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日蓮大聖人・池田大作

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第3章 「生きる力」を親子で育む  

「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)

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1  対話者
 笠貫由美子かさぬき ゆみこ 山梨県生まれ。東京女子大学英米文学科卒。創価学会婦人部書記長。一男一女の母。
 原田秀子はらだ ひでこ 群馬県生まれ。お茶の水女子大学文教育学部卒。創価学会教育部副教育部長。一女の母。
2  小学校低学年――大切な“離陸”の時
 笠貫 最近、“学校が楽しくない”と感じる子どもたちがふえており、小学生の間でもその傾向は強まっているそうです。
 原田 非常に、残念なことですね。
 私は現在、教育部の一員として、地域で行なう「家庭教育懇談会」などに参加することが多いのですが、さまざまな話を聞くなかで、“学校生活は、子どもが慣れるまでは、やはり親の心構えが肝心だな”と実感しています。
 小学生、それも低学年で学校や授業がきらいになると、あとあとまで影響する場合があります。その時期に、母親が子どもにどう向き合うかが、とても重要になるということです。
 池田 一般に「子育て」には、節目となる大切な時期がいくつかあると思うが、その一つは、小学校低学年といえるでしょう。
 以前、トインビー博士とロンドンのご自宅で対談した折、こう述懐しておられた。
 「私にとって、人生の最初の七年間は、その後の人生全体と同じくらい長いものに感じられます。子どもは、七歳までに、自分にとって大切なことを数多く学びます。それは、その後の何十年にもわたる人生で学ぶことよりも多いのです」と。
 この言葉は、今も鮮烈に残っています。
 子どもというものは大きくなれば、親の手を次第に離れていくものだが、その大事な“離陸”の時が、小学校低学年の時期です。
 飛行機は空を飛んでいる時よりも、滑走路から飛び立つ瞬間が最も注意を要するといわれるように、その時期こそ、お母さんが心して子どもと向き合うべき時なのです。
 原田 わが家の経験からも、痛感します。
 娘が小学二年生になった頃のことです。
 担任の先生からの連絡ノートに「どうも、引き算が苦手のようです」と書いてありました。
 心配して娘に聞いてみると、どうやら「1+1」がなぜ2になるのか、といった、足し算、引き算以前のことにこだわって、そこから進めないようだったのです。
 笠貫 “哲学者”のような感性ですね。(笑い)
 原田 その時は“そういう難しいことは、後になって分かるからね。まずは、覚えようね”と、毎朝毎晩、顔さえ合わせれば、「3十8は?」「10-2は?」といった感じで、徹底して付き合いました。(笑い)
 ごく基礎的な学習につまずいて、学校に行くのがいやになってはいけないと思ったからです。
 娘も当時のことは、よく覚えているようです。
 池田 どんな子どもでも、初めから完璧な子などいません。勉強にしろ、友だちのことにしろ、何らかの形で学校生活につまずくことはあるでしょう。そんな時こそ、「母親の出番」です。
 子どもが自分の力で“離陸”できるまで、ちゃんと軌道に乗るようになるまで、母親が最大に気を配ってあげることが大切なのです。
 肝心なのは、接する時間の長短ではなく、子どもにどこまで心を注ぐかです。
3  新しい環境の不安も乗り越える親子の心の絆
 笠貫 分かりました。
 いよいよ新入学シーズンとなります。そこでまず、「新入学」「新学期」をどう迎えたらよいのかという点から、お話をうかがえればと思います。
 池田 「新入学」、また「新学期」というのは、文字どおり、子どもだけでなく親にとっても、新しい生活が始まることを意味します。
 だれしも、慣れ親しんだ環境を離れて、新しいことを始める時には、不安を感じるものです。ある意味で、それは人間の自然の感情でしょう。
