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日蓮大聖人・池田大作

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個性的に生きたい!  

「希望対話」(池田大作全集第65巻)

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1  池田 夏休みだね!
 ―― はい。約四十日間の長期休暇です。受験生にとっては、勝敗の分かれ日となる大切な期間です。
 池田 ということは、「これからがんばれば、勉強が遅れている人も、まだまだ取り返せる」ということだね!
 ―― そう思います。
2  勝利の夏休みを
 池田 大変だろうけど、がんばってほしい。自分のために!
 「ぼくは苦手な数学を基本からやり直す」とか「私は英語を徹底してやる」とか、自分で目標を決めることも大事でしょう。
 ―― 「自分で決める」ことが大事ですね。「勉強しなきゃいけない」みたいな義務感になると、頭も、うまく回転しませんから。
 池田 私は、諸君の「勝利」を祈りたい。自分の弱さに打ち勝つ「挑戦」に期待したい。受験生以外のみなさんも、勉強でもいい、クラブでもいい、読書でもいい、ボランティアでもいい。何か「自分は、これを、やりきった!」と言える有意義な夏休みであってください。
 ―― 未来部担当者(二十一世紀使命会)の私たちも、最大に応援していきます。
 池田 本当に、よろしくお願いします。
 ところで、きょうは、どんな質問ですか?
 ―― はい。中学一年の女子からです。「私は中学に入り、おしゃれに、日覚めました。母は、私がおしゃれの話をすると『中学生のくせに何言ってるの! そんなことはどうでもいいから勉強しなさい』と怒ります。でも私は、流行の髪型や服装が『どうでもいい』とは思えないし、ある意味で『個性』だと思うのです」
 池田 なるほど! 夏休みになれば、なおさら、おしゃれをしてみようという人も増えるのかな?
 ―― そうなんです。束縛された学校生活への反動なのでしょうか(笑い)、夏休みになると、いきなり真っ赤に髪の毛を染めてみたり、派手な服を着てみたり……。
 先日も、ある中学生の友の家を訪問したのですが、髪が見事に″茶髪″になっていました。本人は「夏休みが終わったら、もとに戻します」と、あっけらかんとしていましたが(笑い)。私は中学時代、おしゃれすること自体がいやだったので、「時代は変わったなあ」と感じます。
 池田 なんだか、年よりみたいなことを言うね(笑い)。歴史的に見れば、男性が熱心におしゃれした時代なんか、全然、珍しくない。不思議でも、なんでもないんだよ。
 そこで質問のことだけれども、これは、お母さんと、よく話しあってください。それぞれの家庭には家庭の方針があるし、学校には学校の方針がある。
 第一、おしゃれについての考え方は、個人差があって当然です。だから、私から、こうしなさいとか、これがいいとかは言わない。
 もちろん、勉強も読書も全然しないで、「おしゃれだけ」というのは、いけないよ。それでは全然、「美しく」ないのだから。
 おしゃれするのは「美しくなりたい」からでしょう?
 そう願う人は、自分の中身も磨かないといけない。
3  「個性」とは「しっかりした自分」
 「世界一の美人」は「会話の名人」
 池田 「世界の三大美人」を知っていますか?
 ―― たしか、エジプトのクレオパトラと、中国の楊貴妃と、日本の小野小町……でしようか。
 池田 そのとおり! たぶん日本だけで言ってることだと思うが(笑い)。その第一番のクレオパトラは、じつは「それほど特別の美貌ではなかった」と言われている。
 ―― えっ、そうなんですか?
 池田 むしろ彼女は「会話の名人」だったらしい。話題が豊富で、人の気持ちをつかむのがうまくて、声もよかったという。何力国語も自由に話したという知性美の人だった。そして彼女には、「何としても、エジプトの国を守ってみせる」という必死の使命感があった。彼女は、つまり「輝いていた」のだろうね。
 ―― 「魅力」があったのですね。
 池田 もちろん、お化粧もしたんだが、それにもまして、光り輝くような何かをもっていたのでしょう。光るといえば、日本の「光源氏」も、「光っていた」から、そう呼ばれたのじゃないかな。
 ―― ちょうど「二千円札」に「源氏物語が登場しましたが、たしかに「光源氏」は男性であっても、おしゃれでした!
