Nichiren・Ikeda
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「魂の日記帳」につづる
「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)
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2 題目も学会歌も忘れない!
佐々木 ここでも、介護をテーマにしていきたいと思います。
京都に住む看護師の藤田勝美さんから、お話をうかがいました。副ブロック担当員さんで、創価大学の通信教育部でも学ばれている、向上心の強い方です。感受性豊かにお年寄りの方々に接しておられます。
藤田さんの務める病棟は、痴呆でも、とくに徘徊のある人の生活を支えるのが目的です。
その病棟へ、一九九七年七月に、七十八歳のMさんという女性が入院してきました。二年前にアルツハイマー型痴呆と診断された方でした。
松岡 入院の日、藤田さんは、病院の玄関まで迎えにいきました。「おだやかで、おとなしい方」というのが第一印象でした。
環境が変わると最初は、緊張して話もできないのですが、Mさんは、午後からのレクリエーションの輪にすっと溶け込んで、他の患者さんと風船バレーを楽しんでいました。「ずっと前からいるような顔をされてるね」と、その適応力に担当医も感心していたようです。
佐々木 じつは、Mさんは、昭和三十三年(一九五八年)の三月十六日に入会され、草創期から学会活動に頑張ってこられた方でした。結核のご主人を支え、三人のお子さんを立派に育てながら。
池田 そうでしたか。痴呆になると、その人の生きてきた姿勢や本来の情感が、そのまま表れるといいます。短気な人は、より短気に、涙もろい人はより涙もろく。
Mさんが、すぐに溶け込めたのは、いつも学会活動に走り、人々の輪の中に入っていった体験が生きているのかもしれないですね。
佐々木 看護師の藤田さんも、同じことを言われていました。
Mさんが学会員と知ってから、藤田さんは、始業時間の三十分前に出動。ベランダに出て、耳元で題目を聞かせることにしました。すると、ちゃんと題目三唱され、「ありがとう、うれしいわ」と感謝される。その時だけは、ボケてない普通の会話です。
また、学会歌「常勝の空」を一節、歌うと、
♪君と我とは久遠より
と一緒に口ずさまれる。
三番まで歌い終えると、また「うれしいわ」と。
池田 お題目も、学会歌も、生命に刻まれているんですね。
松岡 病院のホールを徘徊するMさんは、いつも軽快で、会合に向かっているようだといいます。他の患者さんの手を引っ張って歩いていることも……友人を誘って、ということでしょうか。(笑い)
またMさんは、病院でも″聞き役″だそうです。他の患者さんがプツプツ言うのを、いつもうなずきながら聞いてあげていて、個人指導の姿のようです、と。
池田 自行化他の修行に励み、南無妙法蓮華経と唱えぬいた思い出は、三世に永遠です。たとえ認知症になっても消えることはない。厳然と「魂の日記帳」に綴られているのです。
人生の最高の誉れは、学会活動です。人のために祈り、動くことで、自分も幸福になる。これほどの価値ある人生はないのです。
御書にも、「どこまでも一心に、南無妙法蓮華経と自分も唱え、人にも勧めていくのです。まさに、それだけが、人間界に生まれてきた今世の思い出となるのです」(御書四六七ページ、趣意)と仰せです。
だから、なんの心配もいらない。信仰で積んだ福徳は、老いることはないのです。認知症になっても、生命に冥伏されているのです。
3 「心のつながり」が大切
佐々木 かつてのMさんは徘徊が激しく、ご家族は、振り回されっぱなしでした。それが病院のゆったりした共同生活のなかで、落ち着いたのですね。
息子さんが支部長、その奥さんが地区婦人部長です。京都で、ご活躍です。
松岡 徘徊は入院までの一年間がとくにひどく、警察に保護されたのが十数回……。一晩中、行方がわからない日もありました。朝になって、通報を受けて息子さんが駆けつけるとMさんは、溝に落ちたらしく、顔中が青く腫れ、足も打って、もう一歩も歩けない状態で、道路の脇にたたずんでいました。
