Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

東京・創価小学校、創価中学、高等学校合… 君も青春のメダリスト

1989.9.30 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

前後
1  伸びゆく姿に「若さ」の輝き
 「教育」にかける思いが、今ほど熱く、高鳴ったことはない。今こそ「教育」のために走り、「教育」に全魂をそそいでおきたい――これが私の、いつわらぎる心境である。
 その意味から、本日も、少々長くなるかもしれないが、ここで記念のスピーチをし、諸君への真心の贈りものとさせていただきたい。(拍手)
 きょうは、海外五カ国からも来賓の方々が出席されている。お忙しいなか、参集された皆さま方に、まず心から感謝申し上げる。
 諸君は、まさに「青春」の真っただ中にいる。私も、つねに「心の青春」を生ききっているつもりである。
 真実の「青春」とは何か。絶えず「心の青春」を輝かせていく要件とは何か。
 それは「挑戦の魂(チヤレンジ・スピリット)」とである。「挑戦」なきところに青春はない。それはすでに老いた「生」であり、あくなき「挑戦」の気概にこそ「青春」は脈動する。
 樹木でも、若竹のようにグングン伸びゆく姿には「若さ」の輝きがある。天をめざし、風雨に洗われてたくましさを増す若木には、さわやかな「挑戦」の心がみなぎっているかのようだ。
 ある意味で、人生の価値とは”記録への挑戦”から生まれる。先人が築いたあの記録を、どう破るか。自分のこれまでの最高記録を、どう更新し、書きあらためるか。その”挑む”姿勢から、勝利と満足の人生が開かれていく。ゆえに、一人一人が、何らかの”わが新記録”をつくり、積みかさねていかねばならない。記録は次々と打ち破られ、ぬり替えられてこそ意味があるからだ。
 かつて、陸上競技に「一マイル(約1.6キロ)四分」という”壁”があった。どんな一流選手が挑み、走っても破れない。これが「人類の限界」とさえ考えられていた。
 しかし、一九四〇年代に記録は向上し、ついに、イギリス選手のバニスターが、この”限界”を突破する――。不思議なことに、一人が”壁”を破ると、あいつぎ、三分台で走るランナーが現れた。
 ”四分の壁は破れない”との”通念””常識”。これをこわしたとたん、せきを切ったように、人間の能力は伸びていった。
 現在では「一マイル四分」を切るのは、あたりまえになっている。言い換えれば、大脳が「無理だ」と命令しているかぎり、「力」は出ない。
 これが先入観の恐ろしさである。
 スポーツの世界でも技や体力の向上がもちろん重要である。が、「最後は精神力の勝負だ」といわれる理由の一つが、ここにある。
 未聞の道を開く「一人」の先駆者。その大切さを、このエピソードは、雄弁に物語っている。
2  挑戦また挑戦の人は負けない
 新記録を生む条件は、総じて二つに分けられるであろう。
 ① 本人の「心・技・体」の充実。
 ② 用具、施設、気候など環境の良さ。
 このうち、②については、棒高跳びの「棒」、ランナーの「靴」などの改良によって、記録が伸びた例がある。だが、問題のポイントは、当然のことながら、①にある。では、「新記録を生む人間」の条件とは何か。
 ウィナー(勝者)たちは、一人の例外もなく”練習の虫”であった。むろん、先天的な才能、体質も大切である。しかし、陸上であれば0.01秒を縮める、野球であれば守備可能範囲を一歩広げる、そのための人知れぬ労苦と猛練習なくして、栄光を手にした者は、絶対にいない。
 「人間機関車」と呼ばれたチェコスロバキアの選手ザトペック。
 諸君は彼の活躍の様子を知らないかもしれないが、教職員の皆さまならかならずや聞いたことがあると思う。知る知らないで、年代が判明してしまうかもしれない。(笑い)
 彼は、別名「世界記録破り」と呼ばれた。一九四九年から一九五五年にかけて、五千メートルから三万メートルまで、公認されていた世界記録を、すべて書きかえた。一万メートル、二万メートル、一時間距離走、六マイル、十マイル、十五マイル、二万五千メートル、三万メートルの各競技である。
