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日蓮大聖人・池田大作

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勇気って何?  

「希望対話」(池田大作全集第65巻)

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1  池田 きょうの質問は何ですか?
 ―― はい。中学二年生の女子からの質問です。
 「バスで坐っていたときのことです。お年よりが私の前に立ちました。『席を譲ろう』と思ったのですが、胸がドキドキして、なかなか言い出せません。
 そうこうしているうちに、その方は下車してしまいました。私は、いつも肝心なときに勇気が出ません。どうしたら、勇気ある人になれるのでしょうか」
2  勇気ある人が幸福!!
 池田 なるほど。これは大事だね! 「勇気」がなければ何もできない。「勇気」のある人は「幸福」になる。「勇気」のない人は「不幸」になる。そう言ってよいくらい、勇気があるかないかで、人生は百八十度、変わってしまう。勇気がない人は、後から「あの時、思いきって、こうすればよかった」と後悔することになる。
3  「あの時、声をかければよかった」
 池田 『青春対話』(本全集第64巻収録)でも話しましたが、再度、紹介しよう。
 シュテファン・ツヴァイクという有名な作家の高校時代の話です。
 同級生に、秀才で人気者の生徒がいた。ある時、大会社を経営する彼の父親が、何かの事件で検挙されてしまった。新聞は、父親を非難し家庭の写真まで掲載して中傷をした。
 ―― それでは、学校に行きにくいですね。
 池田 そう。彼は学校に来られなくなってしまった。一週間休み、二週間休み、三週間目に彼は登校してきた。しかし、席に座って教科書を見つめ、うつむいたままだった。休み時間にも、みなの視線を避けるように、独り窓の外をながめていた。ツヴァイクたちは、彼を傷つけないように、離れて見ているだけだった。彼が優しい言葉を待っているのは確かだった。声をかけようか、どうしようか迷っているうちに、授業のベルが鳴った。そして次の時間、彼は学校を後にし、もう二度と姿を見せることはなかった……。(三宅正太郎『裁判の書』〈牧野書店〉の中で紹介)
 ―― ツヴァイクが勇気を出して、彼に声をかけていたら……。
 池田 ツヴァイクも、「声をかけよう」という勇気と、「何を言えばいいのか」という迷いが、胸の中で戦っていたのでしょう。結局、声をかけられなかった。迷っているうちに、彼は永遠に学校を去っていった――その後悔は生涯、ツヴァイクの心を苦しめたようだ。
 心の中に、思いやりや立派な考え、すばらしい希望をもっていたとしても、それを「実行」する「勇気」がなければ、現実には何も実を結ばない。結局、心に何もなかった人と同じにさえなってしまう。
 ―― 心に「宝」をもっていても、外に押し出す勇気がなかったら「宝のもち腐れ」ということですね。
4  人の目を気にせず正しいことは断じてなせ
 勇気はエンジン
 池田 だから、勇気が大事なんです。「勇気」は、正しい人生を生きるための「原動力」であり、「エンジン」なんです。勉強をするのも勇気であるし、学校へ行くのも勇気です。クラブをするのも勇気であるし、勤行をするのも勇気です。
 ―― 質問の彼女のように、私も「どうぞ、お座りください」との一言が言えなかった経験があります。
 「席を譲っても、『老人扱いされた』と思われ、おせっかいだと、いやがられるのでは」とか、「友だちから、いい子ぶっていると見られるのでは」とか、いろいろと考え、ためらってしまったのです。
 池田 質問の人もそうだが、お年よりに席を譲ろうなんて美しい心です!
 それだけでもう、何にも思わない人よりも、ずっと「勇気」があるのです。また「正しい」心です。そして、「正しい」ことは断じてやることだ。それが本当の「勇気」です。
 たしかに席を譲っても、もしかしたら、かえって迷惑顔されるかもしれない。それならそれでもいい。あなたが「自分で正しいと思うことをやった」という事実は厳然と残るのだから。
 相手の反応を、あれこれ考えても、わからない。だから、「正しい」と思うことは、思いきって「一歩前へ」足を踏み出してみることです。そうしたら、案外、何でもないことが多いのです。
 ともかく大切なのは「あなたは、どうしたいのか」です。あなたの人生なのだから!
