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東京創価小学校、創価中学・高等学校合同… 若き「心」に「大目的の柱」を

1992.10.3 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

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2  「平和の道」「友情の道」を世界に
 きょうの集いには、皆さんの先輩である卒業生の代表も駆けつけてくださっている。東京、関西の創価学園、小学校、創価大学の出身者が各界で、また世界各地で活躍されている様子をうかがい、頼もしいかぎりである。私はうれしい。(拍手)
 先日も、ある学園出身の方から、一枚の写真をいただいた。
 そこには、水墨画のような中国・桂林の景色のなかに、彼とお父さん、お母さんの二人が並んで、にこやかな笑顔で写っていた。
 彼は、学園時代、私の撮った桂林の写真が大好きだったという。そして「創立者が旅したこの地に、いつか両親を連れて行ってあげよう」と心に決めた。
 それから十年、「やっと、その願いが実現しました」という、うれしい便りが添えてあった。
 私が世界中を駆け巡っているのは、皆さんが将来、思うぞんぶん、世界に翼を広げられるよう、「平和の道」「文化の道」「友情の道」「勝利への道」を残しておきたいとの思いからである。
 「無限大! 僕らは心のパイロット」――今回の学園祭のテーマのように、諸君の無限の可能性の舞台を、世界に築いておきたいからである。
 今回の訪中でも、皆さんのために一生懸命、道を開いてくる決心である。(拍手)
 皆さんは、かけがえのない宝であり、私との縁深き人である。それぞれの目的に生きぬいていく使命がある。人生の途上に、何があろうとも、その自覚と誇りと確信を忘れないでいただきたい。
3  傲慢と戦い、弱者を守る
 中国といえば、亡き周恩来総理のことが思い出される。日中国交正常化は、周総理が築いた最後の外交の舞台であった。
 周総理については、これまでも折あるごとに語ってきた。
 総理は、どこまでも徹して「人民」のため、「人間の幸福」のため、「世界の平和」のために戦いぬかれた偉大なる「人民の父」であった。
 自分のエゴではなく、お金のためでも、名声のためでもなく――。日本には、残念なことに、なかなか、こうした指導者がいない。
 きょうは、周総理の少年時代の話をしたい。
 中学生の皆さんと同じ年代のころ、周総理は、じつは、どちらかというと”いじめられっ子”であった。
 体は弱々しくやせており、恥ずかしがりやだったといわれる。言葉に”なまり”があったために、何度となく上級生に殴られたり、いやがらせをされたという。
 けれども周少年は、たんなる”いじめられっ子”ではなかった。筋の通らない横暴には絶対負けないという、強い”芯”があった。
 こんな学校生活をなんとか変えたい――。そう思った周少年は、自分と同じようにいじめられている子どもたちを集めることにした。
 こうして仲間を集めて、登下校など一緒に行動した。皆で力を合わせて、”いじめ”に立ちむかったのである。そのうち、この”共同戦線”のまえに、いじめっ子たちは、二度と彼らに手を出せなくなったという。(金沖及・主編『周恩来傳<上>と狭間直樹監訳、阿吽社。参昭』
 皆さんも、家庭の悩み、学校での悩み等、さまざまな、つらいことがあるかもしれない。
 しかし、要は”心”と”頭”である。自分の”心”ひとつ、”知恵”ひとつで、生活を、どこまでも朗らかに、楽しくしていける。
 また周総理は、幼くして生みの母、育ての母をあいついで亡くされている。そうした悲しみにも負けず、すべてを自分の”鍛えのバネ”にしていったのが、総理の少年時代であった。
 昨日、語りあったチリ大使も、不遇のなかから立ち上がり、勝ちぬいてこられた方である。苦難が自分をつくる栄養となった、と語っておられた。
 偉大な仕事をなす人は、皆、苦労している。苦しみを乗り越えて、自分を鍛えあげている。
 何の苦労もない、順風だけの生活に甘やかされてしまっては、偉大な建設などできるはずがない。「苦労」こそが「財産」なのである。
 このエピソードが示すように、周少年は「強い者には強く、弱い者には優しく」との心を培っていた。また、彼の目は社会にも鋭くむけられていった。当時、中国は、日本をはじめ帝国主義諸国からの侵略を受けて、植民地化が進んでいた。
