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日蓮大聖人・池田大作

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関西創価小学・中学・高等学校合同第3回… 「栄光の旗」は「努力の風」にはためく

1991.19.18 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

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1  青空がすばらしい! 皆さんの青春の心を、そのまま映しだしているかのようだ。澄みわたる秋晴れのもとでの、第三回友好交歓会、本当におめでとう!
2  「最大の勝利」とは「自分に勝つ」こと
 「もっともむずかしい勝利」とは何か。それは、「自分に勝つ」こと以外にない。
 試験でも何でも、”自分に勝つ”という努力をしない人が勝てるわけがない。いい成績もとれるはずがない。
 「天才」「秀才」といっても、「努力」の結晶である。すべて「自分」で決まる。自分らしく、まっしぐらに、力をつけていくことだ。
 ”人の三倍、五倍やろう”と決めて、努力することだ。そうでなければ、厳しい人生、競争の社会には通用しない。思うぞんぶん、愉快に活躍していくことはできない。このことを、最初に、申し上げておきたい。
 現代のソ連を代表する世界的な作家アイトマートフ氏との対談集『大いなる魂の詩』が、このほどまとまり、いよいよ発刊の運びとなった(拍手)。読売新聞社から、十一月に上巻、明年五月に下巻が発刊される予定である(=上下巻とも本全集第15巻に収録)。引き続き、ドイツ語版が出版され、ロシア語版も準備されている。
 本が完成する直前、二人の往復書簡、手紙のやりとりが急ぎくわえられた。それは、この夏八月、ソ連で起こった「世界を揺るがした三日間」――党の陰謀グループによるクーデターの失敗、勇気ある民衆の勝利――をめぐっての手紙である。この時の様子は、皆さんもテレビ等で見て、知っていることと思う。
 クーデターの第一報が世界を駆けめぐった時、私は北海道の函館の地にいた。ただちに、アイトマートフ氏に、お見舞いと励ましの電報を送った。同氏からも、万感こもる言葉で、すぐにご返事をいただいた。
 どんな時代の変化にあっても、つねに変わることがないのが、真の友情である。何かあると、すぐに変わってしまうような友情は本物ではない。むしろ、試練にあえばあうほど、真の友情はより強く、深く、結びあっていく。幸せなことに、私は、そうした友人を世界中にもっている。友情は何よりも尊い。私のかけがえのない「宝」である。
 また、今回、関西創価小学校の代表が中国に行き、美しい友情を結んできた。(=1991年9月、北京第一実験小学校などを訪れ、中国の友と交流した)
 種から苗、苗から大樹へと、これから何年、何十年と続いていく友情である。すばらしいことだ。
 学園出身の、皆さんの先輩たちも、全世界に、活躍の舞台を広げている。私も、海外の行く先々で、たくさんの創価の学友たちとお会いする。皆、後輩のために懸命に道を切りひらいている。そして、それぞれの場所で、また国を超えて、友情でつながっている。本当に幸せだと思う。
 友情のない人は、わびしい。どんなに自由があり、立派そうに見えても、心は貧しく、寂しい。
 皆さんは、この青春時代に、本当の友情を育んでもらいたい。一生涯、何があっても励ましあっていける”心の絆”をつくってほしい。これがきょう、まず、お願いしたいことである。(拍手)
 さて、アイトマートフ氏からのお手紙は、私のハーバード大学での講演(=1991年9月26日)の直後、創価大学の分校(現アメリカ創価大学)があるロサンゼルスに届いた。手紙は、お父さんのことからはじまつていた。読んで、私は感動した。
3  暗黒時代への逆行許さず
 以前にも、お話ししたことがあるが、アイトマートフ氏のお父さんは、独裁者スターリンによつて弾圧され、殺された。まったく無実の罪であった。アイトマートフ少年は、まだ九歳。日本でいえば、小学校三、四年生ごろにあたろうか。お父さんも、三十五歳という若さであった。
 たった一人の狂った独裁者のために、数千万とさえいわれる多くの人々の、尊き「自由」と「人権」と「生命」が奪われたのである。氏のお父さんも、その痛ましい犠牲者の一人であった。
 お父さんは、ある日突然、家族と引き離され、闇から闇へと葬られた。これまで、どこに眠っているかさえわからなかった。しかし、そのお父さんの遺骨が、今夏のクーデターの直前、故郷キルギスの地で発見されたというのである。じつに、五十四年ぶりであった。アイトマートフ氏の胸は、張りさけんばかりであったろう。
