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創価中学・高等学校第23回卒業式、関西… 苦難を克服し、理想へ進め!

1993.93.16 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

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1  わが愛する卒業生の皆さん、晴れやかな卒業式、本当におめでとうございます。また、教職員の皆さま、ありがとうございました。そして、ご家族の皆さまに心からお祝いを申し上げます。
 私は今、サンフランシスコで、皆さんの「栄光の道」「希望の道」を全力で切りひらいております。また、ここアメリカでも、皆さんの先輩方が元気で活躍しております。
 皆さんの本舞台は「世界」です。きょうの旅立ちの式典には出席できませんが、私の心は皆さんと一緒です。私は万感の思いをこめて「学園生、がんばれ!」とエールを贈り、一言、「若き日に『正義の剣』を磨け」と申し上げたい。
 私は過日、アメリカ創価大学で、「人権の母」ローザ・パークス女史とお会いしました。八十歳を迎えられた今も、「人間の尊厳」のため、「人権の夜明け」のために戦っておられる方であります。女史は、一回りも若い私に対して、「世界平和のために池田会長とともに旅立ちたい」と語ってくださいました。この言葉を、私は皆さんと分かちあいたい。皆さんは、私とともに、そして世界の良識とともに、平和のため、人間のために歩んでいく若き友だからであります。
 さて、皆さんもご存じのように、四十年ほど前、白人優先の”人種差別バス”に対し、このパークス女史が「ノー」と叫んだことから、人種差別撤廃への大きな波が起こりました。「アメリカ公民権運動」の歴史に燦然と輝く「バス・ボイコット運動」であります。その自由への戦いを指揮したのが、当時二十代なかばの青年であったマーチン・ルーサー・キング氏でした。インドのマハトマ・ガンジー亡きあと、最大の「非暴力運動」の指導者として有名です。一九六四年には、ノーベル平和賞を受賞しています。
 このキング氏の闘争の出発点はどこにあったか――。それはじつに、高校時代に培われたという。高校生のとき、彼は、ある町で開かれた弁論大会に出場し、黒人問題にふれたスピーチをおこない、優秀な成績を収めます。ところが、楽しいはずの帰りのバスの中で、あとから乗った白人に席を譲るよう強要されたのです。お年寄りに席を譲ってあげなさいというのなら、喜んでそうしたでしょう。しかし、黒人だというだけで、強引に席を立たされたことを、「わが生涯でもっともくやしい体験」として、絶対に忘れることができなかった。「いつかかならず、人間を苦しめる差別をなくしたい」と、「自由」と「平等」への戦いを深く心に期したというのであります。
 悪と戦い、勝ってこそ正義です。「人権差別への怒り」を胸中に宿したキング少年は、「十年一剣を磨く」という言葉どおり、正義の剣を磨いていきました。そして、パークス女史の勇気ある行動をきっかけに、「人権革命」に雄々しく立ち上がった。言論を武器に、幾十万もの黒人たちに希望と勇気の光を贈り、時代を大きく変えていったのであります。
 皆さんもまた、この創価学園で、永遠に消えない「使命の炎」を胸にともした一人一人であります。その大切な炎を生涯燃やし続け、二十一世紀の世界を晴れやかに照らしゆくことを、私は信じています。
 どうか、今は徹して勉学に励み、「正義の剣」を磨きぬいていただきたい。深く、また深く学び、力をつけた人が、「未来の勝利」「栄光の人生」を勝ち取っていけるのです。
 パークス女史を、皆さんの先輩たちが「ウィ・シャル・オーバーカム」の歌の大合唱で歓迎し、また見送りました。女史も満面に美しい笑みをたたえて聞いておられた。「ウィ・シャル・オーバーカム」とは、すなわち「私たちは勝利する」という意味であります。
 パークス女史は、キング氏をはじめとする同志とともに、この歌を高らかに歌いながら、幾多の苦難を克服(オーバーカム)し、堂々と前進していったのです。その歌声で女史を見送りながら、私は思いました。真実の勝利は自分自身に勝つことである、と。
 パークス女史も、またキング氏も、世間の圧力に負けそうになる自分の「弱い心」「臆病な心」に打ち勝ったからこそ、偉大なる「勝利の歴史」を築くことができたのです。
 どうか、皆さんはどんなときも、何があっても、学園魂である「負けじ魂」を胸に、「ウイ・
 シャル・オーバーカム!」と、勝ちぬいていただきたいのであります。その「強き心」にこそ「希望の太陽」はまぶしく輝きわたるのです。
 学園が皆さんの故郷です。この原点の地を、そしてここで培った友情を生涯、大切にしていってください。
 世界中で、凛々しく成長した皆さんとお会いする日を楽しみにしています。
 皆さんの「健康」「勝利」「栄光」を心から祈りつつ――。

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