Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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コンプレツクスはだれにもある  

「希望対話」(池田大作全集第65巻)

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2  本人にとっては重大問題
 池田 大人から見れば「たいしたことではない」と思うかもしれない。しかし本人にとっては、大きな問題です。真剣に悩んでいる。その「悩んでいる」という「事実」が重大なんです。
 中学生にかぎらず、他人の悩みというのは、「どうして、こんなことで悩むのか」と思うことも多い。あるいは、事実、「ちっぽけな悩み」なのかもしれない。しかし、人間、それほど「高尚な悩み」など、あまりないものだ。
 だから、悩みの中身が問題なのではない。「悩んでいる人が、そこにいる」「悩んでいる心が、目の前にある」。その事実が問題なのです。その悩みを、いっしょに悩んであげなければならない。
 背が低い、太っている、肌の色が少し黒い、醜い……。容姿へのコンプレックス(劣等感)は、本人がいちばん気にする問題であり、それでいて、他人には、なかなか相談できない。
 だから、まず、容姿の悩みを打ち明けてくれた彼の「勇気」をたたえよう! 身長は、どれくらいですか?
 ―― 一五〇センチです。彼の家系は、親戚きょうだいも含め、小柄な方が多いようです。彼は、お母さんに「なぜ背が低いの?」と聞きました。すると「家系的に小さいのよ。桜梅桃李なんだから、あなたはあなたらしくいきなさい」と。
 (「桜梅桃李」とは、桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李というように、それぞれの個性に従って、自分らしく花を咲かせて生きぬいていくこと)
 彼は、お母さんの言う意味は、よくわかっているのです。どうしようもないと頭ではわかっていても、何とかしたいのです。
 逆に「背が大きい」ことにコンプレックスを感じている中学生もいます。つねに目立っている感じがして、イヤでイヤでたまらないのです。
 池田 背が低いので悩んでいる人から見たら、とんでもない「ぜいたくな悩み」だろうね。(笑い)
 だから、自分がうらやましく思うような人でも、何か「劣等感」をもっている。何か「コンプレックス」をもっている。「えっ、あの人が……」と思うような人でも、もっている。それが実態です。これは本当にそうなんだよ。
3  劣等感を「踏み台に」 負けない自分を
 自分を否定的に見るから「悪循環」に
 池田 しかも、一つのコンプレツクスにとらわれると、人間、自分のすべてを否定的に見てしまうものです。そして、何か、うまくいかないことがあると「自分は、背が低いから、うまくいかないんだ」とか、そのせいにしてしまう。
 その結果、心がちぢみこんで、自分のよいところまで殺してしまう。だから、ますます何もかも、うまくいかなくなる。
 ―― 悪循環ですね。
 池田 劣等感が強いと、みんなが自分のことを笑っているように思う。しかし、実際には、自分が思うほど、人は自分に関心をもってはいないものだ。
 ―― 「自意識過剰」のことが多いのですね。
 池田 それが青春時代とも言える。だから、「気にするな」と言っても無理かもしれない。
 大事なことは、「気になるなら、それはそれでいい。ただし、劣等感に負けるな! 劣等感を『バネ』にし、『踏み台』にして、自分のよいところを伸ばしていけ」ということです。
 背が低いことが気になるなら、大いに気にしなさい!
 しかし、「背が低いから、自分はダメなんだ」と思うなら、あまりにも愚かだ。
 「背が低いから、心はだれよりも大きくするんだ!」「背が低いから、勉強では負けないぞ!」「からかわれた自分だから、絶対に、人をからかったりしない。思いやりのある人間になろう!」
 そのように、コンプレックスを「踏み台」にするのです。負けてはいけない。
4  「マイナス」思考を「プラス」に転換
 池田 そうすれば、「マイナス」を「プラス」に転換したことになる。これを「創価」――価値創造という。ちょっと、むずかしいかもしれないが。
 コンプレックスに押しつぶされて、自分がイヤになったり、人をうらやんで、下を向いて生きるなんて、つまらない。
 人をうらやんでも、自分がみじめになるだけで、何の得もない。お金持ちの家の財産を、いくら計算しても、自分の貯金が増えるわけではないでしょう? だから、そういう感情に負けてはならない。縛られてはいけない。
 人をからかったり、いばったりする人も、じつは「自分の劣等感に負けた人」が多い。自分に自信がないから、人を見くだして、ちょっとでも優越感に浸ろうとするのです。かわいそうな人なんです。
 ―― 質問者の彼は(身長の)伸びも止まってしまい、「背が高くなるように」と、毎日、御本尊に祈っています。彼は言います。「これって、わがままな祈りでしょうか」と。
5  ありのまま祈る
 池田 祈りは、たいてい「わがままな祈り」だ(笑い)。何を祈ってもいいんだよ。ありのままの自分で、自分らしく、自分がいちばん願っていることを題目にこめていけばいいのです。
 すぐに結果は出なくても、祈っていくことによって、必ず「よい方向へ」「よい方向へ」と、希望が開けていくことは、間違いない。
