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創価中学・高等学校第22回、関西創価中… 「柔軟の人」「芯の強い人」に

1992.93.16 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

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1  自分らしく一切をプラスに
 学園での三年間、また六年間、よくがんばりました! 晴れの卒業式、おめでとう。また、ご家族の皆さまに心からお祝いを申し上げたい。
 先ほど、代表の方々への表彰がおこなわれたが、”世界一の学園”でがんばりぬいた人は、皆、平等である。私は、東京・関西ともに「全員が創立者賞!」「全員が優秀賞、努力賞!」と、宣言したいと思うが、どうだろうか。(拍手)
 また、中学生、高校生といえばむずかしい年ごろである。親でさえたいへんなのに、教職員の方々は、何十人もの生徒の面倒をみ、成長させてくださった。本当に教育は聖業と思う。全員であらためて、感謝の拍手を送りたい。(拍手)
 若くして世間の注目をあび、甘やかされてしまう人もいる。反対に、存在が偉大であるがゆえに、あれこれと騒がれ、批判めいたことを言われながら、それでも自分らしさを失わない人もいる。学園生も注目されている。注目を自分のプラスにするか、マイナスにするか――諸君は、創価学園生として、立派に一切をプラスにしたと確信する。
 昭和二十八年(1953年)七月、私は恩師戸田先生から、次のお歌をいただいた。
  大鵬の
    空をぞ かける
      姿して
    千代の命を
      くらしてぞあれ
 大鵬とは、中国の想像上の鳥で、翼の長さが三千里。一度に九万里を飛ぶという。”雄々しく翼を広げた大鵬が大空に羽ばたいていくように、生涯、そして永遠に、世界に舞っていきなさい。平和のために飛翔していきなさい”との戸田先生のお心が、そこにはあった。
 そのとおり、私は恩師の心をわが心として、世界のため、平和のために翔けてきた。先生の言われたこと、自分自身で決めたこと――私はすべて実現してきた。
 先日、インドを訪問した折、私はこの和歌を揮毫し、ともに訪問した皆さまに贈った(2月14日)。戸田先生ご誕生の二月十一日にちなんで――。
 諸君も同じく、「世界へ」また「世界へ」と雄飛していっていただきたい。世界は大きい。小さな社会、小さなことにとらわれて生きては、つまらない。諸君の「大鵬の飛翔」への熱い期待をこめて、私はこの恩師のお歌を、今回の卒業生に贈りたい。(拍手)
 諸君の将来のために、世界への道を、私は切りひらいてきた。
 この秋には、香港に創価幼稚園が開園する。シンガボールの創価幼稚園も計画が進められている。(=香港は1992年9月、シンガポールは93年1月に開園)
 また、創大ロサンゼルス分校(現アメリカ創価大学)、ヴィクトル・ユゴー文学記念館(フランス)、タプロー・コート総合文化センター(イギリス)、香港総合文化センター(=96年5月完成)をはじめとして、南欧にも、北米、南米にも、世界各国で平和・教育・文化のセンターが、諸君の訪れを待っている。これからも、諸君のために舞台をつくりたい。
 先日、お会いしたエジプトのホスニ文化大臣も、創価大学を実際に見た感銘を語っておられた。
 その他、創大・学園の人間教育には、世界の識者、教育者から次々と高い評価が寄せられている。
 さらに、ここで提案したい。先日、インドに記念菩提樹園を開園する構想が発表されたが(=93年9月にオープン)、そこに、東京の高校二十二期、中学二十二期、小学校の十一期、関西の高校十七期、中学十七期、小学校九期、札幌創価幼稚園十六期までの学園生の樹を、記念植樹してはどうであろうか。(拍手)
2  使命の天地で”父子の再会”を果たしたい
 諸君の新しい旅立ちにさいし、私は、「ソフト(柔軟)な人」、「賢明な人」、そして「芯の強い人」に育て、と申し上げたい。
 前にもふれたが、今、私は、世界的に有名な作家であるアイトマートフ氏とともに、対談集『大いなる魂の詩』の発刊の準備をすすめている。
 同氏は現在、ルクセンブルク大使。ヨーロッパではとくに圧倒的人気のある国際的な作家であり、リーダーである。
 昨年十一月には、対談集の上巻を発刊することができ、現在は下巻の準備を進めているが、そのなかで氏は、たいへんに印象深い、鮮烈なエピソードを語ってくださった。
 それは三年前(1989年)の五月のことである。その概略を紹介すると――。
 氏は、ゴルバチョフ大統領の訪中使節団の一員として、北京を訪れた。
 一行の宿舎は、釣魚台国賓館という政府の迎賓館であった。私もお世話になった由緒ある美しい建物である。
 アイトマートフ氏は、長旅の疲れもあり、そろそろ寝ようと思ったその時、突然、電話が鳴りはじめた。
 氏は、ひどくびっくりした。北京に知人は一人もいない。電話がかかってくるはずもない。ところが、もっと驚いたことに、受話器を取ると、懐かしい故郷のキルギス語のあいさつが彼の耳に飛びこんできた。
 中央アジアのキルギスは、大きな湖(イシククリ湖)のある美しい国である。私も、アイトマートフ氏をはじめ、かの地の方々から”ぜひ来訪を”とのお誘いを、何度もいただいている。
 電話の相手は、明るく若い声でアイトマートフ氏に「父上よ」と呼びかけてきた。だれだろう?
