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日蓮大聖人・池田大作

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子どもの眼  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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2  立派な祖父母は子どもの一番の宝
 松岡 話は変わりますが、「小学生文化新聞」(聖教新聞社発行)では毎年、「作文コンクール」を行っています。
 一九九七年で二十八回を数えますが、今回の特徴を、審査委員長をされた伊藤譲さんが、「応募総数約二万八千点のなか、今までになかった特徴として、おじいちゃんに関するいい作品が多かった。従来は、おばあちゃんが出てくるのは多かったが、今年は初めておじいちゃんが出てきました」と、言っておられました。
 伊藤さんは、東京創価小学校の校長を務められ、現在、創価学園の創価教育研究所長、また教育センター長をされていますね。教育に変わらぬ情熱を燃やし続けてきた、かつての青年教師も、たしか還暦を迎えたのではないかな。しかし、人生、六十歳からです! 頑張っておられるでしょう。
 佐々木 高学年の部の最優秀賞「スイカのおじいちゃん」という作品をはじめ、優秀賞、優良賞の上位九作品のうち、四つが、おじいさんに感謝し、その思い出を書いたものです。
 「平和部門」の平和賞に輝いた作品も、「ぼくのおじいちゃん」でした。
 池田 うれしいね。婦人部にお世話になりっぱなしの壮年部だから、いい話もないとね。(笑い)
 子どもの純粋な眼で、祖父の生き方を、的確に見ているのでしょうね。
 松岡 福岡県大牟田市の米田智美さんは、「おじいちゃんとの思い出」という作品を、こんな書き出しで始めています。
 「十二月二十八日、朝五時三十五分、引き潮と共におじいちゃんは死んでいきました。一、二秒たたないうちに、私の目から大粒の一棋が、ぼろぼろとこぼれだしました。気が付くとおじいちゃんは背広姿になっていました。私はそれを見て、どうして背広など着せるのかと不思議でした。
 それは、いつも学会活動に出かけていた時の姿でおくりたいとの、おばあちゃんの願いだったのです。それを聞いて私は、おばあちゃんのおじいちゃんに対する愛情の深さにおどろき、なんとすばらしいことだろうと思いました」
 佐々木 米田さんは、おじいさんのしわだらけの大きな手が、大きな心となって自分をつつんでくれた思い出を、感謝と尊敬にあふれた文で綴っています。
 池田 少年少女のみずみずしい心、鋭敏な感性は、大人の振る舞いを、きちっと観察しています。白いカンバスの上に絵を描くように、ありのまま吸収し、純粋な命に刻み込んでいきます。善悪ともに、その受ける影響は大きい。立派なおじいさん、おばあさんをもった子どもは、なにものにも替えがたい宝物をもったことになりますね。
 佐々木 滋賀県草津市の高田正幸君は、「おじいちゃんありがとう」という作品で、野球のユニホームが破れたのを、洋服直しの名人のおじいさんが直してくれたことへの感謝を綴っています。
 松岡 小学四年の少年の眼から、仕事に打ち込むおじいさんの生き方と名人芸が、見事にとらえられている。「おじいちゃんの手はシワシワだらけだけど、はりと糸を持つと信じられないぐらいの速さでさっさと動いていく」
 佐々木 そのあと、続けますと、
 「おじいちゃんのミシンは、まるでおじいちゃんの弟子のように、おじいちゃんの思うように動かされていく。おじいちゃんが足をおいてガタガタ動かす。『かしこまりました』。そんな声がミシンから聞こえてくるようだ。
 ミシンだけじゃない。おじいちゃんのまわりにある道具、他では見たこともない古そうな物ばかりだけど、どれも全部おじいちゃんにしっかり仕えている。やっぱりおじいちゃんはすごい」
 松岡 なんでも引き受けてくれるおじいちゃんの姿勢が「『おやすいごよう』。これはおじいちゃんのやさしい口ぐせなのだ」と、感謝をこめて描かれています。
 池田 すばらしいおじいさんの生き方を学んだ子どもたちが、すくすくと未来に育ってくれることでしよう。楽しみですね。
 純粋な子どもの心には、仕事に、そして人生に、ひたむきに生きぬいてきた、おじいさん、おばあさんの姿がしっかりと焼き付いていくものです。
3  「ガンジーの心を青年に伝えたい」
 松岡 思いは受け継がれる――それに関連して、思い出したことがあります。インドの人権の闘士で、ガンジーの直弟子であったパンディ博士の話です。
 池田 十代でガンジーの非暴力運動に身を投じ、以後八回、延べ十年にわたる投獄などの苦難にも動じることなく、師の思想を伝えるため、不屈の行動を重ねられた方です。
 松岡 はい。以前、SGIの青年文化訪問団としてインドを訪れた青年部のメンバーに聞いたのですが、ガンジー記念館で行われたパンディ博士の講演の内容とともに、終了後の博士の振る舞いにたいへん感動した、と。
