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東京創価小学校第9回卒業式、関西創価小… 人生の大航海の船長に

1990.3.20 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

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2  ”21世紀の青年”がんばれ!
 いよいよ、創価小卒業生の時代がきました。
 今年は皆さん方のお姉さんの中から、東大に合格する人もでました。いちばん上のお兄さんたちは、今年でもう大学三年生です。それぞれ創価大学、創価学園、また全国各地で伸び伸びと力を発揮し、一貫教育の見事な成果を示しはじめました。
 「小学校から大学まで創価教育の流れをつくりたい」――。これは、牧口常三郎先生の夢でありました。そして、戸田城聖先生の願望でありました。今ようやく夢が花開こうとしています。
 教育しかない、教育こそ未来を開く根本の仕事である――私も、この同じ信念で「人間教育」に全力をそそいでいます。
 どうか皆さんは、「創価小卒業生」であることを最高の誇りにしていってください。そして仲よく力を合わせて、あとに続く弟や妹たちの道を開いていってください。(拍手)
 先日も、ヨーロッパの教育関係の方が、東京校・関西校を見学にこられました。
 見学を終えて、「感動しました。創価小学校からは将来、偉大な人がたくさん出ますね」
 と明言されていたことを、紹介しておきます。
 五月に私は中国の北京を訪問する予定です。私の敬愛する中国の友人の一人に、鄧穎超女史という方がおります。周恩来総理の夫人で、中国の大勢の人から尊敬されている女性です。
 鄧女史は、創価小学校と姉妹交流を結んでいる北京の第一実験小学校で、かつて教えておられた、やさしい”お母さん先生”でもあります。
 その鄧先生は昨年、私たちに「人類の進歩のために、二十一世紀の青年は二十世紀の青年以上にがんばってほしい」というメッセージを送ってくださいました。
 皆さん方は、二十一世紀の最初の青年として躍りでる人です。新しい世紀をどのようなものにしていくか、地球と人類が、どんなところにたどり着くのか。その大航海は皆さん方に託されているのです。その意味から私は「君たちよ! 人生の大航海のキャプテン(船長)に育て」と申し上げておきたい。(拍手)
 若さは力です。若さは無限の輝きを秘めています。皆さんは努力しだいで、いくらでも、偉大な人生を歩んでいけるのです。
3  キャプテン・クックの大航海
 そこできょうは、「世界一の船乗り」と謳われたイギリスのキャプテン・クック(1728年―79年)のお話を、少しだけしたいと思います。(アリステア・マクリーン『キャプテン・クックの航海』越智道雄訳、早川書房を参照)
 彼はおよそ二百年前の人ですが、今もって「キャプテン(船長)」と、多くの人から尊敬をこめて呼ばれ続けている偉大な「冒険家」です。冒険の青春はすがすがしい。私も「生命の冒険家」の情熱で生きてきました。
 彼は三度にわたり太平洋を大航海し、ハワイ、オーストラリア、ニュージーランド、タヒチなど数えきれないほど探検しました。「世界一の発見者」という人もいます。
 私も七年前、アラスカを訪れたさい、ある入り江で、「ここに、キャプテン・クックが錨をおろしました」と紹介されました。その入り江を望みながら、私は彼の人生と航海に思いをめぐらしました。
 クックは少年時代から海が大好きでした。そのため、「これまでのだれよりもずっと遠くに行ってみたい」「人間の行けるぎりぎりのところまで到達してみたい」という大きい志を抱いていました。
 そして、その大いなる夢に生き、大いなるロマンの航路を残しました。
 何をするにも、大切なことはまず、「好きになる」ことです。「好きになる」ことから、「よし、自分もやってみよう」という志も生まれます。そして、それが成功へのバネとなるのです。だから何でもよい。本であれ、友人であれ、自分を伸ばすものを一つ、「大好き」になってください。
 ところで、キャプテン・クックが、世界の海を渡った船は、どんな船であったか。大きくて、立派な船だったか。そうではなかった。それは三本のマスト、三七〇トン、長さ三十二メートル、幅九メートルという小さな船でした。たとえていえば、小学校のプールぐらいの大きさでしょうか。
 その最初の探検船の名は、エンデバー(努力)号。「探検」といっても、地道な「努力」の繰り返しなのです。決して派手なことではありません。
 クックも若くして、いきなり冒険に飛びだしたわけではない。貧しい農家の九番目の子どもとして生まれた彼は、皆さんと同じ年代のころから、一生懸命に働きながら学ばねばなりませんでした。そうしたなかで、船乗りとなって世界の海へ出ていくことを夢みていました。そして、仕事の合間をみつけては、自分で測量や製図の勉強をして、一流の技術を身につけていきました。