 周少年は、動乱の中で苦しむ人々が、かわいそうでならなかった。そして、傲慢な権力に対して、「怒りの炎」を燃やした。
 その悔しさをバネとして、彼は、まず自身の勉強に取り組んだ。中国の古典である『史記』や『漢書』などを徹底的に読み、さらに、英語や数学など、あらゆる勉強に懸命に挑戦していった。
 その心には、いつかかならず、自分の手で、虐げられた祖国を救いたい。そのために、だれにも負けない力をつけよう――との強い決意があったにちがいない。
 ある時、学校(奉天東関模範学校)の先生が、生徒たちに”なぜ勉強するのか”とたずねたことがあった。他の友人たちが「金持ちになるため」とか、「良い仕事につくため」と答えていたなかで、周少年だけは「中国が立ち上がれるように」と、きっぱり述べたという。
 「何のために」学ぶのか。心に、その柱がある人は強い。信念の定まった人は、何があってもくじけない。
 反対に、慢心の人は、心がクルクル動いて定まらない。結局、周囲の変化に流され、自分の感情に負けてしまう。家屋でも「柱」がなければ、建つわけがない。
 皆さんは、この周少年のごとく、心に「大目的の柱」をもった、青春の「学びの王者」であっていただきたい。(拍手)
4  若き日に鍛えた「人格」が歴史を変える
 大きな目的観をもった周少年は、勉学に対しては「厳粛」に取り組む一方で、さまざまな活動においては「活発」な少年になっていった。
 学校やクラスの行事となれば、どんなにたいへんな仕事であろうとも、積極的に参加したという。彼は友人にこう述べている。
 「課外の事務が自分に集中し、なにもかも、何時、何処でも、責任のわが身にかからないものはない。人はこれを見て愚かだというが、わたしはこれらのことをするにあたり、その中に倍の楽しみを感じているのです」(前掲『周恩来傳』)と。
 私には、この若き周少年の姿が、この学園で勉学、クラブ活動、諸行事にがんばっている諸君の姿と二重写しになって見える。さまざまな苦労は、全部、自身を磨く「訓練」となり、未来の大指導者と育つための「基盤」となるにちがいない。
 自分を「訓練」しきった人が「勝つ人」である。訓練を避けた人は、いつか行き詰まり、敗北の人生となる。
 「強い者には強く、弱い者には優しく」「勉学には厳粛に、活動は活発に」――周総理が少年時代に築いたこの心は、生涯、変わることがなかった。
 こうして鍛えられた偉大なる「人格」が、のちに世界の外交の歴史をも大きく変えていったのである。
5  ”同心努力”で”万里の未来”ヘ
 一九五五年(昭和30年)、周総理は、大国の圧迫に苦しむアジア、アフリカの諸国に連帯を呼びかけ、インドネシアのバンドンでアジア・アフリカ(A・A)会議を開催したが、その友好の要の役割を果たした。
 これは「バンドン会議」とも言われ、呼びかけに応えたアジア、アフリカの二十九カ国代表が一堂に会し、反帝国主義、反植民地主義の考えに立って、「平和十原則」を決議した歴史的な会議となった。
 かつて少年時代に、団結していじめっ子たちをこらしめた”共同戦線”の拡大ともいえるものであり、若き日に培った「知恵」、鍛えぬいた「人格」による大勝利であったといえよう。
 その意味で、諸君の一日一日の「決意」と「行動」が、偉大なる自身の「人格」を築く土台となっていることを確信していただきたい。
 周総理は、小学校を卒業するとき、同窓の友人に、毛筆で次の言葉を書き、贈っている。
 「同心(=心を合わせて)努力すれば、万里の前途も、いつの日か極められよう」と。
 わが学園生にも不可能はない。どうか、友情を伸びやかに広げながら、「努力の道」「正義の道」「勝利の道」「お父さん、お母さんを幸福にする道」を、立派に歩みぬいていただきたい。(拍手)
 明春、卒業する高校二十三期、中学二十三期、小学校十二期の樹を、サンパウロ市郊外にあるブラジルSGI(創価学会インタナショナル)自然文化センターに植樹したい。自然環境を守るという意義で設置するセンターであり、”大樹”に育つであろう皆さんの樹を、いつの日か、見に行っていただきたい。(拍手)
 お父さん、お母さんを、くれぐれも大切に。せめて学園祭のきょうだけでも笑顔で、感謝の気持ちを表してあげてください。
 私はいつも、皆さんの福運、健康、無事故、幸福を一生懸命、祈っています。きょうは本当にご苦労さま。それではまた!

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