 いぶかりながらも氏はたずねた。「息子よ、おまえはだれかね」(爆笑)と。
 すると「ぼくですか」と相手は、しばらく返事をためらったあとで、「ぼくが、だれだかわかりませんか? ぼくは小説『白い汽船』のなかの、川を流れさったあの男の子ですよ」と答えた。
 『白い汽船』とは、氏の作品の一つである。(=邦訳は岡林茱萸訳で理論社から刊行)
 その小説の”主人公”が、作者に電話をかけてきたというのである。もちろん冗談である。
 アイトマートフ氏は、ユーモアをたたえてやりとりを続けた。
 「じゃあ、君はどうしてここ(北京)にいるのかね」
 青年は言った。
 「ぼくは、流れ流れて、中国にたどり着きました。そして大きくなって、北京大学へ入りました」
 「そうだったのか。それはよかった。つまり、君は元気で、もう大学生だというわけだね」
 「そうです。ぼくはもう大学生です。そして今、キルギスの留学生を代表して、電話をさしあげているというわけです。どうしてもお会いしたいのです。
 仲間たちが、ラジオであなたが北京にいらっしゃると知って、あなたに頼みこむ役をぼくに押しつけたのです。ぼくが『白い汽船』を通じてのあなたの息子だからです」
 アイトマートフ氏は驚き、同時に感動して、「わかった、わかった。私の息子よ、かならず行く」と、すぐさま会う約束をかわした。
 学生たちは全部で三十人ほどの男女だった。皆、瞳を輝かせ、生き生きとした青年であった。なごやかなうちにも、大いに語らいがはずんだ。
 アイトマートフ氏は、この話を本当にうれしそうに披露してくださった。
 氏の気持ちはよくわかる。私は、学園出身者との再会と二重写しにしながら、感慨深くうかがった。
 今、世界のどこを訪れても、見事に成長した学園・創大出身の皆さんが待っていてくれる。私にとって、わが”息子”であり、”娘”と思う皆さんとの再会ほど、心躍るひとときはない。(拍手)
3  人間の無知、傲りが環境を破壊
 この一青年は、はじめて話すあこがれの大作家とも当意即妙に、みずみずしい対話をかわしている。そのほほえましい光景が、私の目に浮かんでくる。率直な、そしてソフトな心は、青年の特権といってよい。硬直は即、老化である。
 その一青年に、誠実に応えゆくアイトマートフ氏も、また、じつに権威でもない、立場でもない。平等な「人間」同士として心を開いておられる。いばったり、見くだしたり、かたくなな態度など少しも見られない。
 傲りや、乱暴な言動は無教養の証拠である。仏法でも「賢いのが人間であり、愚かで、はかないのは畜生である」とされている。
 これから新しい世界にすすみゆく皆さんは、どうか、春の光のような伸びやかな心で、また、春風のようなさわやかな振る舞いで、よき人と、よきふれあい、よき出会いを幾重にも広げていただきたい。
 さて、アイトマートフ氏の『白い汽船』は、キルギスの森に住む少年の物語である。幼い日に両親が町へ去ってしまったため、少年は祖父に育てられた。少年は、かなたの湖に浮かぶ白い汽船を、山の上から双眼鏡でながめるのが好きであった。
 彼の夢は、魚になって、あのはるかな白い汽船のところまで泳いでいくことであった。
 「あの船には、きっと父が乗っているにちがいない」と、少年はいつも思いをめぐらしていた。
 ところで、このキルギスには美しくも悲しい、こんな伝説があった。
 ――もともと、キルギス族の祖先は、「大角の母鹿」によって助けられ、育てられた少年と少女であった。しかし、やがて繁栄するにつれ、傲慢になった人々は、大恩ある鹿を殺しはじめ、そのため、大角の母鹿は怒りと悲しみのうちにその地を去ってしまった――と。これが、少年が祖父から伝え聞いた伝説であった。
 忘恩は濁世の常なのであろうか――。
 そんな、大自然のなかで山河と語りあいながら育つ少年の前に、ある日、三頭の鹿が現れる。深い色をたたえた瞳でじっと少年を見つめる母鹿。”あの伝説の鹿がもどってきた”――少年の心は躍った。