 たとえば、子どもが幼稚園や保育園に入る。それは子どもにとって、母親から長時間離れて過ごす初めての経験といってよい。
 初めての建物、初めての先生や友だち、初めての集団生活――すべてが“初めて”づくしで、幼い子が不安を感じるのは当然なのです。
 しかし時間が経つにつれ、友だちと仲良く遊ぶことに没頭して、その時は母親のことなど忘れてしまう(笑い)。それぐらい、子どもには適応力があるのです。
 たとえ寂しく思っても、家に帰れば母親が自分を温かく迎えてくれる――そういう“心の絆”さえできれば、子どもは新しい環境のなかで、困難に出あっても、たくましく乗り越える力を育んでいけるのです。
 原田 本当にそう思います。
 小学校の先生方の話でも、新一年生で友だちと遊べなかったり、新しい環境になじめない子がいるようですが、お母さんが、特にこの時期、子どもの心にしっかり向き合っていけば、必ず乗り越えられると言っています。
 子どもはだれしも、“自分のことを見ていてほしい”という気持ちをもっています。それが満たされないと、学校で心が不安定になったりすることがあるようです。
 笠貫 特に子どもが小さい頃には、親が揺れ動く子どもの心をしっかり受け止めてあげることが大切なのですね。
 原田 それから、小学校に入るまでに、身につけておいたほうがよいことは何ですかと聞かれることがあります。
 いろいろあるでしょうが、「人の話をちゃんと聞けること」も大切ではないかと思います。
 保育園や小学校の先生に話をうかがいますと、人の話を聞くことができない子どもたちは、えてして、親に話を聞いてもらっていない。つまり、「ちゃんと聞いてもらっている子」は、聞く態度も身につくというのです。
 また最近、学校教育の現場では「学級崩壊」「授業崩壊」と呼ばれる状況が小学校低学年にも広がり、深刻な問題となってきています。
 原因はさまざまあると思いますが、その根底にも“自分を受け止めてほしい”“自分に向いてほしい”と願う、子どもたちの行き場のない思いがあるような気がしてなりません。
 池田 笑顔が何よりも似合うのが子どもたちです。それが安心できる居場所を得られず、学校でも家庭でも辛い思いをしてしまう――それでは、あまりにも子どもたちがかわいそうです。
 子育ては、すべてが新しい出来事の連続です。核家族化が進み、また少子化時代になって“一人っ子”の家庭がふえ、子育ての経験を生かすことが難しくなってきている。
 こうした状況のなかで、親の不安も大きいのは分かりますが、それ以上に子どもの不安は大きいのです。
 そんな時に、拠り所となる母親の心が不安定だと、子どもの心も不安定になってしまう。
 敏感な子どもの心は、親の心にストレートに反応してしまうものなのです。
4  子育ては楽観主義で
 笠貫 「不安」に関連すると思うのですが、アメリカの経済学者のレスター・サロー博士が、先生とお会いした時(一九九九年一月)、こんな話をされていました。
 「ヒマラヤ登山」や「砂漠の自動車走破」など数々の冒険に挑んでこられた博士に、先生が冒険の心構えを聞かれた時、博士はこう語っておられました。
 「ある人の言葉に、『本当の登山家になるならば、想像力をもってはいけない』とあります。つまり、朝起きて、きょう登山をする――そういう場合に『もしかしたら、きょう事故が起こるのではないか』『予期せぬ出来事に巻き込まれるのではないか』と、あれこれ想像してはいけないということです」と。
 池田 そうでした。博士が強調されていたのは、よい意味で楽観主義でいけ、ということです。
 まだ起こりもしないことを、あれこれ心配したり、くよくよ悩んでしまっていたら、堂々めぐりで一歩も前に進めない。
 子育ても同じです。たとえ、子どもに何かあったとしても、自分が包み込み、受け止めて、いっしょに乗り越えてみせる――その強さを母親はもたなければならない。悲観主義からは、何も生まれないのです。
 もちろん、ふだんから、最大に心を配って、“お母さんは自分のことを見てくれている”との信頼感を、子どもに与えてあげることが大前提です。
5  遠距離通学も子どもの成長の糧に
 笠貫 よく、分かりました。
