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日蓮大聖人・池田大作

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第4章 心と心をつなぐ  

「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)

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1  心と心のふれあいの場を多く
 笠貫 (全国婦人部書記長) 今、「少年非行が、『戦後第四のピーク』にさしかかりつつある」と言われています。このほど発表された『青少年白書』(平成十年度版)の報告です。
 最近の傾向として、それまで非行歴がない少年が問題行動を起こす「いきなり型」が多くなってきているようです。
 原田(新宿総区婦人部第二議長) 全国で相次いで起こった、少年による「ナイフ事件」も、“ふつうの子”が、突然、“キレた”ケースが目立ちました。「なぜ、この子が……」と、周囲も、世間も驚きました。
 池田 大人の目に見えないところで、子どもたちの心を蝕む社会の病理が、広く、深く進行しているようです。
 たしか白書では、青少年が非行に走る背景の一つとして、「家庭での触れ合いの少なさ」が挙げられていたと思う。今は家庭だけでなく、学校や地域でも、子どもの「人間との触れ合い」が少なくなってきているように感じます。
 人は、いろんな人々との出会いをとおして、自分を拡大し、人間としての成長を遂げていくものです。「人間の中で」もまれてこそ、「人格」が磨かれていくのです。
 そうした人間錬磨の場所が「家庭」であり、「学校」であり、「地域社会」でしょう。ところが今は、それぞれの場所で、子どもを取り巻く人間関係が、だんだん希薄になっている。大きく見れば、社会全体の風潮です。
 笠貫 私自身、子どもの頃、山梨の山奥にある小学校に通っていたのですが、当時、一学年に児童が数人しかおらず、一人ひとりが、本当にかけがえのない友だちだったことを思い出します。
 反対に、今の都会では、クラスで多くの友人と知り合う機会はふえましたが、本当の出会いが少ないですね。問題は、「心と心の触れ合い」が減ってきたことにあると思います。
 原田 私も、そう実感します。周りを見ても、人ごみの中を、他人には目もくれず、歩き続ける大人たち。困っている人を見ても、立ち止まって助けてあげようとする人は少ない。皆それぞれ、自分の中に閉じこもっているように見えます。
 池田 こうした世の中で育つ子どもに、影響が出ないはずがありません。
 「心と心の触れ合い」が少ないと、人の心を理解したり、相手の立場に立ってものを考える能力や習慣が、なかなか育ちません。
 「わがまま」というか、自己中心的な傾向が強くなってしまう。
 しかし創価学会は、こうした社会の流れのなかで、あえて人とかかわってきたのです。悲しみに沈んでいる人に寄り添い、悩める友に希望を与え、青年に生きる目的を指し示し、徹底して、民衆とともに、民衆に根差して進んできた。
 だからこそ、学会は発展した。人間のなかに飛び込んできたがゆえに、一人ひとりが人間革命をすることができたのです。
2  全魂の激励に真剣に応える生徒
 笠貫 それはまさに、池田先生の、日々の行動そのものだと思います。
 昨年(一九九八年)十二月、卒業する東京の創価学園生、創価女子短大生が、創立者を囲んで行なった記念撮影会に、小学六年生の私の長女も参加させていただき、本当に感動して帰ってきました。参加した方から、その日の模様をうかがいました。
 記念撮影のあと、先生がスピーチを終えられて席を立とうとした瞬間、中学三年の生徒が、「先生、歌を歌わせてください」と言いました。
 先生は、「歌か。いいなあ。何回も何回も歌おう」と。
 原田 何の曲を歌ったのですか?
