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日蓮大聖人・池田大作

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創価学園1 小学校

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

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2  本を読み、ルールを守る子に
 次に、大いによい本を読もう、ということを申し上げておきます。
 皆さんのなかには、本を読むよりも、テレビを見たほうがおもしろいという人もあるかもしれません。私も、テレビが悪いとは思いません。しかし読書は、それ以上に皆さんを、いまだかつて知らない、ひろびろとした世界へ案内してくれるものです。
 私も、小学生時代には家が貧しくてあまり本が買えなかったため、学校の図書室や近所の図書館の本を、夢中になって読みました。そのころ読んだ『ロビンソン漂流記』や『トム・ソーヤーの冒険』『宝島』などは、いまでもはっきり覚えております。
 本ばかり読んでいて、身体を鍛えたり、学校の勉強がおろそかになっては困りますが、ともかく、皆さん方は、記憶力や想像力のすばらしい年代であります。その時期に、できるだけ世界の名作に親しんでいってください。
 また、学校という新しい生活には、決まりとかルールというものがあります。友だちと遊んでいても、自分だけ決まりを守らないで勝手なことをしていれば、仲間はずれにされてしまう。道を歩いていても、ルールを守らず、赤信号のとき渡ってしまえば、車にひかれてしまうでしょう。
 どうか皆さんは、朝「いってきます」と元気に家を出たならば、決められたルールをきちんと守る、明るい少年少女であってください。小さいときからこのような習慣を身につけておくと、大きくなってから非常に役に立つものです。大人になると社会の約束、ルールを無視すれば、まったく信用されなくなってしまうものです。
 このこととも関連しますが、どうか「けじめ」はきちんとしてください。私は、とくに言葉遣いをはっきりさせることが大切だと思います。
 「いってきます」「ただいま」「おはようございます」「さようなら」――言葉遣いのはっきりした子どもは、見ていて非常に気持ちがいい。何でもないことのようであっても、言葉遣いがはっきりしてすがすがしい人は、かならず心豊かな人になっていきます。
 最後に皆さん方が、こうして元気に入学式を迎えることができたのも、両親のおかげです。お父さん、お母さんを大切にしてください。兄弟を大切にしてください。それと同じように、友だち、またほかの人たち、とくに恵まれないかわいそうな人たちを、大切にしていってください。みんなに対する思いやりを忘れない、大きな、広い心をもった少年であってください。
 皆さんがよく学び、よく遊び、立派な小学生に成長してくださるよう、心からお願いし、私のメッセージとさせていただきます。
3  東京創価小学校 第一回秋季運動会〈昭和53年l0月1日〉
 何ごとも根っこが大切
 ちょっとむずかしいお話をします。ご父母の皆さまにむしろ、お話し申し上げたい。
 きのう、私はある竹の子屋さんに会いました。その竹の子屋さんがいうには「竹の子というのは、来年の五月ごろに立派に大きくなると思っていたらまちがいである。じつは竹の子は、今、七月、八月ごろにその細い根っこができる。これで勝負が決まってしまう。来年の四月とか、五月というのは、一つの姿を見るだけにすぎない」と。この話を聞きまして、私は感銘しました。というのは、小学校の時代に、将来、大成するかしないかが決まってしまうことを意味するからであります。
 その意味において、私はきょうの運動会を見て、皆さん方のお子さんがすくすくと成長していて本当に安心しましたし、確信をもちました。私は絶対にこの小学校からは一人も落後者は出したくないし、全員を立派な社会のリーダーに育てていく決心です。これからも応援をよろしくお願い申し上げます。
