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痴呆症と励まし  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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1  詩心の贈りもの
 松岡 インドから、お元気でお帰りになられ、またインドでの諸行事も大成功でおめでとうございます。(一九九七年十月、池田名誉会長がインドを訪問)
 池田 ありがとうございます。これからも世界への道を、開いていきたい。すべて後に続く人たちのためです。
 佐々木 同行取材した「聖教新聞」の記者は、諸行事を撮影したフィルムを現像するため、ニューデリー市内の写真店に持ち込みました。
 その写真庄のご主人は、連日、ソニア夫人、グジュラール首相、ナラヤナン大統領と、インドを代表する人物の写真が次々に出てくるので、びっくりされた。
 初めはたんに仕事として取り組んでいたのが、興味をもち、感銘を深くし、現像も一生懸命、丁寧に仕上げてくれたといいます。
 松岡 諸行事を陰で支えたハイヤーのドライバーの方は、きょうは首相官邸、あすは大統領府、次はネルー記念館ということで、驚いていた。次々に心のこもった交流の光景を垣間見て、すっかり先生に魅了され、ファンになってしまった。氏は先生あてに詩的な文を作って敬意を表しました。
 佐々木 きれいなカードに走り書きで、こんなふうに書かれてありました。
 「親愛なる池田大作博士へ。
 私たちインドの民衆は、あなたのインドへの訪れに心からの感謝をささげます。バラは深紅に咲き誇り、空は紺青に映える。私は、あなたのような善の人をいまだかつて見たことがない」
 ドライバーの方の、先生に会った喜びが、あふれていますね。花々も諸天も、自分と同じように喜んでいると言われているわけですね。
 池田 さすが、精神の大国で、日常会話にも詩を感じます。記念撮影を頼まれたのですが、忙しかったもので、やっと、帰国の日にカメラに納まることができました。
 その夜、インドを出発する空港で、写真をお渡ししたのですが、そのさい、「奥さまによろしく」と申し上げたら、「まだ、いません」とのこと。
 それで、ご結婚の運びとなったら必ずど連絡ください、と言って別れました。
 佐々木 大統領はじめ一流のリーダーとお会いしても、一庶民とお会いしでも、なんら変わらず誠意を尽くされる姿は、私たちも幾度となく拝見してきました。
 池田 いや、私も庶民の代表だもの……。皆さんあっての私です。まあ、振り返るのはこのぐらいにして、前へ進みましょう。
 ここでも、介護について考えていくんだったね。
 松岡 そうです。これに関連して、一九九二年のインド訪問で、「第三の人生」の指針となるお話があったことを思い出します。メンバーの勤行会が開催され、その席上、先生の提案で、質問会が行われました。
 池田 その日は、大聖人御聖誕の二月十六日でした。よく覚えています。釈尊の入滅は二月十五日。不思議なリズムだね。
 松岡 質問会では、何人目かに高齢の女性の作家の方が、「右目が部分的に光を失ってしまいましたが、光を取り戻すための特別な祈りがありますか」と質問されました。
 先生は、「特別な祈りというのは、ありません。光が戻るように、いよいよぞんぶんに仕事ができ、広布に生きぬいていけるように、真剣な一念で祈ることです」と指導されました。
 池田 その方のことは、よく覚えています
 今も題目を送っています。そのときは、大要、こうお答えしました。
 ――結果的に目がどうなるかは、さまざまである。しかし、真剣な一念で祈っていけば、必ず「心眼」が開いていく。本質を見抜く「心の眼」が輝いていく。
 たとえば、盲目であっても、心で見て、すばらしい写真を撮影している写真家がいる。戸田先生も視力は悪かった。それでも、なにもかも見抜かれていた。
 太陽も雲がかかれば見えない。しかし、雲を突き抜ければ、そこに太陽は厳然と輝いている。その境涯を「心眼」というのです、と。
 松岡 いかなる状況になっても、希望をもって生きていくのが仏法者の生き方ですね。
2  困った! 母が痴呆に
 佐々木 痴呆は、どう考えていけばよいでしょうか。痴呆には主に「脳血管性痴呆」よ「アルツハイマー型痴呆」の二つがあり、脳血管性は予防可能ですが、アルツハイマーには予防法がないといわれています。
 池田 痴呆は、進行する病気です。介護の仕方で進み具合を遅らせることはできますが、治療はむずかしい。高齢社会を考えるうえで、避けて通れない難問です。
 佐々木 そうですね。京都の婦人部副本部長である小西千恵子さんのお母さんは、八十四歳です。約七年前から老人性痴呆です。
 千恵子さんは美容師でした。今は、弟さんの小西倖之さん・文子さん夫妻が立派に美容室を引き継いで、お店は大盛況です。介護には、千恵子さんと文子さんが協力してあたっておられます。
 池田 ドクター部の方とも語りあいましたが、「痴呆の介護は、介護する人の境涯が、一つのポイント」と感じました。
 介護者は、境涯を高くもち、高齢者の揺れる心をさらに大きな心でつつんでいくしかないと思います。
 佐々木 その千恵子さんに、お母さんの痴呆の経過をお聞きしました。明らかな変化が起きたのは平成二年でした。