 そこでお聞きしたいのですが、「新入学」に関して、“私立の小学校に入学させたいと思うのですが、まだ小さい子どもを、毎日遠くまで通わせることが心配です”との相談をされました。どう考えていけばよいでしょうか。
 池田 私立の小学校に進むにしろ、公立の小学校に進むにしろ、子どもにとっては新しい生活の始まりです。
 そこで、子どもが楽しく、喜んで学校に通うことができるかどうかは、最初のスタートにかかっています。
 わずかの時間でも、お母さんが笑顔で送り出し、また子どものほうから、何か聞いてきた時には、決して面倒がらずに、話にしっかり耳を傾けてあげること。それが、どれだけ子どもの心を安定させるか、計り知れません。
 たしかに、遠距離通学は決して楽なことではないでしょう。しかし、それは子どもを自立させ、大きく成長させる“絶好の機会”にもなる場合がある。
 親から見ればかわいそうに思うことでも、子どもにとっては必ずしもそうでもない。親の思いばかりを先行させないで、子どもは実際にどう思っているのか、しっかり汲み取ってあげることが大切です。
 送り出す側から見れば、「雨の日」や「雪の日」などは特に心配でしょう。しかし、人生も同じように「晴れの日」ばかりではない。
 親が先回りして“避け道”を用意するのではなく、子どもを信頼し、温かく励ましながら送り出してあげれば、その時は辛くても後で必ずよかったと、親子ともに実感できるものなのです。
 原田 教師をしていた時、生徒といっしょに登校していましたが、遠くから通ってくる子も、ぐったりしているような子はいませんでした。特に、小学生は、驚くほど元気でした。
 逆に、家は近くても、眠そうに目をこすりながら、登校してくる子もいました。(笑い)
 遠距離通学している生徒に話を聞くと、電車の中で友だちと楽しくおしゃべりしたり、読書の時間にあてたり、授業の予習復習をしたりと、自分なりに工夫していました。
 池田 もちろん初めは大変かもしれないが、子どもは本来、伸び伸びと成長していく存在です。
 入学したての頃は、まるで“ランドセルが歩いている”ような、背丈も小さく足取りもおぼつかなかった子どもが、時が経つにつれて、ランドセルも窮屈に感じるほど大きくなっていく。それほど子どもの成長というのは速い。
 逆に、周囲の大人、特に親がよかれと思って、「手出し」や「口出し」したり、「先回り」することが、子ども自身の意欲を失わせて、結果的に「生きる力」の成長を阻害してしまうことが少なくない。
 結果的に“甘ったれ”をつくってしまう。
 「手出し」「口出し」「先回り」は、子どもをいつまでも“子ども扱い”したままで、“成長する存在”としてとらえられないことからきているのではないだろうか。
 原田 そうなのですね。親や教師、周りの大人の役割は、子どもたちの「生きる力」が十分に発揮できるように、引き出してあげることにあるのですね。
6  「負けない心」を子どもたちに
 池田 子どものなかには“育とう”“伸びよう”という生命がある。あまり心配しないで、どっしり構え、大きな心で包み、見守ってあげるという面も必要です。
 苦労も自分で乗り越えていけば、かけがえのない財産となっていく。子どもは本来、そうした「乗り越える力」を具えているものです。
 最近は、昔と比べて経済的にも豊かになって、子どもが欲しがるものを簡単に用意できるようになった。
 また、少子化の傾向が進み、必要以上に周りから大切にされるなかで、総じて子どもたちの「生きる力」を鍛える機会が減ってきています。
 子どもが困難に立ち向かう前に、失敗を恐れてしまう――その危険を警告していたのが、一昨年(一九九七年)の秋にお会いした、ペンシルベニア大学のマーチン・セリグマン博士でした。
 笠貫 博士はアメリカ心理学会の会長(当時)として、日蓮大聖人の仏法に着目されながら、人間を高め、鍛えゆく「新しい心理学」の構築を目指されている方ですね。
 池田 そうです。博士は、自分の子どもたちに古い童話を読み聞かせてきたことを紹介しながら、「最近の子ども向けの作品には、子どもがただ楽しくなるような内容で、自尊心を傷つけないことに重きを置いたものが多い」と憂えておられた。