 校長先生をはじめ、諸先生方には何かと応援を願い、朝な夕な全力の教育をしてくださいまして、この席を借りて、厚く御礼申し上げます。なお、きょうは大学からも、学園からも、校医の先生方、小学校を真心をこめてご支援くださる先生方にもおいでいただきましたことを、衷心より御礼申し上げまして、お祝いの言葉とさせていただきます。本当に大成功おめでとう。
4  東京創価小学校 第一回児童祭〈昭和54年3月3日〉
 信念もって大きく育とう
 創価小学校のなかからは、人類を救っていくであろう指導者が、たくさん出ることを私は信じています。その意味で、わかっても、わからなくてもいいからと思ってお話をします。
 『イソップ物語』のなかに、こういう話があります。あるとき、お父さんと子どもと、一ぴきのロバが歩いてきました。そうすると、それを見ている大勢の人々が「もったいない。あのロバにだれか乗ればいいじゃないか」と、いいました。そこで、いわれたとおりに、そのロバにお父さんが乗りました。ずうっと歩いていきました。
 また大勢の人がなにやかやいいました。「お父さんが乗っていて、あんな小さい子どもを歩かせているのはかわいそうではないか」と。そこで、こんどは、お父さんがおりて、子どもがロバに乗りました。また、歩いていくと、人々が「あんな小さい子どもが乗っていて、お父さんを乗せないというのはおかしいんじゃないか」といいました。そこで、お父さんと子どもは「人々がああいうんだから、いっしょに、二人乗っちゃおう」といって、こんどは二人が乗りました。
 ずうっと歩いていくと大勢の人々がいいました。「あんな小さいロバに大人と子どもが乗って、ロバがかわいそうじゃないか」と。
 人のことばに左右されやすいこの親子は、こんどは、二人ともおりてロバをかついで歩きました。すると、人々に「あの親子は、何とあわれな、おかしな人であろうか」というふうに笑われました。
 偉くなっていくためには、たくさんの批判があります。人々がなにやかやいうものです。それを一つひとつ聞いていたならば、自分の信念というものはつらぬけない。そこで、創価小学校の皆さん方は、立派に、創価小学校の信念をもって、大きく育っていただきたいと、私は申し上げたいのであります。
 きょうの児童祭は、百点満点でいうならば、二百点に近い立派な児童祭でありました。本当にうれしい。ご父母の方々、また立派な演技を見せてくれた世界一の小学校の皆さん方、陰でさまざまなご援助をくださった方々、すべての皆さまに心から感謝と御礼を申し上げまして、私のあいさつといたします。
5  東京創価小学校 第二回入学式(メッセージ)〈昭和54年4月9日〉
 何があっても負けない子に
 希望あふれる第二回入学式、おめでとうございます。
 お父さん、お母さんもきっと喜んでおられることでしょう。
 この日にあたり、私は皆さんと、二つの約束をしたいと思います。
 一つは、体の丈夫な皆さんになってほしいことです。それには、早寝・早起きが大切です。
 二つは、何があっても負けない子になってください。どんなにつらくとも泣き虫ではなく、心に太陽をもって進んでいく子であってほしいのです。
 皆さんが、元気で立派なよい子になることをお祈りし、私のメッセージといたします。
6  東京創価小学校 第二回秋季運動会〈昭和54年l0月14日〉
 心によい種を植えよう
 この次は「いもほり大会」でお会いしましょう。いもほりをいっしょにやりましょう。
 おいもは、たくさん穫れるのでしょうね。みんなの力で種を植えたのですね。そのおいもが大変大きくなったことを、さきほど校長先生から聞きました。種を植えなければ、何もできません。サツマイモでも、ジャガイモでも、スイカでも、ナスでも、キュウリでも、全部同じです。蒔かぬ種は生えません。それと同じように、いま小学校のときに、一生のなかで大切な勉強という種を植えなければ、立派な人間にはなれないし、信頼もされません。いまは、種を植えているんだと思ってもらいたい。
 もう一つは、さきほど競技した綱引きを例にとります。あの綱は、たくさんの縄を縛って太く切れないようになっています。それと同じように、皆さん方が、きょうは学校を休みたいと思ったり、かぜをひいたり、お母さんに叱られたり、お父さんとけんかしたり、そのようなことを繰り返しながらも勉強したり、学校へ行く。悲しいこと、いやなこと、つらいことがあるけれども、勉強しよう、学校へ行こう、というぐあいに、その二つがガッチリと結び合いながら、長く太い、壊れない綱になっていくのです。