 「まだ、もろうてへん!」――空の財布を開いて、お母さんが小遣いを請求してくるというのです。きのう、渡したばかりなのにです。皆で、お母さんの部屋を探すと、タンスやマットレスの底から、一万円札が出てきました。以来、お金を自分で隠しては、しまった所がわからなくなる、の繰り返し。
 池田 記憶障害は、痴呆の特徴の一つで、周囲がびっくりするような物忘れも目立ってきます。信頼できる専門の医師や保健婦に相談することが必要です。
 松岡 娘さんたちも覚悟を決め、病院へ連れていきました。記憶を司る脳の海馬部の損傷による痴呆、とのことでした。
 佐々木 「これまで一生懸命、信心に頑張ってきはった母なのに、どうしてボケたりしたんやろう」――それが、ボケを目の当たりにした、娘の千恵子さんの正直な苦しみでした。
 お母さんは、一家の信心の一粒種で、毎日、学会活動に飛び回っていたわけですから。それだけに、「こんな人じゃなかったのに」と、ギャップは大きいのです。「病気だから、しかたない」と自分に言い聞かせる一方で、どうしても認められず、きつく責めたり、叱ったり。それでまた、自己嫌悪におちいってしまって……。
 池田 お気持ちは、よくわかります。
 しかし、お母さんは、八十歳を超えて生きてこられたのだから、どこかに欠陥が生じないほうが不思議なんです。どんな機械だって、使っていけば故障するでしょう。ましてや人間です。ロボットじゃないのです。
 松岡 信心していても、ボケもするし、アルツハイマーにもなる可能性はあります。八十五歳以上の五人に一人は痴呆になるともいわれるのですから。
 もちろん、ならないように努力することが大事なのですが、なったときにどうするか。これも大きな問題です。
 池田 家族や周囲の人々にとっても、試されるときです。本人の人間らしい「尊厳ある生活」を守り、支えていけるか。そこからが信心の勝負です。
 佐々木 千恵子さんは、お母さんの痴呆を理解し、受け入れるのに、五年かかったと言われました。
 池田 そうですか。それだけお母さんへの愛が深かったのでしょう。
 佐々木 今では、ユーモアもこめて、お金に関わるボケを、「母の″お金攻撃″」と言われます。(笑い)
 朝食をとってもすぐに忘れ、食べても食べても、「なんか食べさせて! おなかペコペコや」を繰り返す″食べてない攻撃″。夕方になると家中の鍵を締め、人を入れない″鍵攻撃″や、「実家に帰らせてもらいます」を連発する″帰る攻撃″もあるとか。(笑い)
 池田 たいへんな介護のなかでも、ユーモアをもって受け止める心のゆとりをもたれたことが偉大ですね。
 佐々木 千恵子さんは、「母の生きてきた証を残したい」との思いから、「母の自分史」を、お母さんに代わってまとめました。現在は、痴呆のことを文章にまとめ、地元紙などに投稿しています。「同じ悩みをもつ方の、参考になれば」という心からです。
 池田 世間の目も気になるものです。だから学会の組織では、温かくつつんでいくのです。肉親が痴呆であることは、決して恥じることではありません。むしろ、堂々と″宣言″され、家族で一丸となって取り組んでおられる。その姿が立派です。
 松岡 かつて、アメリカのレーガン元大統領も「アルツハイマーである」と公表しました。
 池田 そう。みずからを蝕む病魔を自覚されて、レーガンさんが″これから苦労することになる妻ナンシーを支えてやってほしい″と呼びかけられた。夫婦の強い絆に打たれました。また、指導者としての深い責任を感じましたし、多くの患者やその家族は、希望を抱いたことでしょう。大統領でもアルツハイマーになる、決して隠すことはないのだ、と。
 松岡 小西さんは、このてい談にも、いち早く、投稿してくださいました。
 池田 ありがたいね。ともあれ、視力の衰えに対してと同じように、痴呆にも″特別な祈り″はありません。高齢者と接して、老いの苦しみと同苦していくなかで、一ミリでも自分の人生が深くなったといえれば、それが勝利なのです。境涯が広がったということです。
 痴呆になって脳が病んでも、「心」の働きは生きている。「心」に向かって語りかけるのです。「心」は必ず伝わっていきます。それを確信して、介護する側が、優しい、尊敬の心で、接していくことです。
3  自分が変われば、相手も変わる
 佐々木 じつは、小西さんにお話をうかがった数日後、ファクスを送っていただきました。
 そこには、「あの後、母の姿を思い浮かべながら題目を唱えました」「(母は)すぐ感情的になって声をあらげる私に、いちばん欠けている本当の優しさを教え、身につけさせようとしているのでは、と思い当たりました」とありました。そう心から感じた翌朝、お母さんを見ると、とても、おだやかで、素直で、気分もよさそうで、イキイキとされていたそうです。
 こちらの心が変われば、相手の心も変わっていく――そういうことが、やっぱりあるんですね。
 池田 それを「一念三千」というのです。
 ともあれ「人生八十年」時代は、始まったばかりです。お手本のない時代といってもいい。ゆえに、勝っていただきたい。お母さんの痴呆とともに生きぬいた勝利の証を残していただきたい。運命を価値に転換していくのです。その人が人間としての勝利者です。王者です。
 介護は重労働です。くれぐれも体には気をつけてください。
 もちろん、介護は家族の手だけではまかなえないのですから、福祉や社会制度をしっかり確立していくことが必要です。

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