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創価中学・高等学校第28回入学式、関西… 天才とは努力の異名

1995.4.8 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

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1  春爛漫の佳き日、東京校は二十八期生、関西校は二十三期生の皆さん、入学おめでとう!(拍手)
 ご家族の皆さま方に心よりお祝い申し上げるとともに、先生方、職員の皆さまに、本年度も、よろしくお願い申し上げたい。
 きょうは、学園創立以来で最高と思うほど、すばらしい入学式日和である。桜も満開である。関西も見事な晴天とうかがった。最高に優秀な諸君が集った入学式を、天も祝福しているのだろうか。(拍手)
 学園には厳しい「勉学第一」の伝統がある。勉学のうえの厳格さはやむをえない。
 しかし、「いじめ」等は絶対にあってはならない。世界最高の尊き学園生である。その使命の友をいじめるとしたら、これほどの悪はない。先輩は後輩を弟、妹のように包容し、後輩は先輩を兄、姉のように尊敬していく。この良き伝統をさらに輝かせていただきたい。
 諸君の学園である。「生徒の学園」である。ともに助けあい、補いあいながら、「理想的な学舎」をつくり上げてほしい。そして、安心して、伸び伸びと、朗らかな学園生活を送っていただきたい。
2  自分をつくった人が勝つ
 私は恩師戸田先生に十九歳でお会いし、弟子となった。その恩師に、こう教わった。「天才とは努力の異名なり」と。特別の人などいない。陰で皆、努力、努力、努力をかさねている。
 十年間、私は戸田先生に毎朝、勉強を教わった。「戸田塾」ともいうべき個人教授であった。読書ひとつとっても、戸田先生はつねに「本を読め!」「きょうは何を読んだか」と厳しかった。
 先生が、私たち青年に読ませた一冊が『永遠の都』(ホ―ル・ケイン著)であった。主人公は若き革命児ロッシと無二の親友ブルーノ。「自分たちの力で、民衆のための”永遠の都”を築こう!」――こういう戦いの物語を教えられたのである。小説の中に、こんな一節がある。私の魂にきざまれている。
 「常に断崖の縁を歩いてきた人間にとって、最大の緊急事態も、いわば日常茶飯の出来事にすぎません」(新庄哲夫訳、潮文庫)
 迫害、妬み、社会の激流――そうした人生の断崖絶壁を越え、生きぬいた人は強い。
 私のモットーは「波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す」である。
 障害があればあるほど、より以上の力をだす。これが私の生き方である。
 諸君の勉学も同じである。何があろうが負けない。平然と学び続ける。たゆまずに自分をつくる。そこに人生の勝利の「根っこ」ができる。
3  かの福沢諭吉がそうであった。明治維新(1868年)のころ、旧幕府の彰義隊と新政府軍の戦闘のさなかでも、彼は講義を続けた。”これからは学問の時代だ。今こそ学ぶのだ”――と。のちの慶応義塾大学の淵源である。
 何があろうが、太陽は毎日昇る。それと同じく、あせらず、休まず、堂々と、「努力」しぬいてほしい。
 努力また努カ――そのなかに、想像力が、人格が、忍耐力が、挑戦が、生きゆく力がある。「人間をつくる」一切が含まれている。それが教育である。試験の結果や成績だけが教育ではない。いくら優秀でも犯罪を犯す人もいる。苦労して、しっかりと「自分自身」を築いた人が人間としての勝利者となる。
 状況に一喜一憂することはない。順境の時も、逆境の時も、悠然とわが道を歩むことである。
 何があろうと屈することなく、つねに「前へ」「前へ」と道を開いていく――その覚悟で生きぬいていただきたい。
4  スペインの現国王ドン・フアン・カルロス一世は、現代の名君として有名である。
 「王制は好きじゃないが、国王がすばらしいから支持する」という人もスペインには多いという。
 フランコ独裁政権が三十六年間も続いたあと、一九七五年、国王は三十七歳で即位された。
 ジェット戦闘機を操縦し、町をバイクで走る若き国王を国民は愛し、国がひとつにまとまった。