 そして、「失敗を恐れず、強く前向きに生きる」生き方を子どもたちに教えて、自信を与えていかなければ、ひ弱な人間をつくってしまうと、強く心配しておられたのです。
 人間というものは、いろんなことを経験するからこそ、強くなれるものです。必要以上に親が世話を焼いたり、甘やかしてしまえば、失敗した時や、思うようにいかない時に、何でも「人のせい」にする人間になってしまう。
 子どもが「だれかのせい」にする生き方を続けていると、いつまでも心の芯が育たず、「人間としての勝利」が得られなくなるのです。
 原田 まったくそのとおりだと思います。
 また、わが家のことですが、娘が小学生の頃、鉄棒の逆上がりができなくて悩んでいた時がありました。
 しかしその時、幸か不幸か、私もあまり運動神経がよくなくて(笑い)、コツというものを教えてあげられませんでした。ただ、子どもが練習するのを、声をかけて励ましながら、横で見ているしかなかったのです。
 娘も、なんとかできるようになりたいと思って、道を歩いていても、鉄棒がある小さな公園を見つけると、ちょっとの間でも、飛びついて練習していました。
 そんな日がずいぶん長く続いた夏休みの終わりのある夕方、突然、くるりっと回って、逆上がりができたのです。
 娘が喜んで何回も逆上がりをしていた光景は、忘れることはできません。
 子どもが自分で喜びをつかめるように、親にも、よい意味での“我慢”や“忍耐”が必要なのかもしれませんね。(笑い)
 池田 大事なのは「失敗しないこと」ではない。長い人生、すべてが順風満帆であるわけがない。思いどおりにならないことだって、たくさんある。
 肝心なのは、いかなる困難があろうと「決してあきらめないこと」「断じて負けないこと」です。
 その強い心さえあれば、すべてを成長の糧としていける。「負けない心」こそが、生涯にわたる“手応えある人生”のカギになっていくのです。
7  子どもに「生きる力」を育む
 笠貫 先生は、子どもたちのために数多くの童話を創作してくださっていますが、そこには人生を生きる上で欠かせない重要な指針がいくつも込められています。
 その童話から着想を得て、ピアノ曲「雪国の王子さま」を作曲した、ブラジルの作曲家アマラウ・ビエイラ氏が語っていた言葉を思い出します。
 「池田先生が、青年の育成に、どれほど全力を挙げておられるか。私は、それをうかがい、この曲を作る決心をしたのです」
 「童話に込められた先生のメッセージのなかでも、『ネバー・ギブアップ(決してあきらめない)』――どんな悲しみに陥っても、人間は自分の手で、それを『喜び』に変える力がある――とのメッセージを曲に託しました」と。
 池田 現代は、大人のエゴばかりが優先している。自分の見栄や満足感のために“愛情”を注ぐことはあっても、本当に「子どものため」を思って行動する人が少なくなってきている。
 子どもたちの「生きる力」の衰退は、必ずや社会全体の衰退に通じていきます。それでは、人類の未来はあまりにも暗い。このまま、手をこまねいていて、よいはずがない。
 子どもたちが、本当の意味で自分らしく生き、笑顔で走り、幸せを満喫できる時代をつくりたい――。
 私が特に創作童話に力を注いできた理由は、ここにあります。
 原田 先生の童話は、日本だけでなく各国語に訳されていますが、海外でも高い評価が寄せられているとうかがっています。
 ゴルバチョフ元ソ連大統領の右腕として、「ペレストロイカ」を推進したアレクサンドル・ヤコブレフ博士も、先生の童話に対する感想を「童話や子どものための物語は、本当に心のきれいな人でないと書けません。
 心の大きな大きな人であって、初めて書けるのだと思います」と語っておられました。
 池田 私のことはともかく、子どもにどう夢を与え、ロマンの心を育んでいくか――未来は、すべてこの一点にかかっています。
 詩人のミルトンは“ちょうど朝が、その日がどんな一日になるかを示すように、子ども時代はその人がどんな人間に育ちゆくかを示す”と述べているが、子ども時代とは、まさに“人生の朝”といえます。
 その大切な時期にどんな種子を植え、どんな光を注いでいくのか。それで人生は大きく変わっていく。
