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生涯学習の喜び  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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1  いくつになっても学ぶ姿勢は尊い
 佐々木 創価大学で通信教育部の「夏期スクーリング」が盛大に開かれました。今回(一九九七年)で通算二十二回を数え、これまで六万五千人が参加しています。北海道から沖縄まで、海外からも十三カ国の方が来られていました。
 池田 働きながら学ぶ。いくつになっても学ぶ。この姿は尊いね。
 私はメッセージで「世代を超えた、皆さま方のこの連帯こそ、『第三の人生』を限りなく輝かせゆく、二十一世紀の最先端である」とたたえました。
 私も、いつだったか、通信教育に入学し、皆さんと一緒に勉強したいと申し出たのだけれど、学長に拒否されてしまった。(笑い)
 松岡 今回は、約四千人の受講生のうち、約一割の四百人が、五十歳以上の方でした。
 池田 すばらしいことです。
 佐々木 通信教育課程をもつ四年制大学は、放送大学を除いて、まだ十四校のみです(一九九六年調査)。また、創大の通信教育は、卒業率がひじように高いのが特徴です。
 その理由について、創大をつぶさに取材したある気鋭のジャーナリストは、「学生の目的意識の高さ」と「大学側の行き届いた配慮」の二点を挙げていました。(悠木夏文『シリーズ「大学は挑戦する」創価大学』栄光教育文化研究所)
 池田 うれしいですね。良き伝統が生まれ、根づいたのでしょう。前にスクーリングを訪れたことがあります。教室に入ると迷惑になると思い、そっと外から見て回りました。
 お昼時分、文学の池のほとりで、一人の中年の方がじっと座って、なにかを思索されていた。本当に美しい姿だなと思いました。
 また、池の橋のところでは、三人の方が横になっていた。
 それも私は、美しい姿だな、尊いなと思いました。
 佐々木 今も、そんな光景は続いています。
2  学は光、無学は闇
 池田 かつて私は、牧口先生が愛された「学は光なり、無学は闇なり」との言葉から、通信教育部に「学光」の二文字を贈りました。
 学ぶ権利は、だれびとにもある。学ぶことじたいが美しいし、光です。一人一人の胸中に、輝く青春、輝く勉学、輝く努力の歴史が刻まれる。
 佐々木 今回の最高齢の受講生は、群馬の北爪正則さんで七十八歳です。
 通信教育を始めた動機について、北爪さんは、「私には明日はない。だから、今やるんだよ。池田先生ご自身が『明日はない』と進んでいらっしゃるのだから」と、間髪をいれずにおっしゃったそうです。
 池田 ぜひ、頑張っていただきたい。
 ところで、スクーリング中は、大学の学生寮に宿泊されている方もいますね。
 松岡 はい。神戸で大震災にあわれた七十七歳の高橋武さんも、スクーリング中、大学の寮に宿泊されました。その寮の廊下に、寮生たちが「通信教育生の皆さん、頑張ってください」と張り紙をしていました。
 高橋さんは、いたく感激し、寮を去る日、お借りした部屋の枕元にそっとメモを置いていかれた。「生涯、ご恩は忘れません。私は特修生ですけれど勉学に精進して、頑張ってまいります……メモ書きでごめんね」と。スクーリング中は、元看護婦長の七十六歳のあさえ夫人も付き添いでいらしていました。
 ご自身は、二年以上も仮設住宅にお住まいなのですが、震災の経験から、「法律の勉強をして、将来は地域に無料の法律相談所をつくって、困っている人のために相談にのってあげたい」と勉強されています。
 佐々木 高橋さんは、NHKの″のど自慢″でチャンピオンになったこともあり、兵庫壮年部の「くすのき合唱団」では、結成時から二十一年間、歌っておられます。自宅を訪れた記者から聞きましたが、先生のスピーチ、御書の御文などを毎日のように書き写して、家の壁にびっしり張つであって、カレンダーを張るようなすき間もない(笑い)。地区の拠点になっていて、皆さん、いつもにぎやかで仲良しです。
 池田 本当によく頑張っておられるね。
 「生涯教育」は、牧口先生の信念でした。牧口先生ご自身も、五十歳を過ぎてなお英語の勉強を続けられ、六十代、七十代になっても、青年にもまさる息吹で進まれた。