 また、ヘルシンキ・オリンピック(1952年)では、なんと五千メートル、一万メートル、マラソンと、三種目に優勝。
 この時、彼は言った。
 「かならず勝とうと思って、そのとおり勝った。とてもうれしい」と。彼には勝つ確信があった。
 なぜか? つねに彼は言っていた。「世界中で、僕より練習している人間はいない。だから勝つ」と。また「他人と同じことをやっていては、他人を抜くことはできない」が彼の信条であった。
 世界一の猛練習――彼は、練習の時に、すでに”勝っていた”のだ。
 彼の”みずからをいじめぬく”ような練習は有名であった。
 ザトペックは、十代のころから、靴の製造工場に勤めていた。その通勤の行き帰りにも、彼は練習をかさねた。
 息をもたせるために、ボプラ並本にそって進みながら、一日目は四本目まで息を止めた。翌日も同じ。三日目からは五本目まで息を止める。これを、どんどん延ばしていった。
 「そしてとうとう最後のポプラのところまで来た時、彼は気を失って地上に倒れた」(FR・コジック『ザトペック勝利への人間記録』南井慶二訳、朝日新聞社)。
 ――練習は、特別に時間や場所をとって行うものばかりではない。いつでも、どこでもできる練習、鍛えというものがあるものだ。勉学も、また、同じではなかろうか。
 ともあれザトペックは仲間から「おまえはやりすぎだぞ」「いい加減にしろよ!」(デズニェク・トーマ『人間機関車 E ・ザトペックの実像』大竹國弘訳、ベースボール・マガジン社)と一言われるほど、走って走りぬいた。
 他にも、一流選手の壮絶な鍛錬の逸話は数多い。一世を風靡した、あるプロ野球選手。大学時代、彼は練習終了後に、さらに一人で毎日二時間、練習をした。その姿を見て”彼はかならずや超一流のプレーヤーになるにちがいない”と思った――と、かつて彼の友人が話していたという。その予言は、まさに的中した。
 私も、「人生の名選手」、「人生の名ランナー」をめざして、生命の錬磨、魂の鍛錬に徹してきた。
 仏法者として、また、一個の人間として、だれにも負けない数々の”記録”もつくり、歴史に印してきたと自負している。ゆえに、記録に挑む”一流”の心は、私なりに熟知しているつもりである。
3  「基本」は力、「持続」は力
 記録への挑戦――その人生のドラマを栄冠で飾りゆくために、いかなる鍛錬が大切か。何より、「基本の繰り返し」ではなかろうか。
 野球のバッターや剣道の選手なら「素振り」。ランナーなら「走りこみ」。この、たゆみない繰り返しが、勝利の基盤をかため、栄光のゴールヘのエネルギーとなる。
 八月におこなわれた関西吹奏楽コンクールで、関西創価小学校の「アンジェリック・ブラスバンド」が金賞を受賞した。念願の関西代表に選ばれ、十一月の全国大会への出場が決まった。見事なる”記録”であり、輝く栄冠である。
 担当の先生が、「聖教新聞」の連載「我が青春の曲」で、その勝利の原因について語っておられる。
 「みんなで心を一つにして始めた基礎練習の成果だった。とにかく始業式も終業式の日も休みなく繰り返した単調な基礎練習。それでも児童たちは、イヤな顔一つせず、私についてきてくれた。そんな児童たちの晴れやかな受賞の姿に、まさに『基礎は力、持続は力なり』の感を深くしている」
 平凡な言葉かもしれない。しかし私には、一言一句が”金の光”を放ってみえる。
 勉学にも、王道はない。基礎を地道に学び、基本をみずからのものとしていく以外にない。教科書もろくに読まないのに、ある日、突然”悟り”を開き、どんな問題でもスイスイと(爆笑)――そんなことはありえない。
 何事であれ、基礎のある人は強い。時の流れに朽ちることがない。時とともに向上し、不滅の輝きを放っていける。
 諸君は若い。決して、目先のことばかりにとらわれてはならない。多少、成績が落ちたとか、家庭環境がどうとか、一喜一憂する必要もない。まず人生の基礎を、学問の基本をガッチリとかためていけばよいのである。
4  才能はほめてこそ伸びる
 「基本」とともに大切なのは、あれこれと「迷わないこと」である。
 わが国も、戦前は「陸上日本」の呼び声が高かった。多くの人々の期待も集めていた。が、今やその面影は薄れ、一部でしか、世界に伍する活躍がみられない。戦後のほうが、設備においても、指導者層においても恵まれている。練習量が格別に減ったわけでもない。
