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日蓮大聖人・池田大作

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歴史に学ぼう!  

「希望対話」(池田大作全集第65巻)

前後
1  池田 全国の「二十一世紀使命会」のみなさま、いつもいつも、″未来の宝″を励ましてくれてありがとう!
2  「揺れる十代」を、どう支えるか
 池田 「揺れる十代」の心を、どう支えていくか。これが、いよいよ日本の焦点となってきた。親でさえ、プロの先生でさえ、とまどっている。そんなむずかしい年代の若者のことを祈り、面倒をみているなんて、大変なことです。偉大です。
 その意味において、担当者のみなさまこそ、「二十一世紀をすばらしい世紀にする使命」をもった方々であると、私は思う。
 若い人たちに尽くした分だけ、必ず自分自身の、また自分の子どもたちの人生をも輝かせていくと確信してください。
 ―― ありがとうございます。それでは、今回の質問です。
 「地図を見ていて思ったのですが、なぜ、アフリカの国境線は、定規で引いたように、まっすぐなんでしょうか?」。中学三年生の女子からです。
3  「国境線」には歴史のドラマが
 池田 すごいところに気がついたね。
 日本は島国だから、「国境線」といっても、ピンとこないかもしれないが、「国境線」には、その国の「歴史のドラマ」があるものです。ぶつうは、大きな山とか、大きな河とか、海で区切られることが多い。しかし、アフリカや中東(ヨーロッパから見て極東と近東の間の地域をいう。現在ではイラン、イラクやアラビア半島諸国および北東アフリカ一帯をさす)を見ると、たしかに、まっすぐな「直線」が多い。
 これは、あなたが言うとおり、実際、「地図に、定規で線を引いて決めた」からです。もちろん、そこに住む人がやったんじゃない。アフリカの場合も、現地の人には何も相談しないで、当時のヨーロッパの権力者が勝手にやったのです。
 アフリカで生活している人がいることなど、これっぽっちも考えないで。まるで、ケーキでも切るように、自分たちが支配する勢力範囲を分けあった。わずか百年ほど前のことです。
 ―― 「ベルリン会議」のことですね。「アフリカ分割会議」とも言われています。(一八八四年から八五年にかけて開かれた)
4  弱者を思いのままに操る暴力に絶対反対を!
 残酷な帝国主義
 池田 「世界史」では、このへんから「帝国主義」の時代が幕を開ける。
 ―― 日本も昔は「大日本帝国」と名乗っていたのですね。
 池田 そう。「帝国主義」とは、簡単に言うと「国」が「国」を奴隷にすることと言っていいでしょう。軍事力の「強い国」が「弱い国」を脅し、相手の国の政治や、経済や、宗教や、資源や、文化や、習慣までも思いのままに操っていこうとしたのです。
 それまでも、アフリカは、ずっと、ひどい目にあわされてきた。みんなも知っていると思うけど、十六世紀から十九世紀まで、信じられないくらい大勢の人が、アフリカから「奴隷」として連れ去られてしまった。その数は、はっきりわからないが、六千万人という説もある。
 ―― 六千万人!
 池田 何の罪もない人が、押し寄せた暴漢たちによって「奴隷狩り」にあい、真っ赤に熱した「焼きゴテ」を当てられ、売り飛ばされていった。
 ―― 本で読んだのですが、母と子が引き裂かれて、泣き叫ぶのを見て、奴隷商人たちは、「こいつらの中にも、人間のような心があるとは驚きだな」と、せせら笑ったといいます。そして、十九世紀の終わりには、アフリカのほとんどが植民地にされました。
 池田 人間を人間として見なかった。人間を「物」として見た。もっとも残酷な「差別」の心です。
 ―― それと似たことを、日本も韓・朝鮮半島や中国をはじめアジアの各国でやったことがありましたね。本当に恐ろしいことです。
 池田 「強い者は、弱い者に対して、何をしてもいいんだ!」――これが帝国主義です。
 国家主義という場合も、根本の原理は同じです。要するに「暴力への信仰」であり、「力への信仰」です。
 ―― 弱肉強食……。
5  戦争・いじめ・殺人=根っこは暴力
 「弱い者は、文句を言うな!」と
 池田 そう。「弱い者は、文句を言うな!」ということです。
 いじめも同じだ。殺人も同じだ。戦争も同じだ。全部、野獣的な「力の強い者に従え」という狂った考えです。
 「一人を殺したら殺人犯と呼ばれるが、戦争で百万人殺したら英雄と呼ばれる」という有名な言葉がある。(イギリスのB・ポーテューズの詩「Death」(死)より)
 国家というものは、国民には「殺人はいけない」と言いながら、戦争を起こしては、「たくさん殺したほうが偉い」と言う。絶対に、おかしい。とんでもない間違いだ。
 「生命」以上に尊いものはない。「国家」にだって、「生命」を奪う権利はない。しかし、帝国主義や国家主義の考え方に″洗脳″されると、そういう当たり前のことが、わからなくなってしまうのです。戦前の日本もそうだった。
 「いじめは小さな戦争です」と言った人がいるが、今だって、「弱い立場の人を守ろう」という考え方が、日本ではあまりにも希薄である。
 ―― そう考えると、帝国主義といっても、全然、「過去の話」じゃないですね。心の中の本音では「力がすべて」と思っている人が多いと思います。
 また、若者向けのマンガやゲームでも、そんな内容のものが多いですね。
6  日本に広がる野蛮な傾向性