 笠貫 まず、中学生が、修学旅行の思い出の曲「厚田村」を歌い始めました。次は小学生が卒業記念テーマ曲を、そして高校生は「校歌」をと……。
 学園での思い出、これからの決意、友との絆……こみあげる思いを歌声に託す生徒たちの瞳には、熱いものが光っていたといいます。
 すると、先生は、歌っている生徒たちの輪の中へ、すっと入っていかれ、生徒たちの顔をじっと見つめられながら、一人ひとりに声をかけていってくださったのです。
 感極まって、泣いている生徒には、涙をふいてあげ、「泣くんじゃない。すべて、分かっているよ」と。
 髪の毛が少し茶色がかった生徒には、ジョークを交えて、「もっと茶色にしてもいいんだよ」(笑い)。叱られるんじゃないかと思っていたその高校生は、先生のその一言に、胸が熱くなったと語っていたそうです。
 歌が続いている間、ずっと先生は、一人、一人、また一人と、握手し、肩をたたき、頬をなでられ、激励し続けられました。
 「がんばれ」「負けてはいけない」「君たちのことは忘れないよ」――。
 先生から直接、激励された人数は、少なくとも一〇〇人を超えていたそうです。
 ある役員は、終了後、車に乗り込まれる先生が「もう、腕がしびれて上がらないよ」と言われているのを聞き、「学園生のために、そこまで……」と、言葉を失ったそうです。
 原田 生徒たちは、「生涯の原点」をつくっていただいたのですね。
 池田 私が、どんな思いで、学園生をはじめ、未来を託す青少年と接しているか。これは、だれにも分からないかもしれない。しかし、彼らには、必ず私の心が伝わっていると信じています。
 決して手抜きなど、できないのです。「この出会いが一生を決めるかもしれない」「今、最大の励ましを送るのだ!」と全生命を注いで、心と心をつなぐ出会いを重ねているのです。
 直接、会えない時でも、手紙で、伝言で、とにかく何らかの形で、毎日、励ましを送っています。
 笠貫 私たちも、先生の心をわが心として、後継の未来部を育んでいきたいと思います。
 原田 ところで、『青少年白書』では、問題行動を起こした少年の心の特徴として、「被害者や周囲の受ける悲しみへの認識が欠けている」「欲望や衝動をコントロールできない」が挙げられていました。
 池田 問題の表面にばかり、目を奪われるのではなく、子どもたちの「心」に目を向けていかねばならない。
 今の世の中は、「慈悲」がどんどん失われている。
 「慈悲」とは「抜苦与楽」――「楽を与える」のが「慈」であり、「苦を抜く」のが「悲」です。実は、慈悲の「悲」にあたるサンスクリット語には、もともと、「嘆き」という意味があるのです。
 つまり、他人の苦しみや悩みに心を寄せ、ともに嘆き、ともに悲しむことです。人の痛みを、わが痛みとして感じる心が、慈悲の根本なのです。その心がなくなれば、社会は、ばらばらになってしまう。
 だからこそ家庭で、学校で、地域社会で、「慈悲の心」「開かれた心」を育てる努力をしなければならない。たとえ、どんなに知識をつけさせたとしても、人の痛み、苦しみを見て、何も感じられない、機械のような冷たい心であるならば、何にもならない。そうした心の持ち主には、本当の人生の喜びを味わうことはできません。結局、自分も不幸になり、周囲や社会もそれに巻き込まれてしまうのです。
3  英知を磨くのは心と力を養うため
 原田 先生がかつて、クレアモント・マッケナ大学(アメリカ)のスターク学長に語られた言葉が強く印象に残っています。
 「英知を磨くのは何のためか――それは人類に奉仕できる『心』と『力』を養うことです。いくら『力』があっても、その『心』がなければ意味がない。『心』だけあっても『力』がなければ観念論です」と。
 笠貫 同大学からは、「社会貢献賞」が池田先生に贈られています(一九九三年)。これは「人類への真の『奉仕の人』」に授与される賞で、日本人初の栄誉でした。
 授賞理由は、先生が「桂冠詩人、作家、芸術家、哲学者、教育者」であり、「世界平和の指導者として、すべての国々のリーダーを、理解の懸け橋で結んだ」功績です。
 先生が、世界中のリーダーと会い、友情を結んでいく行動そのものが、「開かれた心」の模範だと思います。
 池田 スターク学長は、現代の教育界が「コマーシャリズム(商業主義)」にどっぷりとつかったため、ビジネスの成功を追い求めるばかりで、学生に「人生の価値」を教えていないことを憂えておられた。