 では、戦前の勢いと比較して、なぜ戦後のほうが、世界に負けないだけの力を発揮できないのか。その理由を、ある人はこう指摘する。
 ――今は、指導者(コーチ)が手とり足とり教えすぎる。しかも、たくさんの練習法が開発されているため、次々に新しいものを導入する。そこで選手に迷いが生じる。
 昔は、よきコーチもなく、がむしゃらに一つの練習法で自分を鍛えた。だれも頼れないから、自分なりに”伸びる方法”を見つけるしかなかった。そして一度決めた練習法をとことんやりとおし、そうかんたんに変更したりはしなかった。
 コーチの本来の役割は、選手の自主性をどう引きだし、いかに自信を持って練習に打ちこめるようにするか。ここに心を砕くことではないか――と。
 この説が実際にあたっているかどうかは別にして、万般に通じる真理の一面を語っていると思う。                              
 勉学の道も同じではあるまいか。工夫は当然であるが、あれやこれやと策や方法のみにとらわれ、目うつりしていては着実な向上はない。熟慮のうえで、いったん決意したことは、しっかりと腰をすえて取り組むことである。ザトペックも、いつも「何だ、あの練習法は」と、批判されながら、自分の方法を貫きとおした。
 また一方、人生においても、小さな自己を乗り越え、つねに自身の「新記録」を達成しゆく生き方ができるかどうか―― これは、よき指導者につくかどうかが重要であるともいえよう。
 では、選手の自主性を引きだし、力量を伸ばすためには、コーチとして、具体的にどのような点を心得て、選手に接していけばよいのか。
 その一つは、コーチは選手を上手にほめてあげなくてはならない、ということである。
 競技に敗れたり、伸び悩んでいる選手を叱ってばかりいたのでは、ますます萎縮してしまう。自信を失い、本来の力すら発揮することはできない。叱られて伸びる選手もいるが、多くは的確にほめられて伸びるものである。もちろん、それは選手自身が真剣に練習している場合にかぎることはいうまでもない。
 仏法には次のように説かれている。
 ――ほめられれば、わが身がどうなろうとかまわずにがんばり、そしられる時にはまた、わが身が破滅することも知らず、振る舞ってしまう。これが凡夫の常である――と。
 一人の人を温かく包み、ほめたたえていく。そこから、その人の新たな発心と成長がはじまる。
 そして、その蘇生の姿は、周囲に新鮮な活力と潤いを広げるにちがいない。
 さて、コーチの選手への接し方として、もう一つ大切な点について考えてみたい。
 それは、選手の成長を阻んでいる「一凶」、すなわち根本的な「欠点」を直させることである。
 たくさんの欠点があるようでも、それらは一つか二つの”元凶”に根があることが多い。
 ”朝寝坊ばかりしている”(笑い)”算数がいちばん苦手だ”―― これも、生活や勉学の上での「一凶」となる場合がある。小さな欠点であっても、大きなつまずきの原因にならないとはかぎらない。しのぎ合いのなかでは、それが致命傷になることさえありうる。
 そんなことになっては、あまりにかわいそうだ。何とか「一凶」を取り除いてあげたい―― こうした気持ちからの適切なアドバイスによって、見違えるように力を発揮し、”壁”を突破する選手も多い。
 また、いくつかの欠点のなかで、”伸び”を止める「一凶」となっている欠点を見ぬくのも、コーチの持つべき”眼”だといえよう。
 これは、どのような団体や組織にもいえることである。「ほめて長所を伸ばすこと」と「克服すべき欠点を自覚させること」の両方が、バランスよくかみあってこそ、一人一人の能力を最大限に引きだすことができるのである。
5  記録を伸ばす「心」の要因
 ① 謙虚さ
 次に、記録の向上、更新を妨げる心理的要因について述べてみたい。
 その第一は、「慢心」である。
 慢心といっても、自分でそう思っている人間はいない。ましてや、厳しい勝負の世界にいれば、慢心は続けられるはずもない。
