Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

創価中学・高等学校第19回卒業式 関西創価中学・高等学校第14回卒業式

1989.93.16 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

前後
1  晴れの卒業式、本当におめでとう。皆さんの洋々たる前途を心から祝福させていただきます。
 また、ご両親はじめ、ご家族の皆さま、まことにおめでとうございました。また教職員の方々にも深く御礼申し上げます。(拍手)
 創価学園は、さまざまな意味で、日本一の人間教育の学舎まなびやであると私は確信しております。勉学の鍛えも厳しい。徹底して読書も勧められる。他の学校だったら、あるいは、もっと楽だったかもしれない。(笑い)
 しかも家に帰れば、お母さんに、毎日、口やかましく(爆笑)、勉強、勉強と繰り返され、本当に
 学園生はたいへんだ。そうしたなかを、皆さん方は立派に耐えて、きょうの卒業の日を迎えられました。(笑い、拍手)
 そういう意味から、私は、できれば卒業生全員に「創立者賞」「優等賞」をさしあげてほしい気持ちであると、先生方に提案しておきたい。
 それは、学園生は全員が、宝のごとき未来の人材である。勉学は当然、最重要の課題であるが、現在の学業成績等だけでは、かならずしも将来はわからない。中学・高校時代は、かりに目立たない存在であっても、時とともに偉大なる力を発揮し、活躍していく人は数多いからであります。(拍手)
 さて、先ほど中学校の校長先生のあいさつで、ソ連のお話が出ましたので、私はバランスをとる意味からも(笑い)、中国の周恩来総理のエピソードをとおして、話をしておきたい。
 諸君はいよいよ、本格的に自分で自分という人間をつくりあげていく時代に入りました。その門出にあたり、私は「雄々しき人生の詩を、たくましくつづりゆけ」と、強く呼びかけておきたいのであります。
 周総理(1898年~1976年)といえば、諸君もよくご存じのとおり、二十世紀に不滅の足跡をとどめた大指導者であります。その人民を思う「慈愛」の深さ、そして人民を守る「信念」の強さ――。周総理は、二十一世紀の新しきリーダーたる諸君にとって、偉大なるかがみの存在であると私は思っています。
 周総理は一九一七年、十九歳の年に、ちょうど高校卒業の皆さんぐらいの年齢で、天津てんしんの南開学校を卒業し、日本に留学しました。
 その出発の直前に、周青年が、青春の燃えたぎる心をつづった一詩が、私はたいへんに好きである。
 それは私自身が恩師の戸田先生と出会った十九歳の時の感慨と、そのまま重なるからです。
 漢詩なので少々、むずかしいかもしれませんが――。
  大江歌罷掉頭東
  邃密群科済世窮
  面壁十年図破壁 
  難酬蹈海亦英雄
 大江おおしきうたうたいおさめこうべを東にふりむ
 社会ひとのよの科学をきわめ ゆきづまれる世をすくわん
 十年かべむかいてを破らんとはかるも
 むくわれ難くしてたいかいに投ずるや
    また 英雄なり
 「大江」とは、原脚注げんきゃくちゅうによると、宋の詩人・蘇軾そしょくの「大江たいこう東に去り、なみはあらい尽くせり、千古の風流人物を」と詠んでいる――。
 (藤堂明保監修『寥天―周総理若き日の詩十四首』林芳訳、サントク・エンタープライス出版部)
 詩の意味を、あえてわかりやすく申し上げると、こうもなるでしょうか。
 ――自分は今、大いなる志を胸に秘め、決然と東(日本)に旅立っていく。もろもろの学問を深くきわめ、行き詰まった祖国・中国を救わねばならない。
 十年間、苦労をいとわずに力をつけ、現実の壁を打ち破っていこう。たとえ、この目的が果たせず、途中で身を大海に沈めるような目にあったとしても、信念に生きるかぎり、英雄の名に値する人生であろう、と。
 すなわち、これは”人民をいじめ、苦しめる悪に対しては、命を賭して挑戦し、戦っていく”という、一人の青年が放った、火をくような闘争宣言であります。