 そして、祈ったことが現実になるよう、努力し、工夫し、実行していくことだ。
 そういえば、ナポレオンも「チビ」と呼ばれていた。
 ―― あの英雄がですか!
 池田 若きナポレオンが最高司令官として、イタリアヘ出発した途上のことです。それまでの最高司令官といえば、背が高く、威厳があった。しかし、ナポレオンは背が低く、やせていた。顔色も悪かった。
 ナポレオンにつく四人の師団長は「あんなチビのコルシカ人の部下になるなんて、ばかばかしくて話にもならん」と、見くだしていた。
 その四人が、ナポレオンに呼ばれた。彼らは、部屋に入っても帽子を脱がなかった。完全にバカにしていたのです。
 しかし、ナポレオンの目を見たとたん、四人は動けなくなった。ナポレオンの鋭い眼光に貫かれたように感じた。
 こわばる四人を前に、ナポレオンは帽子を脱いだ。彼らも、あわてて帽子を脱いだ。(笑い)それを見て、ナポレオンは、もう一度、帽子をかぶった。しかし、もはや彼らには、ふたたび帽子をかぶる勢いはなかった。
 その後、見事な作戦計画が言い渡された。四人は感心した。「あのチビめには、震え上がっちまったぞ!」――部屋を出た彼らの言葉です。(長塚隆二『不可能を可能にするナポレオン語録』日本教文社、引用・参照)
 ―― 同じ「チビ」という言葉でも、ナポレオンに会う前と後では、意味あいが全然、違いますね。
 池田 偉人というのは「大きく」見えるものなんだ。
 ナポレオンは、将軍としては、たしかに背は小さかった。まわりが大男ばかりだから、よけいに小さく見えた。しかし、そのコンプレックスをバネにして、強く生ききったのです。「大きな男たちには負けない!」と。
 まわりから、からかわれて、いちいち、くよくよしたり、いちいち、やけになるような、そんな安っぼい自分になってはいけない。
 ―― 「コンプレックスに負けない」ことですね。
6  悩んだ分だけ人の心がわかる人間に
 「劣等感のある人間のほうが強い」
 池田 そう。勝てば、コンプレックスは、あなたが強く生きていく力となる。すべてのコンプレックスが、あなたの力となる。
 コンプレックスで悩んだ分だけ、いじめられた分だけ、心のヒダは深くなる。心の響きも豊かになり、「人の心がわかる」人間になれる。コンプレックスに苦しまなかった人は、繊細な心のメロディーがわからない。
 戸田先生も言われていた。「劣等感のある人間のほうが強いぞ! 負けん気があるぞ!」と。
 おとぎ話の「一寸法師」を知っているでしょう。彼は大きくなりたかった。強くなりたかった。お姫さまにも認めてもらいたかった。そして、鬼が、お姫さまを襲ってきたとき、必死で戦い、「針」でできた剣をふるって、鬼に立ち向かっていった。お姫さまを守るんだと「死にもの狂い」だった。
 ―― しかし……鬼につまみ上げられて、食べられてしまいます。
 池田 それでも彼は「あきらめない」。鬼の腹の中でも、あばれまわって、針の刀で突き続けた。
 ―― 鬼は悲鳴をあげて、一寸法師を口から吐き出して逃げてしまいます。
 池田 その後に残っていたのが、有名な「打ち出の小槌」です。何でも願いがかなう不思議な「小槌」だった。お姫さまが小槌を振ると、一寸法師は、たちまち大きくなって、お姫さまと結ばれる。
 さあ、この「鬼」とは何だろう。「打ち出の小槌」とは何だろう。そして「一寸法師」とは、だれのことだろう。
 ―― 決して、背が低い人のことではなくて……。
 池田 そう。劣等感に苦しみ、自分のことを「ちっぼけな存在だ」と思っている人のことではないだろうか。そして「鬼」とは、そんな自分に、のしかかってくる「苦しい現実」だ。また自分を押しつぶそうとする「劣等感」そのものかもしれない。
 ―― すると、一寸法師が鬼をやっつけたというのは、「劣等感に打ち勝った」ということですね!
 池田 心理学者にも、そういう説を唱える人がいるようだ。だから、彼が、うじうじしないで、小さな体でも「死にもの狂い」でがんばった――そのとき鬼は逃げ去り、「大きくなりたい」という願いもかなった。
7  「打ち出の小槌」とは「強い心」
 池田 つまり、「打ち出の小槌」とは、自分自身の「強い心」のことではないだろうか。「あきらめない心」「戦う心」のことではないだろうか。それを使えば、何でもできる。「大きな大きな自分」にもなれるということです。
 本当のことを言えば、人と比べて、劣等感をもったり、優越感をもったりするのは、まだまだ「余裕」があると言える。生きるか死ぬかというときに、そんなことを言ってはいられない。ともかく必死に、全力を出す以外にない。そのときに、人間の「心」と「生命」というものは、信じられないような偉大な力を発揮するものです。
 ―― その「生命の力」が「打ち出の小槌」ですね。
 池田 「打ち出の小槌」は、だれでも持っている。使うか使わないかは、自分が決めることです。自分の欠点に、くよくよするひまがあったら、「自分にできることの全部」を実行してみることだ。それをした人が本当の「勝利者」です。
 その人には、もはや劣等感もなければ優越感もない。人をうらやみもしなければ、人を見くだしもしない。すべての人に温かい気持ちで接していける。あの「五月の青空」のように、晴ればれと生きることができるのです。

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