 「池田SGI会長こそ、ガンジーの精神を真に理解し、混迷する現代のなかで非暴力の思想を実践されている方です。そして、その後継者である若き皆さま方は、私にとってまさに希望の存在です」
 「夢を実現しましょう。ともにガンジーの夢を!」と、講演を結んだ後、博士は、九十歳にならんとする高齢、また独立闘争の時に受けた迫害で、足が不自由であるにもかかわらず、毅然と立ち上がり、五十五人の全団員一人一人と固い固い握手をされた……。
 その時の燃え上がるような老闘士の眼光に、団員一向、胸を熱くし、決意を深くしたといいます。
 佐々木 自身が引き継いできたガンジーの心を、後継の青年に託したい――その気迫が青年たちの心に響いたのでしょうね。
 池田 パンディ博士とは、一九九二年、インドで初めてお会いしました。
 そして、三カ月後、はるばる日本までお越しになられた博士は、私にこう言われた。
 「私の今の願いは、あと二十歳、私が若ければということです。六十五歳でしたら、池田先生の、世界不戦への戦い、非暴力の使命のお手伝いを、もっとできたのですが」と。本当に胸にしみいる言葉でした。
 また博士は私の目を見つめながら、「私はガンジーの弟子です。師の教えを叫び続けます。走り続けます。私の両目が閉じる最期のその日まで」とも述べられました。
 本物の″獅子″を見る思いがしました。博士は、インドでの私の講演(一九九七年十月、ラジプ・ガンジー現代問題研究所での講演「『ニュー・ヒューマニズム』の世紀へ」)に駆けつけてくださったこともありました。
4  「使命の人生」に″退する心″は禁物
 松岡 学会創立記念日がお誕生日で、九十九歳になる納富常一さんという佐賀県の方がおられます。聖教新聞佐賀支局の記者から、取材リポートが寄せられています。早朝五時に起床。一時間の唱題を終えたあと、自転車などに乗って五百メートルほど離れた畑で、仕事をするのが日課です。
 佐々木 老人会の友人たちが、「あんた、どこさそうつきよると(歩き回っているの)。もっと楽にしんしゃい」と言うほど高齢者教室に通ったり、活動したりと大忙しです。
 松岡 納富さんの写真撮影に行った別の記者も、明治生まれの、とても明るく気骨ある快男児に感激をしていました。百歳になろうというのに耳は達者で、語り口もハキハキし、学ぶ意欲に満ちあふれでおられる。スケジュールもいっぱいなんです。
 大学で開催されるセミナーに勉強に行ったり、老人会に行ったり、旅行にも元気に行ったりして、文字どおり飛び回っておられる。もちろん、学会活動にも喜々として取り組まれているそうです。
 池田 日蓮大聖人は、高齢であった千日尼に対し、「なはて堅固なれども蟻の穴あれば必ず終に湛へたる水のたまらざるが如し」と仰せになっている。
 これは、積み重ねてきた修行や功徳も、油断や退する心が少しでもあれば崩れ去ってしまうことを、御教示されたものです。
 「使命の人生」でありながら、途中で″もう、このへんでいいだろう″とか″そろそろ引退だ″とか、勝手に決めて、一生成仏への勢いをゆるめてしまったのでは、本当の意味での総仕上げはできません。
 命のあるかぎり、広布のために進むことが、大満足の自分自身をつくりあげる道なのです。
 佐々木 納富さんは、「老人が、若者に、前はこうだった、ああだったとかいって、訓戒を垂れてはいけない。その時代、その時代に皆生きているんだから、私は若い人の意見をいつも、うんと聞くように心がけているんです」と、言われています。納富さんの目標は、いつまでも健康でいることです。
 「健康といっても、体が丈夫で強いことだけを言っているのではありません。それもありますが、心の健康のことです。世の中のことを考え、人のためになるようなことを、やりたいと思っています。これからが、勉強ですよ」
 松岡 また、「今の時代は、指導者をもたない。また、もとうとしない。そういうなかで、池田先生が、世界から賞や学位をいただいておられることは、うれしくでしょうがない。私は、こういう偉い人の後に続いているのだと思うと、誇りでいっぱいだ」と、言っておられます。
 池田 私のほうこそ、このような方が学会を支えてくださっていることを、最大の誇りにしています。世界からの賞は、皆さま方の代表としてお受けしたものです。
 全国の多宝会、宝寿会、錦宝会の方々が、健康第一で長寿を勝ち取り、今世だけでなく来世に向かって、いや永遠の生死をふまえて、前に前に進もうと生きぬかれることを心から祈っています。
 いずれにしても、永遠に闘争です。人生も、仏法も……。闘争をやめた瞬間、人間は生きながらの″死″を迎えてしまう。そうした人生は、あまりにもむなしい。
 あの南アフリカのマンデラ大統領も、二十七年間の獄中闘争を勝ち取った。忍耐強い人が、闘争心を失わない人が、勝つのです。
 たとえ途中で敗れても、忍耐強く、闘争心を失わなければ、むしろ負けたことによって、最後は勝っていけるのです。戦いに、年齢はありません。

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