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創価中学・高等学校第27回入学式、関西… 「なぜ」と問い続ける好奇心を

1994.4.8 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

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2  「根」が深ければ必ず「花」は咲く
 現在、イギリスに留学中の皆さんの先輩からの便りである。
 「本日は嬉しいご報告があります。先日、現在、私が修士課程の学生として学んでおります英国のブラッドフォード大学平和研究学部から、正式に平和学博士号の研究生として、今秋より受けいれるとの通知をいただきました」
 「思えば、七年前、私は創価学園栄光寮の寮委員長として、先生を、新しく建てていただいた栄光寮に、ご案内申し上げました。その折、先生より、私たち寮生に対し、『寮生は偉くなるんだ。社会の一流の名士になりなさい』との激励をいただきました」
 「以来、かならず世界平和のために戦える一流の人間になろうと心に決め、歩んでまいりました。
 多くの挫折と失敗もありました。しかし、先生と青春時代に結んだ誓いの絆、栄光寮生、学園生、創大生としての誇りは、消えたことはありませんでした。『とにかく勝つんだ』と何度も自分に言い聞かせてまいりました」
 手紙は次の言葉で結ばれている。
 「次の七年間を、さらに自身の人間性と知性を磨く、鍛えの年月とし、池田門下生として恥じない男になろうと、決意を新たにしています」
 こうした皆さんからの手紙は、後世に残してあげたいと私は願っている。
 もう一人の先輩からも、この春、筑波大学を卒業し、同大学院博士課程の物理学研究科に進学した、と報告があった。じつは、彼は、高校に入学して間もなく、お父さんを亡くした。私は、お父さんの闘病中、彼と妹さんに会って、激励した。それから八年、彼も妹さんも立派に成長して、お母さんに親孝行している姿が、私は本当にうれしい。
 こうした学園生の活躍を聞くと、私の胸は躍る。何があろうと、私には、諸君という偉大な「希望の太陽」がある。諸君の「幸福」と「凱歌」と「栄冠」こそが、私の人生である。(拍手)
 また、たとえ、学園時代、日立たなくとも、こつこつと学び、根を張った人は、かならずや、自分らしい使命の花を咲かせることができる。これを確信していただきたい。
 昨年の秋(1993年9九月)、私は、アメリカ創価大学で、世界的な科学者ジャストロウ博士と「大宇宙のロマン」を語りあった。
 博士は、アボロ計画の理論的な中心者として、人類をはじめて月へ着陸させた方である。
 私は、こうした科学者をはじめ、世界的な哲学者、社会の指導者、文豪と対話をかさねている。
 諸君も、あとに続いていただきたい。「知性」を鍛えぬいていただきたい。
 博士が所長を務めるウィルソン山天文台と、わが創価学園(関西校)とをコンピューター・オンラインでつなぎ、天文観測をおこなう教育プログラムの計画も現在すすめられている。
 アメリカの天文台の大望遠鏡をとおして、日本の学園でも、先端の天体観測がそのまま見られるすばらしいシステムである。
 (=94年9月にテスト画像受信に成功。同プログラムはアメリカ、オーストラリア、イギリスについで4番目、日本では創価学園がはじめて導入)
3  ”無限の力”引きだすのは探究心
 ジャストロウ博士が、理想の科学者の重要な資質としてあげているのは、どういう点か。それは別にむずかしいことではない。「子どものような強烈な好奇心」と、博士は指摘されている。どんなことに対しても、「なぜ?」「どうして?」と、生き生きと、問いを発し続けていく探究の心である。
 このフレッシュな生命をどこまで発揮できるか。それを決定づける時代が十代である。
 現代の脳科学によれば、人間の「脳」には、「記憶」をつかさどるとされる大脳皮質だけでも、少なくとも、百億個以上もの神経細胞(ニューロン)があり、それぞれのニューロンに対し二千ものシナプス(接合部)があると考えられている。すなわち百億の二千倍という、ケタはずれの数のシナプスによって、ニューロン同士はネットワークをつくっている。こうした壮大なる広がりをもった「脳」のことを、ジャストロウ博士は「もう一つの宇宙」と表現されている。
 また、私と対談したモスクワ大学の前総長で大科学者のログノフ博士も、「脳細胞全体の中で、人が一生のうちに使うのは、せいぜい六〇パーセント程度と言われています。なかには一〇パーセント未満であろうという学者もいます。いずれにしても、私たちの頭脳が未開発の大いなる可能性を秘めていることは、疑いない事実です」(『科学と宗教』潮出版社)と語っておられた。
 どうか、皆さんは、「頭脳」も「体」も「心」も、限りなく鍛えぬいて、すばらしい人生、はつらつと開けゆく人生を送っていただきたい。
 皆さんの晴れのスタートを祝福するように、きょうの桜は、たいへんに美しい。関西校の桜も、きょうが、ちょうど満開であるとうかがった。
 また、創価大学のキャンパスでは、十五年前、周恩来総理の夫人である鄧穎超女史の来日を記念して植樹した「周夫婦桜」も、爛漫と咲き香っている。
