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日蓮大聖人・池田大作

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束縛されたくない!  

「希望対話」(池田大作全集第65巻)

前後
1  ―― 先日、ファクスが届きました。「今、すごく疑問に思っていることがあり、私の意見を聞いてほしい」という中学三年の女子からです。
 池田 どんな内容ですか?
 ―― 「うちの学校は校則もあまり厳しくなく、ミニスカートもあれば、ルーズソックスもあり、です。でも私は、学校の先生からの印象をよくするため、ルーズソックスもミニスカートも、したいけど、我慢しています。
 だけど考えていくうちに、ルーズソックス=悪いことなのか? ミニスカート=悪いことなのか?という結論に達したのです。
 別に他人に迷惑をかけるわけでもないし、犯罪を犯すわけでもありません。ある意味で、個性とも思います。でも、学校の先生に、どう思われるかも気になります。先生の印象をよくするために、したいことを我慢するのでしょう。我慢しなくてはいけなくなってしまっているのでしょう……苦しいです」。こういう内容です。
2  束縛はいや!
 ―― 彼女だけではありません。「学校の規則が厳しすぎる」とか「親が、ガミガミうるさくて、ムカツク。『僕は、お母さんのロボットじゃない!』」(笑い)とか……。大半の人は「自分は、束縛されたくない!」と叫びたいときがあるようです。
 池田 それは当然だろうね。
 人間は、だれだって自由に生きたい。自由ほど、すばらしいものはない。自由があってこそ、人間は伸び伸びと、自分という翼を広げることができる。自由のない、牢獄のような毎日は、だれだって、いやです。
 みんな、自由に、正しく生きなさい! 大いに、自由を楽しめる自分になりなさい! 自由に、自在に、世界中の人たちに貢献できるよう、羽ばたいてもらいたい。自由、大賛成です。
 ―― ただ……問題は、「自由に生きる」といっても、実際には、なかなか、そうはいかないんじゃないかと思いますが……。
 池田 そう思う? じゃあ、それは、どうしてだろう?
 ―― やはり、質問にもあったように、親とか、教師とかが、うるさいですし……。
3  「自由」は厳しい! 「責任」が伴うから
 「自由」をどう使う?
 池田 それならかりに、だれも、何にも言わなくなったとして、そのときは、何をしたいんだろう?
 ―― そうですね……やっぱり、ゆっくり寝っころがっていたい(笑い)、かもしれません。
 池田 なるほど。その後は?
 ―― その後は……一日中、マンガを読んでいるわけにもいかないですし……。
 池田 読んでいても、「自由」なんだよ。(笑い)
 ―― はい。でも、一カ月も、半年も、何もしないわけにもいきませんし……。
 池田 そうしていても「自由」なんだよ。
 ―― それはそうですが、やっばり勉強が遅れると、自分が損だから、学校にちゃんと行って、勉強すると思います。
 池田 いやいや行くの? 「自由」なのに?
 ―― 「いやいや」というわけではありませんが、しかたないですから。
 池田 しかたないの? 「自由」なんだよ。
 ―― 困りました(笑い)。え―と、つまり、なんと言えばいいのか、自由といっても、好き勝手に暮らしたら、後になって苦しむのは、自分だから……。
 池田 後になって苦しむというのは、後になって不自由になるという意味ですか?
 ―― そうです。
 池田 すると、将来、自由になるために、今、不自由を我慢するということかな?
 ―― そう言ってもいいと思います。
 池田 すると、「今は苦しくてもがんばろう」と決めたのは、だれだろう?
 ―― 自分です。
 池田 自分が自由に決めたの?
