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日蓮大聖人・池田大作

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ローマとパリの”羅什”  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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3  夫君の平和への志を継ぐ
 佐々木 心していかなければいけないと思います。
 一方、花の都パリの女性とは、池田先生が、第十二回「SGIの日」記念代表者会議(一九八七年)で、長編詩「『フランス広布先駆の母』を讃えん」を贈られた、フローランス・ウストン=ブラウンさんのことでしょうか。
 池田 そうです。六十三歳で信仰され、フランス広布の先駆を切られた方です。「百歳まで生きてほしい」と願う青年に、首を振って、「私は二百歳まで生きるのよ」と笑っていた話は有名です。若き日、パリ大学ソルボンヌ校で哲学と文学を学び、フランス語保存委員会のメンバーとしても活躍された。
 小説『人間革命』のフランス語訳に、昼夜を分かたず取り組んでくださり、その翻訳文は、品格のあるすばらしい文体と称賛されています。
 松岡 先生と対談集を出された高名な美術史家のルネ・ユイグ氏とも、友人だったとうかがいましたが……。
 池田 そう。長い間にわたって親交を深めておられたようです。ルネ・ユイグさんは、ウストン=ブラウンさんのことを、「ファム・ド・カリテ(品格の高い女性)」と、尊敬されていました。
 佐々木 ユイグ氏とは、対談集『闇は暁を求めて』を、フランスのフラマリオン社から出版されましたね。一九八一年六月に、先生はパリ訪問の折、フラマリオン社の招待で、ユイグ氏と昼食をともにされました。
 またトインビー博士との対談集『二十一世紀への対話』のフランス語版出版記念レセプションが催され、ユイグ氏も出席されました。ウストン=ブラウンさんは、そうしたとき、来賓の方々とうれしそうに会話を交わされており、知的なお姿が思い出されます。
 池田 私が、彼女と初めてお会いしたのは、パリ郊外のソー市にあったパリ本部でした。すでに七十歳近い年齢でしたが、若々しい大きな声で自由闊達に話されていました。
 佐々木 平和への思い、戦争への拒絶には、ことさら強い信念をもたれていたようですね。
 池田 そうです。ご自身の体験から、にじみでた不屈の信念であり、志でした。ご主人のレイモン・バンク氏は、ナチス・ドイツ軍の占領下にあって勇敢に戦ったフランス・レジスタンスの英雄でした。しかし、痛ましくもご主人はゲシュタボに捕まり、拷問の末、虐殺されました。
 その名をフランスは永遠にたたえんと、かって冬季オリンピックが開催されたグルノーブルの街路に「レイモン・バンク通り」をつくりました。
 松岡 それで、「戦争ほど、残酷なものはない」で始まる小説『人間革命』のフランス語訳に、あのような全力を注いでおられたのですね。
 池田 亡くなられる一年前に、東京・小平の創価小学校でお会いしたのが最後に・なりました。「よく頑張ってこられました」と申し上げると「ウィ、ウイ」とうなずいておられた。
 「私は自分のやりとげることは、すべてやりきっていくでしょう」と言われながら、バカンスを利用して、メンバーを激励するために南フランスに旅立たれました。旅先のホテルで、朝食を注文した後、ソファに腰掛けたまま永眠された。安らかなお顔であった。
 佐々木 ウストン=ブラウンさんは、南仏トレッツのヨーロッパ研修道場の近くにあるトレッツ市営墓地に眠っておられます。
 サント・ヴィクトワールに抱かれて休むお姿は、まさに、その名のとおり「勝利山」を登られた人生の象徴ですね。画家セザンヌが愛し、描き続けたあの「勝利山」は、朝な夕なに、光の具合によって山容を劇的に変化させる荘厳な山です。
 偉大なフランス広布の母の生涯も、それ以上に荘厳であり、逝去されたあとも、いっそう、その名は輝いていくようですね。生前のウストン=ブラウンさんと、先生が、トレッツ滞在中に、娘さんの眠る墓地を訪れ、懇ろに花を手向けられたお姿は、一幅の名画のように感慨深いものでした。
 池田 人生、最後の最後まで戦いきった人は、美しいし、歳月の風化作用も、そのような人物にはおよばない。いや、むしろ、月日がたつほど、その存在がいちだんと大きくなっていくものです。
 ですから、生涯、青春の心と行動が大切なのです。″自分は年をとったから、ほどほどにしてもいいだろう″などと逃げの人生であってはならないのです。
 釈迦教団の長老たちも、多くは年をとるにつれて枯れてしまった。″自分には立場もあるし、それなりの悟りも得たんだから、これで十分だろう。長い間、修行もしてきたんだ。師匠の釈尊の悟りはすばらしい。しかし、自分たちにはおよびもつかない。このままでいいんだ″――と安住してしまっていた。
 そこで釈尊は、舎利弗への授記を通し、″そうではない、一生涯、仏道に精進し続けるのだ、そこにしか仏になる道はない、頑張れ″と、叱咤・激励をした。長老たちも、自分たちの惰性に気がつき、あらためて、戦いを再開し、歓喜した。それで、今まで絶対に成仏できないとされてきた二乗も仏になれることになったのです。
 「月月・日日につより給へ」が、法華経の精神であり、学会の魂なのです。

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