 だからこそ、子どもたちの心に“励ましの光”を送り、“勇気とロマンの種子”を植えていくことが大切になるのです。
 原田 私たち大人の責任を痛感します。
 池田 法華経でも、わずか八歳の「竜女」が成仏したことが説かれています。
 日蓮大聖人は「竜女とは竜は父なり女は八歳の娘なり竜女の二字は父子同時の成仏なり」と、「父子一体の成仏」を説かれています。
 これには甚深の意義がありますが、子育てに敷衍するならば、子どもの「生きる力」を育むことは、親の生命にも触発を与え、よい影響をもたらし、“親子ともに最高に充実した人生を開いていける”とも言えます。
8  子どもの幸せが親の幸せに
 笠貫 実はその御文は、私にとって忘れられない一節です。というのも、以前、先生からこの「父子一体の成仏」の法理をとおし、激励していただいたことがありました。
 長じて知ったのですが、私が二歳になった頃、父は突然家を出てしまい、両親は離婚したというのです。
 母は、“この子に、父親がいない寂しさを味わわせまい”と、朝早くから日が暮れるまで働きながらも、私にいつも心を砕いてくれていました。
 ですから私は、家で父の話は一切しなかったのです。
 なにか母に悪いような気がしたものですから……。でも心の片隅では、父のことを考えていました。
 原田 そうだったのですか。
 笠貫 ええ。母のおかげで、大学まで卒業させてもらいました。
 社会人になり、気がかりだった父のことを、池田先生にお話しする機会がありました。
 先生は、「父子一体で通じているのだから、あなたが幸せになれば、お父さんも幸せになるよ」とおっしゃってくださって……。
 二歳の時に別れ、面影さえ覚えていない父でしたが、先生の一言で、長年の憂いが一瞬にして消え去る思いがしました。
 それから数年後、実家に帰省していた時、親戚から電話がありました。たまたま私が電話に出たのですが、突然“父の死”を知らされました。
 そのことをご報告すると、先生は「成仏は間違いないよ。親子は妙法でつながっているのだから」と励ましてくださり、胸がいっぱいになりました。
 原田 私も父を三年前に亡くしておりますが、娘にとって父親というのは格別の存在なのですね。
 笠貫 母は四年前に亡くなりましたが、その時も先生からさまざまな激励をしていただいたので、葬式を終えて御礼の報告をすると、申し訳なくも、和歌を頂戴しました。
  「偉大なる
     母は三世に
       亡き父を
     娘と語ると
       呼びにゆきたり」
 このお歌を読んだ時、最初は意味もつかめなかったのですが、そのうち先生の大きな心が分かり、感動がこみ上げ、声も出ませんでした。
 母にしてみれば、娘の私に父のことを一回も語らなかったことを、心残りにしていたと思います。
 そんな母の思いまで包み込んでくださったのだと……。
 お歌をいただいた日は、奇しくも六月の第三週の日曜日で、「父の日」でした。
 それまで、母と私は「父の日」に家族で何かをするということは一度もなかったので、最初にして最後でしたが、最高の「父の日」を送ることができました。
 改めて、本当にありがとうございました。
 池田 そうだったね。本当にいいお母さんだった。
 以前お会いした時も、“何があろうと娘にだけは、幸せになってほしい”との思いが、私の胸にもひしひしと迫ってきた。
 お母さんはきっと、お父さんに娘さんの成長を報告しながら、ともに笠貫さんの人生を見守ってくれているにちがいない。
 「親子の絆」というものは、それほど深く強いものなのです。
9  他人を思いやる心、勇気づける心を
 笠貫 私自身、二人の子どもを産み育てていくなかで、そうした親の思いというものが、少しずつ分かるようになってきました。
 ですから、その感謝の思いをもって、子どもたちに接していこうと、時間をやりくりしては話をしたり、いっしょに過ごすようにしています。
 昨年(一九九八年)の年末も、子どもといっしょに「少年少女希望絵画展」(創価学会少年少女部主催)を見に行ったことがありました。
 会場には、見ているだけで楽しくなるような微笑ましい絵がたくさん展示されていましたが、特に目を引いたのは、「最優秀賞」に輝いた栃木の岩本由香利さん(小学六年生、当時)の絵でした。
