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創価中学・高等学校第26回入学式、関西… 「勇気」の二字に学園の魂

1993.4.8 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

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2  「世界への道」が「君たちの道」
 今回、私は約ニカ月にわたって北・南米六カ国九都市を訪れた。どこの地にも、学園から巣立っていった諸君の先輩がいた。
 学園時代はとくに目立った存在ではなかった人たちも、今、目を見張るような活躍をしている。私は本当にうれしい。
 「世界への道」は、恩師戸田先生から託された、私の「使命の道」である。
 「君は世界に征くんだ。世界の民衆が待っている。そして、世界の知性と友情を結ぶのだ。君の開く道を多くの青年たちが続いていくだろう」と。
 この恩師の遺言のままに、今から三十三年前の昭和三十五年(1960年)、私は一人、平和への遠征を開始した。
 学園の建設準備も、私は、このころ、すでに人知れずはじめていた。”最高の教育環境の場所を”と、土地の選定もはじめていた。
 さて、このたびの北・南米の旅の最後の訪間地はサンフランシスコであった。私が、三十三年前、北米大陸に第一歩を印したのも、このサンフランシスコである。
 サンフランシスコで、私は、カリフオルニア大学バークレー校を訪問し、チェン総長と語りあった。
 同校には、以前にも訪れたことがある(1974年)。当時のボウカー総長とも懇談した。”創価学園、創価大学の未来をどう開いていくか、どうあるべきか”――そうした思いで、私はこれまで思索をかさね、発展の種をまいてきたつもりである。
 すべて皆さんのために、私は道を開いてきた。あとには、バトンを渡す学園生がいる。創大生がいる。それを思えば、私は幸福である。
 本日は、皆さんに、まず「勇気の二字で青春を勝ち取れ」と申し上げたい。
 何ごとも「勇気」である。朝、起きるのも、また”誘惑に負けてたまるか”とテレビを消すのも(爆笑)、「勇気」が必要である。勇気とは自分に打ち勝つ強さである。勇気がないのは、衝動と本能に引きずられた弱い生き方である。悪しき衝動や本能を抑制できるのが人間である。勇気の裏づけとなるのは「知性」なのである。
 バークレー校は「東のハーバード、西のバークレー」とならび称され、十五人ものノーベル賞受賞者を出している。世界的な「知性のセンター」である。
 今回の訪間の折、チェン総長から開学百二十五周年を記念して「教育・平和貢献賞」を贈っていただいた。また、「ぜひ、わが大学でも講演を」との要請もいただいた。
 総長は、著名な物理学者として偉大な業績を残すとともに、学生を心から大切にされる大教育者である。学生・生徒をわが子のごとく大切にする――それが本物の教師である。
 チェン博士はアジア系でははじめて、アメリカの主要大学の総長となられた。異国の地で新たな道を開拓することが、どれほどむずかしいことか。それを可能にした一つの力が、総長の「勇気」であった。
3  英知の「骨格」築いた青春の苦闘
 日本軍の中国侵略や、その後の激動――総長が十四歳の時には、一家は財産と故郷を奪われた。また、その三年後には、尊敬する父を亡くすという苦難の連続――。そのなかで、総長は「学びの炎」を燃やし続けた。負けなかった。やがて、奨学金を勝ち取ってアメリカに留学する。
 しかし、そこに待っていたのは、人種差別の壁であった。「東洋人」というだけでいじめられ、担当の教授からは軽侮をこめて「チャイナ・マン(中国人)」と呼ばれ、名前で呼ばれることはなかったという。
 かつて軍国主義が横行した日本でも、中国の人や朝鮮の人を見くだし、差別していた。戸田先生も、私も、この横暴に激しい怒りを抱いていた。
 総長は、臆病な負け犬ではなかった。ばかにした呼び方はやめるよう教授に抗議したのである。
 正しいこと、言うべきことは、きちんと言わねばならない。臆病では、結局、自分が損をしてしまう。悪に絶対に負けてはならない。
 ”いじめ”も多くの場合、勇気をもって抗議できない弱さに、つけこまれてしまう――と、ある教員の方が語っていた。「勇気」の心が、わが学園の「負けじ魂」である。先輩から後輩へと、受け継がれている伝統である。
 さらに、総長は、この屈辱を前進のバネにした。「いつの日か、私が平等と調和の社会を築いてみせる」と決意し、みずからの「人格」と「知性」を磨いていかれたのである。
 そして今、そのとおりの人生を歩んでおられる。まさに勝利の姿である。
 また、総長は、若き日、勉強だけではなく、バスケットボールにも、はつらつと汗を流した。
 小柄な総長は、背の高い人より、何倍も努力しなければならなかった。しかし、そのなかで鍛えられたことが、全部、エネルギー源となっているという。
 また、チームワークを大切にする心も、スポーツをとおして身につけた――と。
 どうか、わが学園生も、すべてにベストを尽くす、勇気ある「獅子」と育っていただきたい。
4  朗らかな人が強き人、勝てる人
 次に「朗らかな挑戦の心で、大いなる人格をつくれ」と申し上げたい。
 舞台は同じサンフランシスコ。今から百年あまり前、日本の一人の青年が、長い太平洋の船旅を終え、この地に立った。
 のちに「太平洋の橋」、そして「国際連盟の輝く星」(連盟事務次長)とうたわれ、日本を代表する国際人として活躍した、新渡戸稲造博士である。ご存じのとおり、博士の肖像は五千円札に使われている。
 博士は、「創価教育」の原点である牧口先生の友人であった。『創価教育学体系』の発刊にさいし、博士は「これこそ待ち望んでいた教育学である」「創価教育学の意義ある門出を祝したい」等の序文を寄せてくださった。