 しかし、横暴な森の巡視長は、そうした少年の心を無残にも踏みにじった。禁猟にもかかわらず、巡視長は、その鹿を殺し、食料にしてしまったのである。
 人間の世界のなんという残酷さ――。
 憤りと悲しみに駆られた少年は、川岸へおり、かなたの湖に浮かぶ白い汽船を夢見ながら、水の中へと姿を消してしまう――。
 非常に意味の深い「悲劇」である。この物語は、大きく言えば、地球の「平和」と「環境」を脅かす人間の無知と傲りを表現しているかもしれない。
 アイトマートフ氏は、つい先日、東京創価小学校の今春卒業の皆さんが開催した「ぼくらの環境展」にメッセージを送ってくださった。「あなたたちが、この地球上に、自分にとっても、他のすべての生命あるものにとっても一番すばらしい世界を築いてくれると私は深く信じています。あなたたちが、もっと賢い人間へと成長してくれることを私は深く信じます。そう信じていることを、私は私の親友の池田先生とよく話しました」とありました。
 「賢い人間へ」――短い言葉の中に、大きな期待がこめられている。どうか「二十一世紀の賢者」へと自分自身を築いていただきたい。(拍手)
4  人生の「基準」は「自分自身」
 『白い汽船』には、先ほども紹介したように、「大角の母鹿」の美しい伝説が描かれている。キルギスの人々の祖先とされ、人間と自然をつねに温かく見守る、白く気高い、母なる鹿――。
 アイトマートフ氏は、宇宙を包み、「過去」と「未来」をもはるかに見わたす「壮大なる精神の力」を、「鹿」という一つの象徴に託したのかもしれない。
 宇宙と語る「精神の力」とは何か――。それは、その世界の中で、自分が何者であるかを教え示してくれる「羅針盤」であり、人生を誇り高く生きぬくための「根っこ」であり、「原点」ともいえよう。
 心にこうした誇りの「根っこ」をもたない人は、すぐに何かに左右され、現実の波間を漂う人生となっていく。
 この小説で、少年たちをいじめ、さらに鹿を殺してしまう陰険な森の巡視長は、まさにそうした人物として描かれている。
 彼は、皆が大切に守り伝えてきた「白い鹿の伝説」など忘れさってしまった。そして、自分の名誉欲が満たされない不満を嘆いてばかりいた。たしかな”原点”がなかった。
 つねに、遠い「町の人間」のことが、気になってしかたがない。「町にさえ行けたら――」「あっちじゃ地位をみて、自分をもっと大切にしてくれるだろうに――」と。
 「町の人間」をうらやましがり、嫉妬する卑屈な心。その一方で、少年や老人など弱い立場の人を見くだし、バカにする冷酷さと憎悪――。
 そんな、自分に、誇りの「根っこ」のない人間は、目がいつも落ち着かない。人より優れていると見られたくて、いつもあせっている。
 立場はどうであれ、人間としてこれほどの不幸はない。
 皆さんは、こうした卑しい、”貧しい心”の人間に、絶対になってはならない。また、そうした人々に負けてもならない。確固たる自分をつくることだ。”強く生きる自分”を、心に築いた人が勝者であり、賢者なのである。
 「心の大地に深く根を張った人生」か。それとも「人の目をたえず恐れて生きる人生」か――。人生の「基準」は、「自分自身」である。自身の「胸中」にこそある。
 その意味で皆さんは、「学園魂」という「根」を深く、また深く張りながら、何ものにもたじろがず、また惑わされず、わが青春を、人生を、大樹のごとく堂々と勝ち取っていただきたい。
 柔軟でありながら、しかも絶対にくじけないという「芯の強い人格」を、鍛えに鍛えぬいてほしい。(拍手)
5  たくましき「笑顔」で「正義」を貫け
 最後に「たくましい笑顔で堂々と生きぬけ」と申し上げたい。
 今回のインド訪間のさい、私は、マハトマ・ガンジーの直弟子の一人であるパンディー氏(ガンジー記念館副議長)とお会いした。
