Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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親に反発してしまう  

「希望対話」(池田大作全集第65巻)

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2  反発は成長の証拠
 自分をおさえ続けると苦しむ
 池田 人間が、だれかの期待にこたえようと思ってがんばる――それはとても美しいことだ。しかし、それだけだと、「続かない」のです。いつか「疲れちゃう」んです。
 それは、どうしてかというと、どんなに自分のためを思ってくれる両親の言うことでも、両親は両親であって、自分じゃないからです。
 自分で自分をおさえこんで、がんばっても、だんだん疲れが、見えない心の底のほうに、たまっていってしまう。それが続くと、「自分は本当はこうしたいんだ!」という思いが、ガス爆発みたいに噴き出す場合がある。いや、それならまだいいほうで、自分が本当は、どうしたいのか、わからなくなってしまうこともある。あんまり長い間、「自分」というものをおさえつけていると、そうなってしまう場合がある。
 ―― たしかに、「期待」というのも、一つにこたえたら、「次はこれ」「次はこれ」と、どんどんハードルが高くなっていって、「きりがない」面があります。「いやになる」のも無理ないかもしれません。
 池田 「いやになる」のは、どうしてか。それは、あなたが「人間」だからです。「ロボット」じゃないからです。人間だから、「自分のことは自分で決めたい!」と思うのです。それが正しいし、それが「成長」ということです。それが人間なんです。
 もしも、自分で決めたことなら、「苦しい」ことはあっても、今のあなたのように、「うんざり」したり、「いやになる」ことはないでしょう。もし、あっても、そんな愚痴は許されない。だれにも文句は言えない。自分で決めたのだから。
 だから、今、あなたは、大きな「境目」にいると思う。自分で自分の人生を考え、何のために生き、何をめざして、どう生きるのか。自分で悩み、自分で決めていくべき″時″がきたのです。
 ―― たしかに、中学生の年代は「境目」だと思います。だから一方では、まだまだ「親に甘えたい」という気持ちもあるし、一方では「私のことは、放っておいて!」という気持ちもある。その両方の間で揺れている人が多いと思います。
3  「人のせい」にしない人が「大人」
 池田 揺れるのが当然だ。それでいいのです。みんな、そうなんです。そうやって、少しずつ「大人」になっていくのが自然です。
 「大人」というのは、簡単に言うと、「人のせいにしないで、自分のことは自分で責任をもっていける人」のことです。
 その意味では、「どうして両親や学校の先生は、私のことをわかってくれないのか。もう、いやになった」と愚痴を言っている間は、厳しくいえば、まだ「大人」じゃないのです。
 ―― その分、甘えている……。
 池田 そう。それがいけないと言うんじゃないが。「大人」であれば――本当に、心が「自立」していれば、親ほどありがたいものはないということが、よ―くわかるよ。何しろ、「ただ」で食べさせてくれて、住まわせてくれて、学校へ行かせてくれて……「口うるさい」くらいは、安い「税金」みたいなものだ。(笑い)
 親の言うことが、「自分」の意見と合わないのは、むしろ当然です。世代が全然違うし、感覚も、生きている環境も違う。時代の変化も猛スピードだ。
 だから「違っていて、当たり前」です。問題は、その「違い」を乗り越えて仲良くしていくのか。「違う」から「けんか」してしまうのかです。
4  「自分で決めた分は必ずやる」と
 池田 具体的には、お母さんか、あるいは、お父さんに、素直に自分の気持ちを話せたら、それがいちばんいいと思う。反発するだけでは、しかたない。
 たとえば「私はお母さんの期待は、とってもありがたいし、感謝しています。でも、もう少し、私を信じてほしいんです。もう少し、長い日で見てもらいたいんです。
 今、がんばらなくちゃいけないことは、わかつてます。でも、どれだけがんばるかを『自分で決めたい』んです。自分で決めた分だけは、どんなことがあっても、必ずやります」とか……。もちろん、これは「たとえば」の話です。みんな状況が違うのだから。言いにくい場合は、手紙でもいいかもしれない。
5  また、話しても、お母さんがわかってくれるとは、かぎらない。それは、しかたがない。どんな人間どうしだって、そんなに簡単に「わかりあえる」はずがない。
 親子だって同じです。いや、親子のほうが、よけい、そうかもしれない。
 親は「子どものことは、私が一番わかっている」と″確信″しがちなものだし。何といっても、子どもは″立場が弱い″から、対話といっても、簡単じゃない。
 そこで「話したのに、わかってくれない!」と怒るのは、まだ「子ども」なんです。「親のせい」「人のせい」にするのは、子どもなんです。
 ―― そういう意味では、年齢は大人でも、心は子どもの人がいっぱいいますね(笑い)。私も偉そうなことは言えませんが……。
6  自分が強くなれば 開ける
 自分らしく! 自分のために!