 ここでいう慢とは、「もう、これでいいのではないか」という闘争心の衰えのことである。自分の現状に甘んじ、進歩を忘れた停滞の姿である。大切なことは、じつはそれ自体が、すでに「敗北」の姿であるということである。
 これまで世界記録を樹立した選手のうち、約三分の二は、二度と記録を更新していないという。
 これは能力の問題というよりも、「もう、ここまでやったのだから」と、無意識のうちに「挑戦の魂(チャレィン・スピリット)」を失うからであろう。
 いったん、限界を突破した人間は、あとは「自分との闘争」といえる。
 北欧フィンランドのヌルミ選手は、オリンピックに三回出場し金メグル九個を獲得。また二十一の世界新記録を打ちたて、”超人”と呼ばれた名選手であった。
 彼はやがて競争相手がいなくなってしまった。
 そこで、いつもストップウォッチを持って、トラックを回った。自分のペースをつくるためでもあったが、もはや自分自身の記録との戦いしか、彼にはなかったのである。すなわち彼は、絶対に「もう、これでいい」という慢心にはおちいらなかった。そして、彼もまた”練習の鬼”であった。
 彼は言う。「上達する努力とは、一にも二にも練習です。もう自分は練習なんかしなくっても負けやしないと思ったとき、その人は下り坂にかかっているということをわすれないでください」と
 ―― (鈴木良徳『記録をうちたてた人々』さ・え・ら書房)。
 自分の「慢の心」に打ち勝った強い人のみが、人生の凱歌の「記録」を残すことができるのである。私もこれまで、「もう、これでよい」などと思ったことは一度たりともない。あらゆる艱難かんなんの嵐に一歩も退くことなく、諸君らのため、社会のために前進をかさね、厳たる勝利の歴史を残してきたつもりである。一人の聡用な人間が、どれだけの仕事ができるか、どれだけの力を出せるか。
 その人間としての「証」を後世に示しておきたい。偉大なる「人生のランナー」として走り、また走り続けたい――。その信念のままに今までの十倍、二十倍と働き続けていく決心である。(拍手)
 若き諸君も、どこまでも謙虚に自身を磨き、あくなき”自己への挑戦”をかさねていっていただきたい。そこにこそ、かけがえのない”青春の新記録”がきざまれていく。一流の選手ほど、こう言う。「上にはかならず上がいるものだ」と。そして「自分より真剣な奴がいる」と言った人もいる。”これほどやっているのだから”と自分で思っても、世界は広い。想像もつかないほど努力している人間がかならずいる。
 ゆえに、自分より上の人をつねに見つめながら、「それ以上に練習しよう」「その何倍も勉強しよう」―― この努力につぐ努力が、勝負の世界の鉄則である。人間として、社会人として、力をつけていかなければ、結局、だれからも信用されない、わびしい人生となってしまう。他人が何と言おうが、自分は自分の内にある”王者の力”を信ずる。そして、その力をどこまでも発揮していく――これが人間としての本当の勝利への道である。
 剣の達人・宮本武蔵は「千日の稽古を鍛とし、萬日の稽古を錬とす」と、『五輪書ごりんのしょ』(岩波文庫)に書いている。これは、いわば武蔵なりの”人生の指針”であり、”勝負の哲学”ともいえると思う。
 鍛錬によって人は、みずからを縛る自身の欠点から解放される。自分自身を鍛錬し、培った力こそが、自身の勝利を支える土台となる。要するに、”鍛錬が人を自由にする”のである。
 鍛錬なき青春時代は、一見、楽なようで、うらやましく見えるかもれない。しかし、やがては、現実という激しい”風雨”に耐えきれず、敗北の実態をさらけだしてしまう。私も六十年の人生経験から、このことははっきりと断言できる。より高く、より遠く、より速く、より美しく、より大きな世界へと飛びゆくための使命の翼は、暴風雨の中で鍛えられてこそ、自在に大空へと羽ばたけるのである。
6  ② 好きであること
 記録を阻む心理的な要因には、もう一つ、「強制されてやっている」と思う圧迫感がある。何事も、「いやいや」やるのでは力が出ない。「好き」でなければ上達しない。
 オリンピックの水泳は、今や「十代のスポーツ」と呼ばれる。十代の、しかも半ばぐらいの若い選手が優勝することが多い。陸上競技ではそのようなことはない。また人間の筋力は二十代がピークとされている。なのに、なぜ「水泳は十代」なのか――。