 池田 あの時代、貴族の男性は、みんながおしゃれだったが、みんなが光っていたわけではない。「光る」には、やはり自分自身の心が光っていなければいけない。そこから、言葉も、行動も光っていく。
 光源氏も「何をやらせても超一流」の教養人として描かれています。
 「自分自身」が大事なんです。たとえば、女の人が流行の服を着る。しかし「人間が服を着る」のであって、「服が人間を着る」んじゃない。当たり前と思うかもしれないが、服を自分に似合うように「着こなす」のも、そんなに、簡単なことじゃないのです。
 ―― 「自分」というものが、しっかりしていないと……。
 池田 そう。その「しっかりした自分」のことを「個性」という。
4  流行に「右へならえ」では個性的と反対
 世界は百花繚乱
 池田 パリとか、ヨーロッパの街に行くと、みんな本当に好き勝手な(笑い)格好をしています。「桜梅桃李」どころか「百花繚乱」だ。
 中学生のみんなも将来、世界中に行くと思うけれども、日本と違って、全然、画一的じゃない。日本の場合だと、「今の流行はこうだから」と、ぱ―つと、そっちの方向へ行ってしまいがちだ。
 ―― たしかに「ルーズソックスがはやれば、みんなルーズソックス」というような傾向があります。
 池田 おしゃれについての考え方が、全然違うのだろうね。
 日本人の場合は、何かの「はやり」とか、他人の目に「自分を合わせる」。
 多くの国では反対に、「自分の個性に合わせて」、おしゃれを工夫する。
 これは、小さな違いのようで、じつは大きな違いなんです。
 日本人は、どうしても「しっかりした自分」がなくて、「右へならえ!」みたいに画一的になりやすいのです。
 ―― 中等部のメンバーが、ハガキに書いていました。
 「みんな『個性』『個性』っていうけど、だれもがルーズソックスに、ピアスに、ミニスカート。『みんな、おんなじ』」と。
 池田 鋭いね。もちろん、中学生だから、おしゃれしようにも、工夫できる個所が限られていて、そのために、
 みんな似てくるということもあるんだろうが……。
5  型にはまる日本
 池田 「個性的」になろうと思って、流行の格好をしてみる。ところが、その結果、個性的どころか、反対に、「みんな同じ」に近づいてしまう。それでは、つまらない。
 意地悪く見れば、「個性的」というひとつの「型」があって、それに合わせているようにさえ見える。
 しかも、その「型」は、じつは多くの場合、マスコミや商売の人たちが「つくった」ものだったり、わざと「はやらせた」ものだったりすることも非常に多い。
 ―― 本当に、そう思います。もしも、そういうものに、知らずしらずのうちに「踊らされている」としたら、こんな悲しいことはありませんね。
 池田 少なくとも、「個性的な生き方」とは言えないだろうね。
 だから、本当は「個性的に生きる」というのは、結構、大変なんです。個性的に生きるためには、自分というものを、しっかりもっていないといけない。「自分の目」を開いて、ものごとを見、「自分の耳」を澄まして人の話を聞き、「自分の頭」をフル回転させて考え、「自分の信念」を貫く勇気が必要だ。
 それよりはむしろ、「みんなと同じ」という「型」に入っていたほうが「楽」なんです。だから、いろいろな束縛から自由になろうとするときでさえ、何か人の決めた「型」に入ろうとする。日本人は、「右むけ右」の「ファッショ(全体主義)」とになりやすいのです。
 ―― 「フアッション」まで画一的な「ファッショ」になったのでは、しゃれにもならないですね。
6  おしゃれに「自分」が出る
 池田 おしゃれがいけないって言っているんじゃないよ。おしゃれも、「自分の表現」なのだから、肝心の「自分」を磨くことを忘れないでほしいということです。
 こんな話がある。ガン病棟での話です。
 若い男性が入院した。二回目の入院で、どうやら絶望的な病状のようだった。彼のもとには、美しい奥さんが看護に訪れた。きちんとお化粧をし、決まってマキシのスカート(くるぶしが隠れるくらいの丈の長いスカート)をはいていた。その姿は、看護で疲れている人々が多い病棟の中で、ひときわ目をひいた。多くの人が、眉をひそめた。
 「ここはホテルのロビーじゃないんだから」
 「亭主が死ぬか生きるかというときに、よくスカートにまで気がまわるもんだ」
 しかし、彼女は、いつもおしゃれをして来た。ご主人が亡くなった日にさえ……。
 ―― 何か、わけがあったのでしょうか?
