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ボタンティアの行動  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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4  最後の八年で三千二百一人に電話激励
 松岡 学会のなかにも、そうした「人生の達人」の皆さんが、たくさんいらっしゃいます。
 平成八年(一九九六年)、七十二歳で亡くなられた北陸副婦人部長の津田多美子さんも、人のために尽くしぬかれた一人です。
 池田 よく存じています。富山のお生まれで、草創期から広布に戦われ、富山から、遠く石川の果てまで、激励に次ぐ激励の尊き生涯でした。「創価功労賞」を受賞されている、立派な方です。
 佐々木 津田さんは、家庭指導をとても大切にされていましたが、車の運転ができなかったため、次第に遠出がきかなくなり、平成元年からは、県境や山間部に住む多宝会の皆さんに電話での激励を始められました。
 松岡 晩年、病院のベッドの上でも、最後まで同志のことを案じておられたようです。
 津田さんが逝去された後に、嫁さんの津田かをるさん(圏副婦人部長)から二冊のノートを預かりました。それは、津田さんの″励まし電話″の指導記録でした。
 開いてみると、平成元年から八年間に、なんと千二百一人の方々に電話されており、その内容も克明に書かれてありました。
 佐々木 電話相手のほとんどは最前線のメンバーで、心配に思った方の所には、毎日のように電話をしておられた。その様子が手にとるようにわかるものでした。しかも、最後の電話は入院する二日前。亡くなる直前まで続けられていたのです。
 池田 一言一言、かみしめるように、とつとつと話される方で、決して雄弁ではなかった。でも、その一言が、深く皆さんの胸に残っていくような、戦いぬかれた確信と慈愛にあふれたお人柄でした。
 逝去された時、私は、
  懐かしき
    富山の広布に
      捧げたる
    尊き母の
      歴史は三世に
 と詠んで、贈らせていただきました。
 松岡 富山県の山間部に住む八十歳を超えた老婦人が、「『もしもし、津田です。お元気ですか』との声を聞いただけで、胸のつかえがスッと下りて、心の底から頑張ろうという気持ちが湧いてくるのです」と、思い出を語られていたのが印象的でした。
 池田 以前、私は草創の同志の方々に健康で安心の人生を送っていただきたいと思い、森田理事長をはじめ、先輩格の方々に、「一日何軒でもいい、電話をおかけするようにしたらどうか」とお願いしたことがありました。
 電話をいただいた方々は、とても喜んでおられたとうかがっています。
 大聖人は仰せです。「力のない人間であっても、助ける人が強ければ倒れない。少々、頑健な人間であっても、独りであっては、険しい道には倒れてしまう」(御書一四六八ページ、趣意)と。
 励まし、助けあえば、力は二倍、三倍になる。孤立してしまえば、人生はみじめです。
 学会は慈悲の団体です。「励まし」と「祈り」という尊い「無償の行動」を貫いて、根本的次元から人々を救ってきたからこそ、学会は精神界にそびえる王者となったのです。
 日本の社会のなかに、また、私たち一人一人の生き方のなかに、人の苦しみは一刻も放っておかないという「同苦の精神」を脈動させていきたいものです。

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