 今の日本も同じではないだろうか。「ビジネスの成功」を追い求めているうちに、「心の豊かさ」を忘れてしまった。「人の痛み」を「わが痛み」として感じる「心」を犠牲にしてしまった。
 その結果、生まれたのが、荒涼とした砂漠のような社会だとしたら、これほど愚かなことはない。
 家庭においても、同じかもしれない。子どもの「成功」を追い求めるあまり、「人生の価値」を教えることを忘れてはならないのです。
4  「人格」の核は幼いうちに家庭で
 笠貫 ところで、先の『青少年白書』によると「子どもの自由を尊重して育てたい」という親が、年々、ふえているそうです。
 昔に比べると、子どもは「物質的に豊かな環境」で、「自由を尊重されて」育てられているようなのですが、それがかえって、我慢のできない子どもを育ててしまっているのでしょうか。
 池田 豊かになるのは結構なことです。また、子どもの自由を尊重するのも、教育上、大切なことです。しかし、その中心には、親の信念というか、哲学がなければいけない。
 信念や哲学といっても、何も難しいものではなく、これだけは守らなくてはいけない、これだけは譲れないという柱です。
 私の亡き母のことで恐縮ですが、母の子どもたちへの口ぐせは、「人様に迷惑をかけてはいけない」でした。
 残念ながら、自由というよりも無秩序になってしまったのが、今の社会でしょう。甘やかしてしまい、子どもが後から困ることになっては本末転倒です。
 笠貫 「子どもの自由を尊重する」と言いながら、「どう育てていいか、分からない」ので、子どもが望むままに育てている側面もあるかもしれません。
 原田 私たちの世代の親は、家庭も貧しかったせいか、子どもの願いを叶えてあげたくても、できないことが多かったのではないでしょうか。
 以前、関西創価学園にいたころ、池田先生の奥様とお話ししたことが、とてもうれしい思い出になっています。
 関西学園がある交野の地は、本当に自然が豊かなんです。冬でも、野や田の畦には、「はこべ」「なずな」や「せり」「ほとけのざ」などの小さな緑がみずみずしく生えていて……とお話しすると、奥様は「どうして、草花の名前を、よく知っていらっしゃるの?」と、聞いてくださったのです。
 それで、少女時代のことをお話ししました。わが家は、とても貧乏でした。群馬から出てきて、親戚のアパートにお世話になっていた時期もあります。一室に二家族ですから、当然、いづらいので、一日中、暗くなるまで、近所の野山で草花を相手に過ごしていました。それでいつしか、多くの草花に親しみ、名前を覚えてしまったのです――と。
 ほしいものがあっても、「買ってあげられないのよ」と母に言われれば、それ以上、わがままは言えませんでした。
 池田 「学歴がある」というよりも、「苦労してきた人」こそ、信頼できます。
 今は、社会全体が便利に、豊かになったので、物質的な面では、子どもの望みを叶えてあげられる場合が多い。かえってそこに現代の子育ての難しさがあるのでしょう。
 だからこそ、親の生き方そのものが問われてくるのです。
 「人格」の核は、幼いうちに家庭でつくられる。人間が、この世で最初に出会うのは母親であり、家族です。
 初めは、自分と他人の区別もつかない赤ちゃんが、自分以外の人間との触れ合いを経験し、そのなかで「自分」をつくりあげていく。
 日頃の親の「接し方」「声のかけ方」「振る舞い」が子どもの心に大きな影響を与えていくのです。
5  声のかけ方ひとつでも子どもは変わる
 原田 「声のかけ方」といえば、以前、ある青年教育者が、小学五年生に、「親からかけてほしい言葉」「かけてほしくない言葉」についてのアンケートをとって、教えてくださったことがありました。
 「かけてほしい言葉」の一位は「よくがんばったね!」。
 二位は「頭いいね、さすがだね!」。三位は「ありがとう」と続きました。
 池田 つまり、「ほめる言葉」「感謝する言葉」を子どもは望んでいるということだね。
 今の世の中は、これが少なくなった。そして嫉妬や、人を誹る言葉がふえている。人の心が小さく、狭くなり、他人の長所に目が届かなくなっている。
 今、「ほめたたえる言葉」が一番あふれているのは、創価学会の世界ではないだろうか。だから、学会には人が集まるし、人が育つのです。