 (=「君の創価教育学は、余の久しく期待したる我が日本人が生んだ日本人の教育学説であり、而も現代人が其の誕生を久しく待望せし名著であると信ずる」「此処に創価教育学の意義ある門出を祝し、一文を具して之を推奨するものである」と記されている)
 一流の人は一流の人を見ぬく。その偉大さを心から称賛できる。反対に、二流、三流の人は、一流が理解できなかったり、ねたみ、非難したりするものだ。
 今年は、博士が亡くなって六十周年。その意味で、きょうは「創価教育学」の理解者であった博士の青年時代のエピソードを紹介したい。
 新渡戸青年がアメリカ(東部のジョンズ・ホプキンス大学)に留学して間もないころ。めずらしい日本の話が聞きたいと、講演の依頼を受けた。一応、引き受けたものの、まだ、それほど英語に自信があるわけではない。非常に困った。
 当日――約束の講演の時間が近づくにつれ、緊張で胸は高鳴り、体はガクガクと震えがとまらなかった。もうダメだ、このまま逃げだしたい、とも思った。しかし彼は、きっぱりと腹を決めた。
 「うまくやろうなどと考えずに、思っていることを、思いきり、ぶつけてみよう」と――。
 すると、しだいに体の震えはとまり、落ちついて話をすることができた。
 彼は、こうした経験を何度かかさねるうちに、やがて何百人を前にしても、水が流れるように流暢なスピーチができるようになったという。
 青春とは、”勇気ある挑戦”の連続である。失敗を恐れて委縮していては、何もできない。何も残せない。
 ともかく前へ前へと進むことである。たくましい「挑戦」の心こそが、自分の「可能性」を広げていく。
5  自分に負けず「学びの炎」を
 長い人生には、いろいろなことがある。博士も十七歳で愛する母を亡くした。
 また、極度の近視であり、激しい頭痛、ノイローゼなど、何度も病に倒れたこともある。
 しかし”真の勝利者とは、自分に勝つ人である”――これが博士の人生の一つの結論であった。私も、そう確信する。
 皆さんも、思いもよらない問題に直面することがあるかもしれない。しかし、同じ苦労であるならば、年をとってから、あれこれ苦しむよりも、若い元気な時に、苦労をかさね、苦難を乗り越え、確固たる土台をつくっておいたほうが、くずれない幸福を築いていけるものだ。
 サンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジ(金門橋)も、堅固につくられているがゆえに、大地震にも耐えられた。
 青春時代は人生の土台をつくる時である。確固たる土台があってこそ、大いなる建設ができる。  
 今こそ、皆さんは、二十一世紀に揺るぎない「世界の平和の橋」となる人格の土台を築きあげていただきたい。
 新渡戸博士は、ある青年に語っている。
 「日本村(ジャパン・ビレッジ)で有名になろうなどとは考えるなよ」(松本重治「新渡戸先生」、『現代に生きる新渡戸稲造』所収、教文館)と。
 ちっぽけな日本でなく、世界を舞台に生きぬけ――これが博士の信念であり、若き友への期待であった。私も同じ決意で生きてきた。皆さんに同じ期待を寄せている。皆さんの本舞台は「世界」である。「地球」である。
 私の世界の旅も、南米のチリで五十力国となった。そのチリの大詩人であるミストラル女史は「世界のどこでも私を必要とするところへ行こう」――と述べている。
 何度も申し上げるが、学園出身の皆さんのお兄さん、お姉さんたちも、こうした心意気で、世界中で活躍している。凛々しいその姿を見るたびに、私は安心する。立派だと感心する。
 チリは、訪間するには日本から”いちばん遠い国”である。
 文化の薫り高き「詩の国」として有名である。これまで、このミストラル女史と革命詩人ネルーダの二人がノーベル文学賞に輝いている。
 最後に、この二人のエピソードをとおし、「ダイヤモンドの友情を築いていただきたい」と申し上げたい。
 一九四九年、ネルーダは弾圧を受け、国外に亡命した。「正義の人」は、かならず不当な弾圧を受けるものだ。すかさず各国にある大使館、領事館に「ネルーダをかくまうな」と命令が出された。
6  一度結んだ友情は裏切らない
 ところが、ちょうどイタリアで領事をしていたミストラル女史は、少しも恐れることなく、ネルーダを受け入れ、きっぱりと語った。
 「友達に私の家の扉を開かないなんてことはできません」(芳田悠三『ガブリエラ・ミストラルー風は大地を渡る―』JICC出版局)と。
 一度結んだ友情は絶対笙暴切らない。その人がたいへんになればなるほど守りぬいていく。これが「人間性」である。私の生き方でもある。
 信頼を”裏切る”のは、自分で自分の人間性を裏切っているのである。良心を失った卑劣な人生となってしまう。
 信条の違い、立場の違いを超えて、真の「人間」として、人格と人格で結ばれていく――その友情は人生の宝である。私も世界中に真実の友人がたくさんいる。
 皆さんも、この学園でダイヤモンドのごとき友情を幾重にも育んでいただきたい。
 青春は二度とかえらない。大切な一日一日を楽しく、朗らかに過ごし、自分自身の実力を養うすばらしい歴史をきざんでいただきたい。私は、これからも、いよいよ世界をまわるつもりである。
 命あるかぎり、どれだけ人類のために働けるか、どれだけ後世のために道を開けるか――皆さんのために、その模範を私は示しきっておきたい。(拍手)
 きょうは、本当におめでとう。関西学園の皆さんも、”おおきに”! ご父母の皆さまも、ありがとうございました。
 次に、お会いできる日を楽しみに、本日の祝福のスピーチを結びたい。

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