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東京創価小学校第8回卒業式、関西創価小… 心に「夢の王国」を広げよう

1989.3.20 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

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1  晴れの卒業式、おめでとうございます。
 私の大切な大切な宝である東京創価小学校八期生の皆さん、関西創価小学校六期生の皆さんに、心からの拍手を送ります。(拍手)
 また、ご両親はじめ、ご家族の皆さま、本当におめでとうございます。教職員の皆さま、まことにありがとうございました。
 創価小学校は、二十一世紀をめざし、真の人間教育を進めています。私は世界第一の小学校であると思っております。
 きょうは、その意義ある卒業式。私は、皆さんの新しい出発にあたり、お話ししておきたいことがあります。
 それは「少年の夢は世界を変える」ということです。
 大きな夢を信じ続け、固く持ち続けるかぎり、だれもが驚くような、すばらしい仕事をすることができるのです。皆さんは、日本にあるディズニーランドを知っているでしょう。関西小は修学旅行で行きましたね。東京小は、もうすぐ卒業遠足で行くと聞いています。
 私も、かつて招きをうけて訪れました。アメリカのディズニーランドも見学したことがあります。その”夢の王国”ディズニーランドをつくったウォルト・ディズニー(1901―66年)をとおして、きょうは、お話ししておきたいと思います。
 ディズニーは、皆さんもよく知っているミッキーマウスをはじめ、世界的な人気者を生みだした立派な芸術家です。映画の世界でも、たくさんの賞に輝いています。
 彼は、子どものころから、人を喜ばせるのが大好きでした。どうせ生きるなら、皆が楽しく、
 愉快に暮らせるようにしてあげたい。そう思っていたのでしょう。彼は絵が得意でした。絵をかいて、皆が喜んでくれるのを見ることが、何より、うれしかったのです。
 けれども彼の家は、決してお金持ちではありませんでした。小さいころからアルバイトもしました。その上、八歳の時には、お父さんが病気になってしまい、家はますます貧しくなっていきました。持っていた農場も、とうとう手ばなさねばならない日がきました。
 でもディズニー少年は、へこたれません。お父さんを助けて新聞配達をしながら、学校にかよいました。
 お父さんはいつも、きびしく言いました。「新聞は、毎日の大事なニュースを知らせるものだから、大切に配るんだよ」
 子どもであっても、配達するかぎりは、きちんと責任をもってするように教えたのです。
 ディズニーは、毎朝、眠い目をこすりながら、一生懸命がんばりました。
 私も、小学校六年のころから、新聞配達をしました。寒い朝などのつらさをよく覚えています。
 だからディズニー少年の気持ちはよくわかります。
2  ”少年の夢は世界を変える”
 ディズニーは、どんな大変な時にも、大好きな絵だけは忘れませんでした。真剣に勉強し、かき続けました。
 そして、いつしか”自分は絵で人々に勇気をあたえていこう。愛と喜びをあたえていこう。それを一生の使命にしたい”と願うようになりました。
 その願いどおり、やがてディズニーの作品は、世界の人々の心を温かい光で包み、希望と優しさを送り続けるようになりました。
 私には、その力の源泉は、彼の少年時代の苦労のなかにあったと思えてなりません。
 えらくなった人は皆、苦労しています。さまざまな苦しいことを体験してこそ、自分も鍛えられ、人の心もわかるようになります。立派な仕事ができるようになるのです。
 いやなこと、つらいことを避けて、わがままになり、自分を甘やかしてしまったら、大人になってから大きな活躍をする土台はできません。
 さて、ディズニーの未来への思いは、皆になかなかわかってもらえませんでした。反対もされました。
 彼は、まず小さな広告会社で働くことから出発しました。宣伝の絵をかく仕事です。大きな夢にむかって、現実の一歩を踏みだしたのです。たとえ小さな一歩でも、その足どりは生き生きと、はずんでいました。
 そのうちに映画づくりもはじめました。だんだん名前も知られるようになりました。そんな時です。ディズニーは、信用していた人に、だまされ、裏切られてしまいます。
 夜もろくろく寝ないでつくった、だいじな映画の権利を奪われてしまったのです。その上、多くの社員たちも去っていきました。ディズニーは、悲しみのどん底につき落とされてしまいました。
 お金もない。仕事もない。頼れる味方もいない。何もかもなくして、”もうダメだ”と思いかけました。
 しかし、ディズニーには、あの少年時代からの「夢」がありました。絶対に、くじけるわけにはいきません。何とかしなければ――。彼は考えました。
 そして、孤独な彼の心にうかんだのは、ある”友だち”のことでした。友だちとは、以前、ディズニーがひとりぼっちで絵をかいていた時、部屋に現れたネズミのことです。心優しいディズニーは、そのたった一人の友だちに、自分のパンを分けてあげていたのです。