 ほめたたえ合う世界には、喜びがあり、活力があり、希望があり、繁栄があります。
 原田 本当にそう思います。
 アンケートで、「かけてほしくない言葉」の一位は、「バカだね」「やっぱりだめだ」「できっこない」などの否定的な言葉です。
 二位は「もっと勉強しなさい」。
 三位は“いやみ”でした。
 笠貫 自分でも気づかないうちに感情でものを言って、子どもの心を傷つけていることがあります。
 叱りたいと思っても、ぐっとこらえて、むしろそういう時は、何かでほめてあげたほうが、かえってやる気を起こす場合も多いようです。
 池田 声のかけ方一つで、子どものやる気を引き出すこともできれば、傷つけてしまうこともある。
 たとえば、子どもの顔を見るなり、「勉強しなさい!」――これでは、子どももたまったものではない(笑い)。また、言い分も聞かず、道理を教えることもせずに、感情にまかせて叱りつけるのも、子どもの心を、暗く、重くしてしまいます。
 口に出す前に、一度、胸の中に納めてみるだけで、大きな違いが出てくる。
 かといって、子どもと接するのに、あまり神経質になってしまうのも、自然な親子関係ではない。
 「声のかけ方」にせよ、「振る舞い」にせよ、すべて奥底の一念が表れたものです。常日頃から、本当に「子どものため」を思い、「子どもの未来」を祈っているかどうか。それが根本です。
 ともあれ、子どもに接する時は、一個の人格として尊重することが大事です。
 「こんなこと、分からないだろう」「これくらい、いいだろう」と、安易に思っては失敗する。子どもの中には大人がいる。その大人に向かって対等に語りかけていけば、子どもの「人格」が育っていきます。
 そうすることによって、育てる側も育てられていくのです。
 原田 娘が小さい頃は、私自身、まだ教師をしていましたので、家に帰っても次の日の授業の準備など、仕事が山ほどありました。それで、ついつい、子どもを急がせてしまうんですね。「早く、早く」が口癖になっていたようです。
 ある時、子どもに「いつも“早く”と言うけれど、お母さんは、私が早く死んだほうがいいの?」と言われ、とても反省しました。
 またある時には、娘の作文に、「お母さんは旅行に行くと、空気がきれいなので、やさしくなります」と書いてあって、はっとしたことがあります。
 それは空気がきれいになるからではなくて、旅行に行くと、心に余裕ができ、子どものほうを向くことができたからだと思います。
 笠貫 「空気がきれいだから、やさしくなる」という言葉には、お母さんを思いやる心がにじみ出ていますね。
 池田 母親は、たしかに忙しい。心に余裕をもとうとしても、なかなかそうできないのが現実でしょう。
 だからこそ、父親をはじめ、周りの人々も、頑張っているお母さんを支えてあげてほしい。心を軽くしてあげてほしい。お母さんを支えることが、子どもをすこやかに育て、ひいては、よりよき未来をつくることに通じていくのです。
 お母さんも、時間がなくても、その分、工夫次第で、劇的に、力強く、子どもと心の交流をはかることはできます。
6  人生も子育ても忍耐と希望が勝利の鍵
 笠貫 東京のある婦人部の方が、こんな体験を教えてくれました。中学二年生、中学一年生、小学四年生と、三人の男のお子さんを育てている方です。
 上の子が小学三年生になった時、不登校になってしまいました。母子ともに苦しみながら、ある時は学校の門まで、次は保健室、次はクラスの入り口、一時間目、二時間目……と努力を重ね、一時は普通に学校に行けるようになったのですが、五年生の時、再び不登校になってしまいました。
 この時ばかりは、さすがの彼女も、ショックで、へなへなと床に座り込んでしまったといいます。「この二年間の努力は何だったのか」――しばし、食事を作る以外は、まったく何もできなかったそうです。
 原田 不登校の悩みは、当事者になってみないと分からない、本当に辛いものですね。
 笠貫 絶望に沈みそうになる彼女でしたが、わが心を叱咤しながら、真剣に祈りを重ねていきました。自分自身を見つめていくうちに、彼女の心に変化が生じてきました。「悩みに正面から立ち向かう勇気のない自分」「子どもにふりまわされている自分」に気づいていったそうです。
