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日蓮大聖人・池田大作

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東京・創価学園第1回栄光懇親会 創価教育の父・牧口先生の師子吼を胸に

1995.9.17 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

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1  今夏の野球部の甲子園の出場、大奮闘、ご苦労さま。(拍手)
 きょうは創価教育の父である牧口先生の話をしたい。軍国主義の嵐が吹き荒れる深い闇の時代にあって、明々と輝く灯台のごとく、「平和」と「人道」の光を放ったのが牧口先生である。
 一九四〇年(昭和15年)のことである。当時、ヨーロッパでは、ナチスの侵攻が続き、ホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)の悲劇が幕をあけていた。
 日本軍は非道にも中国を蹂躙。国内では、悪名高い「大政翼賛会」が発足し、国民の自由は奪われ、統制されていった。権力の暴走に対する歯止めが、次々と破壊されていった時代である。
 「信教の自由」を侵害した「宗教団体法」という悪法が施行されたのもこの年である。そのなかにあって「精神の自由」を掲げ、「世界の平和」を願う牧口先生は、いささかもひるむことなく行動を続けられた。この年、先生は六十九歳――。
 こういうエピソードも残っている。(菅原有一『続 小説牧口先生』秋元書房を参照)
 牧口先生は、ある会合に招かれ、四人の青年をともなって出席した。
 先生は、政治家など約三十人の政党関係者がいならぶ前で、軍国思想を真っ向から批判する講演をされたのである。
 「道理に合わない滅私奉公などできないし、またすべきではありません。自己をむなしくせよと言うのは、とんでもない誤りです。国も国民も、ともに栄えるのでなければなりません」と。
 国家権力のために国民の自由が制限されたり、いわんや犠牲にされるようなことは絶対にあってはならない、との叫びであった。
2  「民衆」が主、「権力」は従と主張
 一昨日、ロシアのヤコブレフ博士と語りあったが、本来、「人間」が上であり「国家」が下である。「民衆」が主であり、「権力」が従なのである。これは、牧口先生が一貫して主張されたことであった。
 先生は『創価教育学体系』でも、「国民あっての国家であり、個人あっての社会である」等と、徹底して「民衆」に、そして一人の「人間」に光をあてられている。
 この牧口先生の講演を聞いた政治家たちは、激怒して机をたたき、罵声をあびせてきた。
 「だまれ! いまは滅私奉公が大切なのだ!」、「時局をわきまえろ!」
 会場は一気に緊張に包まれた。だが、牧口先生は少しも動じない。傲りたかぶって権力をふりかざす為政者に対しても、先生は平然と押し返し、反論した。
 「人間はなんのために生きているのですか? みんながともに幸福になるためではありませんか!」
 どんなに政治家が感情的に反発しても、牧口先生の論理は明快であった。
 もともと牧口先生は、すぐに感情的になり、冷静に議論のできない日本人の心の狭さを憂えておられた。
 同じく『創価教育学体系』には、こういう一節がある。
 「日本人はいかにも理論嫌いであり、感情的の人種のようである。これは完全な社会生活上、ことに協調を旨とすべき国際関係上、是非とも矯正しなければならない国民的欠点である。この欠点を自覚しないで、ややもすれば、むしろ長所のごとく自惚れているがために、いつまでも矯正されないのである。冷静にこれを詮考(=適否を追究しあきらかにすること)すれば、平和に他人と協調が保たるべき場合にも、やたらに感情衝突をひき起こし、不安・不快のうちに、暗澹たる共同生活をなすに至り、お互いに仕事の成績を低下しつつある悲じむべき状態であるといえる」(第1巻第2篇。旧かなづかい等は現代表記にあらためた)
 個人の自立がない。確固たる哲学がない。すぐに、いばったり、妬んだりして揺れ動く。そこから国際的な協調もできず、孤立してしまう。
3  日本の貧困な精神風土の開拓ヘ
 こうした日本の貧困な精神風土を、牧口先生は根底から変えようと挑戦されたのである。
 講演をとおして、そうした牧口先生の信条にふれた政治家の何人かは、心ひそかに感嘆し、あとで、そっと語りあっていたという。
 「牧口氏のいうことが本当は正しい」「しかし、大変な人物だね」「ただものではないよ」と。
 牧口先生の「魂の自由」は、いかなる権力をもってしても侵すことはできなかった。先生は獄死のその時まで、獅子として、何ものをも恐れずに、正義と真実を叫びきったのである。私どもは、その後継である。同じく「獅子」でなければならない。学園の校訓の一項目、「自分の信条を堂々と述べ、正義のためには勇気をもって実行する」は、こうした牧口先生の命がけの戦いを受け継ぐものであることを知っていただきたい。そして、嵐が吹き荒れれば荒れるほど、「創価の獅子」として堂々と進んでいただきたい。
 先日、私は、牧口先生を偲びながら、ある青年に、こういう言葉を贈った。それは南米解放の父シモン・ボリバルの”忘恩は人間がなしうる最大の犯罪である”という言葉である。人間として、裏切り以上の悪はないというのである。皆さんも、自分を、そして友人を決して裏切らない人生を送っていただきたい。
 きょうは、日曜日でお休みにもかかわらず、教員の代表、生徒の代表が集まってくださり、本当にご苦労さま。これから寒くなりますので風邪をひかないように、健康に注意して、すばらしい「勉学第一」の勝利を目標にがんばっていただきたい。

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