 原田 運動会で由香利さんが、お友だちといっしょに元気いっぱい応援する様子を描いた絵ですね。私も見ました。
 それと、表彰式での由香利さんの話がすばらしかったとうかがったのですが……。
 笠貫 ええ。少し紹介したいと思います。
 由香利さんは、五年生の時までは「応援団」なんて恥ずかしくてできないと思っていたそうです。
 ところが六年生になって「応援団」が、急にあこがれの存在になったというのです。
 それには、わけがありました。
 六年生になる直前の二月、お父さんが突然の病気で、手術をすることになりました。
 家族五人で心を合わせて祈っていたら、話を聞きつけた、周りの学会員さんたちがお題目を送ってくれた。
 そんななかで、由香利さんも勇気づけられ、「お父さんは絶対治る」という気持ちに変わっていったといいます。
 結果、手術は大成功――。その時の喜びを、こう綴っています。
 「手術は大成功に終わりました。お題目の力とみなさんからのげきれいのおかげだと心から思いました。みなさんからの応援にとても感激しました。応援される側はどれだけうれしいか、どれだけはげまされるか。とても元気になり勇気がわいてくるのです」
 「こんなうれしい気持ちを学校のみなさんにも感じ取ってもらいたくて、『応援団』を希望しました」と。
 そして迎えた運動会の日、由香利さんは「みんな、ガンバレ!」と精いっぱいの応援をしたそうです。入賞した絵では、その時の様子が生き生きと描かれているのです。
 池田 人間が生きていく上でとても大切な、こうした温かな心を子どもの時代に養うことは、かけがえのない財産になるでしょう。
 「応援」の心――それは励ましの心です。他人を思いやる心であり、勇気づける心といってよい。また、応援することは、自分も元気になれるし、心が大きく広がっていくものです。私たちの信仰の世界が、まさしくそうです。
 私の尊敬する友人に、子どもの未来のために生涯を捧げられたモスクワ児童音楽劇場総裁の故ナターリヤ・サーツ女史がいます。
 若き日、罪のない夫を独裁者に銃殺され、自らもいわれのない罪をでっちあげられ投獄された女史は、その時、運命をのろうよりも、“自分と同じように苦しむ収容所の人々を励ましたい”との思いを抱いたといいます。
 「めそめそするのは、やめよう! 頭を切り替えよう! みんなが生き抜いていけるように助けなくっちゃ!」と。
 絶望の失意の底から、女史は人々を思いやることで、心に「太陽」を昇らせたのです。
 彼女は一人芝居で皆を楽しませたり、仲間と即席の劇団をつくっては慰問に回りました。地獄のような牢獄も、人々に生きる力と希望を与える“劇場”に変わったのです。全部、彼女の心一つから生まれたものでした。
10  人生の目的は自他ともの幸福
 笠貫 人間の真価は、逆境のなかでこそ表れるものなのですね。
 実は、先ほどの由香利さんの絵がきっかけで、わが家でもこんな出来事がありました。
 ある時、娘の同級生のお父さんが倒れられ、親同士の連絡で報せを聞いた私は、娘に伝えると、すでに知っていたようで……。
 すぐ娘といっしょに唱題しようと思ったのですが、親から一方的に言うのもどうかと思い、一瞬、迷いました。
 そんな時、由香利さんの絵を思い出し、「今日は、お母さんといっしょに『応援団』になってお題目を送ろうよ」と話すと、喜んで賛成してくれて……。二人で一生懸命、祈りました。
 幸い手術は無事成功し、「本当によかったね」と声をかけると、娘は少し照れくさそうにしながらも、とても喜んでいました。
 池田 人のために祈り、心を尽くす――これほど、人間として尊いことはない。
 戸田先生も、「自分が幸福になるぐらいは、なんでもない。簡単なことです。他人まで幸福にしていこうというのが信心の根底です」と、よく強調されていた。
 笠貫 そこに、学会の世界の本当のすばらしさがありますね。
 思い返せば、私が信心を始める大きなきっかけとなったのは、学生時代に知り合った近所の女子部の方のある一言でした。
