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関西創価小学校第6回児童ドリーム・フェ… 人々を「幸福」へ運ぶ名パイロットに

1990.6.3 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

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2  少年時代の嵐の一夜
 さて、私が小学校五年生くらいの秋でした。当時は、よく台風がやってきました。その九月の夜も風速三十メートルほどの嵐でした。屋根のカワラや、トタン板など、いろんなものが飛んできます。今のようにビルや大きな建物がないので、外のものが、そのまま、どんどん吹き飛ばされてくるのです。兄たちは兵隊にとられて家にいません。幼い子どもたちはだんだん不安になってきました。
 わが家は、わりと大きな家で、ガラス窓もありました。とうとう夜中に、「バーン!」という、すごい音がして窓ガラスが割れてしまいました。風が一気に、家のなかに吹きこんできました。
 昔のことで、家には蚊を避けるための蚊帳がつってありました。それも吹き飛ばされて、家の中はたいへんなことになってしまいました。もちろん、まっ暗です。いったい、これから、どうなってしまうのか――。
 その時、母が毅然とした声で言ったのです。
 「お父さんがいるから、絶対に心配ないよ」
 その一言を聞いたとたん、皆は急にほっとしました。勇気がわいてきました。
 ”お母さんが、こう言うのだから、きっとだいじょうぶなんだ”
 この夜の情景は今なお鮮やかに覚えています。忘れられません。このように、いざという時に、厳然としている人がえらいのです。あわてたり、弱気になって、ぐちを言ったり、泣きだしたり、そうした人であってはいけません。
 そういう人は、知性がない人です。確信と勇気がない人です。自分ばかりでなく、周囲の人まで不安にしてしまいます。皆さんは”勇気ある一言”を言える人になってください。
 私はこの六月一日まで中国に行ってきました。二十世紀の最高の政治家といわれる周恩来総理の奥さま(鄧穎超女史)にも、お会いしました。私たち一家とは家族のようなおつきあいです。
 北京には中国国際航空(元中国民航)の飛行機、ボーイング767でむかいました。中国の飛行機に乗っていったので、中国の人に喜んでもらえました。四時間ほどの空の旅です。その機中で読んだ雑誌(『エア・チャイナ』3月号)に、次のような歴史が書いてありました。
 それによると三十年ほどまえ、中国の指導者たちは、外国へ行く時に、わざわざ外国の飛行機に乗らなければなりませんでした。当時、中国では外国の航空路、すなわち飛行機が飛ぶコースや、空港のこと、気象条件などが、あまりよく研究されていなかったからです。
 中国のパイロットたちは、それをたいへんくやしく思いました。「尊敬する周総理らを乗せて、何としても自分たちが操縦する中国の飛行機で、世界に行きたい」――。
3  中国の若きパイロットたちの挑戦
 こうして青年たちの挑戦がはじまりました。そして一生懸命、努力を積みかさねました。
 一九六五年のこと、今から二十五年前です。周総理がアジアとアフリカの十四カ国を訪間することになりました。その時、中国の若きパイロットたちは、国の責任者に、「ぜひ私たちの飛行機を使ってください」とお願いしました。けれども、皆、心配しました。もしものことがあったら、取り返しがつきません。慎重になるのも、無理はありませんでした。
 そうしたなか周総理は、この申し出を受けいれて、こう激励したのです。「私は、この長い旅を君たちと一緒に行こう。実際に飛んでこそ、(飛行技術も)新しい局面を開くことができるのだ」
 パイロットたちが大喜びしたのは、いうまでもありません。試験飛行もし、万全の準備をしました。こうして、はじめて中国の飛行機を使っての周総理の世界への旅がはじまったのです。
 しかし旅には、さまざまな思いがけないできごとが待ちうけていました。イラクのバクダッド空港に着陸しようという時です。着陸の寸前、突然、空港が停電になってしまいました。時刻はたそがれ、暗がりのなか、すべての明かりが消えてしまったのです。
 どうすればよいのか――。皆は手に汗を握りました。その時、周総理は少しもあわてず、落ち着いた声で、きっぱりと、こう言ったのです。
 「私たちのパイロットは十分な飛行経験をもっています。皆さん、どうぞ、ご安心ください」
 この一言が動揺する皆の心に勇気をあたえたのです。パイロットたちも、自信をもって、冷静に操縦し、無事、着陸。息をのんで見つめていた空港の人々は、思わず拍手を送り、中国のパイロットたちをたたえました。そのあとの旅でも、赤道上の嵐や、雨、雷など、何度も危険が続きました。しかしパイロットたちは、周総理の信頼と期待に応えて、そのたびに乗り越えました。
 長い旅を終えて、飛行機が北京に着いた時、総理はパイロットたちと握手をし、「私たちの初飛行は大成功だったね」と苦労をねぎらいました。彼らは、総理を囲んで、晴れがましく記念の写真におさまりました。こうして生涯の「黄金の歴史」をつくったのです。これ以後、総理は外国訪間のたびに中国の飛行機を使うようになりました。
 周総理のように、大事な時に、皆を安心させる人がえらいのです。たいへんであればあるほど、しっかりして、皆に希望を贈る人が本当のリーダーなのです。
 自分のことになりますが、十一年前、私は創価学会の会長を勇退しました。多くの人が心配しました。これから、どうなつてしまうのだろう、と。その時、私は言いました。
 「命あるかぎり、私は厳然と会員の皆さまを守ります。これまで以上に戦う決心です」。この一言を聞いて、だれもが安心したのです。たいへんな時ほど、力をだす。勇気をだす。責任感を発揮する。皆さんも、そういう人になってください。
4  世界の大空をかける勇者
 創価小の皆さんは、大勢の人々を乗せて、二十一世紀の世界の大空へ羽ばたいていくパイロットです。世界の人々を「幸福」へと運んでいく名パイロットとなっていく皆さんです。今は、そのための訓練の時です。
 皆さんの前途に、たとえ何があっても私は、創立者として「私たちのパイロットは、創価小学校の出身です。絶対に安心してください」と、確信をもって言いきっていきたい。また皆さんも、一人一人がそのように断言できる力ある指導者に育ってください。どうか、何があっても”負けない””絶対に勝ってみせる”という皆さんになってもらいたいのです。
 ところで、周総理を、はじめて中国の飛行機に乗せて、世界を旅したパイロットは、徐柏齢という人です。徐さんは十七歳で中国革命の戦いに身を投じました。小学生程度の教育しか受けていませんでしたが、パイロットとしての厳しい訓練を、強い意志で受け、力を磨いていきました。
 そして、中国の指導者、また外国からの大切なお客さまなどを乗せて、世界の空を飛びました。大小十七種類もの飛行機を操縦し、飛んだ国は、八十五カ国・地域におよんでいます。その安全飛行距離は、赤道を三百回もまわった長さになるといわれます。
 現在は、中国国際航空の総裁(最高責任者)をつとめられていますが、まさに、世界の空を駆ける、庶民の大英雄であると、私は、喝朱を贈りたいと思います。(拍手)
 本日は、皆さんが「平和への大航海」を歌ってくれましたので、私は大空の勇者パイロットのエピソードをとおして、 一人の人間としての生き方と、いざという時の「確信ある一言」の大切さについて、お話をさせていただきました。皆さんのこれからの人生の、何らかの参考になればと思います。
 最後に、お父さん、お母さんに、くれぐれもよろしくお伝えくださいと申し上げて、私のスピーチを終わります。

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