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関西創価小学・中学・高等学校合同第8回… 読書は「内なる宇宙」への旅

1989.10.10 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

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2  思考力と想像力を養う読書
 本日は「体育の日」。健康祭で、ぞんぶんに体を鍛えたところで、心のほうの「読書」の話をしたい。時は”読書の秋”を迎えており、九月二十七日からは「読書週間」となっている。
 読書について、イギリスの著名なジャーナリストであるスティールは、次のように言っている。
 「読書の心に対する関係は、体育の体に対する関係と同じ」(Reading is to the mind what exercise is to the body)と。
 さて、調査によると、十代の「読書人口」は、年々減少している。雑誌以外の「書籍」を読むのは、九人のうち四人強で、約半分以下となっている。また「書籍」のうち、単行本を読む人は、十代では月平均一・一冊(毎日新聞社の第42回「読書世論調査」1988年)。決して多いとはいえない。
 読書量が減少した理由の一つとしては、テレビやマンガ、フアミコンなどに使う時間が増えたことがあげられる。もちろん、これらがいけないわけではないが、自分で努力して考えたり、自分の想像力を育むためには、読書が大きな力を持っているのである。たとえば軟らかいものばかり食べていると、歯は弱ってくるし、運動をしないと体力が落ちてくる。頭脳や精神面においても同様である。
 日本を代表する漫画家に手塚治虫氏がいる。「日本人は、なぜこんなにマンガが好きなのか」との外国人の問いに、「外国に手塚治虫がいなかったからだ」(「朝日新聞」社説、1989年2月10日付。参照)と答えた人がいる。それほど手塚氏の「パイオニア」としての存在は大きかった。氏は、本年二月逝去。六十歳であった。漫画月刊誌の『コミック トム』(潮出版社)にも、ベートーヴェンの伝記をもとにした「ルードウィヒ・B」を連載中だった。
 彼は関西出身である。昭和三年(1928年)、大阪の豊中市に生まれた。三歳ごろ、兵庫の宝塚市に移る。小学校は大阪・池田市の池田師範(現大阪教育大学)附属小学校。
 学園生にも電車通学が多いが、彼も宝塚から池田まで電車通学であった。その間、いつも本を読んでいた。彼はマンガも好きであったが、徹底した”本の虫”でもあった。文学全集や科学の本などかたっぱしから読んだ。後年も、この”本の虫”は続いた。世界に名をなした人の多くは、青春時代に読書にいそしんでいるものだ。彼の厚みのある作品には、こうした読書体験が背景にある。
 勉強も抜群の成績であった。大阪大学医学部を卒業。医学博士でもある。”マンガ”のパイオニアも、マンガの中から生まれたのではない。読んで読みまくった「本の世界」から生まれたのである。また、彼は小学生時代、マンガを読むときも、つねに他のものと比較し、批判し、研究しながら読んだという。
3  良書を「心の友」にもつ人は幸福
 「本の読み方」については、さまざまな意見がある。
 たとえば、一人の作家を中心に読む。また自分のテーマを決めて読む。
 さらに、一冊ずつ、きちんと読みかさねる。反対に何冊も同時並行で読む。
 古典を中心に読む。自分の興味があるものから読む。
 良書をゆっくり、ていねいに精読する。多くの本を速読する、など。
 そして、読んだら短くても感想を書いたり、人に語ることを勧める人もいる。そうすれば、内容をより深く自分のものにすることもできるからだ。他にも「読書の方法」については、いろいろな考え方がある。かならずしも”こうでなければならない”というものはないと思う。自分に合った読み方でよいし、自由に伸びのびと「読書の習慣」をつけていけばよいのではないか。