2  疾風はげしきかぜつよきくさを知る”  
 じつに周総理の崇高なる一生は、最後の最後まで、この青年時代の誓いに貫かれていた。本当の人生の戦いとは、そういうものなのであります。
 私も十九歳の折に師に誓った、民衆のための”闘争宣言”のままに走りぬいてきました。皆さんもそうであっていただきたい。(拍手)
 周総理の日本での二年間の留学生活は、苦労の連続でした。留学はしたものの、正式に大学に入学することができなかった。
 私が現在、創大等で留学生の受けいれに真心を尽くさせていただいているのは、この周総理の青年時代に果たせなかった無念さに、なんとか報いたいとの思いからでもあります。
 ともあれ、自分の期待をくつがえした異国での逆境にあっても、周青年は学びの歩みを絶対に止めなかった。毎日十三時間もの勉強に挑戦していたという。
 青年時代こそ「学び」の時です。一切が自分の成長のための”学問”となる。
 私も若き日、恩師戸田先生のもとで、どれほど本を読んだか。また、どれほど厳しい薫陶を受け、どれほど学問を教えられたか。それらが、すべて実りあるものとなり、今日の私があると思えば、感謝にたえません。
 また、周青年は、祖国にくわえられる横暴な侮辱に対しては敢然と抗議の声をあげて、一歩も退かなかった。青年らしく真理と正義の探究の日々を積みかさねていったのであります。
 かつて周総理が私に、感慨深いまなざしで「五十年前、桜の咲くころに日本をたちました」と語られていたことを、私は昨日のことのように思い出し、忘れることができません。
 中国の有名な言葉に「疾風しっぷう勁草けいそうを知る」とあります。これは周総理も愛誦されていたようです。「疾風(激しい風)に吹かれてはじめて、「勁草(強い草)であるかどうかを知ることができる。と同じように、人間も苦難に耐えぬいてはじめてその信念の強さ、人格の深さが証明される。
 歴史をみても、人生の疾風や社会の非難の嵐を受けずして偉大な人物となった人はいません。
3  学園の「美しき心の世界」を生涯
 これからの皆さんの行く手にも「疾風」が吹き荒れる日があることでしょう。
 しかし、諸君の胸中には学園で培った確たる「負けじ魂」があるはずです。武蔵野の大地に、また交野の大地に、確固と根を張って倒れない「勁草」のごとく、この「負けじ魂」を胸に、どこまでもどこまでも、たくましく、またたくましく、堂々と伸びゆく人間であっていただきたい(拍手)。そして朗らかなこれからの青春の旅にあって、自分らしく「雄々しき人生の詩」をつづっていっていただきたいのであります。
 さて周総理が、十代の日に寮生活をとおして培った南開学校の恩師との絆を、また友人との絆を、人生の宝として、だれよりも大切にされていたことは、よく知られております。
 おたがいの立場がどのように変わろうとも、周総理はかつての恩師をかならず”先生”と呼び、慕い続けた。南開学校の創立記念日など機会があるごとに、昔の学友と旧交を温め、ご夫人の鄧穎超女史に、一人ひとり紹介していたという姿も、私には絵のように目に浮かんでまいります。
 師の恩を忘れず、また友情を大切に育んでいく――一見、平凡のように見えるが、決してそうではない。こうした振る舞いのなかに、じつは人間性のもっとも美しき発露があり、人間性の真髄がある。そして、人生の深き味わいがあるのです。どうか皆さんも、この学園兄弟という稀有なる美しい心の世界を、どこまでも大事に守りぬいていただきたい。
 私も創立者として、わが愛する諸君のご健康とご活躍とご多幸を、生涯、祈り続けてまいります。三十年後、さらに二十年後のはるかなる未来に、限りない民衆と世界の真っただ中で、すばらしきリーダーとして活躍されゆく諸君の晴れ姿を、毎日、私は夢見ながら生きぬいていく決心であります。
 「わが学園生は、私の大切な、大切な生命なり」と申し上げ、スピーチを終わります。

1
1