 ―― そのはずです。
 池田 「そのはず」とは、あいまいだね(笑い)。すべて自由なんだよ。
 ―― はい。でも、中学生ですから、働くといっても働き口もないですし、かと言って、もしも、いきなり海外に行けたとしても、言葉もわからないですから……。やっぱり私なら、将来のために、一生懸命、勉強します。
 池田 まじめだから、そういう答えになったのだろうね。(笑い)
 ともかく、人間は自由に生きる権利をもっている。その「自由」を、何に使うかは、自分しだいです。自由を「寝っころがる」ことに使う人もいる。「うんと努力する」ことに使う人もいる。自由にした行動の、その結果に、「責任」があるのも自分です。どうなろうと、だれにも文句は言えない。自分が決めたのだから。「自由」の裏側には「責任」がくっついている。紙の表と裏みたいなものです。
4  努力、努力の先に「自由」がある
 ―― 自由って、考えると、むずかしいですね。
 池田 いろいろな混乱があるからね。まず「自由」と「わがまま」を同じと思っている人がいる。それは違う。そのときどきの気分しだいで生きることを「わがまま」と呼ぶとしたら、それは「自由」とは絶対に違う。
 もちろん、「わがまま」になる自由もある。しかし、自分の「自由」を、「わがまま」とは正反対の厳しい訓練や、人々への奉仕に使う人も、いっぱいいる。
 ―― スボーツの選手なども、毎日、すごい訓練です。わがままでは強くなれないですから……。
 池田 そう。その「強くなる」ということが「自由」の条件なんだ。
 サッカーでも、ボールを「自由自在」に操れるようになるには、練習、練習、練習、です。英語など外国語も、練習を重ねて、初めて「自由」に、しゃべられるようになる。
 つまり、「能力」が、人間を「自由」にするのです。その「力」を勝ち取って自分のものにした人だけが、現実に「自由」になれる。
5  「自由」は権利? それとも能力?
 池田 ところが、「生まれながらにして人間は自由」と言われると、そういう厳しい努力を忘れてしまう人が出てくる。「生まれながらにして自由」というのは″権利としての自由″です。これは人類の宝です。絶対に守りぬかなければならない「人権」という考え方です。
 その上で、実際には、人は生まれたときは、自分ではまったく何もできない。どんな生きものよりも「不自由」な存在です。
 ―― 動物のなかには、生まれてすぐ立ち上がるものも多いですが、人間は、だれかに面倒をみてもらわないと、すぐに死んでしまいます。
 池田 こんな不自由な存在はない。中学生のみんなも、十何年前は、そうだったんだよ! それが、お母さん、お父さんをはじめ、いろいろな人のおかげで、多くの人が今は、自由に歩き、自由に話し、自由に「親に反抗する」までに育った。(笑い)
 訓練し、努力して身につける「自由」。それは″権利としての自由″とは別です。かりに″能力としての自由″と呼んでもいい。
 ちょっと、むずかしいかもしれないが、要するに、苦しんで、知識や技術を身につけるほど、人間は「自由」になっていくということです。
6  「自立がないから無責任」な日本
 池田 ともかく私は、みんな若者らしく、自由奔放に生きてもらいたいと願っている。
 日本の社会は、小さなことを、うるさく規制しすぎだと思う。だから、かえって「自由の厳しさ」も、わからない。その結果、いつまでも「自立」できなくて、結局、みんなが「無責任」になってしまっている。
 校則とかについても、私個人としては、あまりうるさく言うのは反対です。人間は、信頼されず、規則で縛られると、反抗したくなるものだ。信頼してまかせると、案外、極端なことはしないものです。
 しかし、それぞれの学校には、当然、それぞれの考え方があると思う。要は、自分が今いる状況のなかで、どう行動するのが得なのか、価値があるのか、です。自由に、おしゃれをしたい――それならば、その責任をとれる自分でなければならない。
 突き放したような言い方に聞こえるかもしれないが、「自由」というのは、そもそも、自分の行動の責任は自分でとるという「厳しい生き方」なのです。黙って、それこそロボットのように、人の言いなりになっているほうが「楽」なのです。
 ―― つまり、「学校の先生の印象をよくするために、したいことを我慢している」彼女も、それが彼女自身が決めたことであれば、「自由」ということですね……。
 学校の評価をよくするために、教師から言われたことは、どんなにいやなことでも、とりあえずは「はい」と聞くようにするのは、本当に苦しいことです。いい子を演じているだけです。
 他人の印象が悪くなるというリスク(危険)を背負っても、「自分がやりたいことをやる」――そのためには、精神的にも、生活の上でも自立が必要なんでしょうね。
7  自分の翼を鍛え、そして自由に大空へ!!