 ”そうだ、彼がいる!”。ディズニーは、その小さな友を新しい主人公に決めました。これが劇的な”ミッキーマウス”の誕生だったのです。(拍手)
3  いちばんつらい時こそ、いちばん大切な時
 ミッキーマウスは、たちまちアメリカ中の人気者になりました。陽気で、元気いっぱいに走りまわるミッキーに、大人も子どもも、そして、どこの国でも、人々はひきつけられました。
 じつは、このほがらかなミッキーマウスは、このようなディズニーの苦しい涙のなかから生まれたのです。
 いちばんつらい時、その時こそ、いちばん大切な時なのです。新しい道が開ける、いちばんのチャンスの時なのです。このことを皆さんは決して忘れないでください。(拍手)
 そしてディズニーのように、努力するかぎり、負けないかぎり、心の中の夢の木は伸び続けることができます。努力こそ、夢を育てる栄養分なのです。
 続けてディズニーは、ドナルド・ダックやダンボ、バンビなど、楽しい仲間を世界に送りだしていきます。そして次々と新しい仕事に挑戦し、映画の世界を大きく広げていきました。
 美しい心の彼は、人にだまされることもありました。お母さんの突然の死にもあっています。また戦争になって人々の心はすさみ、彼の映画を見にくる人も少ない。しかし、平和な時代がくれば、かならずや見直されるだろうと、彼は決して苦しみに負けませんでした。
 そして彼の夢は、どんどん大きくなり、世界中のどこにもない「夢の王国」をつくりたいと思うようになりました。たくさんの人を喜ばせてあげたい――その気持ちから、あのディズニーランドが生まれたのです。
 夢というものは、人間だけしか持てない特権です。夢のない人は寂しい。夢もなく、いつも現実に追われているだけの人は、いつしか苦労や悲しみに負けてしまいます。夢のある人には希望がある。心が強くなる。そして、苦しみを楽しみへと変えていくことができます。
 私にも、たくさんの夢があります。そして、毎日のように皆さんのことを夢みています。東京や関西の創価小学校から、かならずや大指導者や学者、教育者、宇宙飛行士、俳優など、あらゆる分野の人材が数多く出ていくにちがいありません。それを夢みる時、私の胸は躍り、心は楽しくなるのです。
4  何も恐れず自分の道を
 また皆さんも、苦しいことがあっても、それを夢のあるよいほうへ変えていってください。
 たとえば、お父さんやお母さんから、成績が悪いと、叱られることがあるかもしれない。そのとき”うるさいな””もう、いやだな”(笑い)と思うよりも、”「しっかり勉強して、えらくなりなさい」との天の声だな””成長のための滋養をあたえてくれているんだな”と、夢のあるほうへ、希望をもてるほうへと、受けとめていくことが大事でしょう。その人は、何があっても、日々、明るく、楽しく生きていくことができるにちがいありません。
 私にもこれまで、さまざまな悪口、非難がありました。しかし、それは使命に生きる私自身                                   あたえられた人生の勲章だと思っています。そう考えれば、何も恐れることはないし、むしろ喜びをもって自分の道を進んでいくことができるのです。
 ディズニーの映画も遊園地も、今や世界中の人々から愛されています。ディズニーの少年時代の願いが大きく実り、世界の人々を楽しませる「夢の王国」をつくりあげたのです。彼は、自分の夢を立派に実現しました。皆さんも、心の中に自分らしい「夢の王国」「喜びの王国」「平和の王国」をもって、一生を歩みぬいてください。(拍手)
 皆さんは四月から中学生です。ふたたび、新しい道を歩きはじめることになります。その前途は、楽しいことばかりではありません。つらく、苦しいことにも数多く出あうことでしょう。その時”もう、ダメだ”と負けてはいけない。そして絶望するような重苦しい悩みをはねのけてくれるのが、胸中にいだいた「夢」なのです。
 ふわふわと力なく、苦しみや悲しみの中をただよっているようでは幸福は開けません。大いなる夢を持ち、現実の苦しさに耐え、乗り越えてこそ、人生に勝利することができるのです。
 皆さんの心の中には、将来の”デイズニーの種子”があります。”ベートーベンの種子”も、
 ”キュリー夫人の種子”も、”アインシュタインの種子”も、あらゆる分野で立派になっていく人の種子が、植えられています。私は、その種子がかならずや芽を出し、大樹と育っていくことを確信しています。(拍手)
 どうかあとは、胸の中に「夢の王国」を広げながら、現実を一歩一歩、着実に歩みぬいていただきたい。
 そして、苦労して皆さんをここまで育ててくださったお父さん、お母さん方です。将来、いつの日か、お父さん、お母さんを、世界旅行に案内してあげられるような皆さん一人一人となってもらいたいのです。
 冬は去り、春がやってきた。春の光が、さんさんと輝いている――今、まさに、そのような皆さんです。
 私は、皆さんを心から尊敬し、深々と頭をさげながら、立派な一生を送ってくださるよう祈りつつ、お祝いのあいさつといたします。

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