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日蓮大聖人・池田大作

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生きたようにしか死ねない  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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2  「地域友好型」「他者貢献型」
 松岡 老いが老いを看る「老老介護」の時代となって、とくに男性は今までとは違った生き方が必要になってきています。
 石崎さんの介護体験を通して、次のような点が浮かび上がってきます。
 一つは「会社型」から「地域友好型」になることです。石崎さんは、最初の二年間、一人で介護をしていました。近所の民生委員さんや同志の方々が奔走してくださり、現在の五十人の支えができたのです。
 地域とのつながりがなければ、行政サービスの情報も之しく、孤立し、夫婦共倒れになりかねません。
 池田 「いざ」というとき、近所に助けてくれる人がいれば、安心です。しかし、中高年の男性は、ほとんど会社の人間関係しかもっていない。
 松岡 阪神・淡路大震災後の仮設住宅で、働き盛りのはずの五十代の男性が比較的多く「孤独死」されているというのも、このへんに原因があるといわれます。専門家の話では、こうした年代の男性は「私は苦しい、だれか助けて!」と自分からは言い出せないのだそうです。
 佐々木 もう一つは、「自己実現型」から「他者貢献型」への転換です。
 石崎さんのように、介護につきっきりになると、自分が描いていた老後の人生計画は、まったく崩壊してしまいます。それは生きるうえで、本当に辛いことです。
 しかし、石崎さんは、必死に題目を唱えるなかで、「私の体験をなにかで役立たせたい」と思い立ち、さまざまに手を打った結果、介護者の集いで講演したり、執筆活動もできるようになりました。
 それが今、生きがいになっています。
 池田 すばらしいですね。どんな環境に置かれても、他者の喜びをわが喜びとするかぎり、無限に「生きる力」はわき上がってきます。
 佐々木 さらにいえることは、男性が「家事も育児もできる自立型」に成長することです。
 妻が病に倒れたり、先立たれた場合、残された男性は、炊事も洗濯もまったく自分だけでやらねばなりません。
 池田 男女がそれぞれの役目を果たしながら、平等に家のこともやっていくことが、おたがいの老後を助けるわけですね。
 地域友好も、他者への貢献も、すべて学会活動に含まれています。炊事や洗濯も、自立という意味では、男性も積極的に分担していくことが大切ですね。
 仕事もたいへんで気苦労も多いなかで、壮年部の皆さんは、日々、広宣流布のため、祈り、行動しておられる。婦人部を、青年部を、そして学会を守ってくださっている。
 そのときは、たいへんかもしれませんが、学会活動を通して築いた信頼の絆は、かけがえなき人生の宝です。
 座談会も、折伏も、新聞啓蒙も、家庭指導も、友人づくりも、あらゆる行動が、すべて総仕上げの糧になっていく。「第三の人生」を豊かに輝かせていくのです。
 佐々木 石崎さんのお宅に来られていた看護師さんは、白樺会の富盛万記子さんです。訪問看護では、患者さんの病状と同時に、介護者が元気かどうかを、注意して見ているそうです。
 介護疲れが出ているようなときは、ご主人と対話をして、愚痴を聞いたりしながら、家庭全体を″介護″していくのです。
 まるで家庭指導ですね。人間を見る眼を要求されます。
 医師も看護師さんも、家の中に入って、その暮らしにふれてこそ、患者さんの本当の苦しみがわかるともいえるのではないでしょうか。
 牧口先生は、「教育者は、みずからは尊敬の的となる王座から降りて、王座に向かう後輩を指導する公僕たれ」と、おっしゃっていました。医療にたずさわる人々も、患者さんと同じ目線に立つことが大切だと思います。
3  福祉の現場で人間学を学ぶ