 「全部、自分で決まる」ことの厳しさ
 池田 どう生きるにせよ、「自分で決めたんだ」と自覚していれば、つらいことでも耐えていける。
 「自由」とは「翼」みたいなものだ。自由という「翼」を使って、あなたは、どこへでも飛んでいける。もちろん、飛ばないのも自由です。自分をダメにするのも自由だし、今は歯を食いしばってがんばって、自分を成長させていくのも自由です。どちらを選ぶか……それも自由です。
 将来、あなたが「正しいと思うこと」「やりたいこと」が、なかなか認められないこともあるでしょう。そういうリスクを背負うのを深刻にわかったうえで、あなたが、その道を選ぶのなら、それも一つの生き方だ。
 また、他人が認めてくれないので「自分にとって今は損だな」と思うなら、苦しくても、我慢しなければならない。「小さな自由」を犠牲にして、未来の「大きな自由」のためにがんばることも大事でしょう。どんな道を選ぶかは、あくまでも、あなた自身が決めることです。
 そして、ご両親や学校の先生が、うるさく言うのは、多くの場合、「こういう道を行くと、こうなる」ということが、みんなよりも、よく、わかっているからなんです。
 ―― 「毎日、学校やクラブや塾で忙しく、自由がありません」という声も、よく聞きます。
 東京の中学二年生男子の生活スタイルを聞いて驚きました。クラブと塾がある日は「午前六時半に起床、午前一時に就寝」というのです。
 池田 みんな忙しいね。不満を言いたくなる気持ちもわかるよ。(笑い)
 ただ、見方を変えれば、自由があるからこそ学校へ行けるのです。塾へも行けるのです。自由があるからこそクラブ活動もできるし、信仰で自分を磨くこともできる。それを反対に「不自由」ととらえるところに、大きな錯覚がある。
 今も世界のどこかで、「勉強がしたい!」と血を吐く思いで叫んでいる子どもたちがいる。戦争中の国の子どもは、学校に行けない。病気の人も学校に行けない。学費が払えなくて学校に行けない人もいる。学校の存在すら知らないまま、死んでいく子どももいる。
 ―― 「学校に行けない」のを不自由と感じている人がいます。その一方、「学校に行かないといけない」ことを不自由と感じている人がいます。
 そうすると、自由というのは環境で決まるものじゃないですね。
8  受け身の人は不自由 攻めの人は自由!!
 環境じゃない、意気ごみで決まる
 池田 自分の「生きる意気ごみ」で決まる。もちろん、よき環境も大事だが、根本は自分の心の強さで決まる。これが、きょういちばん、覚えてほしいことです。
 学校だけではない。何でもそうです。「受け身」になったら、どんな自由な世界であっても「不自由」な自分になる。逆に「攻め」の姿勢になれば、どんなに不自由な環境であっても「自由」を味わえる。
 本当の自由とは、仏法で言えば「境涯」です。この世でいちばん、不自由な牢獄の中でも、境涯の広い人は「自由」を味わえる。
 私の師匠の戸田先生は、あの苦しい牢獄で悟りを開いたのです。しかも戦争中の牢獄です。身は不自由でも、心は宇宙を翔けめぐるような境涯であられた。(太平洋戦争中の昭和十八年七月、当時の軍国主義と、その思想的背景となった国家神道を批判したことにより、治安維持法ならびに不敬罪で、牧口常三郎初代会長とともに入獄。牧口初代会長は昭和十九年十一月十八日に獄死し、戸田第二代会長は、翌二十年七月二日に出獄した)
 ―― 「境涯」とは、やさしく言えば「心の強さ」のことでしょうか。
 池田 そう言ってもいい。沖縄の離島、竹富島の診療所で「医師介輔かいほ」をしている方がいます。医師介輔というのは、お医者さんが不足している離島とか辺地とがとかで、お医者さんの代わりに医療をしている人のことです。
9  片腕の少年
 池田 その方は小学校六年の夏、事故で右腕を失ってしまった。手術から目が覚めたら、すでに右腕はなかった。こんな不自由な体で、どうしたらいいのか――「千丈の崖から突き落とされ」たように孤独で、「いっそ死んだほうがいい」と思うようになったという。「学校に行こう」と友だちに誘われても、恥ずかしくて、行けなかった。
