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創価中学・高等学校第23回入学式、関西… 勝利の栄冠は努力のなかに

1990.4.8 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

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1  晴れて創価学園の間をくぐられた、東京校第二十三期生、関西校第十八期生の皆さん、本当におめでとうございます。私の創立した学園に集ってくださった皆さんを、私は両手を広げて歓迎したい思いでいっぱいであります。またご家族の皆さまに、心よりお祝い申し上げます。教職員の皆さま方には、大切な「二十一世紀の指導者」をくれぐれもよろしくお願いいたします。
 きょうは、皆さんにお会いできることを楽しみにしておりましたが、ドイツから大事なお客さまがいらしており、どうしても出席できず、残念です。しかし、私の心はいつもこの学園にあります。これからの三年間、また六年間、私は皆さんの成長を、最大の楽しみとし、生きがいとして、見守ってまいります。
 皆さんの新しい出発にあたり、私は一言、「青春の一歩が未来を創る」と申し上げたい。
 イギリスのある名優の言葉に「われわれが見なければならないのは未来である。未来がわれわれを振り返って見るだろうから」とあります。私たちが、はるかな未来を見つめ今を生きる、その時、未来のほうも、今の私たちを振り返り、じっと見ている、励ましているというのであります。
 「さあ行こう、もっと前へ、もっと高きへ」――。そうした未来からの呼びかけを、わが胸中に生き生きと響かせながら、きょうも前進の「一歩」を踏みだしていただきたい。これからの学園生活は、地道な一日一日の繰り返しかもしれません。毎日の勉強も、クラブも、読書も、小さな一歩また一歩の積みかさねです。しかしその一歩こそが、未来を創る力なのであります。
 私が現在、対談を進めているアメリカのポーリング博士は、「現代化学の父」といわれる大科学者ですが、その第一歩は、十三歳、ちょうど皆さんと同じ年代にあったと語っておられました。当時ポーリング少年は、理科の好きな友だちと一緒に、化学の実験を自分自身の手でやってみた。それは、一本の試験管によるささやかな実験であったようです。しかし、この時の感動が化学への大情熱の火種になった、というのであります。
 またすばらしい化学の先生のもと、放課後まで実験に取り組んだ高校時代を、今年八十九歳のポーリング博士は懐かしそうに振り返っておられました。
 幼くして父を亡くされた博士は、牛乳配達をするなど、人いちばい苦労の連続であった。
 しかし、「学ぶ」ことに対する真剣さではだれにも負けなかった。そこに博士の未来が人知れず光っていたのであります。皆さんもこれからの新しい学問との出あいを、一つ一つ大切にしてください。それが、皆さんの限りない可能性の宝箱を開いていく鍵になるからであります。
 皆さん方の先輩たちも、この学園から今や世界中に、社会のさまざまな分野にさっそうと躍りでています。学園出身の若き医学者たちも数多く活躍している。それにちなみ、イギリスの医師ジェンナー(1749年〜1823年)のお話を少し紹介させていただきたい。
 数千年の昔から、人類を苦しめてきた天然痘という病気があります。遠く紀元前十二世紀ころのエジプトの王様のミイラには、天然痘と思われるあとが残っていたそうであります。近くは十八世紀のヨーロッパで、百年間でじつに六千万人もの死者が出たといわれる。この”人類の敵”である天然痘に、勇気をもって戦いを挑んだのがジェンナーであります。
 その挑戦も、やはり皆さんと同じ年代にはじまっています。ジェンナー少年は、十三歳のころから、医学の勉強をはじめました。彼はある時、一度、牛痘という病気にかかると、ふたたび天然痘にはかからないという農民たちの言い伝えを知ります。
 これを究明し、生かせれば、恐ろしい天然痘を、事前に防ぐことができるのではないか――。1つの着想が、雷鳴のように若きジェンナーの脳裏にひらめいたのです。ジェンナーはその後、ハンターという有名な外科医の弟子になり、科学的研究の基本を一から徹底して学んでおります。
 若いことはすばらしい。理想にむかって生命を燃焼しゆく姿ほど、美しいものはありません。
 また何事も基礎をかためるのが大切です。もともと体の弱かった私が、今こうして元気で日本中、世界中を駆け回ることができるのも、少年時代、冬の寒い朝、早く起きて、家の海苔づくりを手伝ったり、新聞配達をしてがんばりとおしたことが、大きな原動力となっています。
 ジェンナーはある時、ハンター先生に天然痘予防のアイデアについて相談する。先生は何と答えたか。ただ一言、「考えないで試してみたまえ。辛抱づよく、正確に」と。(深瀬泰旦「ジェンナー」、新人物往来社『歴史読本ワールド』第34巻第8号〈世界の名医たち〉所収)
 この師の指針を胸に、ジェンナーは突き進みました。まさに「辛抱づよく、正確に」――。その研究は約二十年にもおよび、ついに画期的な牛痘接種法を完成させました。
 頭がいい悪いといっても、そんなに大きな違いがあるものではない。着実な努力を辛抱強く持続した人に、勝利の栄冠は輝くのであります。
2  ところで、開業医であるジェンナーが生みだした種痘法は最初、権威あるアカデミーに認められませんでした。それどころか、世間から「牛痘をうければ毛むくじゃらな耳や、牛のような尾がはえるぞ」(同前)といった、言われなき悪口をあびせられたのであります。彼も先駆者の試練を味わった一人であります。
 しかし、人間の苦しみを少しでも減らしたいという信念の前には、そんな悪口などなんでもありません。また実際に、種痘のめざましい効果は、言われなき噂や悪口をみるみる晴らし、世界中に広まっていったのです。
 そして、ジェンナーの”青春の一歩”から二世紀――。一九七九年十月、世界保健機構(WHO)は天然痘を地球上から根絶したと宣言しました。人類の英知の一大勝利であります。
 ともあれ皆さんも、壮大な地球の未来を見つめ、自分の夢を限りなく広げながら、新しい歴史の一ページをつづっていただきたいのであります。
 最後に、フランスの文豪ヴイクトル・ユゴーの「生きている者とは、闘っている者だ」という詩の一節を皆さんに贈り、「青春の戦いに勇気あれ」と申し上げたい。
 どうか何でも遠慮なく先生方に相談してください。またご両親に心配をかけずに、朗らかに聡明な学園生活を送っていただきたいというのが、私のお願いであります。皆さんのご健康を心からお祈りし、お会いできる日を楽しみにしつつメッセージとさせていただきます。

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