 いいときばかりではない。いやなときもいっぱいあります。けれども太い、壊れない、切れない、そういう大きい綱を作るためには、努力をしていく以外にないのです。
7  東京創価小学校第三回入学式(メッセージ)〈昭和55年4月8日〉
 友だちを大切に
 新一年生の皆さん、ご入学おめでとうございます。喜びと希望にあふれた顔が、日に浮かんでくるようです。
 創価小学校も、今年で三回目の入学式をむかえました。お兄さん、お姉さんたちも、立派に成長しております。皆さんも負けないよう、伸び伸びと勉強に励み、楽しい学校生活を送ってください。
 きょうは、六年間の出発です。そこで、三つの約束をしたいと思います。それは、
  一つは「友だち」を大切にしよう。
  二つは「本」をたくさん読もう。
  三つは「丈夫な体」をつくろう。
 ということです。
 いま、小学校の広い校庭には、長い冬に耐えた、たくさんの若芽がふくらみ、花を咲かせています。この若芽のように、つらいこと、苦しいことがあっても、それを笑顔で乗り越え、たくましく成長する一人一人であってください。
 私も、お会いするのを楽しみにしております。
 皆さんが、元気でよい子になることをお祈りし、メッセージといたします。
8  東京創価小学校 第三回秋季運動会〈昭和55年9月28日〉
 勉強にはげみ伸び伸びと育て
 長い時間、本当にご苦労さまでした。また、ご招待ありがとうございます。心から御礼申し上げます。
 少々むずかしい話かもしれませんけれども、日本の国に明治維新という大切な時代がありました。幕府と官軍が戦争するという内乱があった。そのときに、福沢諭吉という慶応大学をつくった先生は、大砲の音や鉄砲の音がひびいてくるなかで「そんなことはもう眼中におくな。われわれは勉強しよう。もう戦争の時代ではない。暴力の時代ではない。日本中が批判しあっている時代ではない。一生懸命、勉強した人が勝つんだ。勉強した人が、次の時代のリーダーになるんだ」との確信をもって学生にいいきりました。そして、今日の日本の国の基礎をつくった大勢の指導者を教育した、という有名な話があります。
 と同じように、わが創価小学校の児童は、何があっても健康で、勉強を一生懸命やって、二十一世紀に向かって雄々しく成長していただきたいことが、私のお願いであります。
 なお、きょうは、この東京都内で、多くの学校が運動会を行っているようですけれども、わが創価小学校には、中国の大切なお友だちが出席してくださったことは、本当に光栄であります。また、大変な意味があると思います。
 日本の国は、全世界の国々とみんな仲よくしていくことは、当然でありますけれども、とくに、お隣の中国とは、永遠に仲よくしていかなければなりません。このことを、きょうは児童の皆さんに、また父母の方々に申し上げておきたいのです。
 来年もまた、楽しく伸び伸びとした運動会を行いますけれども、父母の方々もいらしてください。私も率先してまいります。
 最後に、金蘇城先生をはじめ、中国のお友だち、先生方、ご父母の皆さま方、ご来賓の皆さま方のご健勝、また児童の皆さんの成長を祈って、万歳と申し上げて、私のごあいさつといたします。
9  東京創価小学校 第四回いもほり大会〈昭和56年l0月30日〉
 努力忘れず勉強を
 きょうは、本当に愉快に拝見させていただき、ありがとう。かぜをひかないようにしてください。
 きょうきてくださっている、モスクワ大学のストリジャック先生という方は、ソ連で最高の日本語の学者の先生です。私たちもソ連を訪問したときには、毎回お世話になっている先生ですから、忘れないでください。先生のお弟子さんは、世界中にいるんです。日本語を中心として、教えたお弟子さんがたくさんいらっしゃる先生なのです。
