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日蓮大聖人・池田大作

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広布に尽くした四十六星霜  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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2  「頼んだぞ」との戸田先生の言葉
 夫人 私たちは、世間的な幸せとか、マイホーム的な家庭とは、もともと無縁でした。戸田先生は結婚にさいし、私をまじまじと見つめられて、「頼んだぞ、学会の未来がかかっているんだぞ」と、念を押すように言われました。
 以来、一生懸命に仕え、支える日々でした。
 池田 戸田先生が新年のお祝いの席で、若き日の私に、「長くは生きられないな。学会の未来は、どうなる」と、はらはらと、涙を流されたことがあった。
 「私の命をやる、生きて生きて、生きぬけ!」とも言われた。ご自身が長くないのを覚悟しての、揮身の叱時でもあった。体を治せ、丈夫になれ、と。
 以来、健康には留意してきましたが、広布の盤石な基盤をつくるまではと、夜を日に継いで東奔西走し、無私の日々を過ごしてきましたので、支えに支えてくれた妻には感謝しています。
 夫人 母は、師匠である戸田先生が、主人は長くは生きられないと言われたので、主人が会長になるとき、これはたいへんだ、孫もいるのに、早く亡くなったらどうしようと、本気で心配しまして……。ですから私は命懸けで、体調が維持できるようにと、すべてを注ぎました。
 私が起きて、疲れている主人が早く目を覚ましたらいけないと、廊下に絨毯を敷いて休んだこともございます。家も狭いものでしたから……。
 松岡 あるとき、奥さまが、疲労困憊していても、なお動き続ける先生のお姿を見て、先生の代わりにご自身に病魔が集まるように祈られた、とお聞きしました。
 夫人 学会がたいへんな時でしたので、健康な私が、主人の辛さを少しでも代われるものなら……と祈ったのです。
 池田 この人は、そう祈ったものだから、少し体調をこわして寝込んだことがあった。ばかだなあ、かえって迷惑するじゃないかと……。指導の旅先から、手紙を出したりもしました。
 夫人 それまで私は、病気というものをしたことがなかったので、主人が熱を出して苦しんでいるのを見ても、本当の苦しさは、わかっていなかったのではないかと反省しました。
 やはり自分が病気をしてみて、体の具合が悪いときの辛さがわかりました。いい経験をしたと思います。
 それ以来、二人とも健康でありますように、と祈りを変えました。
 それでも、しみじみ思うのですが、夫婦して御本尊様の前に端座して祈れることほど、幸せなことはございません。
3  生き続ける初代の魂
 佐々木 牧口先生のお話になりますが、私が東京・港区の高輪支部の座談会に出席しましたら、牧口先生が白金小学校で校長をされていた当時の児童の方が入会され、皆さんに祝福されていました。児童といっても、もう七十八歳になられますが(笑い)、須藤起世さんといいます。
 昭和二年(一九二七年)四月の入学で、″牧口先生はとても威厳があったが、反面いつもお優しく、親しみのある方だった″と回想されています。昭和四年の日比谷公園の遠足にも、当時、お子さんを次々に亡くされたど心労のなかで、おいでくださったそうです。
 松岡 須藤さんは、通いつけの美容院の婦人部の人から、創価学会の初代会長が牧口先生であると聞き、ずっと尊敬し、お慕い申し上げていた方が創立されたところならと、一も二もなく入会されました。
 夫人 それにしても、すごいですね。
 牧口先生は、時代を超えて、厳然と折伏されていらっしゃる……。
 松岡 いつも目黒の駅から白金小学校まで、バスにお乗りにならず必ず歩かれ、途中、登校する児童に出会うと帽子をきちんととって、優しくあいさつされていたそうです。
 「お昼時になると、用務員室に白いハンカチに包んだお弁当箱がいくつも用意されていました。家庭の事情でお弁当を持ってこられない子どもたちのために、牧口先生がポケット・マネーで用意されていたのです」と、思い出を語ってくれました。
 池田 「子どもの幸福こそ教育の最大の目的」とされた先生を彷彿とさせますね。それと、健康には日ごろから留意なさっておられたんだね。
 私も、白金小学校の近くにあった戸田先生のお宅に、朝となく夜となく呼ばれ、お邪魔しましたが、目黒駅から、早足で歩いて十五分はかかる。そこを歩かれたんだね。
 佐々木 須藤さんは、小学校二年六組の時に牧口校長先生と写した記念写真を、大切に持っておられました。同じクラスに、四人の会員の方がいます。その一人、大の仲良しだった友だちが、後に牧口先生の三男・洋三さんに嫁ぐ貞子さんです。貞子さんは、須藤さんの入会をわがことのように喜んだといいます。
 松岡 あとの二人は、三木澄子さんと浅尾光子さんです。
 品川にお住まいの浅尾さんは、「牧口先生は、私が三年生までで校長先生をお辞めになりましたが、思い出は今も鮮明です」と話されてます。
 三木さんは江東区の区副婦人部長で、「池田先生が牧口先生を徹して顕彰されるお姿に、師弟の峻厳な実践を見て感動を禁じえません」と語っておられます。
 池田 人は生き方を通して、後世まで語り継がれる。その意味では、生き続けるといってもいい。私も、七十歳になって、いよいよこれからだと肝に銘じています。
 考えると、若いときは夢中で無駄もあったが、六十を過ぎると行動に無駄がなくなる。今の一年を、若い日の五年分ぐらい、動きに動いています。
 人間だけが、未来を考える。動物は、その日、その時だけです。
 今の最大の関心は、後事をどう託すか――青年を育てることしかありません。
 戸田先生の弟子として、どのような生き方を示し、残せるか。生涯、広布に戦うのみです。

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