 ともかく、若い時代に良書にふれ、その中から「自分の友だちだ」「少年時代の親友だ」と呼ベる書物や登場人物を見つけることだ。胸の中に、そうした”心の友”が生きている人は幸福である。人生が豊かになるし、楽しい。また、いざというときに強いし、人格にも味わいがでてくる。
 たとえば、優れた外国の本の登場人物と対話をかわし、”友だち”になる。そうすれば、その国の「心」を深く知った人ともいえる。また世界中の人々に通じる普遍的な「人間性」を磨いたことにもなる。その人は、たんに語学力を鼻にかけ、さも国際通のように見せかける傲慢な人になるより、よほど”心の国際人”であるといえまいか。もちろん、語学は絶対に必要である。大事なことは語学を身につけながら、同時にその国の人の考え方を知り、心を学んでいくことである。
 最後に、少々、むずかしいかもしれないが、読書の根本的な意義について、一点、申し上げておきたい。今、わからなくても、将来、何らかの糧にしてくだされば幸いである。
 ドイツの詩人で文豪のヘルマン・ヘツセに、「書物」と題する詩(『夜の慰め』高橋健二訳〈人文書院〉所収)がある。その趣旨は、こうである。
 ――書物そのものは、君に幸福をもたらすわけではない。ただ書物は、君が君自身の中へ帰るのを助けてくれる。
 ――君の中には、君に必要なすべてがある。「太陽」もある。「星」もある。「月」もぁる。君の求める光は、君自身の内にあるのだ。
 ――そして、その内なる光をつかんだとき、今度は、その英知の眼で書物を読むと、あらゆるページから、知恵が輝きでてくるのが見える。
 こういう詩である。仏法の考え方にも通ずる面があると思う。
 すなわち、読書は自分自身の中にある英知を磨くものである。充実した、また晴ればれとした心の世界を開くものである。
 ゆえに、いくら、たくさんの知識を持っていても、謙虚に自分の”内なる世界”を見つめない人は、真の読書の人とはいえない。
 わが”内なる光”を発見するための精神の航海。わが”内なる宇宙”への旅――それが読書なのである。
4  ”読む”ことは心の大地耕す
 わかりやすくするために、別のたとえで申し上げたい。こんな昔話がある。
 ――父の遺言で「あの荒れ地の中に宝がある」と、息子たちが聞いた。怠け者の息子たちだったが、”宝”がほしいばかりに、毎日、一生懸命、荒れ地を掘った。人間は”宝もの”に弱いらしい。なかなか宝は出ない。しかし、まじめな父の言うことである。どこかにあるはずだ。
 こうして、一年たった。いつのまにか荒れ地は立派に耕されていた。ある人が、それを見て、「こんなに見事に耕された土地なんて、ほかにはない。どんな作物でもできるだろう。すごい財産だ」とほめた。
 息子たちは、はじめて悟った。父親は、自分たちに「労働」という”宝”を教え、土地を耕させるために、財宝の話をしたのだ、と。父の話はうそではなかった。探していた宝は、まさに”土の中”にあったのだ。父の心がわかった息子たちは、感謝しつつ、以来、いつまでも仲よく、栄えた――という物語である。
 この話からは、さまざまな教訓が引きだせると思う。読書について言えば、”読む”ことも「心を耕すクワ」と言える。じつは、本そのものの中に、知恵や幸福があるわけではない。本来、それらは全部、自分の中にある。
 しかし、読書というクワで、自分の心、頭脳、生命を耕してこそ、それらは芽を出しはじめる。
 「文化」すなわち「カルチャー(culture)」の語は、「耕す」すなわち「カルチベイト(cultivate)」からきている。自分を耕し、自分を豊かに変えていく。そこに「文化」の基本がある。
 ともあれ、あらゆる賢人が読書を勧めている。人生の”実りの秋”に、大きな大きな精神の果実をつけるために、今こそ、あらゆる良書に”挑戦また挑戦”していただきたい。(拍手)
 そして、いちだんと成長した姿となって、ご両親も喜び、自分自身も日々、喜びをもって生きていける人生であってくださいと念願し、祝福のスピーチとしたい。

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