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日蓮大聖人・池田大作

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総仕上げの醍醐味  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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2  老いは人生の総仕上げの時
 松岡 そこで、読者の方からの質問があります。
 「日々の時間の過ごし方がむずかしい。そうすればよいか」という質問と、「年をとるにしたがって、人生の目標を見いだしにくくなるのはなぜか」という質問です。
 池田 多くの方がぶつかる問題でしょうね。現代人の悩みが凝縮されている。
 『ガリバー旅行記』で有名な作家のスウィフトが、こんな言葉を残しています。
 「誰でも長生きしたいと思う。が、年をとりたいと思う人はいないだろう」(「雑観集」、外山滋比古編集代表『英語名句事典』所収、大修館書店)と。
 この言葉にはさまざまな意味がこめられていると思うが、私は、そこに彼一流の警句を読みとりたい。
 つまり″人間は長生きすることを望むが、果たして長生きをすることによって得ようとするものは何か、それを見失ってはならない″ということです。
 松岡 私たちは、命の長い社会、すなわち「長命社会」を手にしました。
 そこで、命の長さをどう使えばよいのか、向きあう時間が増えた「老い」にどう臨んでいけばよいのか――。その解決への道を探り、長い命を寿ぐことのできる社会、すなわち「長寿社会」を築いていきたいものです。
 佐々木 一般に、なにか「老い」というと、マイナス・イメージがつきまとうことが少なくありませんね。
 仏教でも生老病死を「四苦」といって、「老い」を生命の根源的な苦しみの一つに挙げていますが。
 松岡 そうですね。仏教の原点は、生老病死の克服にあった。そのことは、釈尊が出家する理由となったと伝えられている。「四門遊観」のエピソードにも、象徴されているとおりです。
 池田 二人が言うように、仏教は生老病死の解決を眼目としている。しかし、日蓮大聖人の仏法の真髄は、その「四苦」を乗り越えることだけにあるのではない。
 御書に「四面とは生老病死なり四相を以て我等が一身の塔を荘厳するなり」とあるように、仏法ではさらに一重深く、四苦そのものが「一身の塔」、すなわち「生命の宝塔」を荘厳する宝に変わる、と説いているのです。
 松岡 つまり、「マイナスをゼロにする」だけではなく、「マイナスをプラスへと変えていく」妙なる力が、人間の生命には内在しているというのですね。
 池田 「愚者にとって、老年は冬である。賢者にとって、老年は黄金期となる」という言葉もある。
 いっさいは、自分の心をどの方向へ向けていくかに、かかっているのです。
 老いを、たんに死にいたるまでの衰えの時期とみるのか、それとも、人生の完成へ向けての総仕上げの時ととらえるのか。老いを人生の下り坂とみるのか、上り坂とみるのか、上り坂とみるのか――同じ時間を過ごしても、人生の豊かさは天と地の違いがあるのです。
 佐々木 寄せられた、お便りの中にも、こんな提案がありました。
 「私は、日常使う言葉の中から『もう』という言葉をなくしていこうと、皆さんに呼びかけています」
 「『もうええ』『もういや』『もうでけへん』『もう年や』『もうあかん』、これらは″あきらめ″の言葉です」
 「これを『まだ』に変えれば、『まだ負けへん』『まだ若い』『まだできる』『まだ大丈夫』と、なります。そう言い換えていくと言葉だけでなく、行動も積極的なものに変わるのです」
 松岡 なにか聞いているだけでも、元気が出てきますね。(笑い)
3  「自分には余生はいらない」
 池田 奥底の一念の違いがもたらす歴然たる差を、御書では「秘とはきびしきなり三千羅列なり」と説いている。同じ人生の延長線のようでも、「余生」と「第三の人生」では決定的な方向性の違いがある。
 「生の歓びは大きいけれども、自覚ある生の歓びはさらに大きい」(「西東詩集」、梶山健編『世界名言事典』所収、明治書院)と謳ったのは文豪ゲーテだが、その″自覚ある生″は目標を定めることから始まるのです。
 かつて、南米ペルーのベラウンデ大統領と、お会いした時の言葉で、忘れられない一言がある。
 佐々木 一九八四年三月に、先生が「ペルー太陽大十字勲章」を受章された時ですね。
 池田 大統領は、当時七十一歳。ペルーが軍政から民政に復帰した後、初の大統領に選出されるなど、民衆からたいへんに慕われていることでも有名な方だった。
 「私は今期で大統領をやめます。その後は、今まで研究してきた建築学に対して、一生涯、勉強し、国家と人類に貢献したいと念願しております」と淡々と語られた後、大統領はきっぱりと言われた。
 「自分には余生はいらない。大切な一生をさらに生きぬくために、余生は考えない」と。
 大統領は、今もお元気で活躍されていると聞いています。
 松岡 ぺルーの理事長が言っていましたが、大統領は、つい最近も池田先生の写真集を見ながら、「私も先生と一緒に世界各地を旅しているような感じがします。先生と、お会いしたことは、いつまでも忘れません」と語っておられたそうです。
 佐々木 そういえば、先生が、一九七四年三月にペルーを訪問された時は、南米最古のサンマルコス大学と教育交流を推進されました。
 また、炎天下で、ぺルー社会の発展に貢献するメンバーを励まされ、激務が続き、体調を崩されたことがありました。同大学のゲパラ総長が心配され、宿舎までお見舞いに来られたことも覚えております。先生がどれほどぺルーと日本の友好交流のために辛労を尽くされたか計りしれません。
 松岡 ″自分のための余生はいらない。生涯、人類のために尽くす″との言葉のように、明確な目標を定め、その実現をめざし生きぬくなかにこそ、自他ともに輝く「長寿社会」を築くための道があるような気がします。
 池田 牧口先生は、人生の目的を立てる意義についてこう言われている。
 「いかに迂遠に見えても、最も遠大なる究竟の目的から先ず以って最初に確立しなければ一切の生活はすべて暗中模索の不安に陥り、思い思いの勝手の方向に向かうことになる……」と。
 また法華経には「我未来に於いて長寿にして衆生を度せん」(『妙法蓮華経並開結』五二一ページ。以下、開結と略記)との言葉がある。これは、″長生きして、より長く人々のために働いていこう″という誓願の文です。
 大目的に生きるなかでしか、本当の人生の醍醐味は味わえない。他人と比べる必要は、まったくないのです。みずから決めた目的に向かって、自分らしく歩みを進めることが大切なのです。

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