Mさんの変わり果てた姿に、息子さんは、「母さん、何をしたいんや。何が不満なんや」と声をあらげざるをえなかった。
池田 介護の現実です。ご家族のご苦労には頭が下がります。
しかし、まったく目的がなく徘徊しているのでもないようです。昔の記憶が残り、「実家に帰りたい」と、だれもいなくなった故郷の家に帰ろうとしたり、退職した職場に出動しようとしたり……。
佐々木 Mさんの場合、ご主人の七回忌も終わって、独り暮らしもなにかと心配だからということで、息子さん夫妻に呼び寄せられ同居することになりました。その結果、長年、住み慣れ、深い人間関係をつくってきた土地を離れたことが、認知症のきっかけになったようです。
池田 「人間は、何によって生きるか」を鋭く問いかけていますね。
高齢社会は、人と人の″心のつながり″が、あらためて見直される時代です。
佐々木 藤田さんの話で、ハッとさせられることがありました。
それは、人間関係が豊かな人、協調性のある人は、認知症になりにくい、と。たとえなっても、ひどくならず、周囲とうまくやっていけるというのです。
Mさんの場合は、引っ越すことで、それまでの強い人間関係が断ち切られた形になったのです。
松岡 住み慣れない環境もそうですが、ご家族はお母さんを大切に思うあまり、炊事や洗濯の仕事を、結果的には奪ってしまったことも反省しておられました。
池田 だれが悪いのでもないのです。前向きにいきましょう。現在は、病院に入院されて、安穏な日々を送っておられるのですから。
4 苦しんだ体験を社会を変える力に
松岡 認知症の場合は、やはり、施設などで介護するほうが良いのでしょうか。
池田 どちらともいえず、ケース・バイ・ケースでしよう。徘徊が激しくなると、家庭での介護は大きな負担です。ましてや少子時代で手が足りない。
ですから、介護は、その家族だけの課題ではないでしょう。介護の″社会化″が必要です。福祉制度を充実させていくことも重要な課題です。
より根本的には、たとえ認知症になった人でも、人生の先輩として、また今日の繁栄を築いた先達として、尊んでいく気風が社会全体に広がっていかなければならない。このまま高齢化が進めば、いやおうなしに万人が介護にたずさわる社会になるのですから。
長寿社会とは、競争よりも協調が、効率よりもゆとりが、物の豊かさよりも心の豊かさが、求められる時代です。自分が「してもらう」のではなく、わずかでもいい、自分には「何ができるのか」を考える時代です。いくつになっても、わが身を律しながら、貢献の道を探っていく。それが、「価値創造」の生き方です。
松岡 そのとおりだと思います。
池田 もう一点、大切なのは、たとえ病院や施設に入られたとしても、お年寄りの心を支えるのは、やはり家族の愛情だということです。家族の愛にまさる良薬はありません。
家族が頻繁に面会に来るお年寄りは、心が安定しているともいわれます。
佐々木 Mさんの息子さんは、「学会歌『紅の歌』の歌調に、『老いたる母の築きたる広布の城をいざ護り抜け……』とありますが、私に信心を教えてくれた母を、最後の最後まで守り、母の分まで、広宣流布に戦ってまいります」と、誓っておられました。
池田 立派ですね。
佐々木 認知症になったとき、それに、どう立ち向かっていくかですね。
池田 そう。それで思い出しましたが、福祉の先進国スウェーデンで、認知症と戦った一人に、ヨスタ・ボーマン氏(一九一一年〜九七年)がいます。スウェーデンの国会議員で、穏健党の党首を務めた人です。政治家として頂点にあるとき、夫人がアルツハイマーになり、介護に専念するため、政界の第一線から身を引きました。
その後、夫人との二人三脚の闘病記を著すとともに、介護者の立場から痴呆患者の生活環境の改善を強く訴えたといいます。
松岡 みずからが介護で苦労された経験を生かし、社会変革へと力を注いでいったのですね。
池田 実際に介護されている方々が「声」を出すことが大事です。また、政治にたずさわる人々は、その声に真摯に耳をかたむけていかなければいけません。「認知症になっても安心して生きていける社会」こそ、「人間の尊厳を守る社会」です。