 池田 亡くなった男性のお母さんは、息子さんが二回目に入院したとき、「今回は助からない」と知っていたらしい。それで、お嫁さんである彼女に、こう頼んだ。
 「お願いがあります、せめてあなたのいちばん美しい姿をあの子の目の底に焼きつけて死なせてやりたいの。(中略)そんな気にはなれなくて辛いだろうけれど、毎日お化粧をきちんとして、あの子が(ああ妻はきれいだな)と思いながら死んでいけるようにしてやってちょうだい」
 彼女は、ほかの患者さんや家族たちが、どんな目で自分を見ているかは、痛いほどわかっていたのです。それを承知で、おしゃれを続けた。最愛の人のために。
 眉をひそめた人は、彼女の深い気持ちを知って、自分をばずかしく思ったそうだ。(児玉隆也のエッセー「夫孝行」週刊朝日昭和五十年五月二十三日号、引用・参照)
 人を、見かけや、うわさで判断してはいけないね!
 ―― おしゃれをするって、何なのか……考えさせられます。
 池田 この話を、どう、とらえるか。意見は、いろいろあると思う。いちばん、美しかったのは、お母さんと彼女の愛の心かもしれないね。
7  「心の装い」が大事
 池田 ともあれ、「衣は人なり」です。人は昔から、人に心を伝えるために粧ってきた。あるいは、自分の心を隠すために粧ってきたのです。
 どちらの目的にせよ「おしゃれをする」ということは――簡単なことのように見えて――じつは自分という人間を、はっきり表してしまうのだという深い意義を、みんなに知ってもらいたいのです。だから「心の装い」が大事なんです。
 ある人が、こんな話をしていた。実話です。
 一人の、目の見えない女性がいた。生まれつきではなくて、大人になってから、病気で見えなくなってしまった。
 闇の世界で「もう自分なんか、何を着ても同じだ」と思ったそうだ。そして、いつも喪服のような黒い服ばかり着ていた。
 そんな彼女に、ある日、お母さんが、「これ、きっと似合うから……」と言って、新しい服を着せてくれた。さわると、柔らかな服だった。
 「お母さん、これ何色?」
 「とってもきれいなピンクの服なのよ。とても似合うわよ!」
 彼女は、はっとした。
 「そうだ……私には見えなくても、私のことは、人から見えるんだ。だったら、できるだけ明るくて、さわやかな姿でいたい!」
 そう気がついたときから、生きる張り合いも希望も生まれてきたのです。
 ―― 服を着るって、何か、すごいことなんですね。
8  お金では買えない美しさがある
 池田 豪華な服だからすばらしいとは言えない。流行の服だから素敵だとは言えない。お金さえ出せば手に入るものが美しいとはかぎらない。
 昔の女性のなかには、「自分で着るものは自分でつくる」という人も多かった。なかには、自分で布を織る人もいた。そんな文化が、私は美しいと思う。
 「個性的」なんて言葉も知らなかった昔の人の中に、今よりずっと、腹のすわった、「しっかりした自分」をもっている人が多かったように思います。
 いずれにしても、今のみなさんは、おしゃれをしなくても、「若い」ということは、そのままで十分「美しい」のです。自分ではわからないんだ。最先端の「モノ」で全身を飾った大人も、たとえば野の花を一輪、髪に差した若いあなたには、かなわないのです。
 ―― かなわないから、化粧の力を借りる……。
 池田 そんなこと言ったら失礼だよ!。(笑い)でも本当に、中学生や高校生のみなさんは、そのままで輝いているのですよ。
9  自分の″中身″を磨き上げよう!
