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創価中学・高等学校第25回栄光祭、関西… 「勇気の翼」あれば前途は無限

1992.97.17 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

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2  朗らかな家庭つくりゆく主体者
 先日も中東・ヨーロッパを訪れたが、私はこれまで、世界中を旅してきた。訪間国は四十六カ国にのぼる。これからも、今まで以上に、世界を駆けめぐっていく。(=1996年末現在、54カ国・地域を訪問)
 何のためか。それは、あとに続く諸君の道を開くためである。諸君が三十代、四十代、五十代となり、各国を訪れた時に、「ああ、ここにも創立者は来たんだな」と、見えない心の交流が幾重にも広がっていくことを、私は信ずる。ここに人生の深みがある。また、本当の「教育」が光っていくと思う。
 また、ある時には、「創立者も行ったあの国に、一緒に行こうね」「かならず連れていってあげるから、長生きしてね」と、お父さんやお母さんを励ましてあげる。希望に燃えて生きぬいていけるよう、温かく包容してあげる。それでこそ、本当の創価学園生ではないだろうか。(拍手)
 今は、どんな悩みがあろうと、諸君こそ、朗らかな家庭をつくりゆく「主体者」である。
 少しくらい叱られても、「叱らないといけない子どもをもって、かわいそうだな」(大笑い)、両親が夫婦げんかをしていても、「どちらも健康な証拠だな」(爆笑)――と、すべてを前向きにとらえていく。大きい心で、つねに希望の方向へと知恵を発揮していく。そして立派に親孝行していく諸君であってほしい。
 きょうは、皆さんが「勇者の心」を高らかに歌いあげてくださったので、そのお礼の意味で、古代ローマの「勇者」のお話を少々させていただきたい。
 約二千年前、栄光のローマ帝国の礎を築いた英雄シーザー(カエサル、紀元前100年頃―前44年)のエピソードである。
3  「わが誇り」を貫く人が「幸福」
 シーザーは七月生まれ。ちなみに七月のことを、英語では「ジュライ(July)」というが、これは「ジュリアス(Julius)というシーザーの名前からきている。
 シーザーが天下を取ってから、自分の生まれた七月に、自分の名をつけさせた、とも伝えられている。
 シーザーは、若き日、みずからの弁論の力に磨きをかけようと、有名な学者のもとへ旅に出た。
 どこまでも「求めぬいていこう」「学びぬいていこう」――この「求道の人」が人生の勝利者となる。傲慢はかならず行き詰まる。
 シーザーは、青く美しい地中海へ、勇んで乗りだしていった。
 地中海といえば、先日、エジプトのアレクサンドリアでムバラク大統領と、約一時間、地中海を眺めながら会談した。眼前には、どこまでも青き海と空。絵のような美しさであった。
 大統領は、中学時代の思い出として、地元に学校がないため、「片道三キロ、往復六キロ、ともかく毎日、毎日、歩いてかよいました」と懐かしそうに語っておられた。
 私は、学園生の皆さんと二重写しに、そのお話をうかがった。たとえスランプの時があっても、とにかく「学園にかよいぬこう」「卒業するんだ」「あの友だちと一緒にがんばるんだ」と挑戦していく――この姿が尊いのである。この姿のなかに「教育」の真髄がある。
 さて、地中海に船出したシーザー青年の船は、その途中で、運悪く海賊につかまってしまった。
 海賊たちは、命を助けてほしいなら、身代金を払えと、脅迫する。誘拐である。ところが、シーザーは、海賊が要求した金額を聞くと、笑って答えた。
 「それっぼっちの金でいいのか。私の値打ちを知らない者どもだ」――と。
 自分の価値は、そんな安っぽい身代金で取引するようなものではない、というのである。自分は、この人生で大いなる仕事をなす人間だ、価値ある使命の人間だ、との「誇り」「自尊心」に、彼はあふれていた。
