Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

関西創価小学校第7回児童ドリーム・フェ… 世界の「運命」の転換を!

1991.3.6 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

前後
1  昨日、ユネスコのリーダーであるマヨール事務局長とお会いしました。ユネスコは、世界の教育や科学や文化のために力を合わせていこうとする国連の組織です。マヨールさんは、あるスピーチの中で、次のように宣言しています。
 「平和は人間の心が創りだす姿勢であり、行動である。したがって男性と女性、大人と子どもの区別なく、全員が(平和への行動に)参加できる」と。
 平和への行動には、大人と子どもの差別はないというのです。こういう考えをもった人は非常に少ない。たいへんに大切な考え方であると思います。
 また、さきほど皆さんのすばらしい平和アピールが発表されましたが、マヨールさんが聞いたら大拍手で喜ばれることでしょう。
 今回の湾岸戦争にさいして、関西創価小学校の皆さんは、約一カ月間にわたり、平和のために真剣に学び、考え、行動しました。
 皆さんは、未来の平和の大指導者として偉大なる「第一歩」を踏みだした、と私は大きくたたえたい。小学校で、これだけの研究、そして文化の薫り高い「児童平和集会」――たいへんに意義ある、すばらしい努力と信じます。(拍手)
2  ”戦争がなければ友だちに”
 私の少年時代は戦争でした。わが家も空襲で焼けだされた。ここ大阪も八回の大空襲をはじめ、約五十回の爆撃を受け、約一万三千人もの人が亡くなったといわれています。
 こんな思い出があります(東京・馬込の疎開先で)。その夜も空襲警報が鳴り響き、防空壕で不安な一夜をすごした。防空壕には戦争中、約七十回か八十回も入ったでしょうか。中はとても寒くて食べるものもありません。
 当時、私は十七歳。四人の兄が皆、戦地へ行っていたので、残った家族を守ろうと、一生懸命でした。
 夜明けに外に出て様子を見守っていると、敵の飛行機が飛びさっていきました。
 その時です。空からぐんぐんと近づいてくる物体があります。パラシュートをつけたアメリカ兵が、私のほうをめがけて降りてくるのです。
 ”ピストルで撃たれるかもしれない”
 緊張が走り、息をのんでじっと見つめました。
 彼は、かなりのスピードで私の頭上を通りすぎていきました。そして、百五十メートルほど先の畑に降りたのです。兵士は若かった。二十歳を越えたばかりでしょうか。まだ少年のようなあどけなさを残していました。
 当時は「鬼畜米英」といって、アメリカ人やイギリス人は敵であり、鬼か、獣のように憎めといわれていた時代です。ところが、生まれてはじめて目のあたりにするアメリカの兵士は、鬼でも、獣でもなかった。まぎれもない人間でした。しかも戦争がなければ、友だちになれそうな若者でした。故郷では、やさしいお母さんがきっと心配していたにちがいありません。
 その後、私は家族を連れていったん家へもどりました。あとから、地上に降りたそのアメリカ兵が、憲兵によって目隠しをされ、連れさられたことを聞きました。また駆けつけた人々によって、棒でさんざん打たれたことも――。
 私は心から、かわいそうに思いました。その時の気持ちは、今でも胸に焼きついて離れません。
 また、何もしてあげられなかったもどかしさも忘れられません。そうした少年時代の戦争体験を胸に、私はこれまで、友情の道、平和の道を歩んできました。世界中にすばらしい友情の絆、人間の絆を結び、広げてきました。そしてこの道を皆さんが、かならずや続いてくれることを思うと、私の心は希望でふくらんできます。
 昨年九月の中国からのお友だち(北京第一実験小学校の代表)に続いて、四月には、モスクワのお友だちも関西小を訪れることになっています。ゴルバチョフ大統領の訪日に先駆けての来訪です。どうか日本の小学生の代表として胸をはって、世界のお友だちと、たしかな友情を結んでいただきたい。
 きょうは本当に立派な演奏と合唱でした。感動の集いでした。お父さん、お母さんに、くれぐれもよろしく伝えてください。かぜをひかないように気をつけて!

1
1