 池田 人生の道は厳しい。それを歩むのは「自分」です。戦うのは「自分」です。勝利しなければならないのは「自分自身」です。
 自分の人生を、だれも代わってはくれない。だから、自分が強くなるしかない。両親のためではない。ほかのだれのためでもない。自分自身のためです。自分らしく、自分を大事にして、「期待にこたえる」という気持ちだけではなくて、自分らしく、「自分が決めた、自分にできるだけのことをやろう!」と決心すればいいと思う。
 ―― そう決めれば、気持ちが、ぐっと楽になりますね。
 池田 それでも、やはり、お母さんが「口うるさい」と思うだろうが、これはあきらめるしかない(笑い)。親というものは「口うるさい」ものなんだ(笑い)。口うるさくなくなったら、それは他人になってしまう。
 だから、まず「はい! わかりました!」と、にっこり答えることです。そうすれば親だって、何も言えないよ(笑い)。返事のとおりに実行するかどうかは別にして(笑い)――そんなこと言うと、親御さんに叱られてしまうけれども――ともかく「はい!」と答えておく。争いがないように、賢くいくのです。
 ―― 争いといえば、「両親が夫婦げんかするのが、最高にいやだ」という声も多いです。
 池田 そうだね。本当に、いやなものです。ある心理学者によると、父母が争っているのを見ると、子どもは、自分の存在の土台が揺らいで、まるで地面が割れてしまったみたいに不安になるという。
 だから、ご両親も、子どもの前で、けんかしないでほしいのです。どうしてもやりたいときは、隠れてやってもらいたい。(笑い)
7  悩みがあるから「大きな自分」に
 池田 そして、子どものほうは、夫婦げんかを見ても、「あ、またやってるな」(笑い)、「生きてる証拠だ」(笑い)、「きょうは、ちょっと声が小さいけど、元気ないのかな」(笑い)――というくらいの気持ちで、いちいち落ちこまないことだ。「自分は自分」なんだから!
