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創価中学・高等学校第25回、関西創価中… 運命は「自分の心」が握っている

1993.3.16 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

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1  皆さん、ご卒業おめでとう。ご家族の皆さまにも、心よりお祝い申し上げたい。
 きょうは、東京校第二十五期生、関西校第二十期生、ならびに東京創価小学校第十四期生、関西創価小学校第十二期生の晴れの卒業となった。
 先ほど、代表の方に「創立者賞」等の表彰が贈られたが、学園を卒業したということ自体が、全員、創立者賞であると申し上げたい。(拍手)
 ただ今は、口シア・国際児童基金協会のアリベルト・リハーノフ総裁から、真心こもるスピーチを頂戴し、つつしんで御礼申し上げたい。スパシーバ(ありがとうございます)。
 高名な作家でもあられるリハーノフ先生の作品に、『けわしい坂』(島原落穂訳、童心社。以下、引用は同書から)という名作がある。感謝の思いをこめて、紹介させていただきたい。
2  「戦争の悲劇を経験させたくない」
 舞台は、第二次世界大戦の真っただ中のロシア。ナチスの侵略に国土は荒らされ、多くの人々が戦争へ、戦争へと駆りだされていった。まさに「まっ黒な苦しみにぬりこめられていた時代」を生きた少年の物語である。
 ”二十一世紀を生きゆく若人には、断じて戦争の悲劇を経験させてはならない”
 これが、リハーノフ先生の心であり、信念である。そして私も同じ決心である。この作品の結びに、戦争に行った少年の父親が三日間だけ家に帰ってくる、印象的な場面が描かれている。
 家族との再会もつかの間に、お父さんはふたたび戦場へもどらねばならない。その前日、父親は、少年をスキーに連れていってくれた。
 「あそこから、すべれるかい?」
 それは、少年が、たった一つ、どうしても征服できない、急な斜面――「けわしい坂」であった。
 さあ、やってごらん! 父の声に押されて、少年は恐る恐る挑戦する。
 しかし、いくらやっても、うまくいかない。
 「こんどこそ、こんどこそ!」――けれども、そのたびに、ぶざまに転んでしまう。
 しかも、父は甘い言葉はかけない。もう二度と会えないかもしれぬわが子へ、父は遺言のごとく語るのだった。
 「おまえは、すべれるようになる!」
 「ただね、だめだと思う気持ちに、勝ちさえすればいいんだ」
 「たいせつなことは、自分は強いんだと思うことだ!」
 ――美しき名画のごとき光景である。
 皆さん方を学園に送りだしてくださった、ご両親も、きっと同じ心であろうと、私は思う。そうした親心がわかる、聡明な皆さんであっていただきたい。
3  「人生の戦い」は「自身との戦い」
 ともあれ、皆さんの門出に、私は「徹して強気で、人生の”けわしい坂”を勝ち越えていけ!」と願う。私も、この心で戦ってきた。何ものも恐れない。
 いちばん恐ろしいのは、自分自身の臆病である。体裁を考え、見栄を考える弱さである。諸君がこれから開始する人生の戦いは、要するに、最後の最後まで、自分自身との戦いである。
 「自分には、できない。だめだ」と臆病になってしまうか。それとも「自分は強いんだ。もっと強くなれるんだ」と信じて、挑んでいくか。自分自身の心一つで、運命は大きく変わる。
 人間の能力には、それほどの差はない。かつて戸田先生は「頭がいい悪いといっても、一本の線を引いて、その上と下くらいの違いだ。それほどの差はないものだ」と言われていた。
 また二つのノーベル賞(化学賞・平和賞)を受けたポーリング博士に「頭のよくなる方法」はありますかとうかがったところ、「自分はやればできる」という自信をもつことであり、「知能は同じでも、自信をもって進むかどうかで、まったく違う結果になる」と言われていた。課題があっても「あきらめない」「努力すれば解決できる」という信念が大切である。
 さらに、二十一世紀への爽快なる旅立ちにあたり、私は「正義と希望の巌窟王たれ!」との言葉を贈りたい。
 ご存じのように、「巌窟王」とは、十九世紀のフランス文学の傑作『モンテ・クリスト伯』(ジュマ作)に由来する。悪人の謀略によって、長年、牢獄に捕らえられながら、巌のごとき信念で耐えぬき、真実を証明していった――その勇敢なる人間を描いている。
 では、今世紀の「巌窟王」ともいうべき巨人はだれか?
 それは、南アフリカ共和国のマンデラ大統領であると私は思う。じつに二十七年半、約一万日におよぶ投獄にも屈することなく、残酷な人種差別と戦いぬいた。「一時間が一年のようでした」と述懐されている。
 そして、今もなお、黒人も白人も皆が調和しゆく「虹の国家」の建設のために、奮闘しておられる。普通ならば、二十七年半も投獄されて「もういやだ」と思うか、「少し休みたい」と思うであろう。しかしマンデラ氏は出獄するや、ただちに猛烈な勢いで闘争をはじめた。本物の獅子であった。