 ―― そう言えば、有名な″カリスマ美容師″のCさんも、そういうことを言われていました。今年(二〇〇〇年)の「中等部結成記念総会」に出席してもらったのですが、Cさんは今、テレビのCMや雑誌のヘア&メークのページ、ヘア・ショーなど大活躍で、人気歌手や有名タレントのヘア&メークも担当しているそうです。
 こう言われていました。
 「中等部のみんなは、おしゃれをしたいだろうけど、素のままがいちばん、輝いているんだ」
 「おしゃれは、自分らしさを表現する手段。枝葉にすぎないんです。格好を優先しても、それは、あなたのあなたらしさの本質的なものじゃない」
 「いちばん大切なのは、『外見』じゃなくて『内見』。どんな有名人でも、内面から輝いている人には、かなわない。ぼくがこんなことを言うのは変だけど、『外見』を飾るよりも『内見』から飾れ!です」
 池田 本当に、そうだね。本当の個性は「見た目の個性」なんかではない。内から外へと、にじみ出てくる「中身の個性」です。
10  自分だけの「宝」
 池田 こんな言葉もある。「個性とは、この世界で、その人しかもっていない宝の一品である」
 その「宝」が何かは、なかなかわからないかもしれない。しかし必ず、自分だけの「宝」をもっている。もっていない人は、ただの一人もいない。絶対にいない!
 いるとしたら、「自分なんか、ダメなんだ」と、自分で決めつけてしまった人だけです。その決めつけが、自分で自分の「宝」を壊してしまうのです。
 もちろん「自分らしさ」といっても、それが、何なのかわからない――そういう人も多いでしょう。
 中学生の年代では、わからないのがぶつうです。わからなくて当然なのです。むしろ「これが自分らしさだ」「これが自分の個性だ」と思っているものが、人の借りものにすぎない場合も多い。だから「今の自分」が自分のすべてだと思ったら、大きな間違いを犯してしまう。「人間は変わる」ものだからです。
 ―― たしかに、大人になったときに、「えっ、これがあの人!」と、びっくりするくらい″変身″している人も多いですね。
11  努力努力また努力の果てに個性は輝く!!
 「もっとすばらしい自分」へ出発!
 池田 「今の自分」は、もっとすばらしい「未来の自分」への出発点でしかない。
 たとえば「私は口べただから、人前に出ないようにしよう」――こういうのは「自分らしい生き方」ではない。
 口べただけれども、いじめている人を見たときには、堂々と注意していける自分になっていこう。いざというときには、勇気を出して「正しいことは正しい」と言える自分になろう――こう一生懸命に努力していくなかに、″はじめから口達者な人″とは違った、あなたならではの持ち味が光ってくる。これが「自分らしさ」です。
 「自分らしさ」とは、自分のもっている力を、ぎりぎりまで、しばり出して努力したときに、初めて輝き始めるものなのです。
 ―― 「個性的に生きる」には、努力しないと、できないのですね。
 池田 自分を鍛えないと、できない。「鍛え」かからしか、「個性」は輝かない。ちょうどを炎の中で鍛えるみたいに。
 「個性」というのは、人生を切り開いていくための「自分だけの武器」なんです。「宝剣」なんです。
12  「自分を鍛え上げた人」は美しい
 池田 そして、見事に自分の個性を鍛え上げた人は、美しい。だれが見ても、ほればれするほど美しい。すぐ消えてしまう「一時の美」ではなく、ずっと続く「一生涯の美」です。
 何より、その人自身の心が、夏の高原の青空のように、晴ればれとしている。その人は、人をうらやまない。人を妬まない。
 人の個性の「足を引っ張る」人が多い日本です。「出る杭は打とう」とする狭い心の日本です。それは、自分自身が、あっちを見たり、こっちを見たり、ふらふらと、ぐらついていて、個性がなく、自信がないから、他の人を妬むのです。
 その反対に、努力、努力で個性をぞんぶんに鍛え上げた人は、他の人の個性の開花を喜ぶものです。応援するものです。人の成功が、うれしいものです。人のために、尽くせるものです。
 そういう大きな心の、本当に「美しい人」に、みなさん、なってください!「あの人の生き方に憧れてしまう!」と言われる人になってください!

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