 勉強は、自分にとって「権利」です。どんな環境でも、自分の努力しだいでいくらでも学ぶことができる。今、皆さんは、幸せにも、お父さん、お母さんに見守られながら、ゆうゆうと勉強できる。だからこそ、学びに学んでほしいと思うのです。
4  明るく、強い「楽観主義」で
 彼が、キャプテンとしてはじめて大航海に出たのは四十歳。”人生は四十代から”といいますが、彼もそれまでは、少年時代からじっくり、あせらずに努力を続けたのです。
 大きい仕事をした人には、かならずそうした土台づくりの時代があるものです。いつもテレビを見ていたい。遊んでいたいかもしれない。でも、そこに人生の、本当の幸せが築けるわけではない。たとえていうなら、その喜びは、ホタルの光のように、はかないものです。
 少年時代、青年時代に、がまん強く自分に挑戦し、自分に負けなかった人が、大きく自分を広げていける。また、最高の人生の思い出、財産をつくることができるのです。
 また、クックの二回日、三回目の大航海の船の名は「レゾリューション」号といいました。これは「決心」という意味です。
 彼は、”南方には謎の大陸がある”などの迷信を打ち破り、新しい海の道を開いていきました。なぜ、そうした大きな仕事ができたのか。それは、彼が”とてもできない””行くことは不可能だ”とされていたことに進んで挑戦したからです。だれも知らない陸地があると聞くと”すぐたしかめよう”。次にどこを探検しようかというと”地図にまったく載っていないところへ行こう”と決心して出かけたからです。
 その航海は、たつ巻きにあって難破しそうになったり、見知らぬ島で殺されそうになったり、苦労のしどおしでした。
 しかし、キャプテン・クックは「とてもできない」ことも、まず、やってみようと決心した。そして、ひとたび決めた以上、どんな障害に出あっても、決してくよくよしなかった。何があっても明るく、「楽観主義」で、前に進んでいったのです。
 何ごとも、”もうボクはだめだ””いくら努力しても私は変わらない”といった悲観主義では、次の勝利はありません。みじめになっていくだけです。ひとたびは負けても、”次は勝つ””今まで以上に努力してかならず克服してみせる”との強い「心」が大切です。
 心を決めれば、勇気と知恵がわいてきます。できないと言われていることも、自分でやってみないとわかりません。人がどう言おうと、まず自分です。皆さんも、そうした強い「決心」の人であってください。
5  尊敬される人、尊敬されない人
 キヤプテン・クックは、こうして自分の目で新しい世界を見、たしかめ、それまでになかった正確な地図を作り、残しました。彼ほど数多くの地名をつけた人はいない、といわれています。
 ある意味で、皆さんのこれからの勉強も、クラブ活動も、新しい友との出会いも、見知らぬ世界への「探検」といえるかもしれません。
 一日一日、新しい「山」を登る。一日一日、新しい「海」を渡る。新しい「大陸」を見つけていく。そして、新たな”発見”と”感動”をもって心の中に、自分自身の”世界地図”を伸び伸びと広げていっていただきたい。そんな、はつらつとした中学生活を送ってください。
 さてクックは、キャプテンとして、多くの船員や乗船した科学者たちを、とても大切にしました。クックの手紙の中には、人に対する悪口はまったく見あたらず、皆のことをいつもほめているといいます。悪口しか言えないような人は、結局、自分がみじめです。人を尊敬できない人は、自分も尊敬されません。
 クックは、全員が元気で航海できるよう、それはそれは真剣に心をくだきました。航海の途中、何かたいへんなことが起きる。「さあ、どうするか」――全員が、息をのんで、見つめます。そんな時、クックは少しもあわてない。ただ一人、ゆうゆうと指揮をとり、道を開いていきました。
 これが立派な指導者としての姿です。多少のことで大さわぎしたり、少し叱られたからと元気をなくしてしまうようでは、本当のリーダーとはいえません。
 何があっても負けない。くじけない。失敗も次の勝利への糧としていく。どうか、皆さんも、これからの学園生活の中で、そうした強い深い人格をつくっていってください。
 皆さん方は、私のあとに続いて、「平和」と「文化」の大航海を世界中に繰り広げてくださる、偉大なるキャプテンです。また、どうか、お父さん、お母さんを世界旅行に連れていってあげられるような人になってください。
 創価小学校という「魂の港」から船出してゆく皆さんの限りない未来に思いをはせ、”いつまでも健康で””いつまでも楽しく””いつまでも成長を”と念願し、お祝いのスピーチとします。

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