 本日、東京富士美術館で、中国の方々との友情の結晶として、「現代中国巨匠書画展」の開幕式がおこなわれている。ここには、中国の「国宝」と呼ばれる作品のほか、私がいただいた周総理夫妻の形見の品も、展示されている。(=周総理の象牙のペーパーナイフと鄧女史の玉製の筆立て)
 鄧穎超女史は、東京・関西の創価小学校と交流している北京第一実験小学校で教鞭を執られたことがある。
 また、中国といえば、一月に訪問した深圳でも、学園出身の先輩が、健気に奮闘されていた。
4  「きのうの自分」を乗り越えよ
 鄧女史が、「人民の幸福」のための運動に身を投じたのは、十五歳の時(1919年)。皆さんと同じ年代である。十五歳といえば、もう大人である。女史は立ちあがった。人民のために。自分のためではない。自分が偉ぶったり、楽をしたりするためではない。ただ人々のために、ただ社会のために――そこに本当の偉さがある。
 当時の中国は、日本をはじめ諸外国から侵略され、脅かされていた。国内にも、外国と結んで私腹を肥やす勢力があった。そのなかで彼女は、同志とともに、友人とともに、立ち上がる。有名な「五・四運動」である。胸中には、正義の炎、理想の炎が燃えていた。若者ならば、そうでなければならない。
 彼女は、雑誌に、火を噴くような一文を発表した。タイトルは「なぜ……?」。
 人々が苦しんでいるのに、同世代の友は、無関心をよそおっている。彼女は、こうした人々に、率直な疑間を投げかけたのである。女史は間う。
 ――なぜ、実行しないのか?
 一部の学生は、理屈はうまい。他人を批判するのは得意だ。しかし、行動すべき時に、みずから実行しない――と。
 彼女は聡明に見破っていた。口先だけの人間、格好だけの人間は、いざという時に逃げていく。結局、臆病であり、卑怯なのである。あてにならない。そうした人間に、歴史はつくれない。
 皆さんは、「行動の人」「勇気の人」「信念の人」に育っていただきたい。その人が立派なのである。テレビに出たり、有名になるのが偉いのではない。
 また、女史は、こう書いている。
 ――なぜ、嫉妬するのか?
 嫉妬は、自分の心を疲れさせるだけである。嫉妬の心には陰謀がともなう。他人が自分の前に行くのを恐れ、何とか他人の足を引っ張ろうとする。自分も他人も、ともに成長すればいいではないか。なぜ、嫉妬する必要があるのか――と。
 彼女は十五歳で本質を見ぬいていた。
 他人と自分を比較して一喜一憂するのは、愚かである。
 それよりも、「きのうよりきょう」「きょうより明日」へと、自分を高めていけばよいのである。
 学園は、うるわしい「人間性の園」であり、「城」である。暴力は、絶対に否定――これが、学園の永遠の伝統である。
 どうか、おたがいに心から励まし、尊敬しあう、”魂のスクラム”を築いていただきたい。限りなく続く後輩のためにも。
5  「人間」ならば「前へ!」「前へ!」
 女史は問いを続ける。
 ――なぜ、人を見くだすのか?
 人間は平等であり、助けあうものである。それなのに、多くの学生は、少しばかり学問があるからといって、自分は特別な人間だといばっている。学問のない貧しい庶民とは、かかわろうともしない。それどころか、あざ笑っている。
 私は問いたい。「何のため」に教育を受けているのか――と。
 「何のため」――校歌にこめられた学園の精神と同じである。
 「何のため」という、たしかな原点がある人は強い。この一点が定まっていれば、人生に迷わない。苦しくても、へこたれない。まっすぐに伸びていける。
 鄧女史は、みずからの青春の誓いのままに、人民のために、人民とともに、八十八歳の生涯を生きぬき、戦い続けた。(金鳳『鄧穎超伝』人民出版社を参照)
 皆さんも、ひとたび決めたわが理想を貫く、勇気ある人生を生きぬいてほしい。そのための原点を、この学園で築いていただきたい。(拍手)
 最後に、皆さんに、フランスの文豪ユゴーの言葉を贈りたい。
 ユゴーといえば、ブラスナー博士ご夫妻が寄贈してくださったすばらしいブロンズ像が、創価大学にある。トルストイ、ホイットマンの像も贈ってくださった。いずれも私が青春時代から愛読してきた文豪である。(=創価女子短期大学にはキュリー夫人の像を寄贈)
 さあ、前進しよう! ュゴーは呼びかける。
 ――人間の眼は、頭の後ろにはついていない。これは人間が、本来、前へ進むべきことを意味する――と。
 「わたしの考えは、いつも前進するということです」「つねに、夜明けのほうを、開花のほうを、誕生のほうを見ようではありませんか」(『九十三年』榊原晃三訳、潮出版社)。前進こそ、また進歩こそ、人間の証明である。一歩でも二歩でもよい。一ミリでもニミリでもよい。一日一日、かならず前ヘ進む。その人が「勝利の人」である。「栄光の人」である。
 冒頭に紹介した学園の先輩も、私がかつて揮豪して贈った「勝利者とは、前にむかって、最後まで努力しぬいた人の証である」という一言を励みに、がんばってきたと手紙につづってあった。
 どうか、これからの三年間、また六年間、「前へ、どこまでも前へ」を合言葉に、自分自身の黄金の歴史を創りあげていただきたい、と申し上げ、私のお祝いのスピーチを終わります。おめでとう!

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