 校長先生からお話があったように、種を植えなければ、イモはできない。勉強も種と同じです。しっかり植えておかないと、大人になってから立派な人間になれないし、社会に通用する人間にはなれない。一生懸命種を植えて、学校に通って、そして自分を大きくしてもらいたいのです。ストリジャック先生の場合にも、たくさんの日本語のお弟子さんに、種を植え、そしていま、その人たちが世界中で活躍しています。
 その意味において、校長先生ならびに先生方のいうことをよく聞いて、勉強だけはなんとかしておきなさい。学校を休まないようにしてください。
 また、先生方から「いい子だな、優秀だな」といわれるくらい努力をしてください。
 試験の結果というものは、体の調子が悪いとか、スランプのときがあるから、それだけではわからない場合があるけれども、先生はプロなので、努力をしている人をよく見ぬくものです。努力だけはしっかりしてもらいたいと私は思います。お願いします。
 すもうの強いのもいいし、それからイモほりのうまいのもいいし、全部それは生きるけれども、やはり勉学に対する努力が必要でしょう。「努力」――これだけを、きょうは申し上げて、あいさつとさせていただきます。
10  東京創価小学校 第一回卒業式〈昭和57年3月18日〉
 西暦二〇〇〇年に花のパリで
 日本一の小学校から、日本一の第一期の卒業生が、めでたくきょう、このように大学の卒業式のような儀式で修了しまして、おめでとうございます。
 第一期の卒業生の皆さんは、これから中学、高校、大学、そして、それからも社会に挑戦していくわけです。
 皆さんは、使命ある人ですから、どこへ行っても、立派だな、優秀だな、たしかに創価小学校第一期生はちがうな、といわれる人になっていただきたいと思います。そして皆さんは、いま十二歳、あと十八年で西暦二〇〇〇年、そのとき、皆さんは三十歳になります。その西暦二〇〇〇年の五月ごろ、若葉、青葉の香るよき日を選んで、花のパリでお母さんと一緒に同窓会をやったらどうでしょうか。私も、そのときは、パリでお会いしたいと思います。このことを、きょうは、はなむけの言葉としたいのです。
 それから、ただ一点だけ申し上げたいことは、「平和」の二字だけは生涯忘れてはならないということです。
 われわれの運動は、全部「平和」が基本です。そのうえに文化も教育もあるのです。さきほど歌を歌われたように、「平和」というものをいつも念頭において一生懸命、力をつけてもらいたい、これが私のお願いです。
 最後に、きょうのこの第一回目の卒業式は、二十年さき、三十年さき、五十年さき、百年さきには、偉大な歴史の日として輝きわたることを確信をもってお伝えしたいと思います。それを私は、深く信じております。
 皆さんのこれからの中学校でのご健闘を祈って、心からの祝福を申し上げ、私の話を終わります。本当におめでとうございました。
11  東京創価小学校 第五回入学式(メッセージ)〈昭和57年4月7日〉
 大樹に育て
 創価小学校に晴れて入学した新入生の皆さん、おめでとう。
 おとぎの道の桜の花も、学園山に飛び交う小鳥たちも、武蔵野の緑も、君たちの前途を心から祝福しています。私の心も君たちのことでいっぱいです。
 君たちは私の希望の星です。未来の宝です。きょうからは、この学舎で、明るく強く伸び伸びと、大空に向かって大樹と育ってほしい。
 未来の空に羽ばたくために、大いに体を鍛えてほしい。
 未来の大地に花を咲かせるために、大いに勉強してほしい。
 未来の山を登るために、友だちと仲よく励ましあっていってほしい。
 私は皆さんが立派な大樹と成長するまで根っことなって、どんなに苦しくとも一人で戦い、道を切り拓いていくつもりです。
 最後にお父さん、お母さんを心から大事にする皆さんであってください。
 皆さんと会える日を楽しみにしています。
12  関西創価小学校 第一回入学式(メッセージ)〈昭和57年4月10日〉
 正直で正義の人に
 待ちに待った入学式、本当におめでとうございます。
 きょうの日を私も心から楽しみにしておりました。残念ながら、フランスのお客さまと東京で会わなければならず、出席できませんが、わが関西創価小学校の晴れがましい第一回入学式を、心からお祝い申し上げます。
 皆さんは、栄えある第一期生です。その誇りをつねにもって、まずたくさんの本を読み、しっかり勉強をしてください。