 ある人は言う。――一流の選手は、毎日、なんと九時間も水の中にいる。睡眠を除いて、起きている時間では、水の中のほうが長い。陸に住む人間にとって、陸上選手以上に”非人間的”トレーニングである。
 十代も終わりごろになると、こうした生活に疑間をもつようになる。いや気がさしてしまう。そして、異性との交際がはじまるなどして”陸に上がってくる”(笑い)。そこで、水泳選手の年齢は若くなる一方なのだ――と。この説が正しいかどうかは別にして、「好き」である、「集中」する――これが能力を引きだす要因であることは間違いない。
 勉学でも、クラブでも、「好き」になっていこうとする自分の決意と姿勢が大切であろう。「好き」ということは、まず自分なりに、「納得」することである。それを前提に「自主的に」苦労し、習練をかさねることである。そこに、やがて本当の地力がついていく。本番でも実力を出しきる「精神力」も、培われていく。
 そのような人は、「苦労」している時にも「不幸」を感じない。すべてを向上のバネとして、みずみずしい生命力で、自分の「心の世界」を、そして人生そのものを大きく開いていくことができる。
 ゆえに諸君は、苦手な科目や嫌いな分野にも勇んで取り組み、どうせやるならば、なんとか「好きになっていこう」と努力していただきたい。
 なかには、お母さん方から「勉強しなさい」と、いつも”強制”されて(笑い)、少々、いやになる場合もあるかもしれない。
 母親の「勉強しなさい」は、テレビのコマーシャルのように、のべつまくなしで(笑い)、うるさいと思うかもしれないが、決してなくなりはしない。(爆笑)
 要するに、それに「いやいや」従おうとするのではなく、自分から一歩踏みこんで、「勉強を好きになろう」と決めていけばよいのである。それが”強い心”である。
 ともあれ、諸君は十代の、生命の輝きに満ちた年代である。この時期に、徹底して勉強に励み、また大いに体を鍛えて、新しい世紀を担うための基礎を、深く強く、築いていただきたい。
7  ③ やりきった自信
 また「慢心」「強制感」とともに「不安」も大敵である。最後の土壇場の緊張のなかで選手を支えるものは何か。それは「あれだけ練習したのだ。やるべきことは、すべてやりきった」との自信だという。
 諸君も経験しているように、学校の試験の時も同じことがいえよう。「やれる勉強は、すべてやった。さあ、何でもこい」と、自信を持った人は強い。動揺もない。しかし、試験勉強も中途半端だと不安が残る。
 イギリス人はよく言う。ともかく「ベストを尽くす」ことだ、と。自分が苦しい時には、相手も苦しい。勝負を決するのは、この「私は、やりきった」との自信なのである。人と比べたり、何かあったりして、すぐにくずれてしまうのは真の自信ではない。渾身の努力もなく抱いた自信――それは一種の「幻想」にすぎない。
8  ④ ベスト・コンデイションとは
 さて、アメリカの黒人選手に、「褐色の弾丸」と言われたオーエンスがいる。
 それは、ベルリン・オリンピックの前年、一九三五年五月二十五日の、ミシガン州でおこなわれた陸上競技大会のことであった。彼は、わずか一時間十五分の間に、たて続けに三つの世界新記録と一つの世界タイ記録を達成した。「彼がベルリン・オリンピックでとった四つの金メグル以上の価値がある」と言われた。ところが、この奇跡ともいうべき日、オーエンスの体調はベスト・コンデイションだつたわけではない。じつは最悪の体調だったのである。
 彼は背中を痛め、競技場にも自動車でやっと着いた。ユニホームヘの着がえも、人に手伝ってもらうほどであった。当然、コーチは棄権させようとした。
 しかし、オーエンスは、”なんとかここまで来たのだから……”と、痛みをこらえてスタート・ラインに立った。”私には使命がある。多くの競技に勝ちぬいてきた。練習もやりぬいた。今、体の調子はまったく悪い。しかし、走ろう、魂だけでも走りぬいてみせよう”との思いであったかもしれない。
 「ところがどうしたというのでしょう。『用意』の号令がかかったとき、わたしのせなかのいたみは、うそのように消え去ったのです。あとはむちゅうでした」(前掲『記録をうちたてた人々』)と。本当に、人間の生命は不思議なものである。最後のレースが終わるや、激痛がふたたびおそい、彼は歩くことさえできなかったという。