 会合に誘われ会場に向かう途中で、「人生の目的って何だと思う」と聞かれ、私がとっさのことで答えに窮していると、その女子部の方が「それは幸福でしょう。それも自分だけの幸福じゃなくて、自他ともの幸福よ」ときっぱり言われて……。
 驚くやら感動するやらで、人生観が大きく変わる思いをしたことを覚えています。
 原田 常日頃、社会のため、友の幸福のためにと思って活動しているわけですが、自身が病気になってみると、周りの方々が励ましてくださる、そのありがたさを、私も味わいました。
 五年前、健康診断で、特に自覚症状はなかったのですが、たまたま腫瘍が見つかって、手術を受けることになったんです。
 心細くなる時もありましたが、いちばん支えとなったのは、先生のご指導であり、温かく確信に満ちた励ましでした。
 先生はよく、「会員の皆さんの健康と幸福を祈っていくのが、名誉会長である私の責任です」と言われますが、自分が病気になってみて、そうした先生の真心をひしひしと生命に感じられました。どれだけ勇気づけられたかしれません。
 また、同志の方々もお題目を送ってくださって、おかげさまで手術は成功しました。
 大きな手術でしたので、術後もしばらくの間、横になっているのも、座っているのも苦しい、辛い日々が続いたのです。
 その時にも、思いがけず先生から「祈っております。大丈夫です」との伝言をいただいて……。胸がいっぱいになり、生きる力が体中に湧いてきたことは、今も忘れられません。
 笠貫 今では、そんな大病をされたことなど、まったく感じられないほど、元気になられましたね。
 原田 ありがとうございます。
 退院してからは、「新しい命」をいただいたとの感謝の思いで、この五年間、今まで以上に、真剣に皆さんのお役に立てるよう、祈り、行動してきました。
11  ともに悩みを乗り越える生き方を
 池田 本当によかった。皆さん方が元気に使命の舞台で活躍される姿ほど、私にとってうれしいことはありません。
 悩んでいる人がいれば、自分のことはさておいても全身全霊で励ましていくのが、仏法者の心であり、創価学会の精神です。
 現代は、“自分さえよければ”とか、“他人のことなどかまわない”といった風潮が強まってきている。
 そんな殺伐とした世の中にあって、創価学会は、“苦しんでいる人を放っておけない”“いっしょに幸せになろう”と、ともに手に手をとって進んできた。だから強いんです。
 御書にも、門下である富木常忍の夫人が病気であるとの報せを受けた日蓮大聖人が、富木常忍をこう励まされている御文があります。
 「尼御前のご病気のことは、私自身の身の上のことと思っておりますので、昼も夜も(夫人の健康を)諸天に祈っております」「願わくは、日天、月天よ。尼御前の命に代わって助けられよ」(978㌻、趣意)と。
 富木常忍夫妻の悩みに同苦され、その心にまっすぐ分け入るように渾身の激励をされる大聖人の御姿――私は、ここに口先でも形式でもない、生命からほとばしる思いで、真剣勝負の“蘇生の励まし”を送る、仏法者としての根本姿勢が示されていると思います。
 笠貫 「私自身の身の上のことと思っております」とは、本当にありがたい激励ですね。私たちも、その心構えで、同志の皆さんに接してまいります。
 池田 牧口先生も戸田先生も、悩める友を前に、時には涙さえ浮かべて、わが事のように心配し激励され、その人たちが宿命を乗り越え、「新しい人生」を悠然と開いていく姿を見ることを最大の喜びとされていた。これが創価学会の偉大なる伝統です。
 病弱だった私がここまで生きてこられたのも、“断じて死なせはしない”と戸田先生が徹して祈り、「死ぬなよ」「早死にするな」と励まし続けてくださったからでした。
 “苦しんでいる友に幸せになってもらいたい”“友の悩みを何とか解決してあげたい”との思いが、「生きる勇気」となり、「希望の光明」となって、「幸福の大道」がともに開かれていく――その生き方のなかにこそ、最高の人間性の輝きがあるのです。
 教育も子育ても、精神は同じです。
 子ども一人ひとりがかかえる悩みに真剣に耳を傾け、その苦しみをともに乗り越えていこうとする――こうした心が、一切の出発点になるのです。

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