 次に、よい友だちと一緒に、正直で正義の心をもった人になってください。
 そして、体を健康にして、お父さん、お母さんに心配をかけない、明るく強い子になってください。
 私も、かわいい皆さんの成長をいつも見守っています。
 ご父母の皆さま、本当におめでとうございました。また教職員の先生方、大切な未来の宝をよろしくお願い申し上げます。
13  東京創価小学校 第二期生卒業記念撮影会〈昭和58年1月21日〉
 幸福の王子、王女に
 日本には何千、何万という小学校があります。私は、大勢の少年少女を知っております。たくさんの小学校のようすも聞いておりますが、残念なことに、多くの学校に、登校拒否、学校に行きたくないという子がいるという。また、そういう子どもが非常にふえている。それに対して、東京創価小学校の皆さんのようすを、父母の方とか、学校の先生方にうかがうと、大変に遠くから通っていても、「学校に行くのが楽しい」といっているという。
 それは、先生方が真剣に、皆さんを守り、励ましながら、勉強させていきたいと頑張ってくださっているからです。皆さんも、この小学校を、これからも大切にしてください。弱い自分に負けて、学校を休むようなことがあってはなりません。
 小学校、中学校、高校、大学という勉強の課程がありますが、もっともしぜんのうちに、先生方から人間的な啓発を受けることができるのは、小学校の時代です。また、そこで築きあげた人間の土台というものは、人生にとって大変に大きな力となります。このことは、あとになればなるほどわかってくるものです。私も一番懐かしく、一番心に残っている学校の先生は、小学校の先生です。その先生方のことは、文章にも書いております。それほど、一生涯のうちで、もっとも深い印象と思い出に残るのが小学校です。
 創価小学校の皆さんは幸福の王子であり、幸福の王女です。たくさんの小学校がありますが、「王様グラウンド」「王子農園」などという名前のついている場所がある学校は、他にありません。「名は体を表す」です。
 『幸福の王子』という有名な物語があります。不幸な人を見ると涙を流し、自分の身をなげうって、その人たちを幸福にしてあげる王子の話です。皆さんはそういう人になってもらいたい。幸福の王子らしく、幸福の王女らしく、両親に心配をかけないようにしてもらいたい。
 このなかから、創価中学に推薦されていく人も多いと思いますが、勉強だけは、やっぱり負けてはいけない。とくに中学生になった場合には、小学校と大きな違いが出てきます。小学校の延長というわけにはいきません。競争になってきます。
 中学校、高校も、創価小学校出身の皆さんが、伝統をさらに新しくつくっていく責任があります。そこで大切なことは、勉強第一、健康第一とともに、弱い者いじめをしないことです。皆、兄弟のような仲間だから、多少のふざけやけんかはあるかもしれない。けれども、お互いに大切にしあい、守りあっていくという、そういう美しい心を忘れてはいけない。人に嫌われたり、人に迷惑をかけるような人は王子ではありません。王女でもない。
 きょうはこれだけ話して、皆さん方をお送りして終了します。きょう集まった幸福の王子と王女のお父さん、お母さんによろしくお伝えください。
14  関西創価小学校 第一回児童ドリーム・フェステイバル〈昭和58年3月13日〉
 幸福の王子、王女に育とう
 本日は、大変にさわやかな楽しい集いに出席でき、また、皆さん方の元気に成長された姿を拝見し、大変うれしく思います。
 世界的に有名な小説で、多くの小学生に読まれ、また先生方にも読まれてきた『幸福の王子』という本があります。内容は略させていただきますが、皆さん方にとって、いまは、「幸福の王子、王女」に育っていくための大切な時期です。力がなくては、人のために尽くせない。だから、しつかり勉強し、自分をつくっていかなくてはいけません。