 五十四年前(1937年)の十一月のある夜のことである。お父さんをはじめ、百三十八人のキルギスの青年たちは、ひそかに、人気のない山のふもとに連れさられた。そして銃殺――。 一夜にして皆殺しにされ、穴の中に投げすてられた。その秘密の埋葬地が、このほど発見されたのである。
 殺されたのは、最優秀の青年たちであった。――優秀であるがゆえに殺す。自分を追い越し、おびやかすような人材であるがゆえに”処分”する。――「権力の魔性」ほど、恐ろしいものはない。諸君はこのことを決して忘れないでほしい。
 ところで、多くの遺骨の中から、なぜ、お父さんの遺骨が見わけられたのか。それは、お父さんの名前が記された起訴状が、一緒に見つかったからである。その書類は、お父さんのポケットに入っていたようで、弾丸が貫通していたという。「狂った権力」の残酷さと非人間的な本性を証明する文書である。
 半世紀ぶりに、お父さんと対面した氏は、手紙の中で、少年の日に目のあたりにした光景、悲嘆にくれたお母さんの姿を、しみじみと思い返しておられた。氏はその苦しみを魂にきざんだ。悪しき独裁者に父を奪われた母の嘆きを、胸中深く抱きしめた。――そうした非道の世の中を変革するために、少年は立ち上がった。そして、今日まで戦い続けてきたのである。
 四人兄弟の長男として母を支えながら、氏は学びに学んだ。人の何倍も、つらい思い、悲しい思いをした。だからこそ、偉大なる文学を生みだせたのである。氏のことを思えば、皆さんはあまりにも恵まれていると私は思う。ゆえに、自分で自分を鍛えねばならない。
 今も、氏の戦いは続く。今回のクーデターのような、かつての暗黒時代に逆行させようとする勢力との戦いに、いよいよ奮いたっておられる。――「断じて戦いぬく」こと。その不屈の精神自体が、「人間性の勝利」の証なのである。
4  楽観主義で「きのうの自分」を乗り越えよ!
 氏は、手紙の最後を、こう結んでおられた。「もっともむずかしい勝利、それは自分に勝つこと」と。先ほど、冒頭に申し上げたのが、この言葉である。この”哲人の言”を、私は、そのまま諸君に贈りたい。
 ともあれ、一切は、「一人の人間」で決まる。「一人の人間」が原点である。大切なのは、「自分自身」をどう築くかである。「自分の心の奴隷」となるか。反対に、弱い自分を絶えず乗り越え、自分を”解放”していける「心の主人」となるか。勝負は、そこで決まる。
 どうか諸君は、わが人生を、良い方向へ、価値の方向へと、限りなく開いていける、「聡明な人」「強い心の人」へと、自身を鍛えぬいていただきたい。
 「人と比べてどうか」ではない。青春に、そんな「見栄」や「卑屈さ」など、まったく必要ない。
 隣の家が、大きな庭をもっていようが、財産があろうが、「わが家」は「わが家」である。むしろ、わが家の小さい庭のほうが、掃除が楽でよいではないか(爆笑)――というくらいの広い心、楽観主義で生きられる人こそ賢者である。
 まさに「心こそ大切」である。「心の王者」こそ、「水遠の王者」なのである。いつも前進している。たえず「一歩前へ」と踏みだしている――その人が「勝者」である。
 「人と比べる」よりも、「きのうの自分」と比べてどうか。「きのうの自分」より「きょうの自分」、「きょうの自分」より「あすの自分」を見よ――そう生きぬく「向上の人」こそ、偉大なる人生の山を登りきれる人である。「栄光の旗」は「努力の風」にこそ悠々とはためく。
 「艱難にまさる教育なし」といわれる。困難のなかで努力し続けてこそ、より深く、大きな自分を開いていくことができる。
 勉強も同じである。私の恩師である戸田先生は、「いちばん、勉強ができるのは、”電車”の中と、それから、”便所”の中である」(笑い)と言われていた。勉強は、すべて「自分のため」である。また、時代は、ますます「知力の人」を求めている。
 とくに、高校時代までは、勉学の基礎を築く大切な時期である。今、勉強しきっておかなければ、将来、自分がみじめになる。人にもバカにされる。ゆえに、自分らしく「やりきった」という、悔いない挑戦また挑戦をかさねてほしい。
 最後に、つねに朗らかに、何があっても「楽観主義」で進んでほしいとかさねて申し上げ、お祝いの言葉としたい。お父さん、お母さんに、くれぐれもよろしく! 伸び伸びと、楽しい学園生活を送ってください! ありがとう!

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