 私は、五年前、獄中闘争を終えて間もないマンデラ氏と、語りあった(=1990年10月31日、東京で)。今も、深き信義で結ばれている。私は世界に、何人か氏のような「獅子」の友人がいる。光栄にも私は、マンデラ大統領が総長を務めるノース大学より、名誉博士号の決定の通知を受け、招聘をいただいた。(=95年9月30日、名誉教育学博士号の授与式がノース大学でおこなわれた)
 かつてトインビー博士と対談した時、博士は「あなたは私以上に、世界中から名誉博士号を受けることでしょう」と言われたが、今、そのとおりになっている。(拍手)
 じつは、この遠き南アフリカにも、現在、関西学園出身の皆さん方の先輩が二人も留学している。今、世界のどこへ行っても、創価学園出身の青年がいる。本当にすばらしく、うれしいことである。
 南アフリカの先輩たちは、二十一世紀はアフリカの世紀」との私の信条を、学園時代に胸にきざんだ。そして、”創立者が訪問する前に、道を開きたい。友情を広げたい”と決意したとうかがっている。その心が、私は涙が出るほどうれしい。
4  詩人の叫びが「闇」を破った
 さて、マンデラ大統領の「闘争の人生」の原点はどこにあったか。その大きな転機は、高校時代であった。(『自由への長い道――ネルソン・マンデラ自伝』東江一紀訳、日本放送出版協会。参照)
 マンデラ大統領も、はじめから「鋼の闘士」だったわけではなかった。幼少のころ、”黒人は白人よりも劣っている”と繰り返し教えこまれた。”社会の仕組みが、もともとそうなっているのだから、仕方がない”――社会には、無力感とあきらめが蔓延していた。
 しかし、その惰性を打ち破る事件が起こったのである。卒業前のある日、著名な黒人の詩人が学校を訪れ、スピーチをした。
 その詩人は、校長をはじめ多くの白人が並ぶ前で、毅然と叫んだ。
 「余りにも長い間、われわれは、白人がもたらした、誤った偶像を崇拝し、それらに屈服してきた。しかし、今や、われわれは立ち上がり、こうした考えを捨てさるのだ」
 マンデラ青年は、驚いた。そんな勇気ある声を発する人など、当時はだれもいなかった。その時の衝撃を、氏は「暗闇の夜を、彗星が駆けぬけたようだった」と回想している。
 「人間はだれ人たりとも、平等であり、尊厳である!」という不滅の信念の光が、彼の胸に輝きわたった。その光を抱きしめ、大闘争の人生がはじまったのである。
 わが学園生もまた、傲慢な権力が庶民を侮辱し、人権を踏みにじり、生命を軽視するような濁った時代を、断固として転換しゆく闘士と育っていただきたい。(拍手)
 マンデラ大統領は、こう語っている。
 「私は、基本的には、楽観主義者です」「楽観主義であることは、一つには、つねに太陽に顔を向けて、歩み続けることです」と。
 関西学園の皆さん方の中には、今回の阪神・淡路大震災の被害にも負けず、きょうを迎えた友がいる。私は、心から賛嘆し、皆さんと一緒に拍手を送りたい。(大拍手)
 どうか、いつの日か、ご両親に、新しい家をプレゼントできるような力ある人に成長していただきたい。また、海外旅行に楽しく連れていってあげられるような皆さんになっていただきたい。また、かならず、そうなっていくことを私は信じている。
 創価教育の創始者である牧口先生は、人間生命を蹂躙する軍部権力に立ちむかい、獄死された、偉大な方である。その師匠の正義を証明しゆくために、わが恩師戸田先生は、生きて牢獄を出て、まさしく「巌窟王」となって戦いぬかれた。
 私もまた、迫害と批判の連続であった恩師の正義を世界に示すために行動してきた。そして今、戸田先生と牧口先生を、不滅の偉人として、厳然と世界に宣揚できた。これは私の人生の誇りである。
 次は、学園生の皆さんこそが、私が世界に開いたこの道を、勇気をもって、堂々と、悠々と歩んでいっていただきたい。
5  あせらずに! 21世紀に勝利を
 先ほども卒業生の「出発の誓い」にあったが、皆さんの本舞台は二十一世紀である。
 あせる必要はない。二十一世紀に勝てばよいのである。今、かりに成績が思わしくなくとも、それで自信を失ってはならない。長い人生から見れば、小さなことなのである。大事なことは最後に勝つことである。新世紀に大活躍することである。
 四月から新しい生活が始まるが、今は土台づくりの時である。一生の勝利、一生の幸福の基盤をつくる時である。土台づくりは、華やかではない。泥にまみれ、毎日が地道な作業である。その忍耐をしきった人が勝つ。
 ご両親を大切にしていただきたい。お父さん、お母さんを大切にできる人、親孝行できる人がいちばん偉い人である。
 最後に、「勉学の英雄」「勉学の名選手」、そして「愉快な皇帝」となっていただきたい、と念願して、私の祝福のスピーチを終わりたい。
 おめでとう! お元気で。

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