 そんな少年を周囲は一生懸命、励ましました。少年も「悩んでばかりいても仕方がない」と思い、勉強を始めた。真剣だったから、少しずつ成績が上がり、やがて勉強の面では、周囲にも劣らぬ力をつけた。それが自信となって、「もう絶対に人には負けない。よし私は生きよう」と、決意できたのです。
 ―― 強いですね。
 池田 強くなることです。強くなればなるほど自由になれる。
 その方は「僕のライバルは四肢完全な健常者だ」と決めた。健常者が両腕で一時間かかる仕事が、二時間かかる。だから、そのギャップを「努力」の二字で埋めていった。「時間で解決する方法と、集中力で解決する方法と、知恵で解決する方法をつなぎ合わせれば、絶対に勝てるんだっていう意識をきちっともったんです」。こう言っておられる。
 何でも挑戦した。精いっぱいやった。挑戦すれば、不可能なことなど、何一つなかった。それで「負けないで生き抜いていける」と、さらに自信が強まった。そして本年(二〇〇〇年)三月、長年の地域医療への功績が認められ、「吉川英治文化賞」を受賞されたのです。
 ―― 体が自由な人より、すごいですね!
10  「幸運だった! 苦労できたから」
 池田 この方は八十四歳で、今も現役です。こう言われている。
 「いまになって考えると、この五十年間、いろいろと苦労もあったけれども、僕はものすごい幸運だったなと思うんです。小学生のときに右腕を失った僕が今日あるのも、苦労をつくってくれるところの場所が僕に与えられたからだ」と。
 ″人生の勝利宣言″です。(文中の引用は『MOKU』二〇〇〇年五月号〈黙出版〉から)
 ―― どうすれば、この方のように「強く」なれるのでしょう。
 池田 「苦労をつくってくれるところの場所が僕に与えられたからだ」と言われているでしょう。
 今の自分自身のなすべきことに挑戦することです。今の課題から逃げてはいけない。その「挑戦」と「努力」のなかに、「強さ」は自然とつくられていく。
 「力」があれば「自由」になれるのです。ピアノもそう、書道もそう、スポーツもそうでしょう。
 自由自在に活躍するためには、「力」をつけなければならない。「強く」ならなければならない。そのためには、自分を不自由な立場に置いてでも、懸命に練習しなければならないときがある。苦労を避けて、自分のしたいことだけをやっても、力はつかない。
 ―― やるべきことから「逃げる」のは、そのときは自由のようで、結局、「不自由」になるのですね。
 池田 自由とは「翼」です。自分の目的に向かって、あなたの思いどおりに飛ぶのだが、飛びやすい「軌道」が、じつは、あるのです。
 自由に飛んでいるように見えるロケットにも、きちんとした軌道があるように。
 ―― たしかに「軌道」から外れると、ロケットは目的地に着きません。
 池田 自由に羽ばたいているようでも、鳥には鳥の軌道がある。太陽にも、月にも、地球にも、揺るがない運行の軌道がある。人間には、人間の軌道がある。
 途中には、いろいろな、いやなことや障害物がある。それらを乗り越えたり、時には上手に、よけて、迂回して、自分の軌道を進みなさい。
 今の諸君が歩むべき「軌道」とは何か。また、到達すべき「目的地」とは、何なのか。
 「目的地」は、幸福になることです。何があっても負けない心――″どんなつらいことがあっても楽しめる自分″″自由自在に、世界に貢献できる自分″を築くことです。
 「軌道」とは、そのために知力、体力、精神力を養うことです。
 ―― 中学生の立場で言えば、勉強やクラブに挑戦していくことですね。
 池田 そのとおりだ。それをやらずして、本当の自由はありません。
 人間にはみな、一つの「楽譜」が与えられています。その楽譜の曲名は「私の人生」という。その楽譜を目の前に置いて、さあ、どのように演奏するか。また自分で、どう、もっともすばらしい曲に変えていけるか。
 それは、あなた自身に、まかされているのです。そして、あなたの努力しだいで、人生の幸不幸が決まるのです。

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