Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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山梨の長寿村をたずねて  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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2  野菜中心の食生活と労働の習慣
 池田 棡原ゆずりはらで長らく無料巡回検診を続けてこられた、古守豊甫先生の著作を拝見しました。
 それには「『身土不二』、つまり棡原の土からとれる自給自足の食生活であり、結局これが一村長寿の一大要因となっている」(『健康と長寿への道しるべ』風濤社)とありましたが、今も続いているのですか。
 佐々木 はい。また、村の巡回検診については、現在、古守先生の息子さんが後を継がれています。網野義徳さん(七十八歳)・かず子さん(七十九歳)夫妻のお宅には、三週間に一度、往診に来られるそうで、両親のお世話をする娘さんの千佳子さんも、たいへんに感謝していました。
 池田 すばらしいことですね。古守先生の「身土不二」の考察は、牧口先生と響きあうものがあります。
 牧口先生は、「地人相関」をテーマに、人間と自然の関係を主体とした地理学を提唱されました。
 御書にも「依正不二なり身土不二なり」とあります。(依報・土〈客体・環境〉と正報・身〈主体・人間〉が別々のものではなく、一体性をもっていること)
 仏法の「生命の法則」にも通じる長寿の知恵といえますね。
 松岡 石井正さん(七十八歳)・なお子さん(七十二歳)夫妻も、「自分の食べる分は自分でつくっています。野菜はお店で買ったことはありません」と言っていました。
 池田 古守先生は「人間の寿命は、その人が一生の間に食べた野菜の量に比例する」(前掲『健康と長寿への道しるべ』)と言われていますね。
 佐々木 食生活のほかに、長寿の要因になっているのは″仕事″です。山の斜面に開いた畑で、夏は朝四時に起床し、朝づくりといって、まず二、三時間働き、夜は、手元が見えなくなるまで働いたそうです。
 今も皆さん、畑仕事は欠かしません。
 松岡 昔は養蚕を年に四回やって、農閑期になると炭焼きもやりました。
 池田 美しい自然の中で、太陽をいっぱい浴びて、働きに働き、ストレスを吹き飛ばして、いい食生活を送ることが、長寿の秘訣ともいえるでしょうね。
 松岡 大久保昇さん(七十一最)・訓子さん(六十六歳)夫妻は、戦後すぐに村を出て神奈川に住み、平成元年(一九八九年)にふたたび村に戻ってきました。
 この地で実感するのは、「水がいい」「空気がいい」「太陽がいい」の三点だそうです。
 池田 山の上にあがると、星が近くにあり、お日さまに手が届くといった感じがあるのでしょうね。
 現在も、高齢の方々がお元気で活躍されているのは、なによりのことですが、統計的には、高度経済成長の波が押し寄せ、インスタントものや加工食品がたくさん入ってくるようになって、自給自足だつた村の食生活が急変し、中年層の成人病が多くなったそうですね。
 飽食日本への警鐘です。食生活が欧米化して、十代、二十代の若者は寿命が短くなっていくと指摘する専門家もいます。
 健康は勝ちとっていくものです。何を食べ、どんな生活を送るのか。決めるのは自分自身です。病気を治すことより、病気を防ぐことが第一の健康法なのです。
 松岡 池田先生は、山梨の友に、長編詩「世界に輝け 人材の要塞」を贈られました。
 地元のメンバーがその詩を古守先生にお届けしたところ、たいへんに喜ばれて「県民必読の名作と心から敬意を表します」と、すぐに手紙をくださったそうです。
 池田 過分な評価をいただいて恐縮です。
3  日が見えなかった「草創の勇者」
 佐々木 丸山地区の草創の信心の勇者が、梅屋武親さん(七十二歳)です。奥さんのれい子さん(七十歳)に支えられ、妙法の種を一つ一つ植えていった方です。武親さんの入会の動機は、目が見えなかったことでした。二十代の半ばから、結核性の病気で目がだんだんと悪くなり、二十七歳で完全に失明しました。
 松岡 入会は昭和三十四年(一九五九年)、三十四歳の時でした。勇んで折伏に出た武親さんでしたが、待っていたのは、「お前の目を開けてからこい!」という罵声でした。
 佐々木 目の見えない武親さんの手を引いて折伏に歩いたのは、娘さんのます美さんでした。当時、小学校一年生です。
 村中どとへ行っても、すごい形相で睨まれる。そんなとき、ます美さんは、武親さんの後ろに顔を隠して、「お父さん、もう帰ろうよ」と泣いた。その娘さんも、村で女子部の部長を務め、今では婦人部のブロック担当員として活躍されています。
 松岡 武親さんとともに本格的に折伏の戦いを始めたのが、二十歳以上も年上だった故・遠藤金吾さんでした。金吾さんとの共戦の日々を、武親さんは懐かしそうに語っていました。
 「雨の日も、風の日も、雪の日も、きょうは行こうぞと決めたら、二人で飛び出したぞ。近い遠いは言っちゃいられない。はじ(端)から(折伏を)やったんだ。お題目をあげて、目が開こうと開くまいと、信心のうえにおいちゃ本物になろうと決めてな」