 松岡 青年部にも、高齢者福祉の現場で活躍するメンバーが数多くいます。福岡・大牟田市で副本部長の大野哲也さん(三十五歳)も、そんな一人です。
 大野さんは、十四年間、市内の特別養護老人ホームで生活指導員をされています。
 佐々木 それが絵に描いたような好青年で、「なぜ、高齢者福祉の仕事を始めたのですか」と尋ねますと、「人間を知りたかったからです」と。
 池田 偉いね。人生経験の豊富なお年寄りから学ぼうということですね。
 佐々木 はい。学生時代から肚が決まっていて、福岡にいたのに、わざわざ佐賀の西九州大学を選びました。
 九州にある四年制大学のうち、社会福祉学科があるのは、当時、そこだけだったからです。
 松岡 創価学会への入会は、老人ホームで働き始めて三年目のことです。友人が隣のおじさんに折伏され、迷っているというので、心配して一緒に行ってあげた。横で話を聞いているうちに、「そんなに良いものなら僕もやります」と、友人と一緒に入会したのです。その友人も、男子部で頑張っています。
 池田 求道心があるんだね、何事にも。
 佐々木 お年寄りに喜んでいただくため、日本舞踊を習い、名取になったほどです。また福岡ドームでのアジア青年平和音楽祭には、人文字で参加し、「初めて先生にお会いできました」と目を輝かせていました。
 松岡 特別養護老人ホームは、お年寄りの「終のすみか(最終の住まい)」です。大野さんも数多くの臨終を見て、つくづく「人生の総決算は『死』に表れる」という池田先生のど指導を痛感するそうです。
 わがままで、人に迷惑ばかりかけて、友だちもいない人が、死に臨んで、気管と胃にチューブを通され十日ぐらい苦しんで亡くなられたりするのは、とても悲しい、と言っていました。
 佐々木 一方、寮母さんからたいへんに好かれていたご婦人で、周囲にもよく気を使う方が、食事をすませ、お風呂にも入って、横になられていると、申しあわせたように、娘さんたちが相次ぎ面会にきて、そのまま子どもたちの手をにぎって、すっと亡くなられたのも、見ています。
 池田 ″人間は生きてきたようにしか死ねない″とを実感しますね。
 佐々木 まだあります。腹巻きにお金を隠していると公言していた方が亡くなられ、いざ、腹巻きを見てみると、お札ではなく新聞紙だった。それを見て、集まっていた親戚などが蜘妹の子を散らすように帰っていったとか。
4  臨終に「心の財」が輝く
 池田 臨終の厳しき現実です。「蔵の財」も「身の財」も、死に臨んではむなしい。決して、それだけでは真実の幸福を支えてはくれないのです。
 ゆえに大聖人は「心の財第一なり」と教えてくださっています。「心の財」こそが、人生の永遠の財宝です。
 私も、多くの方の死を見てきました。社会的に著名な人もたくさんいました。結論して言えることは、信心の世界で戦いきった方は皆さん、尊厳なる姿で亡くなっているということです。たとえ病気や事故で亡くなった方も、長命な方も短命な方も、その死によって、遺された家族や後輩たちにかけがえのない「精神の宝」を残しておられます。
 松岡 前に紹介した東京・武蔵野〈区〉の女子部員、山本悦子さんのお母さまが、五年間の闘病の末、他界されたというお手紙をいただきました。眠るような臨終で、その相は、三十歳くらい若返ったような皺一つないお顔であられた、と。
 葬犠も、すばらしい友人葬で、親戚の方々も、美しいお母さまの姿に感銘され、真心の友人葬に感謝しておられたそうです
 。
 池田 全部、お聞きしています。亡くなってなお、広宣流布のお仕事をされたのですね。
 お母さまは勝ちました。見事に宿命転換されました。最愛の人を亡くされた娘さんの悲しみは、察するに余りあります。しかし、お母さまを介護し続けた娘さんも勝ったのです。逝く人も、看取った人も、ともどもに勝ったのです。
 戸田先生が逝去される前年でした。
  勝ち負けは
    人の生命
      常なれど
    最後の勝を
      仏にぞ祈らむ
 との歌をいただきました。
 人生の最終章の勝ちは、御本尊に祈っていく以外にはないのです

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