 現在、八十五歳の氏は、最長老のガンジー主義者である。白い髪、そして白い髭――高齢にもかかわらず、まことにかくしゃくとしておられた。「偉大な人は元気だ」と、私は心うたれた。
 バンデイー氏が、インドの独立闘争に身を投じたのは、ちょうど皆さん方と同じ十代である。氏のおじいさんは支配者イギリスヘの抵抗軍を組織し、のちに逮捕され、死刑になっている。一家の財産は没収。家族は追放され、住む家を求めてさまよい歩かねばならなかった。
 氏の祖母――おばあさんは若きパンディー少年に、祖父がどれほど勇敢であったか、権力がどれほど凶暴で理不尽であったかを、何度も何度も語りきかせたという。
 どんな目にあおうと、くじけず正義を語り伝える――「女性」の強さ、「母」の強さを象徴する話と思う。
 こうして、少年の心には悪を憎む正義の炎があかあかと灯されていった。志を受け継いで戦いをはじめた氏は、十六歳で投獄される。以来、計八回、じつに十年あまりを牢獄で送る。それでも氏は屈しない。少年時代からの信念を八十五歳の今まで、まっすぐに貫きとおしてこられた。
 世の中が曲がっていれば、正義の人が迫害されるのは当然である。迫害されないのは悪を黙認し、正義を曲げている証拠とさえいえる。
 ともあれ十六歳で投獄――それに比べれば、諸君のどんな苦労も大きなものではないと思う。
 ガンジーが生涯を終えた歴史の地にある、ニューデリーのガンジー記念館を訪問した折、そのパンディーご夫妻と懇談した(=1992年2月13日)。お会いした部屋には、ガンジーが微笑んでいる大きな写真が飾られていた。前歯の欠けたガンジーの表情は、どこかひょうきんで楽しそうであった。
 ガンジー記念館の方が語っておられた。
 「外国に紹介されたガンジーの写真は、どういうわけか、むずかしい顔をしたものが多いようです。しかし、じつはガンジーは、よく笑う人でした」
 「ガンジーは常々こう語っていました。『もし、私にユーモアがなければ、これほど長く苦しい戦いには耐えられなかったでしょう』と」
 笑顔の人は強い。正義の人は明るい。悪口も圧迫も、たくましい笑顔でおおらかに笑いとばしていける。反対に人の悪口ばかり言って、自分は何も価値ある行動をしないような人は、かわいそうな人である。あわれな人間である。自分がみじめになる。そして、こうした人々には、晴れやかな美しい「笑顔」がない。本当の愉快な人生を決して味わえない。
6  ”今”の努力が世界への一扉を
 皆さんは、これからの長い人生、苦しい時もあるにちがいない。心黒き人の言動にいやな思いをすることもあろう。しかし、たいへんな時こそ、反対に、明るい笑顔で周囲の人を元気づけながら、まっすぐに「前へ」また「前へ」と進んでいっていただきたい。「道」をそれたり、後退してはならない。
 さて、パンディー氏は大詩人タゴールのもとで学んだ。タゴールの学園は、武蔵野や交野のような緑豊かな地にあった。氏はその思い出を懐かしそうに語っておられる。「タゴールは日本や中国、アメリカ、ョーロッパなど世界の国々を旅しました。旅から帰ってくるとかならず、その地で出会った人々の話を私たち青年にしてくれました。そして愛すべき人々、正義の人が世界中にいることを教えてくれました。タゴールは私たちに『人類の兄弟意識』をあたえてくれたのです」と。
 タゴールの言うとおり、世界中に「愛すべき人々」がいる。「大いなる人間」が数多くいる。そして、皆さんを待っている。
 今は、さまざまな悩みがあると思う。その悩みと戦い、乗り越えながら、世界へと眼をむけ、心を大きく広げていただきたい。そして力をつけ、人格を磨き、平和の「大航海時代」に、はつらつと躍りでていただきたい。
 皆さんの無限に広がる前途に「栄光あれ」「勝利あれ」「健康あれ」「成功あれ」と祈りつつ、お祝いの言葉としたい。

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