力や動きと、どこまでも戦って、平和を守っていくことが大切です。
 たしかに、戦争と平和ということについては、政治が、直接影響を及ぼす問題であり、政治に反映されなければ、現実に、戦争の危機を回避することができない面もあります。
 しかし、政治の方向を最終的に決定するのは民衆です。民衆一人一人が、信念をもち、戦争から人間を守るという自覚をもって、政治の姿勢、方向を厳しく監視していけばよいのです。ですから、政治家にならなければ、世界平和に貢献できないなどというようなことは、絶対ありません。好きな音楽の道でも、十分、平和に貢献できるのです。
 いな、音楽などの文化活動こそ、実質的に平和な社会をつくりだしていく基本なのです。いいかえると、平和のための国際的、社会的条件をつくりだしていくのは、政治家の仕事であるかもしれませんが、平和そのものの内容をつくりだしていくのは文化です。
 文化とは、人間の内面、精神、心に充実を与えていく活動です。それは、権力などの立ち入ることのできない分野であり、また絶対に権力が干渉してはならない分野です。音楽や芸術、詩、小説などを通して、人々に生きる希望を与え、生命の充実感、幸福感を与えるのが文化の本質です。
 音楽は、そうしたもののなかでも、最も広く、人間の心に潤いを与える分野です。ショパンの曲を聴けば、人々は青春の日の思い出を懐かしみ、ベートーヴェンの「運命」を鑑賞すると、不死鳥のような勇気をもって、また明日の生活への意欲がわいてくるというように、音楽は、国境、民族、イデオロギーを超えて、人間が人間らしい感情をもって進むことのできる、貴重な共通語です。
 したがって、立派な音楽家になり、世界の人々に、音楽を通して生命の歓喜を与えれば、それ自体で、世界平和に大きく貢献しているのです。それは、政治家が、平和のために奔走するより、もっと根本的で曹験的なものといえましょう。
 戦争は、このような、人間の、すぐれた文化活動を破壊する最大の悪です。戦争と文化とは、まったく正反対の関係にあります。
 もちろん戦争文化というものもありますが、人々を、いたずらに好戦的に仕立てるとか、士気を鼓舞するものでしかない場合が多い。ほとんどといってよいほど、戦争のもとにあっては、生き生きした文化が途絶えてしまうものです。
 ということは、逆にいえば、自由な創作活動や、生き生きした文化活動を展開することは、人々に、生命の充実を与えるだけでなく、それを阻もうとする戦争そのものを否定する、精神の大地をつくっていることでもあるのです。人々は、文化を通して政治や社会の動向を平和に導くよう、監視していくことができるのです。
 そういうことからしても、私は、あなたに立派な大音楽家になってもらいたい。人々が、あなたの音楽に接して、平和の尊さ、人間の尊厳に、あらためて襟を正し、それが、戦争否定の気運を高める導火線になっていけば、世界平和のうえで、あなたは、大きな貢献をしたことになるのです。

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