 厚い雲に覆われたような心が、ついに晴れ渡りました。
 「池田先生が、いつも教えてくださっている真の楽観主義でいこう! 朗々と題目を唱えながら、使命の道を歩み抜こう! これが分かれば、何も心配することはないんだ。このことを私に教えるために、息子は不登校になったんだ」――その時、彼女は、一〇〇パーセント、息子さんに感謝することができたといいます。
 不思議なことに、心の底からそう思えた次の日から、息子さんは学校に行けるようになったのです。
 池田 苦しかっただろうが、よくがんばった。お母さんの勝利だね。
 逃げることも、お子さんといっしょに悲しみのなかに閉じこもることも、できたかもしれない。しかし、困難を前に一歩も退かずに、子どもの心を大きく開いた――。
 「負けなかった」から、勝ったのです。
 人生は戦いです。仏法は勝負です。「戦おう!」「やり切ろう!」――そう腹を決めた時に、人間は、計り知れない力を出すことができる。
 乗り越えられない悩みはありません。また、その時は死ぬほどの辛い思いをしても、あとから振り返ると、何であんなに苦しんだのかと思うことがあるものです。「冬は必ず春」となる。希望をしっかりとつかんで、戦い続ければ、「勝利の春」はやってくる。
 「巌窟王」として有名な『モンテ・クリスト伯』。有名な最後の言葉は、「待て、そして希望を持て!」です。「忍耐」、そして「希望」こそ、勝利の鍵なのです。
7  ”問題行動”の意味を理解し対応
 原田 人生も、子育ても、困難があった時こそ、大切なのですね。そのことを実感します。
 笠貫 先ほどの、学校に行けるようになった息子さんは自ら心の内を語り始めました。
 実は、彼が小さい頃、生まれてきた二人の弟たちが相次いで重い病気にかかりました。お母さんは弟たちにかかりっきりで、とても淋しい思いをしていました。
 いつもお母さんに抱かれて病院に行く弟たちを見るうち、それがお母さんにかわいがられることなのだと思い込んでしまったのです。その気持ちが、六年間にわたり蓄積し、弟たちの病気が克服された時に、「不登校」という形になって表れたようなのです。
 そのことを初めて聞いたお母さんは、息子さんに「どんなことをしてでも、あなたがかわいがられていると実感できることを、お母さんはしてあげたいの。何をしてもらいたい?」と聞きました。
 彼は「僕と、お母さんだけで、生まれた病院に行きたい。『二人だけで』だよ」と。
 弟二人は近所の病院で生まれているのに、自分だけが、よく知らない遠くで生まれたということも不安の一つだったようなのです。
 そして、母子手帳を手に、「お母さんと二人だけ」で「自分が生まれた場所」である北海道の病院に行きました。病院から出てきた息子さんの顔は、本当に見違えるほど明るくなっていました。
 この「二人旅」で、母子の信頼の絆が、強く、太くなったそうです。
 池田 息子さんにとっては「自分のルーツ」を探す旅であり、「お母さんとの愛情の絆」を確かめる旅だったんだね。
 子どもが起こす“問題行動”は、何か意味がある。子どもの心が発するシグナルです。
 心のどこかがおかしくても、子どもは、それをうまく表現できない。また自分でもよく分からないのが実際でしょう。
 子どもの行動の「意味」を理解し、対応してあげることが必要なのです。子どものシグナルに気づくためには、心が子どものほうを向いていなくてはいけません。
 原田 そのためには、外でいろいろなことがあっても、家に帰ったら、ぱっと切り替えて、意識的に「お母さんになる」ことも必要だと思います。
8  お母さんは明るく輝く「一家の太陽」に
 笠貫 日頃からの声かけも大事ですね。
 あるヤング・ミセスの方は、子どもの頃、両親がいつも活動で出かけていて、弟と留守番をしていることが多かったそうです。
 淋しい思いをすることもあったのですが、帰ってくると必ずお母さんが、「留守番、ありがとう。今日も、あなたたちのおかげで、広宣流布のお手伝いができたのよ」と声をかけてくれたので、頑張れたと言っていました。
 何よりも、喜んで、生き生きと、輝いて活動するお母さんの姿が生命に刻まれていると語っていました。
 池田 「喜んで」「生き生きと」取り組むことが大事だね。その親の姿から、子どもは子どもなりに、自分で考え、何かを学び、育っていくものです。
