Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

関西創価小学・中学・高等学校合同第5回… 戦いが結ぶ「父子の絆」は美しい

1992.10.25 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

前後
1  きょうは、フランス、ブラジル、インド、カナダ、アフリカ、ドイツ、オーストラリア、べネズエラ、パナマなど海外二十八カ国から来賓の方々がいらしている。ご紹介したい。(拍手)
 一昨日、私は深圳大学の蔡徳麟学長とお会いした。深圳は、中国の経済特区の一つであり、中国でいちばん経済が繁栄している。昨年(1993年)、私は深圳大学から名誉教授の称号を授与された。現在、深圳大学には創価大学から二人の留学生が派遣されている。
 二人ともに中学、高校を関西創価学園で学んだ、たいへん優秀な学生だとうかがった。
 ご存じのように、先日、「精神の大国」インドからソニア・ガンジー女史(故・ラジブ・ガンジー首相の夫人)ならびにお嬢さんのプリヤンカさんをお招きした。
 ガンジー首相とはかつて、日本の迎賓館でお会いした(1985年11月)。そして私は、首相が亡くなられた後、インドのソニア女史の自宅にうかがい、心から励ました。女史は”真実の激励をいただきました”と喜んでくださった。平凡な人生であれば命をねらわれることはない。信念をもって戦うからこそ、命をも危険にさらすことになる。
 私も、(1960年〈昭和35年〉以来)この三十四年間、一瞬たりとも安楽な気持ちのときはなかった。毎日が戦争であった。命をかけて戦ってきた。
 日本に滞在中、ソニア女史はだれに対しても、立場が上であれ、下であれ、わけ隔てなく接しておられた。その誠実な振る舞いが印象的であった。「一流の人」はどこまでも「誠実の人」である。
 プリヤンカさんも、たいへんに聡明な女性である。お父さんの死(爆弾による暗殺)という悲しみを乗り越えて、二十一世紀のインドを担いゆく後継の道を凛々しく歩んでおられる。
2  ネルー首相と娘インデイラ女史の交流
 さて、今回、ソニア女史が、ネルー(=インドの初代首相)とその娘インデイラ(=インド初の女性首相)との書簡集を贈ってくださった。これは、ソニア女史がみずから編集し、出版されたものである。(=ソニア女史にとって、ネルーは義理の祖父、インデイラ女史は義理の母にあたる)
 本日は、皆さんにその一部を紹介したい。(書簡集『TWO ALONE, TWO TOGETHER<二人きり、二人一緒に>』Hoddre & Stoughton。以下、引用は同書から)
3  インドの独立のために戦ったネルー(1889年〜1964年)。彼は、ここ大阪の地にも、足跡をとどめている。一九五七年十月のことである。
 私の恩師戸田先生も「ネルー首相には、ぜひ、お会いしたいものだ」と言われていた
 「会えばすぐに話が通じるだろうな」と。しかし、残念ながら、機会はなかった
 私はそうした戸田先生の気持をよく知っている。ゆえに、今、先生の弟子として、先生に代わって世界の指導者と対話しているのである。
 私は、小さな日本など眼中にない。眼中にあるのは学園生、創大生である。ただ二十一世紀、二十二世紀を見つめて私は戦っている
 ネルーは、その生涯において実に九回、延べ九年間にもわたって投獄された。正義の人が迫害される。いじめられる。これが歴史の方程式である。
 父ネルーは、愛する娘とは、いつも離ればなれであった。しかし、その代わりに、父は牢獄の中から数多くの手紙を娘に送った。
 あるときは古今東西の歴史をひもときながら、またある時は詩を贈りながら――。
 その父の真心に応え、娘もまた、独立運動の若き闘士に成長していった。芯の強い女性であった。しかし彼女の母は、若くして病気で亡くなり、すでにいない。父はいつも牢獄――。気丈な彼女も、時には弱音をはいた。
 独りぼっちの寂しさを彼女は獄中の父につづり送った。冒頭に「親愛なるお父さん」――いい言葉である。
 皆さんも、ときにはお父さんに「きょうは、いい秋空ですね。一緒に散歩しませんか」などと声をかける温かさ、聡明さをもってほしい。思いやりの言葉一つで、家族みんなが明るくなれる。
 手紙は続く――。
 「お父さんがいなくて、さびしくてたまりません。お父さんの部屋のドアはいつもしめてあります。ガランとした部屋に足を踏みいれてだれもいないことを知るのが嫌なのです」
 これに対し、父は獄中から返事を書き送った。
 「あなたがスイスやイギリスにいて、私に似たような(独りぼっちの)状況にあったとき、私がどうしたか教えておげましょうか」
 「私は、あなたの部屋と私の部屋の間のドアを、いつも開け放しておきました。
 毎朝、あなたの部屋を訪れ、毎晩、あなたの部屋に『おやすみ』を言いに行きました。
 あたかも、あなたがそこに住んでいて、たった今、外出して、いつもどってくるかしれない……そういうふうに明るくて、風とおしのいい、楽しい感じの部屋にしておきたかったのです。時々、花も飾りました」と――。
 寮生、下宿生の皆さんのご両親も、きっと同じお気持ちであると思う。表面的にはそう見えなくても、「心」は違う。皆さん自身が親になった時、かならずわかる。
 しかし、その年代にならなくても、そういう「心」をわかるよう努力していく。それが人間教育である。
4  厳然と「わが道をゆく」人生
 この父の手紙を受け取った娘インデイラは、さっそく、父の部屋の大掃除をはじめたという。
 ほほえましい光景が目に浮かぶようである。どんなに離れていても、父と娘の心の扉は、いつも開かれていた。私と学園生の皆さんも、まったく同じである。(拍手)
 またある時、娘に元気がない、落ちこんでいるようだと感じると、父は手紙を書き、獄中から娘に送った。
 「ともあれ、たとえ全世界が誤った方向へ走ったとしても、私たちが個人として、運命に従わなければならないという理由は、何もありません。
 ベートーヴェンが言ったことを覚えていますか?
 よりによって、耳が聞こえないという苦難に見舞われた、あのベートーヴェンが言った言葉です。
 彼は『私は運命の喉を絞めてやる。運命が私を打ち負かすことなど、絶対にさせない』と言ったのです」
 「人間は、一念を定めさえすれば、天国からの風にも、地獄からの風にも、不動の姿勢で立ち向かえるのです。
 そして人間は、運命そのものを左右し、転換することができるのです」
 ”運命をけちらせ!””運命の鎖をたたき切れ!””運命なんかに負けてたまるか!”――これがベートーヴェンの決心であった。
 不屈の人生である。厳然と「わが道をゆく」人生である。
 ”人間は、いかなる運命をも転換できる”――これは私が小説『人間革命』『新・人間革命』でつづっているテーマでもある。
 愛する娘に獄中から送った父の言葉――。私はそれをそのまま、私の生命の娘であり、息子である学園生に贈りたい。(拍手)
 仏法でも「八風」(=楽しみや苦しみなど、人の心を動かす要素を八つの風にたとえた)に負けない人が、まことの賢人であると説く。
 どうか学園生は、どこまでも自分らしく、揺るぎない「一念の強さ」をもっていただきたい。そのうえで英知を磨きに磨くことである。いくら英知を磨いても、「不動の一念」「不動の信念」がなければ、風に飛ばされる木の葉のようなものである。
 やがては人類の運命、世界の運命をも転じゆく二十一世紀の大指導者を育てるのが、学園の使命である。諸君のご健闘を祈りたい。
 ご両親によろしくお伝えください。ありがとう! お元気で!

1
1