 長き独裁時代から民主主義への移行は、きわめてむずかしかった。成功の理由を、「国王がいたからこそ」と人々はたたえる。一滴の血も流さず、この困難を乗り越え、世界から孤立していたスペインをヨーロッパに、そして世界に復帰させたのである。
 国王の信念は「国民の大半がちっちゃい声で考えていることを、私は大きい声で言う」(ホセ・ルイス・デ・ビラジョンガ『国王』荻内勝之訳、オプトコミュニケーションズ発行)である。
 指導者の根本的な使命を実行されている。
 即位から六年、軍事クーデターが起こった。反乱軍兵士が国会を占拠し、議員と閣僚を人質にして、十八時間、立てこもった。政府の首脳は、皆、人質になっている。国王しか対決できるリーダ―はいなかった。
5  四十代、五十代で花を=今は根っこを
 国王は敢然と兵士に降伏を命じた。自分で軍の大将すべてに電話をかけ、反乱を支持するのかどうか、ただした。そしてみずからテレビに出演。「国王として、こんな無法は断じて許せない」と演説した。
 「クーデターは、国民全体へのテロ行為ではないか」
 この断固たる態度の前に、事件は無血で解決した。国民は、国王に喝采しながら、ある意味で驚きを新たにしたという。それは、国王が皇太子時代は、無口で、憂うつそうであり、独裁者のフランコの言いなりのようにも見えたからである。
 それが、とたんに別人のように魅力的で、英邁な指導者として登場したのである。じつは、皇太子時代は、国王は「芝居」を続けていた。
 それは、あまり有能に見えると、独裁者フランコをはじめ周囲が「危険だ」と見て、地位を奪われたり、命をねらわれる可能性があったからである。時きたり、国民のために働けるようになって、はじめて「能ある鷹」の爪を出したのである。
 諸君も、あせってはならない。花を咲かせるのは四十代、五十代からでよい。イギリスのサッチャー前首相は「人生は六十五歳から」と言った。年とともに、経験と円熟がくわわっていく。地に着いた本当の仕事ができる。二十代、三十代で華やかな光をあびても、幻のようなものである。
6  国王の青年時代、一人の師匠がいた。国王は今も「私の恩人」と呼んで、その徳をしのばれている。
 「忍耐強いことと、沈着に物事に対処することの大切さはしっかりと教えられた。とくに、物事をありのままに見ること、幻影にまどわされないこと、見かけにだまされないこと、これを教わった。
 『しっかり見るのです。状況というものは一見同じようでも、根は別ものであることが少なくありません。それをわきまえていただきたいのです。歴史は繰り返します。けれども、もたらされる結果は違います』
 こう言うのが先生の口癖だった」(前掲『国王』)
 亡くなったこの師のことを、国王は今も深く尊敬されている。「偉い人はつねに精神が若い」、そして「先生は特別偉い人だった」と。
 国王は、こういう訓練を受け、苦労をかさねてこられた。
 生まれたのも、王家の亡命先のローマであった。少年時代から、ひとリスペインにやってきて、捕らわれの身のような年月の中で成長されたのである。
 少年のころから「指導者とは、普通の人々よりも、たくさんの義務と責任を背負った存在である」と教えられたという。
 この国王のもとで、スペインは今、順調な発展を続けている。
7  全員が使命の人
 苦労なくして偉くなった人はいない。
 諸君は「偉い人」になっていただきたい。「力ある人」になっていただきたい。
 ノーベル賞をはじめ世界的な仕事をする人に、大勢の人の役に立つ立派な人に、そして「縁の下の力持ち」として陰でつくす「無名の王者」に――。
 皆がそうした「偉い人」になるための創価学園である。そうならなければ、学園で学ぶ意味がない。
 皆さんは、お父さん、お母さんにとっても、また国家、社会そして世界にとっても、「大切な人」である。全員が使命の人なのである。
 あせらず、青春時代を楽しみながら、どっしりと土台をつくり、根を張って、あらゆることを学びぬいていただきたい。
 きょうは本当におめでとう!仲よく、健康で、有意義な学園生活を祈って、お祝いの言葉としたい。関西の皆さんもご苦労さま。
 お会いできなかったご家族に、よろしく伝えていただきたい。お元気で!

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