 イギリスやドイツなどの西欧では、「子どもは悪魔」という場合もあります。それは子どもは将来、どう育つかわからないからです。そこで、子どもには、非常に厳しい躾をし、厳格な教育態度で接している。そういう育て方であるがゆえに、子どもたちは立派に成長してきた。それに対して、現代の日本の場合は甘やかしすぎて、大人になって、勇気ある根性のある立派な人に育っていかないという傾向がある。いま、社会で立派になった人は、みんな厳しい躾をされた人です。訓練をされた人です。勉強をした人であります。そこで、わが関西創価小学校の皆さんは、一人も残らず立派に育ってもらいたいということが、私の願いであります。
 そのために何点か申し上げておきたい。
 第一点は、テレビを見る時間は、自分で一時間なら一時間だけと決めて、あとは勉強にあわせて工夫をすること。
 第二点は、授業中は一生懸命、集中力をもって勉強していただきたいということです。授業は真剣に聞こうという心を、自分でもっていっていただきたい。
 第二点は、善悪の区別のつく、他の人に迷惑をかけない正義の人に育ってもらいたい。
 第四点は、暴力は絶対あってはいけないということです。
 卵の中は、はじめは黄身と自身があるだけのように見える。しかし、親鳥があたためていくと、目やくちばし、足などができ、一人前の鳥になっていく。また、生まれたばかりの雛鳥のそばに、まるい風船を置いておくと、風船を親鳥と思って、雛鳥はみんなそちらに寄っていってしまう。後になって親鳥がそこにいっても寄りつかない。こういう研究の結果があります。
 小学生時代というのは、どのような方向にも育っていく可能性をはらんだ時期であるし、環境に大きく影響されていく時期でもあります。ですから、皆さんは、どんなことがあっても、この関西創価小学校で一生懸命勉強をし、卒業していこうと努力していってください。そうすれば、すべてが自分が成長するための環境となり、自分自身というものがしぜんのうちに築かれていくのです。
 ともかく、この小学校時代は、これで一生が決まってしまうぐらい大切な時期ですから、「明るい子」「思いやりのある子」「ねばり強い子」(低学年)、「闊達」「友情」「根性」(高学年)という本校のモットーをよくわきまえて、健康で、そしてがまん強く頑張ってください。
15  東京創価小学校 第二回卒業式(メッセージ)〈昭和58年3月19日〉
 「みんなの幸い」のために
 愛する王子、王女の皆さん、卒業おめでとう。いよいよ中学生となり、人間としての骨格を築く大事な時期に入る皆さんの、晴れやかな旅立ちの日を祝い、ひとことごあいさつを申し上げます。皆さんは、夜空に輝く星のなかに、サソリ座という星座があるのをご存じでしょう。サソリ座は、なぜ、あのように美しく光っているのか。宮沢賢治という作家の書いた童話『銀河鉄道の夜』に、次のような物語が出てきます。
 ある野原で、一ぴきのサソリが多くの虫を食べて生きていた。あるとき、イタチに逆に食べられそうになり、逃げまわっているうちに、井戸に落ちて、おぼれそうになった。そのとき、サソリは、このように祈ったといいます。
 「ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生懸命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああ、なんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだを、だまっていたちにくれてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらんください。こんなにむなしく命をすてず、どうかこの次には、まことのみんなの幸いのために私のからだをおつかいください」(巽聖歌編『宮沢賢治童話集(下)』新潮文庫)
 するとサソリのからだが、赤く美しい火となって、闇を照らしたというのです。
 この物語には、尊い教訓が含まれています。命の大切さ、人びとへの思いやり、自分勝手でなく「みんなの幸い」のために生きることのすばらしさが訴えられております。どうか皆さんは、そのような心のひろびろとした、豊かで、たくましい少年少女に成長していってください。
 そして「闊達」「友情」「根性」という創価小学校のモットーを忘れず、未来に向かって凛々しく、貴重な青春の日々と格闘してください。私は、その諸君の姿を、最大の楽しみにして、見守り、応援していきます。