 自分が怒られても、家が貧しくても、人にばかにされることがあっても、悠々と笑って、青空を仰いで、「こうやって、自分を強い人間にしてくれているんだ!」「自分を大きな大きな人間に鍛えてくれているんだ!」と思うことです。
 また片親であるとか、親が病気だとか、そういう大変な山を乗り超えた人のなかから、立派な人物が出るものです。
 ―― 中学生くらいになると、親のことが、ある程度、客観的に見えてきます。「親だって完璧な人間じゃない」と。
 池田 そういう自分だって、完壁な人間じゃないよ(笑い)。それに、もし親が完璧な人間ならば、そっちのほうが困るよ。文句もつけられないし、反抗もしにくいよ。(笑い)
 ともかく、親の欠点を数えていても、何にもならない。どんな親でも、親は親です。親がいなければ、自分は生まれてこなかった。
 今、「自分には何もない」と悩んでいる人も、いるかもしれない。しかし今、どんな状況にあろうとも、あなたには「生命」がある。「生命」の力は、無限です。その無限の力を引き出すのが仏法の信仰だが、ともかく、あなたは生命という「最高の宝」をもっている。
 ご両親が生み、育ててくれたおかげです。その一点だけでも、「私は、ありとあらゆる宝を与えられた」と思うべきです。
8  親の心がわかる人が「大人」
 親は苦労を見せないが
 池田 しかも今、社会は不況です。経済的に大変な状況です。そんななか、親御さんは必死になって育ててくれているのです。
 そういう苦労は、あまり見せないかもしれないが、親の苦労もわからず、ただ不満をぶつけるだけなら、まだまだ「子ども」だと言われてもしかたがない。それでは、あまりにもさびしいし、親子ともに不幸です。「一人の人間」として、親を理解してあげられる人が大人です。
 本来、どんな親でも、子どもが憎いわけがない。みんなを大事に大事に思っている。みんなが「こうしてほしい」と思う愛情とは違うかもしれないけれども、強い愛情をもっている。顔を見たら「勉強しなさい」としか言えない、不器用な愛情表現かもしれないけれども、それでも心に愛情をもっている。
 みんなから見たら、親は「いばっている」ように見えるかもしれないが、本当は、「子どもの顔色を見ている」ことが多いのです。厳しく叱った後など、「言いすぎたかな」「大丈夫かな」と、はらはらしているものです。
 ともかく、親の気持ちというものは、みんなが親になって、初めてわかるものです。それまでは、わからないんです。
9  親は「私はあなたの最大の味方」と伝えてほしい
 池田 その一方で、親御さんのほうでも、できるかぎり、子どもに「私は、あなたの最大の味方なんだ」という気持ちを伝えてもらいたいと思う。黙っていても通じる場合もあるが、そうでない場合も多い。
 「私は、あなたが、どんなふうになっても、絶対に、あなたを守る。あなたを支える。あなたが『いい子』だから愛しているんじゃない。『勉強ができる』から大事にするんじゃない。『がんばっている』から好きなんじゃない。あなたがあなただから好きなんだ。もしも、世界中の人が、あなたを非難しても、みんながあなたをいじめても、私だけは絶対に、あなたを守る! あなたは、私だけは信じていいんだよ!」と。
 あらたまって、そんなことを言う必要はないが、「心」もやはり、何らかの「かたち」にして伝えないと、わからない面がある。″雑音″の多い現代は、なおさらです。
 「ありのままの自分を、そのまま受け入れてくれる人」が一人でもいれば、「自分の幸せを自分以上に喜んでくれる人」が一人でもいれば、「その人がいる」と自覚していれば、人間は、そんなに大きく道を誤らないものです。お子さんを「一個の人間」として尊敬し、信じてあげてほしいと思うのです。そして、子どもは、時々「休む」ことがあるものです。それは親から見たら、怠けているだけのように見えるが、次へのエネルギーを「充電」している場合も多いものです。半年くらいしたら、また元気にがんばりだすことも多い。ゆったりと包んであげたほうがいいときに、追いつめると、逆効果になる場合があります。
 子どものために「よかれ」と思ってしたことが、かえって裏目に出る場合もある。本当にむずかしい。しかし、時間がかかっても、粘り強く乗り越えれば、かけがえのない経験となって光るものです。
 長い目で見てあげてください。親の愛を求めていない子はいません。親が信じてあげなければ、だれが信じてあげられるでしょう。
 あとは、叱らなければいけない場合も、「父母が同時には叱らない」――子どもは行き場がなくなってしまいます。
 また「他のきょうだいや、よその子どもと比べない」ことも大事だと思います。なにげない一言に、子どもは深く傷つくものです。
 人の子の親にとって、むずかしい時代ですが、なんとか工夫して、子どもと「心と心のギア」を、かみ合わせて、乗り切っていってほしいと思います。
 どんな子も、全員が、一人残らず、「二十一世紀の宝」なのですから!

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