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創価中学・高等学校第24回入学式、関西… あせらず「強き自分」をつくれ

1991.4.8 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

前後
1  創価学園の東京校二十四期生、関西校の十九期生の皆さん、入学、本当におめでとう。
 お父さま、お母さま、ご家族の皆さまにも、心よりお祝い申し上げます。
 また本日は、東京・関西の創価小学校でも入学式がおこなわれ、この式典の模様を衛星中継で同時にごらんになっている(=入学式終了後、出席の保護者および上級生等が参加)。同じく「新しき出発、おめでとう」と申し上げたい。(拍手)
 また、この春から、さっそうと大学生活をスタートした、諸君の先輩方の様子も、いくつかうかがった。
 昨日は、モスクフから来られた児童(モスクワ市第1234小中学校)の代表団とお会いした。団長のウォロシコ校長が、この創価学園を訪れた印象を、深い感慨をこめて、こう語っておられた。
 「人生の分岐点に立つ時、人は皆、創価学園、創価大学を訪れるべきです。そこで学ぶ皆の顔を見て、創立者が、人類にどれほどすばらしいことを残されたかを知ってほしい」と。
 教職員の方々をはじめ、多くの先輩方が築いてこられた、すばらしい校風。そのなかで、価値ある青春をつづりゆかれる皆さんの学園生活が、すばらしいものであるよう、そして健康であるように、私も懸命に祈り、応援してまいりたい。(拍手)
 きょうは、その学園生活のはじまりにあたり、”親子同盟対話集会”ともいえる、うちとけた雰囲気で祝福の言葉を贈らせていただきたい。
2  着実な”知の発見の日々”を
 まず第一に申し上げたいのは「新しい発見の旅をはじめよう」ということである。
 かつて、今世紀最大といわれる歴史学者トインビー博士と対談した。その折、博士は「自分がはじめて歴史の論文を書いたのは、十四、五歳のころでした。その論文は、今でも大切にとっています」と、懐かしそうに語っておられた。
 トインビー博士の、世界的にして壮大な”学問の旅”も、今の皆さんと同じ年代にはじまったのである。博士は、日本の中学。高校にあたるパブリック・スクールの一年生の時に、肺炎にかかってしまった。しかし、その静養期間に、叔父さんから贈られたプレゼントが、博士の青春に大きな影響をあたえた。
 それは、一枚の歴史地図――。博士は、この地図を活用して、真剣に勉強に励んだ。歴史の本を読みながら、自分のノートに、時代ごと、国ごとの地名を書きこみ、自分なりの地図をつくっていった。「ビザンテン帝国」とか、「十九世紀のアフリカ」とか、「十世紀の世界」「十二世紀の世界」というように――。のちに博士は「叔父のくれた一枚の地図から、何冊分も勉強した」と振り返っておられる。また、もともと歴史が好きだったトインビー少年は、この作業をとおして、「東方」(ヨーロッパから見て東の方の世界)に目をむけるようになる。
 その興味は、パブリック・スクール在学中に、大きく育っていき、卒業の時には、日露戦争といったテーマについてまで論文をまとめている。その関心の広がりは、当時の、ヨーロッパ中心の歴史教育の範囲を、はるかに超えていた。今でいえば、まさに”新思考”である。
 「東」と「西」の文明を対比する、トインビー歴史学のスケールの大きさは、すでにこの時に、骨格を表していたといえる。トインビー博士は、青春時代に関心を抱いたことがらについて、徹底して学び、堅実に深め、発展させていった。
 本来、学ぶことは楽しい。知の発見は人生の喜びである。そして「喜び」が才能の芽を伸ばす。
 人との比較のみではなく、自分なりに向上していくことである。皆さんは、日々の勉強のなかで、自分らしく、新しい「発見」の喜びを積みかさねながら、わが「英知の世界」を着実に広げていっていただきたい。
3  ”人生でもっともすばらしき”学園時代に
 次に「あせらずに、悠々と強い自分をつくれ」と申し上げたい。
 トインビー博士は、私との対談の折、こう語っておられた。すなわち、「人生の勝負は、長い目で見なければわからない」と――。
 その例として、博士は、かのイギリスの大指導者チャーチル首相をあげておられた。チャーチル首相も、伝統あるパブリック・スクールの出身である。ただ、彼の場合は、いわゆる優等生ではなかった。勉強嫌いであったために、入学試験はラテン語が零点。最下位で合格し、最下級のクラスに入る。四年半の在学中、彼は、他の生徒から「劣等生の天国」と呼ばれたクラスでも、いつもビリのほうであった。周囲からも、バカにされた。
 とくにギリシャ語とラテン語ができなかったといわれる。数学も苦手であった。陸軍士官学校の受験は、二回失敗。三回目になんとか合格している。しかし、彼は、このころから、だんだんと頭角を現しはじめる。”負けてたまるか。バカにされてたまるか。男じゃないか!”  ――そう心に決めたのであろうか。決心した人間は強い。
 彼は、勉強に、実習に、懸命に励んで、最後には優等生で卒業するのである。
 さらに、社会に出てからも、自分の勉強の不十分なことを反省して、猛烈に本を読む。こうして、彼本来のあくなき探究心、剛胆さが、社会の中でどんどん輝きを増していく。
 そして、第二次世界大戦では、狂気の権力者ヒトラーに立ちむかい、祖国と世界を救ったことは有名である。かつての劣等生チャーチルが、ここぞという正念場で築きあげた「栄光の歴史」である。