 欧米などでは、すでに大学が中心となって生涯教育の取り組みをしている。
 また、フランスで始まった「第三の人生(サード・エイジ)大学」は、イギリスやアメリカをはじめ、ドイツやスペイン、カナダなど多くの国々に広がっているようです。
 佐々木 「生涯学習」の「学びの場」をつくってくださった創立者に感謝を伝えてくださいという声が、たくさん寄せられています。
 池田 喜んでいただいて、うれしいです。
 通信教育部を設けることは、創価大学設立の構想を練り始めた時からの、私の念顕でした。
 若い時代に、いろいろな事情で学問に打ち込めなかった方でも、挑戦の心をいだく人、学ぶ志を燃やす人には、いくつになっても創大の門は開かれています。
 松岡 先生が、「挑戦の心」を失わない人、なかんずくみずからの運命、それも、「逆境」と必死に戦う人に寄せられる励ましと配慮には、心打たれます。
 今回のスクーリングの受講生の中には、耳の不自由な方がいらっしゃったのですが、ボランティアの創大生がピッタリとついて、その方に手話で講義内容を伝えていました。
 そのことで、かって、インドの盲学校を、先生が訪れた時(一九七九年)の光景が浮かび上がってきました。
 池田 インドの大統領に就任されたK・R・ナラヤナン大統領が、当時、ネルー大学の副総長をされていて、親しく語りあった時でしたね。盲学校は、インドのカルカッタ郊外のナレンドラブールにある、立派な総合学園の付属機関でした。
 緑の樹木、赤いボーゲンビレアの花、広大なグラウンド、各種農場、寄宿舎……。総合学園は、小学校から大学までの一貫教育で、すばらしい学生が集まっていた。
 付属の盲学校の校長先生自身も、目が不自由な方でした。
 目の見えない生徒たちがボルト、ナットの組み立て、ヤスリがけなどの作業訓練を受けている実技訓練所に案内してくださった。
 松岡 盲目の男子生徒が花を持って、先生の所へ歩み寄って来ました。先生はその生徒たちを抱きしめ、ポンポーンと肩をたたいて励まされた。
 池田 よく、覚えています。生徒は、四人でしたね。
 松岡 大きな稟とした声で、先生は言われました。
 「どうか、目は不自由であっても、さらにさらに、偉大な人生を生きることを忘れないでほしい!」
 限りない愛情にあふれた声で、叫ばれた。
 「人間は、だれびとも平等です! あとは自分自身で、どう希望をつくり、どう自分で雄々しく生きぬいていくかです! とれをやりぬいた人が真実の人生の勝利者です!」
 ジッーと耳を澄まして、というより、五体全身で聞いていたような生徒たちの、見えない両眼から、喜びの涙が次から次へとあふれ出てきました。
 顔もパーッと明るく輝き始めました。
3  「死の宣告」にも負けない
 佐々木 創大の通信教育が日本の生涯教育をリードする大発展をとげたのも、こうした創立者の心に支えられているのですね。
 先生が、ベートーヴェンの家を訪問され、思索の一時を過ごされたことがありました。(一九八一年)
 その時に、先生にお聞きしたのですが――運命は無残にも、世界最高の音楽家の聴力を奪った。音楽家にとって、耳が聴こえないのは、「死の宣告」に等しい。しかし、ベートーヴェンは負けなかった、と。
 池田 ベートーヴェンは、叫んでいます。
  僕は運命の喉元を締めつけてやりたい。
  どんなことがあっても
  運命に打ち負かされきりになってはやらない。
  ――おお、生命を千倍生きることは
  まったくすばらしい!(ロマン・ロラン『ベートーヴェンの生涯』片山敏彦訳、岩波文庫。参照)
 運命に打ち勝っていく人は、人生を十倍にも百倍にも、千倍にも充実したものにしていける。年とともに若返っていくのです。
 佐々木 「心こそ大切」なのですね。
 ところで、読者の方から「信心してきたのに、最近、ボケ気味で困っています。どう考えたらいいのでしょう」という質問が寄せられていますが……。
 池田 そう言える間は、ボケてはいない人です。安心していい。
 私の考え方の基本は、本人も周囲も、信仰者として「何があっても驚いてはいけない」ということです。
 ともすれば人は、暗いほうへ、暗いほうへと考えがちになるが、ホッと明るくなるほうへ、希望の方向へ考えていくことが大事です。
 この問題は、おいおい論じていきたいが、解決できるのは信心です。
 佐々木 わかりました。

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