 結局、シーザーは、はじめに要求された身代金の、なんと二倍以上のお金を払ってあげようと約束した。そのお金を用意している間、彼は、四十日近くも、海賊船に囚われの身となる。ちょうど皆さんの夏休みと同じ期間である。
4  「われとともに行く者は勝利す!」
 しかし、獰猛な海賊たちの中にあっても、彼は悠然と一日一日を過ごす。
 海賊たちを恐れるどころか、彼らとゲームをしたり、詩やスピーチを聞かせてやったりした。そして、彼の詩やスピーチをほめない者がいると、「この美しさがわからんのか。おまえたちはやばん人だぞ」(池田宣政『プルターク英雄伝』潮出版社)と叱りとばしたという。
 シーザーは、海賊の捕虜になっていたにもかかわらず、まるで海賊が、シーザーを警護しているかのようであった。
 「勇気の翼」を広げれば、何も恐れるものはない。前途は無限に開かれていく。「幸福」と「勝利」へ飛んでいくことができる。
 勇気のない人は、行き詰まる。グチの人生になる。目下の人にいばったり、いじめたりするのも、本当の勇気がない人である。
 ようやくお金が届き、シーザーは解放された。自由になるや否や、彼は船と水夫を集め、海賊の退治に乗りだす。そのまま黙って引きさがる彼ではなかった。相手の意表をついた逆襲であった。愚かでは戦いに勝てない。賢明でなければならない。シーザーはあくまでも賢く戦った。「勇気ある者」は、冷静にものごとを見るゆえに「知恵ある者」となれる。そして「知恵ある者」は、先を見ぬいているゆえに「勇気ある者」となれる。また、そうでなければならない。
 シーザーは、島に停泊していた海賊船を攻撃。彼らをつかまえると、皆、牢に、ほうり込んでしまう。そして、取られた身代金を奪い返すとともに、海賊たちが持っていた宝をも、すべて戦利品として取り上げた。シーザーは、見事に仇を討ったのである。まさに「知恵者」であり、「勇者」であった。たとえ転んでも、ただでは起きない――このたくましさ、勝負強さが、人生には大事である。
 私も、戦い、勝ちぬいてきた。いかなる策謀も、障害も、見おろしながら、「大いなる仕事」を後世に残す決心で、すべてを乗り越えてきた。
 シーザーはつねに「勇気」と「確信」で、みずからの運命を切りひらいていった。
 どんな時でも、”自分は絶対に負けない””かならず勝ってみせる”――この確信が「幸福」を築く。
 ある戦いの折、逆まく怒濤に、船頭をはじめ皆が怖気づいた。
 今と違って羅針盤も何もない時代である。しかし、「勇気の人」は、動じない。シーザーは、力強く励ます。
 「びくびくするな。おまえたちはシーザーとシーザーの運命とをお前たちの船に積んでいるのだぞ」(同前)と。
 ”私が一緒にいるのだから心配するな。私は世界一の幸運の王者なのだ。絶対に沈むはずがない”との確信の一言である。
5  父母・友人に安心と希望を
 私は、十九歳ではじめて戸田先生にお会いした時、「この人と一緒に行けば間違いない」と確信した。福運のある人と心を合わせていけば、みずからの福運を増す。つく人を間違えれば、人生の軌道は狂っていく。
 私は、「学園生は世界一福運のある青春である」と申し上げたい。
 諸君の先輩たちは、世界中で活躍している。皆、成長し、凛々しく戦っている。本当に「後生畏るべし」である。
 どうか皆さんも、”私と一緒にいるかぎり心配ない。大丈夫だ―”と、周囲の人に安心と希望をあたえていける勇者に成長していただきたい。(拍手)
 そして、お父さん、お母さんを喜ばせ、幸福にしてあげられる”創価のシーザー”になっていただきたい。おうちの方々によろしく。健康・無事故で、有意義な夏休みを送ってください。またお会いしましょう。世界一の栄光祭、そして学園祭の大成功、本当におめでとう。

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