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日蓮大聖人・池田大作

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創価中学・高等学校第24回栄光祭、関西… 「知性の翼」に限界はない

1991.97.17 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

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2  出でよ! 21世紀のアインシュタイン
 「二十世紀を、もっとも自由に生きた人はだれか」――。当然、さまざまな見方ができるが、それはアインシュタインではないか、という人がいる。たしかにアインシュタインは、それまでの科学が超えられなかった壁を次々と打ち破り、既成の学問的な”常識”を打ち破った。そして、「精神の翼」を限りなく広げた。自身の可能性をどこまでも自在に追求し続けた。
 私は、わが創価学園生の中から、二十一世紀のアインシュタイン」が出るにちがいないと信じている。かならずや、偉大な世界的人物が育ちゆくことを、強く強く確信している。(拍手)
 アインシュタインはユダヤ人ということで、狂った独裁者ヒトラーから、理不尽な迫害を受けた。人を差別し、蔑視する人間ほど卑しい存在はない。
 博士は国籍を奪われ、財産を盗まれる。みずからの著作は焚書のリストにあげられ、さらに肉親を殺された。しかし、彼は退かなかった。何ものも彼を抑えつけることはできなかった。「平和」のために、「正義」のために、「魂の自由」のために、堂々と戦った。
 私が対談したイギリスの大歴史学者トインビー博士は、アインシュタインのこんなエピソードを紹介している。(A・J・トインビー「交遊録』長谷川松治訳、オックスフォード大学出版局。参照)
 それは、アインシュタインが、ヒトラーのナチスによって追放され、一時、イギリスのオックスフォード大学に亡命していた時のことである。
 ある時、トインビー博士の知人のマリー教授がアインシュタインを見かけた。博士ははるか遠方をながめるようなまなざしで座っていた。晴ればれと、何ともいえない幸福そうな笑みをたたえながら――。
 ”これがいったい、極悪のナチスに迫害され、追放された亡命者の姿であろうか”と思われるほど、余裕に満ちた表情であった。
 『アインシュタイン博士、何を考えていらっしゃるのか、教えてください』、とマリーは言った。
 『私が考えているのは』、とアインシュタインが答えた。
 『この地球は、要するに、きわめて小さい星にすぎない、ということです』(同前)。
 「大宇宙」への思索に生涯をかけた、碩学の人柄と境涯をしのばせるエピソードであろう。宇宙から地球を見おろす――多くの指導者が、そういう大きな心境になれば、世界がどれほど平和になるであろうか。
 私も無限の宇宙を見つめながら、”舞台は全地球”と定めて走り続けている。
3  短い一生を最高に充実させ
 アインシュタイン博士は、大正十一年(1922年)十一月十七日、神戸港に到着。訪日の第一歩をしるしている。東京入りは、その翌日。そして十九日には、慶応大学で講演。訪日の途次、ノ―ベル物理学賞の受賞が決まり、日本での博士の初講演は、大きな関心を集めた。
 若き日の戸田先生(当時22歳)も、師・牧口先生(当時51歳)とともにこの講演を聴いておられる。私も、戸田先生が、この時の模様を、何回も懐かしそうに語っておられるのを聞いた。
 戸田先生は、この希代の物理学者の講演に巡りあえたことを終生、楽しい思い出とし、誇りとされていた。当時の新聞は、講演の盛況ぶりを次のように伝えている。
 「三田へ三田へ、十九日午前中から若い知識的な男女の群が押寄せる、午後一時半から慶応の中央大講堂で『一般性及び特殊性相対理論』を説こうとするアインシュタイン博士を親しく聞き親しく見ようという新知識の憧憬者達、定刻前、既に二千名を越えかけて、ア博士が最初予め注文した『静かな聴衆を約一千名限り』を倍も突破して、さしもの大講堂もハチ切れる許りの満員となった」「忽ち割れるような拍手が起る、ア博士が夫人同伴で着いた」(「東京朝日新聞」大正十一年十一月二十日付夕刊。旧かな遣い等は現代表記にあらためた)と。その熱烈な歓迎ぶりがうかがえる。講演は、なんと五時間におよぶ長時間のものであった。長い船旅を終えて、到着するや、休む間もなく、ただちに、これだけの講演――じつに精力的である。偉大な人間は寸暇を惜しんで仕事をする。決して横着はしない。立場が上になっても、ただ要領よく立派そうな姿を見せるだけでは、信頼されるはずがない。虚像にすぎない。
 何より、一生は短い。限られた時間をどれだけ充実させることができるか――そこに人生の真の勝負も決まってくる。だから私も働いている。人の何倍の仕事ができるか、平々凡々のみの人生の十倍、二十倍、百倍の価値を、この一生でどう創り、残していけるか。それはまた、”創立者はかく生きた””これほどまでに戦い、働きぬいた人間がいた”との歴史を、諸君のため、後世のために示しきっておきたいからである。(拍手)
 ともかく、聴衆は熱心に耳をかたむけ、講演は大成功であったようだ。同じく朝刊には、「大講堂一杯の二千に余る聴講者は咳一つせずノートを繰る音ばかりがサヤサヤと聞こえる」「たとい講義は相対性理論の香だけ嗅いだ位の人でも偉大なる学者の風貌に接しただけで十分に満足して帰途についた」(同11月20日付)と報道されている。
4  ただ前ヘ! たくましく学び、また学ベ
 「大宇宙」は果てしなく広がっている。そして人間の「心」は、その「宇宙」をも包みゆく。ヒトラーが強大な権力を誇ろうと、”ちっぽけな地球”の、なかでもとりわけ”ちっぽけな人間”にすぎないではないか――。
 トインビー博士は、こうしたアインシュタインの心境に強い共感を示している。
 私もまた、その心情を深く理解できる。そのうえで、もし私が今、同じように「何を考えているのか」と質問されたなら、一言つけくわえたいと思う。
 「私が考えているのは、二十一世紀には、わが学園生が、この地球を、ところ狭しと駆けめぐり、民衆の勝利のための、壮大な活躍を繰り広げるだろうということです」と。(拍手)
 諸君は今、学びの時代にある。どうか、行く手に何が立ちはだかろうとも、アインシュタインのごとく、わが「精神の大宇宙」を自由自在に広げていっていただきたい。そして、「前へ」「前へ」ただ「前へ」と進むことだ。前進しているかぎり、そこから希望が生まれる。道があるから進むというよりも、むしろ前へ進むからこそ道が開けるのである。
 最後に、「わが学園生よ、たくましく学ベ! 真剣に学ベ! 粘り強く学ベ!」と申し上げ、本日の祝福のスピーチを終わります。ありがとう! お元気で。

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