 人はとかく、何か大変になると、今いる所を逃れ、どこかもっと楽な所に行って、安穏な生活をしたいと願うものだ。しかし、幸福は、「どこか」にあるものではない。自分の胸中にある。喜びも、幸福も、自分でつくりだすものです。「今、自分がいる場所」を、最高の楽園に変えていくのが、本当の生き方です。
 実際は、忙しい時ほど充実しているし、悩みと真剣に戦っている時ほどハリがある。何かのために働けることこそ幸福なのです。その姿が、子どもに親の信念の生き方を伝えていきます。
 原田 私は、子どもの頃に母親が入会して、明るく元気になった姿が本当にうれしかったことを覚えています。
 池田 家庭の「雰囲気」が、子どもの心をいろんな色に染めていく。明るい色、暗い色、暖かい色、寒々とした色――。なかでも特に、夫婦の関係が、子どもの心に大きな影響を与える。子どもの前で、夫婦が争う姿を見せてはいけない。
 ゲーテは言っている。
 「王であれ、農夫であれ、わが家に平和を見るものこそ幸福だ」と。
 たとえどんなに財産があっても、どんなに地位や名誉があっても、わが家に「平和」がなければ淋しいものです。私が学会に入会してから半世紀、後顧の憂いなく戦えたのも、よき家庭、平和な家庭に恵まれたからです。
 「平和」といっても、苦労も悩みも何もない状態ではない。どんな嵐のような時であっても、家族の中に「太陽」が輝いていればよいのです。
 そのためにも、お母さんは「一家の太陽」として、明るく輝いていてほしい。
 特に、口に出す「言葉」よりも、何気ない「振る舞い」が、子どもの心に刻みつけられていくものです。
 笠貫 かつて、子どもが通学途中の電車の中で、元気がいいあまり、はずみでほかの学校の生徒に迷惑をかけたことがありました。
 私は学校から聞いて知ったのですが、子ども自身、落ち込んでいたので、すぐには叱りませんでした。
 ただ、先方に迷惑をかけたことは事実だったので、夫とともに、そのお宅に、子どもを連れて謝りに行ったのです。
 子どもは、その姿から、何かを感じ取ったようです。
 池田 最高の教育です。「親が自分の姿で模範を示す」以外にない。
 今は「子どもの教育だけでなく、親の自己教育が大事だ」と言っていた評論家がいました。つまり「親が親になるための教育」です。
 親自身が自分を高め、成長する努力が必要です。子どもを育てるということは、自分を育てることでもある。そうでなければ、子どもの成長についていけません。
9  子ども同士のヨコのつながりが重要
 原田 私の子育てを振り返りますと、ようやく子どもを出産できた時は本当にうれしかったのです。うれしくて、ずっと子どものそばにいたくなってしまって、だれにも触らせたくない、と。(笑い)
 「鬼子母神」とでも言うのでしょうか(笑い)、そんな自分に、我ながら、戸惑いました。
 そうした時、子どもといっしょに池田先生にお会いする機会があったのです。
 先生は「あなたは、そうやって子どもを抱いているより、学校で子どもたちと笑いさざめいている姿のほうが似合うよ」と言われました。先生のその一言で、「そうだ。感情に流されて、大切な使命を忘れてはいけない!」と我に返り、ひどく反省しました。
 池田 素直な告白ですね。(笑い)
 子どもがある程度、大きくなったら、親の仕事は、子どもの自主性を見守ることにあります。
 子どもは五歳くらいまでは、本当にかわいいものです。しかし、それからは次第に親から離れ、自立していく。もちろん、親の支えは、それからも必要ですが、かかわり方を変えていく必要があるのです。
 特に小学校入学からは、人格をつくり上げていく時期に入ります。いわば「子ども」を「人間」にしていくと言ってもいいだろうか。
 原田 私も子育ての最中、先生から、「小学校に入ったら、お母さんがいろいろなことを子どもに教えるのだ。お母さんの出番だよ」とおっしゃっていただきました。大変ありがとうございます。
 思春期や、それを越える年齢になると、もう口で、ああしなさい、こうしなさいとは言えなくなりますね。子どもに本当に言いたいことほど、口に出して言ってはいけないものです。
 とにかく、がまんして「祈る」ことしかできない、という時期もありました。
 池田 子どもは、母の祈りを、必ず心の奥底で、生命で受け止めている。