 池田 人間は人間です。野獣ではない。機械でもない。「弱きを助け、強きをくじく」とぃう言葉があるが、それが″正義の味方″です。″人間の味方″です。社会の中に、そういう「人間愛」がなくなっていくと、野獣的な「暴力主義」が広がっていく。今の日本も、本当に心配だ。
 ともあれ、アフリカは、まったく「野蛮」でもなければ、「未開」でもなかった。
 ヨーロッパの国が服従を要求してきたとき、アフリカのある地域のリーダーは叫んだ。「なにゆえわたしがあなたに服従しなければいけないのか」「あなたが望む物が友情であるといわれるならば、しからば、わたしはいつなんどきでも歓迎するが、あなたの臣下となることならば、それはわたしにはできない」(バジル・デビットソン『アフリカの過去』貫名美隆訳、理論社)。″私は、死んでも戦う!″と。いったい、どちらが「野蛮」だろうか?
 ―― 当然、攻めてきた帝国主義者です。
7  アフリカは「人類誕生の地」
 池田 アフリカは本来、独自の高い文明をもっていた。人類誕生の地はアフリカであると、多くの科学者が主張している。″人類はアフリカから生まれた。だから、みんな私たちの兄弟姉妹だ″……この大きな心が、アフリカの心なんです。
 ―― しかし、どうして独立したあとも、アフリカ人どうしの争いが、なくならないのでしょうか?
 池田 そこだね、大事なのは。この「まっすぐな国境線」と深く関わっている。つまり、アフリカ人の生活圏を何も考えないで国境線が引かれてしまった。
8  皇帝の誕生祝いにアフリカの山
 池田 アフリカの分割では、こんなエピソードも伝えられている。
 東アフリカのタンザニアには「アフリカ最高峰」の山、キリマンジヤロがある。よく見ると、ここだけ「定規の線」が、くっと曲がって、山をタンザニアの国に入れるようになっている。
 なぜかというと、タンザニアを支配することになったのはドイツの皇帝だったのですが、会議の途中で、「陛下の誕生日のお祝いに、何か差し上げましょう」と聞かれて、「それでは雪の山を一つ、もらいましようか」と希望したからだというのです。
 ―― まったく、とんでもない傲慢ですね! アジアを侵略した日本も同じですが……。
 池田 こんな具合だから、ずっといっしょに暮らしてきた人たちのグループが、国境線で別々の国に弾き裂かれたり、まったく違うグループだったのに、突然、同じ国の「国民」にさせられてしまった。国によっては、「支配するグループ」と「支配されるグループ」が固定されてしまって、互いに″憎しみの炎″を焚きつけられた場合もある。
 ―― 自分たちで争いの″もと″をつくっておいて、紛争が起こると、武器を売って、もうけた大国もあります。
 池田 紛争が起これば、「難民」が生まれる。それがアフリカの「飢餓」にもつながっています。
 アフリカは、本来は「貧しい大陸」なんかじゃなかった。「発展が遅れた国」でもなかった。全部無理やりに、そうさせられたのです。「暗黒大陸」と呼ばれたこともあったが、「光」を奪い、「暗黒」をもってきたのは、帝国主義者だった。「暗黒」は、そういう暴力主義者たちの心の中にあったのです。
 ―― アフリカの人たちは、めちゃくちゃに、ひどい目にあってきたのですね。
 池田 私が対談したトインビー博士は、アフリカ人の強さについて語っておられた。「これが他の人種だったら、おそらく滅んでしまったでしょう」(『二十一世紀への対話』趣意。本全集第三巻収録)と。
 それほどの苦しみを乗り越えてこられた方々です。
9  二十一世紀を「アフリカの世紀」に!
 池田 私は「二十一世紀は、アフリカの世紀」と四十年も前から訴えてきました(一九六〇年十月、ニューヨークの国連本部を初訪問した折から)。いちばん苦しんだ人たちが、いちばん幸福にならなければいけないからです。また、全人類が「アフリカの生命力に学ぶ」必要があると思うからです。
 先日(二〇〇〇年五月十三日)も、ナイジェリア連邦共和国をはじめ、「二十一世紀の大陸」の友好使節の方々を、四十人以上も創価大学にお迎えしました。(ナイジェリア北部州連合商工会議所から、名誉会長に「国際最高貢献賞」が贈られた)
 ―― よくテレビでもアフリカをリポートしたりしていますが、子どもたちの顔がとってもきれいですよね。
 ウワーッて集まってきて、瞳がきらきらして、なんだか「生きる力」を感じます。
 池田 アフリカから、いっぱい学ぶことがある。なんでも「みんなで分け合おう」という心もそうです。お年よりの「知恵」を大事に敬う文化もそうです。自然と調和して暮らしていく生き方もそうです。それらに「学ぼう」という心が大事なのです。
 創価学会の「学会」というのも「学ぶ会」です。「学ぼう」という心で、みんな集っているのです。相手に「学ぼう」という心は、「暴力」と反対です。そこから、人間らしい交流が生まれてくるのです。
 ―― きょうのように、「歴史から学ぶ」ことも大事ですね。
 池田 アフリカの「まっすぐの国境線」――それは、「人を引き裂く暴力」の象徴だった。だから、その地図から「暴力には、絶対に反対だ!」という信念を学びとってほしいのです。
 どんな理屈をつけても、暴力に訴えた人は敗北者です。他の人を尊敬できる人、他の人たちから学ベる人、他の人と仲良くできる人。その人が本当に「強い人」なのです。
 今、アフリカの各国でも、SGI(創価学会インタナショナル)の同志が、目覚ましい活躍をしています。また、中等部の多くの先輩たちも、アフリカに雄飛して、大いに貢献しています。
 二十一世紀に、アフリカの友といっしょに、「心の国境線」をなくして、平和の地球を築いていくのが、みなさんなのです。

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