 ―― そう言えば、中等部のメンバーが言っていました。
 「僕は電車で、お年よりに席を譲りました。最初は胸がドキドキしましたが、『自分は正しいんだから』と思い、勇気を出して声をかけました。その方からも感謝され、僕は、本当にすっきりしました」
5  正しいから、やる
 池田 そうだ。「正しいんだから、やる」――これが勇気です。「勇気」は「正義」と一体なのです。まわりがどう思うだろうかとか、そんなことは小さなことです。
 「いじめ」をやめさせるのも勇気です。いじめに耐えぬいて、学校に行くのも勇気です。「さあ新学期、気持ちを切り替えてがんばるぞ!」と決意して、登校するのも勇気です。「一日一日、堅実な生活を生きぬいていこう」というのも、立派な勇気です。
 ―― 勇気というと、何か、人とは違うことをやるようなイメージがありますが、ちょっと、違いますね。
 池田 そう。全然、違う。冒険旅行の勇気、スポーツの勇気など、さまざまな分野で、勇気は見いだせるでしょう。それらは一次元の勇気です。
 それ以上に、粘り強く勉強したり、いやな人にも笑顔で接したり、朝、がんばって起きたり、そういう日常生活のなかで、「人間として正しに道を歩みぬいていく勇気が大切なのです。それは「忍耐する勇気」とも言える。いちばん地味であるけれども、いちばん光り輝く勇気です。
 ―― 「忍耐する勇気」ですね。本当に大切なことだと思います。
 今のテレビやマンガ、ゲームなどを見ると、相手を殴って倒すようなものが圧倒的に多いのです。その影響もあるのでしょうか、すぐに「暴力をふるう」傾向も見られます。
6  暴力をふるうのは「臆病」な人間
 池田 暴力は絶対に悪です! 暴力は一般、勇気があるように見えるけど、それは反対です!
 「臆病」だから、すぐに暴力をふるうのです。臆病な人は「残酷」な人です。勇敢な人は「優しい」ものです。弱いから、人をいじめるのです。強い人は、絶対に、そんなことはしない。
 中学生のみんなも、インドの「マハトマ・ガンジー」の名前は知っているでしょう?
 ―― はい。「非暴力」で戦った人だということは知っています。
 池田 戦った相手は当時、世界でいちばん力をもっていた「大英帝国」です。
 軍隊だって、警察だって、何でも動かせる。牢屋にも、すぐに入れてしまう。経済力も莫大です。そんな相手に対して、「いじめられていた側」のインドの民衆は、何にももっていない。
 ―― ガンジーの写真も、いつも布切れ一枚みたいな格好ですね。
 池田 武器もない。権力もない。お金もない。しかし、そのガンジーのほうが勝ったのです! それはなぜなのか?
 それは「やられてもやられても立ち向かっていく」勇気があったからです。そして相手がどんな卑怯なやり方をしても、「私たちは正しい! 私たちは正々堂々と戦う」と、ひるまなかったからです。
 ガンジーは″暴力は、自分を抑えられない野獣のものだ″と言っている。″非暴力こそ人間の証であり、本当の勇気の証明である″と言っています。(『抵抗するな・屈服するな』古賀勝郎訳、朝日新聞社、参照)
 暴力をふるう人間は、「自分を見つめられない」人間です。臆病なんです。
 ―― 「自分を見つめる勇気」ですか……。
7  子どものウソを責めなかった父親
 池田 そうです。ちょうど先日(二〇〇〇年七月十四日)、マハトマ・ガンジーのお孫さんにあたるアルン・ガンジーさんに、お会いした。(東京牧口記念会館で)
 アルンさんには、こんな思い出があるそうだ。南アフリカでの話です。
 アルンさんが十六歳の時、お父さんを車に乗せて、三十キロメートル離れた町へ行った。お父さんは、その町で会合に出席し、その間に、アルン少年は買い物と車の点検・整備をすることになっていた。
 少年は急いで買い物をして、車を整備工場に預けた。
 そして、すぐに映画館に飛びこんだ。
 ″点検を待っている間、見よう″と思ったのでしよう。
 ところが、映画に夢中になり、気がつくと、お父さんとの約束の時間を三十分もすぎていた。
 あわてた少年は、急いで車を引き取りに行き、待ち合わせの場所へ向かった。
 お父さんは、心配して待っていた。
 少年は言った。「整備が遅れたので、待っていたんだ」
 しかし、少年のウソは通じなかった。お父さんは、すでに整備工場に連絡を取っていたからです。
 ―― お父さんは怒ったでしょうね。
 池田 ところが、まったく怒らなかった。ただ、悲しそうな目をして、こう言った。
 「おまえに真実を言う勇気がなかったのは、私の育て方に問題がある」「私がおまえに対してどの点で間違っていたのかを考えるために、私は家まで歩いて帰ることにする」
 お父さんは歩き始めた。もう日は暮れて、街灯もない。真っ暗な、ぬかるみの道です。あたりは一面のサトウキビ畑。
 少年は、後ろから車をゆっくりと走らせ、お父さんの足元を照らしながら、ついていくしかなかっに。(塩田純『ガンディーを継いで』日本放送出版協会、引用・参照)
 ―― 三十キロメートルも歩いたのですか!
