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日蓮大聖人・池田大作

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関西創価小学・中学・高等学校新入生記念… 偉大な可能性を発揮する青春の劇を

1995.5.24 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

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1  家にいるような気持ちで、ゆったりと聞いていただきたい。
 まず、やさしい童話から、お話ししたい。それは、あのルネサンスの巨人レオナルド・ダ・ヴィンチが書き残した童話である。
 私は、レオナルドについて、昨年(1994年)の六月、九百年の伝統を誇る世界最古の大学、イタリアのボローニャ大学で講演をおこなった。(=演題は「レオナルドの眼と人類の議会――国連の未来についての考察」。イタリアをはじめ世界の識者から高い評価が寄せられた)
 同じく五月にはロシアで、彼の名を冠した「レオナルド国際賞」をいただいた。(=口シアの代表的文化人が集う「レオナルド・クラブ」から授与)
 レオナルドは、芸術家としても、超一流。科学者としても、超一流。また、建築家や哲学者としても、超一流。なんでもできる「万能の天才」であった。
 「天才とは努力の異名」である。発明王エジソンも努力また努力の人であった。(=エジソンの言葉に「天才とは一パーセントのひらめき(インスピレーション)と九九パーセントの発汗(パースピレーション)である」と)
 天才といっても、すべて努力の結晶なのである。
2  良き友との切磋琢磨を
 レオナルドが残した童話の中に、「火打ち石」の話がある(ブルーノ・ナルディーニ編『レイナルド・ダビンチの童話』西村暢夫・渡辺和雄訳、小学館。以下、引用は同書から)。「火打ち石」とは、他の石などと打ち合わせて、火を起こす石のことである。
 ――ある時、ある石が、火打ち石から、カチッとたたかれた。
 石は、びっくりして、とても怒った。
 ところが、火打ち石は、笑って、こう答えた。
 「がまん、がまん、がまんが大せつ。
 これが がまん できたら、
 わたしは、あなたの からだから、
 すばらしい ものを
 ひき出して あげますよ」と。
 こう言われて、石は気をとり直して、がまんしつづけた。
 カチッ、カチッ、カチッ――。
 すると、やがて自分の中から、すばらしい人が、飛び出たのである。
 そして、その火は、見事な力を発揮して、世の中の役に立っていった――と。
3  レオナルドは、この話をとおして、何を言いたかったのか。”はじめたばかりの勉強がむずかしくても、あわてる必要はない。自分に負けてはならない。あきらめず、たゆみなく、学び続けていけば、かならず、すばらしい結果をだしていくことができる”
 ――彼は、こう励ましていると受けとめてよいと思う。
 読書も勉強も、そのむずかしさは「石」のようかもしれない。お母さんも「石」頭(笑い)、学校の先生も「石」頭と思うときがあるかもしれない。(笑い)
 そういう「石」――つまり、自分を鍛えてくれるものを避けずに、ぶつかっていってこそ、成長の「火」は出る。創造の「火」が打ち出される。
 わが学園生は、一人一人が、二十一世紀を燦然と照らしゆく「希望の炎」を秘めている。
 その炎を燃えあがらせるチャンスは、いったい、いつか? それは今である。今しかない。
 日々の勉学、また良き友との切磋琢磨が、皆さんの生命から、限りないパワーを引きだすのである。ゆえに、この大切なチャンスを決してのがさずに、粘り強く、忍耐強く、学びぬいていただきたい。
 レオナルドにも負けないくらいの、旺盛な知的好奇心をもって、あらゆることに生き生きと探究を広げ、深めてほしい。そして、「一人の人間が、どれほど偉大な可能性を発揮できるか」を自分らしく証明する、壮大な青春の劇を、きょうからスタートしていただきたい。
 私の大切な友人に、ブラジルが誇る世界的ピアニスト、ビエイラ氏夫妻がいる。氏は著名な作曲家でもあり、これまで四曲もの壮麗なる名曲を、私に贈ってくださった。
 三年前の秋、関西創価学園を訪問し、演奏会を開いてくださったことも、忘れられない。このビエイラ氏が、学園生への期待を語っておられたので、ご紹介したい。
 氏は十三歳の時、音楽の勉強のために、フランスのパリに留学した。ちょうど三十年前のことである。親元から離れ、はるかな異国での一人暮らし。さびしい時もあった。つらい時もあった。
 「元気かい? 大丈夫かい?」――国際電話のむこうから、お母さんは決まって、そう聞いてきた。一部、「帰りたい」と言えば、すぐに帰りの飛行機の切符を送ってもらえただろう。しかし、ビエイラ少年は、少々、元気がない時でも、声だけはいつも明るく、きっぱりと答えた。
 「大丈夫だよ! 何の心配もないよ!」
 その力強い返事で、お母さんを安心させようとした。遠く離れていても、親孝行はできるのである。
 挫折しそうになった時には、いつも「何のために、ここに来たのか」という目的を思い返し、ビエイラ少年はふたたび、闘志を奮い起こしたという。
4  「何のため」忘れず勝利の栄冠を
 だから、ビエイラ氏は、学園生にも、こう呼びかけている。
 「自分が、何のために、創価学園に来たのか。この一点を、何があろうと絶対に忘れないでください。そうすれば、皆さんの青春は、かならずや勝利するでありましょう!」と。
 このビエイラ氏の若き日の鍛錬には、ある工夫があった。
 それは、ベートーヴェンやバッハ、リストなど、尊敬する大音楽家が、すぐそばで自分の演奏を、じっと見守っている。そういうつもりで、一回一回の練習に真剣に臨んでいったというのである。
 ちょっとした”心がけ”かもしれない。しかし、同じ一時間の練習でも、「またか」と思って、惰性に流されるか。「よし! やるぞ」と張りあいをもって、ベストをつくしていくか。
 勉強においても、クラブ活動においても、わが「心」、わが「一念」の微妙な違いが、やがて大きな差となって表れる。「真剣」に勝る力はない。
 社会の動きは、さまざまに騒然としている。しかし私は、厳然と皆さんを守りぬいていく。私は、真剣に、また誠実に、世界の「知性の人」「一流の指導者」と友情を結んでいる。信頼を広げ、皆さんのために「道」を広げている。この道に堂々と続けるよう、未来のために「今」、勉強しておいてほしい。
5  終わりに、私の好きなヴィクトル・ユゴーの詩「我行かん」の一節を贈りたい。
 フランスには、詩人ゆかりのすばらしき館、私どものヴィクトル・ユゴー文学記念館もある。
  私は翼をもち、頂にあこがれる。
  私はしっかりと飛ぶ。
  私には翼がある、嵐を突き、
  青空を過る翼が(『ユゴー詩集』辻昶訳、潮出版社)
 わが愛する学園生の翼に、「希望あれ!」「勇気あれ!」そして「勝利あれ!」と申し上げ、全員の健康を祈りつつ、きょうのお祝いの言葉としたい。

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