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日蓮大聖人・池田大作

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「魂の日記帳」につづる  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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4  苦しんだ体験を社会を変える力に
 松岡 認知症の場合は、やはり、施設などで介護するほうが良いのでしょうか。
 池田 どちらともいえず、ケース・バイ・ケースでしよう。徘徊が激しくなると、家庭での介護は大きな負担です。ましてや少子時代で手が足りない。
 ですから、介護は、その家族だけの課題ではないでしょう。介護の″社会化″が必要です。福祉制度を充実させていくことも重要な課題です。
 より根本的には、たとえ認知症になった人でも、人生の先輩として、また今日の繁栄を築いた先達として、尊んでいく気風が社会全体に広がっていかなければならない。このまま高齢化が進めば、いやおうなしに万人が介護にたずさわる社会になるのですから。
 長寿社会とは、競争よりも協調が、効率よりもゆとりが、物の豊かさよりも心の豊かさが、求められる時代です。自分が「してもらう」のではなく、わずかでもいい、自分には「何ができるのか」を考える時代です。いくつになっても、わが身を律しながら、貢献の道を探っていく。それが、「価値創造」の生き方です。
 松岡 そのとおりだと思います。
 池田 もう一点、大切なのは、たとえ病院や施設に入られたとしても、お年寄りの心を支えるのは、やはり家族の愛情だということです。家族の愛にまさる良薬はありません。
 家族が頻繁に面会に来るお年寄りは、心が安定しているともいわれます。
 佐々木 Mさんの息子さんは、「学会歌『紅の歌』の歌調に、『老いたる母の築きたる広布の城をいざ護り抜け……』とありますが、私に信心を教えてくれた母を、最後の最後まで守り、母の分まで、広宣流布に戦ってまいります」と、誓っておられました。
 池田 立派ですね。
 佐々木 認知症になったとき、それに、どう立ち向かっていくかですね。
 池田 そう。それで思い出しましたが、福祉の先進国スウェーデンで、認知症と戦った一人に、ヨスタ・ボーマン氏(一九一一年〜九七年)がいます。スウェーデンの国会議員で、穏健党の党首を務めた人です。政治家として頂点にあるとき、夫人がアルツハイマーになり、介護に専念するため、政界の第一線から身を引きました。
 その後、夫人との二人三脚の闘病記を著すとともに、介護者の立場から痴呆患者の生活環境の改善を強く訴えたといいます。
 松岡 みずからが介護で苦労された経験を生かし、社会変革へと力を注いでいったのですね。
 池田 実際に介護されている方々が「声」を出すことが大事です。また、政治にたずさわる人々は、その声に真摯に耳をかたむけていかなければいけません。「認知症になっても安心して生きていける社会」こそ、「人間の尊厳を守る社会」です。

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