 これは、極端な例かもしれないが、ベスト・コンデイションとは何かを考えさせるエピソードである。
9  人生の長距離走で勝利を
 他の例でも「いつもより不調」と思われる時に、かえって良い記録が出ている場合も少なくない。
 私の経験でも、そういう場合はよくある。私は、決して体調の良い日ばかりではなかった。むしろ、悪い日のほうが多かった。だが、そのなかで”やりぬこう、勝ってみせる”との強い思いで戦いぬいた時、歴史に残る仕事をやり遂げることができたし、人生の「価値ある道」を切りひらくことができたと思っている。一念の力は不可思議である。マイナスをもプラスに転ずるパワーがある。
 体調の不調の時の勝利の理由をあげて「無欲の勝利」という人もいる。それはともかくとして、どんな悪条件でも、”やりぬこう”との執念と根性が、思いもよらぬ力で、日ごろたくわえた地力を爆発させることがあるものだ。決してあきらめないこと、それが新記録への飛躍台である。
 新記録といっても、なかには「自分には何も得意なものがない」という人がいるかもしれない。
 しかし、長い人生である。一生の勝負である。最後に何かで勝てばよい。人生というマラソンレースで勝利者となればよいのである。
 スポーツの記録においても、「長距離ほど記録は伸びる」という”法則”があるようだ。
 一八九六年から一九八四年までの約九十年間にオリンピックの記録は、どの程度、伸びたかを具体的に見てみると、
 「百メートル走……約二〇パーセントの向上、千五百メートル走……約三〇パーセントの向上、マラソン(四二・一九五キロメートル)……約四〇パーセントの向上」(矢部京之助『疲労と体力の科学』講談社)と分析されている。
 諸君は、かりに「人生の短距離走」で勝てなければ、「中距離走」で勝てばよい。それでも勝利にとどかなければ、「長距離走」で勝てばよいのである。
 「最後には勝つ」――この決心で、たくましく、またたくましく生きぬいてほしい。
 ともあれ諸君は、何らかの「青春の記録」をつくっていただきたい。何でもよい。自分らしい何かを打ちたてることだ。朝寝坊の新記録とか(笑い)、お母さんに叱られた記録、落第の記録保持者などというのは困るが(爆笑)……。
 輝く「人生の新記録」は、自分のためばかりでなく、多くの人の喜び、誇りともなっていくものである。
10  世界が沸いたアベベの勝利
 ”裸足の英雄”と言われたエチオピアのアベベ。彼は、オリンピックのローマ大会(1960年)と東京大会(1964年)の二回、マラソンで連続優勝している。かつてだれびともなしえなかった偉業である。東京大会でも、日本をあげての拍手喝朱をあびたが、初優勝のローマ大会は、まさに劇的であった。
 エチオピアは、かつて、イタリアの独裁者ムッソリーニに征服された(1936年〜1941年)。皇帝はイギリスヘ、涙の亡命。オリンピックは、その二十四年後である。アベベは、この皇帝の親衛隊の一兵士であった。かつて皇帝を追いだしたイタリア。その首都ローマでのオリンピック。アベベには”この地で、皇帝の無念の思いを晴らしてみせる”との深い決意があったにちがいない。 
 アベベは、ローマで見事に優勝した。勝った。しかも「オリンピックの華」マラソン競技である。世界中が沸いた。アベベは言った。「私は皇帝のために走った」「わが祖国がはじめて手にしたこのメダルは、皇帝に献上したい」と。人々は、その心情、祖国愛に涙した。「エチオピアはその一兵士によって、ローマに雪辱した」と、ある新聞は書いた。
 アベベ「一人」の勝利は、エチオピアの「すべての人々」の勝利であった。「一人」が立てばよい。「一人」が勝利すれば、それは「全員」の勝利へと通じていく。諸君は「その一人」となっていただきたい。
 自分なりの「青春の金メダリスト」「青春のチャンピオン」「トップランナー」、真の「勝利者」の栄冠をつかんでいただきたい。諸君が、その”挑戦また挑戦”の道を歩みゆくことを私は信じ、祈っている。(拍手)
 最後に、どうか、お父さん、お母さんに、くれぐれもよろしくお伝えください、と申し上げ、本日のスピーチとしたい。

1
1