 人生の道は、最終的には自分で見つけるしかない。親が用意するものではありません。
 子どもを育てていく過程では、時には、子どもが自分のもとから離れていくような淋しい気持ちになることもあるでしょうが、親は、それを乗り越えなければならない。そうでないと、子どもの成長を妨げたり、自立できないマザコンにしてしまいます。
 子どもが大きくなると、親との関係より、友だちとの関係で成長していく場合が多いものです。
 牧口先生はこう言っている。
 「教師と生徒との交際間におけるよりは、むしろ生徒相互間における影響によって教育の理想を満足させる」(「単級教授の研究」牧口常三郎全集第七巻所収、趣意)
 つまり、教師と生徒というタテの関係よりも、生徒同士、つまり友だちの関係によって、教育の理想を実現するのだ、と。
 同じく、親と子のタテの関係も大事だが、子ども同士のヨコのつながりが、子どもの成長にとっては大変、重要なのです。
 笠貫 子どもの友人関係は大事ですね。親は「よい友だちと付き合ってほしい」と願うものですが、「悪い友だちと付き合っているのか心配」と言う人もいます。
 池田 親は、子ども同士の関係に容易に入ってはいけないものです。
 子どもの友だちの悪口を言うことは、慎まなければならない。「あんな悪い子と付き合ってはいけない」などと言うと、子どもは反発する。
 子どもは子どもで、お互いのよさを見つけて付き合っている。それが分からないで、友だちの批判をすると、よけい子どもは心を閉ざしてしまいます。
 もちろん、よい友だちと付き合ってほしいと願うのは率直な心でしょう。しかし、親が子どもの友人を決められるわけではない。
 実際の社会にはいろんな人間がいます。
 子どもの時に、いろんなタイプの人間と触れ合っていないと、免疫のない、もろい人間になってしまう場合だってある。
 大事なのは、子ども自身に、善悪を判断する力を、しっかりとつけさせることです。
10  教師と生徒の信頼関係を大切に
 笠貫 よく分かりました。
 ところで今は、学校の先生との関係がうまくいかず、悩んでいる親も多いようです。
 原田 子どもに教師の悪口を言うことは避けたほうがいいと思います。新学期になって、「今回の先生は、当たらなかったね」(笑い)などと、子どもに言うのは、本当にいけませんね。
 池田 教育の基本は、教師と生徒の信頼関係ですから、それを親が壊してはならない。
 できるだけ、よいところを見て、言っていくようにしたほうがプラスです。
 もし、教師の行動で納得できないことや、おかしいことがあったら、率直に対話していくほうが価値的ではないだろうか。
 原田 今、親と学校のよりよいあり方が模索されており、授業参観ではなく、父母が実際に参加する“授業参加”に取り組み始めた学校もあります。
 特に小学生の場合は、子どもの教育を学校任せにするのではなく、できるかぎり積極的に親もかかわっていくべきだと思います。
 池田 牧口先生も同じことを言っているね。
 「学校は他人のものではなくて、我がものだという自覚を以て無益な遠慮は為ぬことである」(『創価教育学体系・第三巻』「第四編 教育改造論」牧口常三郎全集第六巻所収)と。
 これは、国や政治家などに握られ、国家主義に子どもを駆り立てていく教育を、教師と父母の手に取り戻そうとする牧口先生の信念が込められている。
 「子どもの幸福」を最も願う者が、力を合わせて、よりよい教育をつくりあげていくべきだ、と。その当事者が親であり、教師である。
 ですから、教師や親が責任をなすりつけ合うところからは何も生まれない。
 教師は、生徒をわが子と思い、情熱と確信をもって育てていく。親は親で、すべて学校任せにしてはいけない。
 「子どもの幸福」という一点を見つめて、協力関係を培っていくのが正しい道だと思います。
11  だれにも大切な使命がある
 原田 教師をやめてから一〇年以上、過ぎましたが、生徒が成長していく姿を見るのは、本当にうれしいものです。
 ついこの間まで高校生だった人たちが、青年になり、親になり、いつしか社会の第一線で立派に活躍している。まぶしいくらいです。その成長ぶりに驚かされます。
 池田 親や教師からすると、子どもが大きくなるのは、本当に“あっという間”です。