 池田 約五時間半。自分のために、年とったお父さんが、苦しみながら歩いている。少年にとっては、本当に長い長い時間だったでしょう。
 アルンさんは、振り返っています。
 「父が苦しみ、悲嘆にくれて歩く姿を見て、『もう二度と、ウソはつくまい』と決心しました。もしも、この時、父にどなられていただけなら、『次からは、ばれないように、うまくやろう』と思っただけだったでしょう。今でも、この時のことを考えると、心がふるえます」(「第三文明」一九九八年十二月号、趣意)
 ―― これは……私たち大人にとっても大事な話ですね。
 池田 そのとおりです。
 だからといって、中学生のみんなは「自分が、こんなふうなのは全部、親が悪いんだ!」なんて言っちゃいけないよ。(笑い)
 ―― それこそ「人のせい」にしています。(笑い)
8  「一歩前に出る」くせをつけよう
 「まず自分が変わろう」という勇気
 池田 何かあると、すぐに人を責める。人のせいにする。それは「自分を見つめる勇気」がないからです。そこから、暴力も起きる。いじめも起きる。
 ―― 自分が、むしゃくしゃしたから、だれかをいじめて、「うさ晴らし」をする。そういう人もいるようです。
 池田 世の中全体が、そうなってしまった。なさけない、薄っぺらな社会になってしまった。
 だからこそ、創価学会は「まず自分が変わっていこう!」という「人間革命」運動をしているのです。いちばん勇気のある、いちばん人間らしい、いちばん正しい路線だと、私は確信しています。
 ともあれ、勇気ある人になってください。勇気ある人が幸せです。勇気を失ったら、人間、何も残らない。反対に、すべてを失ったとしても、勇気さえ残っていれば、いちばん大事なものが残っているのです。
 私の好きな言葉に、「第一に大胆たれ、第二に大胆たれ、第三に大胆たれ」(ハーバート・スペンサー)という言葉がある。これを未来部のみなさんに贈りたい。
 ―― ありがとうございます。
 池田 「自分には、勇気がない」と思っている人もいるかもしれない。しかし、そうではない。
 どんな人の中にも「仏界」――「仏の生命」がある。それは燃えたぎる太陽のような「勇気のかたまり」です。だから、勇気が「ない」のではない。あるのだが「出さない」だけです。勇気は「出す」ものなんです。
 日蓮大聖人も「各各師子王の心を取り出して」と門下を激励されている。
 そして、勇気を「取り出す」ためにも、いい友人どうしが励まし合っていくことです。
 ―― はい。いじめを受けた人の話ですが、学校に行けないくらい、つらかった時、担当者が池田先生の言葉を通して、こう勇気づけてくれたそうです。
 「君には一千万の学会員が味方なんだ。今度、君がいじめられたら、僕が真っ先に飛んでいく!」
 池田 励ましが大事です。「励」ましという字の中には「万の力」が入っている。みんなも「人に『万の力』を与える人」になってください。人を励ますことで、自分の勇気が出る場合も多いのです。
9  「行動によって勇敢になる」
 池田 冒頭の質問に戻ると、だれだって、勇気を出す時はドキドキするし、恐怖を覚えるのです。「こわくない」のが勇者なのではない。ふるえながらでも「一歩前に出る人」が「勇気ある人」なのです。
 ―― そう言われると、安心します。(笑い)
 「恐怖を感じない」という人は、むしろ、神経が麻痺しているのかもしれません。(笑い)
 池田 それから、勇敢である「かのように」振る舞うことによって、だんだん本当に勇気ある人になっていく面もある。
 だから、みなさんは苦しくても、迷っても、時には泣きながらでも、ともかく「一歩前に出る」″くせ″をつけていってください。
 勇気は「力」です。「力」は、体力でも知力でもそうだが、鍛えれば強くなる。使えば使うほど「力」は強くなる。勇気も同じです。小さな勇気を積み重ねていけば、いつか、驚くほど勇敢な自分に変わっていける。
 ともあれ、「あの時、勇気を出していれば……」と後悔する生き方なのか。「あの時、勇気を出してよかった!」と満足する生き方なのか。
 私は言いたい。「勇気を出せ! やってみれば、何でもできるのだ」と。

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