 こうした意味で、トインビー博士は、「若い時の試験の成績だけで、人間を判断することなど絶対にできない」と強調されていた。
 「そのとおりだ」と、うなずいている諸君もいる(爆笑)。この言葉を”悪用”してはいけないが(笑い)、先生方も、また父母の皆さまも、学園生という”未来の宝”を、長い目で見守り、大きく包んであげていただきたい。(拍手)
 創価学園は、イギリスのパブリック・スクールにも負けないであろう、豊かな「人間教育の庭」である。勉強は厳しいが、学ぶ意欲があればあるほど、限りなく伸びていける環境にある。安心して、有意義な学園生活を満喫しきっていただきたい。
 生涯たゆみなく自分自身を磨きながら、わが使命を堂々と果たしていく人が、人生の勝利者である。チャーチルも、そうした一人であったといえよう。
 さて、そのチャーチルが、大戦がはじまったころ、首相として母校を訪れたことがある。わが学園からも、将来、彼のように母校に凱旋する人が大勢でるであろう。私には、その壮観な未来が、ありありと目に浮かぶ。
 当時は、敵のヒトラーが、たいへんな勢いでヨーロッパを侵略していた時代である。この時、チャーチルは、後輩にあたる学生たちに次のようにスピーチする。
 「断じて負けるな。断じて屈するな。断じて、断じて、断じて、断じて」(鶴見祐輔『ウィンストン・チャーチル』講談社現代新書)――と。さらに、「どんなことでも、大きいことでも、小さいことでも、名誉と良識とが命ずるとき以外は、断じてゆずるな。力に対し、ことに敵の圧倒的に優勢な力に対しては、断固として絶対にゆずってはいけない」(同前)と。尊厳なる人間としての「誇り」「名誉」は権力にも縛れない。理性ある人間としての「道理」「良識」は、権威も曲げることはできない。
 ともあれ、人間として立派であるかどうか、強くあるかどうかである。いかなる圧迫をもはね返す強さがなければ、「幸福」もなく、「勝利」もない。これが、人生の厳しき現実である。社会の事実の姿である。だからこそ、私は、あえて諸君に、「強くあれ、さらに強くあれ」と訴えておきたい。
 チャーチルが、その強き人格の基礎をつくったのは、かのパブリック・スクール時代。その時に、「負けじ魂」を不動のものとしてつかんだ。
 創価学園にも「負けじ魂」が脈打っている。諸君の先輩の学園出身者は、今や世界のさまざまな分野で活躍しているが、皆、本当に強い。「負けじ魂」をもっている。まことにたくましくがんばっており、私はうれしい。また、「学園出身者がいれば安心だ」と頼もしく思っている。(拍手)
4  最後の勝利は鍛えた「人間の力」が
 かのアレクサンダー大王を、少年時代から教えた哲学者アリストテレス――。彼は、何より、大王に何ものをも恐れぬ勇気や自信といった「人間の力」を、懸命に教えた。
 大王は、のちに、東方遠征の旅にでる。そこで、若き日に培った不屈の信念、闘魂、知性の表われとしての生き生きとした好奇心、決断力と行動力、また試練に対する忍耐力……そうした「人間」そのものの力が、いかんなく発揮されていった。その一切の原点は、諸君と同年代の時の鍛錬にあった。師アリストテレスが精魂こめて伝えた不屈の精神の力。ここに、古代世界の英雄アレクサンダーの勝利のカギがあった。
 諸君は、この学園時代、少々のことで一喜一憂する必要は、まったくない。長い人生である。
 きょう入学を果たし、一つの「学びの軌道」にも乗った。この軌道をまっすぐに、あせらず、悠々と、「強い自分」をつくりあげていっていただきたい。
 勉強は苦しい。青春時代は悩みの連続でもある。しかし、「挑戦」を忘れぬことだ。すべては自分自身のためである。若き日に苦しみながら勉強しぬいたかどうかは、時とともに、大きな差となって表れる。中途半端だった人は生涯、悔いを残す。どうか「体も強い」「心も強い」「頭脳も強い」諸君であっていただきたい。
5  学びの庭に偉大な光が
 最後に、パブリック・スクールの最名門校とされるイートン校を出た、あるイギリス首相の言葉を紹介したい。
 「後の人生で、どんなに成功しようと、どんな満足や大望が達せられようと、どんな勝利が得られようと、あのイートン校の第六学年の生徒だった昔ほど、人は偉大にはなれない」――。
 社会的成功や勝利は、華やかに見えるかもしれない。地道な忍耐の「学びの時代」は、つまらないように思えるかもしれない。しかし、そうではない、と。
 むしろ、この「学びの庭」にこそ、偉大なる光があった。偉大なる可能性があり、希望があり、偉大なる魂の力があった。生命の輝きがあった。瞳が理想に燃えていた。「人間」として美しく崇高であった――。
 ”結果”は大事である。しかし、そこへむかう”プロセス(過程)”は、ある意味で、結果以上に大切である。その人が何をしようとしているのか。何を願い、めざし、どう未来へと生きているのか。その”因”としての姿にこそ、何ものにもかえがたい人生の躍動がある。その人の「人間として」の精髄がある。
 その意味で、大いなる希望に生きる「青年」は、いわゆる成功者よりも、いかなる権力者や富豪よりも、優れた宝をもっている。皆さんもまた、「あの、わが学園時代ほど、人は偉大には生きられない」と言いきれる、誇り高き三年間、また六年間を勝ち取っていただきたい。(拍手)
 そして偉大なる先輩に続き、偉大なる後輩のために、偉大なる「人格」と「英知」を鍛えゆく日々であってほしいと念願し、晴れの日の、祝福のスピーチとしたい。

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