 「また後で」「いつの日か」と思っているうちに、子どもは大人になってしまう。その間に、どれだけ子どもに、かかわれるかが勝負です。
 笠貫 池田先生が高等部員に贈られた「青春対話」によって、悩みから立ち上がった青少年の感動のドラマを各地で聞くことがあります。
 入会まもない、ある婦人部員の方の体験をうかがいましたので、紹介させていただきます。
 入会前、この方の息子さんは、高校に入ってからいじめにあい、学校に行けなくなりました。自分の気持ちのやり場のない息子さんは、やがて家庭内で暴力を振るい始めました。地獄のような辛い日々が続きましたが、それが一変したのは、ある学会員の人と、息子さんとの出会いでした。
 ある日、息子さんはこの学会員から一冊の本を借りてきました。表紙には『青春対話Ⅰ』と書いてありました。息子さんは、何回も何回も、何十回も繰り返し、むさぼるように、この本を読んだといいます。突然、お母さんにこう聞いてきました。
 「池田大作って、どんな人?」
 やがて、息子さんのたっての願いと強い意志で、母子ともに入会。青年部の献身的な励ましによって、息子さんは変わっていきます。何といっても目の輝きが違ってきたのです。お母さんは「奇跡が起こったとしか言いようがない」と思ったそうです。
 ある時、息子さんは言いました。
 「お母さん、僕には使命があるんだ!」
 大学進学を目指して勉強を始め、大検に合格。この春、晴れて希望の大学に入学されたそうです。
 池田 これほど、うれしいことはありません。
 これからも、人生の勝利者を目指して、がんばってほしい。「青春対話」を始めたのも、そうした願いからです。私は、こうした青年たちのことを一生涯、祈り続けます。
12  「育つ」ことが「恩に報いる」こと
 原田 池田先生に育てられ、先生との出会いを原点として成長していった人が、どれほどたくさんおられるか、計り知れません。
 笠貫 私は、この連載てい談に登場した高柳婦人部長や、長野の森本さん、神奈川の大曽根さんたちと、同じ時期に女子学生部でした。
 特別な力もない、平凡な私たちでしたが、先生から、生きた哲学を教えていただき、幾たびも励ましを受け、いくつもの「金の思い出」をつくっていただきました。先生の慈愛あふれる激励があったからこそ、ここまで進んでこられたとの感謝の思いでいっぱいです。
 池田 学会の世界では、自分が命を注いで育てた人の成長を見るのは、何よりもうれしいものだね。その姿だけで、苦労は十分、報われる。第一線の方々のご苦労は、私には、よく分かります。
 私自身、戸田先生の大恩に報いるために、「自分が成長しよう!」「自分が力をつけ、先生の偉大さを世界に宣揚しよう!」という決意で進んできました。
 戸田先生は、今も私の中に生きている。戸田先生の慈愛は、今も私の五体をかけめぐっている。ありがたい師匠です。
 「育つ」ことが「恩に報いる」ことです。
 次元は違うかもしれないが、子どもが育ち、伸びゆくその姿自体が、親に対する報恩の姿だと、私は感じるのです。
 原田 関西学園の卒業生の一人が、千葉で婦人部のリーダーを務めています。三歳のお子さんをかかえて、多忙な毎日なので、「子育ては、大変でしょう?」と聞きました。すると、返ってきたのは意外にも、こういう答えでした。
 「いいえ、子どもが、こんなにも、毎日毎日、親を楽しませてくれるとは思いもよりませんでした」と、弾んだ声で言うのです。
 実は彼女は、早くにお母さんを亡くしているので、自分は親孝行できなかったと残念に思っていたそうです。でも、子どもを育ててみて、子どもがどれだけ親に喜びを与えてくれるのかを知り、「私もこうして少しは親孝行したんだなあ」と、大変うれしく思ったそうです。
13  池田 「子どもがいるから大変だ」と考えるか、「子どものおかげでいろんな経験ができる」ととらえるか、心一つで変わる。
 「苦しい気持ち」「辛い気持ち」ばかりで、子どもに触れ合っていれば、それはそのまま子どもに伝わってしまう。子どもがかわいそうだし、自分も損です。
 「この子を立派に育ててみせる!」という使命感、「この子のおかげで、自分も成長できる!」という感謝の心が、「親子の触れ合い」をより豊かに、より喜び多きものにしていくのです。

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