 池田 いい言葉ですね。戦いきった人だから生まれる言葉です。信心のうえで本物であればいいのです。信心が本物であれば、生命は輝いています。
 松岡 金吾さんは、折伏となると腰に弁当を結び、高齢で足が悪かったので、杖をつきながら、武親さんの手を引いてくれたそうです。
 「たまには、げんこつ玉や張りまんじゅう(張り手)が飛んできたが、折伏は楽しかったな」と武親さんは笑っていました。
 池田 頭が下がります。武親さんや金吾さんのような草創の方々の血を吐くような戦いにつぐ戦いによって、学会が築かれたことを忘れてはいけません。
 佐々木 金吾さんの奥さんは遠藤数子さん(八十三歳)で、今も元気満々です。また、息子さんは、地元の本部長です。
4  「宝の友情」は世代を超えて
 池田 頼もしいね。後継者が陸続と育っていることはなによりだね。
 松岡 草創期から長く地区婦人部長をした須森トミヱさん(八十三歳)は、武親さんの折伏で入会。ともに活動に励んできて、「武親さんの手を取り、一列になって丸太の一本橋を川に落ちないようにおそるおそる渡ってね。ぴゅーと風が吹いてきて、怖かったよ」と思い出がいっぱいです。
 ご自宅は、もうずっと地区拠点として提供されています。
 佐々木 須森さんの隣に住むのは、長田ユリ子さん(七十三歳)です。ともに、ご主人が学会活動をやりきって亡くなりました。お二人とも、学会の庭で仲良く立派な最終章を飾られています。
 池田 励まし、守りあう友がいることほど、ありがたいことはないのです。友情こそ宝です。年をとればとるほど、ありがたさは増してくるものです。
 学会は、この「宝の友情」を、世代を超えて、あの村でも、あの町でも、地域に社会にさっそうと広げているのです。
 松岡 須森さんとバトンタッチして地区婦人部長をしたのが梅屋みよじさん(七十七歳)でした。「昔は″手引き信心だ″ってバカにされましたよ。でもそれだけ、いつも武親さんの手を引いて戦っていたということです」と誇らしげでした。
 ご主人の梅屋権一さん(七十六歳)も、武親さんの折伏で入会しました。
 「武親さんも頑固だけど、ワシの方がもっと頑固だ」という権一さんは、「聖教新聞」啓蒙の達人です。
 佐々木 まだバスも多くないころは、朝の十時に村を出発して、山道を歩いて下って、やっと、夕方の座談会に間にあったということも、しょっちゅうだったそうです。
 こうした草創期の労苦を知る方々が、本当に晴ればれと「今は、村の雰囲気はすごくいいね。村のどこに行っても創価学会の話をよく聞いてくれます」と話してくれました。
5  池田 学会正義の″勝利の凱歌″を聞く思いですね。
 松岡 このほど、武親さんは「アルゼンチンSGI賞」を受賞しました。笑顔で受賞した武親さんでしたが、夜、ふとんに入ると、声をつまらせ、男泣きに泣いてしまった。「あれは感謝だわな。幹部の方、同志の方々に、手足となって引っ張ってもらったからとそだから。その人たちが一人一人、はじから頭の中に浮かんでき、たんだわ」と。
 池田 信心は心眼を開くのです。困難が大きければ、それだけ、乗り越えた歓喜も大きい。
 日蓮大聖人は、「大難来りなば強盛の信心弥弥いよいよ悦びをなすべし」と仰せです。悩みがあるほど、いよいよ喜び勇んで進んでいく。それが、学会精神です。
 「一心の妙用」とあるように、一念の力は不思議です。一念の力は無限です。信心の強き一念は、世界のいかなるものよりも優れた最高の力です。周りの人にも歓喜を分け与えていける。一念の力は、全世界、全宇宙よりも大きい。それがわが生命に厳然とそなわっているのです。
 佐々木 婦人部副本部長の佐々木岬さんは、この地域を長く担当してきて、多宝会の方からの信頼は抜群です。家庭訪問で使う愛車は、一台目も、二台目もともに十万キロメートルを走って、すでに三台目。「聖教新聞」の配達も十三年間続けています。十部配るのに、一時間以上かかる所です。
 池田 尊いですね。人材を育てる人も、また人材です。
 水滸会の野外研修で戸田先生と最後の思い出を刻んだのが、山梨でした。天下の要衝たる山梨を、戸田先生は、こよなく愛されていました。
 「この山紫水明の天地に、広宣流布の人材の城を築きたいな」――遥かな山々を見渡しながら、遺言のように言われた先生の言葉が忘れられない。
6  厳しき冬ありて、最終章は輝く
 松岡 山の雪が消えれば、やがて春、そして初夏の若葉の季節になります。そのころもすばらしいのですが、やはり、秋の燃えあがるような紅葉が圧巻なのだそうです。
 「人生の最後もこうでなくてはいけないなというのを、大自然が教えてくれているような紅葉です」と、皆さん口をそろえていました。
 池田 冬の寒さと、夏の暑さを越えるからこそ、紅葉は美しい。人生も同じだね。戦いきった悔いない人生は荘厳です。
 めざすは、五年の五月三日です。ともどもに、自身も同志も地域の方々も、黄金に染めながら、「第三の人生」を総仕上げしていきたいものです。
 地道に学会のために戦ってきた人を、私は最大にたたえ、ねぎらつて差し上げたい。会員の方々こそ私の生命です。

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