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日蓮大聖人・池田大作

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勉学・読書について  

「希望対話」(池田大作全集第65巻)

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9  問9 読書ノートは必要? 精読と多読はどちらがいい?
 僕の友だちに、本を読むと、必ず、その本の主題、著者の考え方、さらに読後の感想等をノートに書いている人がいますが、読書のあり方として、やはり、そうしたほうがよいのでしょうか。また、精読と多読のどちらがよいのか教えてください。
 一冊の本を読み絆えたあとで、その本から学んだ点、感動したこと、印象に残る一節等を、読書ノートなどにまとめておくことは、たしかに効果があります。
 書くということによって、その本の内容が整理でき、より深くつかむことができるからです。また、そういう読書ノートを何冊も積み重ねていくことは、ひそかな楽しみですし、読書の充実感を深めることにもなります。年月を経てからも、その読書ノートをみて、自分の成長の跡や、少年時代に考えていたことなどを思い返すこともできます。
 したがって、もし、できれば、そういう読書ノートをつくったほうが有益でしょう。本を読むごとに、ノートに書いていたのでは、大変手間がかかると思うでしょうが、なにも多く書くことはないのです。作者の意図や、本の中心テーマ、それに簡単に、自分が感じたことを列記するだけでもいいでしょう。それだけでも、本を読んだ力が、よりいっそう、自分についてくるものです。
 しかも、読んだ本の全部を、ノートに書く必要はない。とくに何も感じなかった本もあるでしょうし、おもしろくなかったものもあるでしょう。ですから、自分が感動した本とか、非常に教訓になった本とかに限ってもいいのです。具体的なノートのつくり方は、各人各様で、自由でよいと思います。自分の思うがままに、つくっていけばよいでしょう。
 次に、精読か多読か、ということですが、これは、どちらがよいとは、いちがいには言えません。個人の性質もあるでしょうし、読む本の内容によっても違います。
 ただ、本は、幅広く読むにこしたことはありませんが、本によっては、何回となく繰り返して読むベきものもあります。とくに、自分が深い感銘をうけた本などは、何度も読んでみたい気持ちになるものです。深い内容のある本は、繰り返して読むうちに、前回読んだときには気づかなかったことを新しく発見したり、理解できなかった部分がわかるようになったりして、一冊の本を深くマスターすることができるからです。
 西洋に、「一書の人を恐れよ」(トマス・アクィナス)という言葉があります。一冊の本を徹底的に学ぶことほど強いものはなく、それは、時代、社会を動かす力ともなるという意味です。
 西洋では、文学者をはじめ、多くの人にとって、そうした一書は、『バイブル(聖書)』であり、ホメロスの『イリアス』や『オデュッセイア』であり、経済学では『国富論』であったといわれています。世に大きく名を残している人の背景には、必ず、一生のうちに、何回となく読んだ一書が、強い影響を与えています。
 そういう意味から、一冊の本を深く掘り下げて読むことは、非常に大事なことです。もちろん「一書の人を恐れよ」というのは、一冊の本しか読むなということでは、毛頭ありません。もし、他の本はさしおいて、一冊しか読まないというのならば、ずいぶん、視野の狭い、偏頗な人間ができてしまいます。
 自分が生涯かけて読もうとする一冊の本を見つけるためには、多くの本を読まなければならないでしょう。幅広く、さまざまな本を読んでいるうちに、自分の関心や志向性も、やがて定まってきて、そのうちの何冊かを、再度、読み直してみようという意欲がわいてくるものです。
 ですから精読か多読かということは、より深く内容を知るうえで精読、視野を広くするうえで多読、そしてこの両方がともにあいまっていくのが、最も妥当といえると思います。

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