 最後に、お父さん、お母さんを大切に。また、お世話になった教職員の方々のご恩を忘れないで、と申し上げて、お祝いのメッセージとさせていただきます。
16  東京創価小学校 第六回入学式(メッセージ)〈昭和58年4月5日〉
 心をまっすぐに伸ばそう
 新入生の皆さん、ご入学まことにおめでとうございます。
 きょうの入学式を楽しみに、指折り数えながら、希望に胸をふくらませて待っていたことと思います。
 皆さんは、草もちという緑色のおもちを食べたことがあるでしょう。草もちが緑色をしているのは、よもぎという草が入っているからです。このよもぎは放っておくと、曲がって横に伸びてしまいます。ところが、麻のように、まっすぐに伸びる植物のなかで育つと、それに支えられて、よもぎも同じようにまっすぐに伸びていくといいます。
 皆さんの心の中にも、たくさんのよもぎが住んでいます。もっとテレビを見たい、いつまでも遊びたい、寝坊をしたいというわがままな気持ちがある。それはちょうど、曲がろう曲がろうとする心の中のよもぎです。学校は、この心をまっすぐに伸ばす麻畑です。
 これからの学校生活のなかには、楽しいこともたくさんありますが、くやしい思いをすることや、大変だなと思うこともきっとあるでしょう。しかし、負けるものかと、心の中のよもぎをまっすぐに伸ばしながら、強くたくましく育っていってください。
 そして、この創価小学校で、勉強の喜び、すばらしさをつかんでください。
 丈夫な、強い体をつちかってください。
 友だちを大切にして、みんなで楽しい楽しい思い出をたくさんつくってください。
 皆さんの成長は、お父さん、お母さんにとっても、また、私にとっても、一番大きな喜びです。
 どうか、獅子の子のように強く、太陽のように明るく、大空のようにひろびろとした心の人に育ってください。
 いつかお会いできる日を楽しみにしています。お元気で。
17  関西創価小学校第二回入学式(メッセージ)〈昭和58年4月11日〉
 才能の芽を磨こう
 希望に胸ふくらませ、入学式をむかえられた皆さん、きょうは本当におめでとう。
 私は海外の大切なお客さまがあり、残念ながら出席できませんが、皆さんの元気な笑顔を思い浮かべながら、東京の地より見守っております。また、かならず皆さんにお会いするために関西創価小学校にまいります。待っていてください。
 関西小学校は、昨年開校したばかりの新しい学校です。しかし、その目的、理想、環境、そして児童の皆さんは、どこの学校よりもすばらしい、日本一の小学校です。
 先輩のお兄さん、お姉さんたちも、この一年間で立派に成長しております。どうか先輩に負けないように頑張ってください。
 キラキラ輝くダイヤモンドも、一生懸命磨かなければ、ただの石ころにすぎません。それと同じように、皆さんのすばらしい才能の芽も、磨かなければ光り輝くことはありません。ゆえに将来のためにも、少しずつでもいまから勉強の努力をしてください。
 皆さんは、きょうより一年生になったのですから、自分のことは自分ですすんでやりましょう。よいお友だちをたくさんつくり、「よく学び、よく遊べ」で楽しい学校生活を送ってください。
 本日入学された王子、王女のすこやかな成長と、ご父母の皆さま、教職員の先生方のご健勝を心より祈りつつ、お祝いのメッセージとさせていただきます。
18  関西創価小学校 第二回児童ドリーム・フェステイバル〈昭和58年9月21日〉
 広々とした心で大樹に育て
 長い時間、ご苦労さまでした。また本当に楽しかった。ありがとうございました。
 半年ぶりに皆さん方の立派に成長した姿に接して、私もうれしい。第三回もまた、これ以上に、にぎやかに楽しく開催したいと思っております。本当は、第二回は十一月にと思っておりましたが、いろいろと用事もあるし、もしも出席ができない場合には、純真な皆さん方との約束を破ってしまうことになる。こういう気持ちで、少し早めて開催させていただきました。
 さきほども、校長先生、副校長先生と話をしましたが、日本の全体的な傾向として、どうしてもいまの小学生は、儘蝕が多くて、ころんだりすればすぐに骨折したり、ひびが入ったりする骨の弱い児童がふえているという話をうかがいました。食べ物は、自分自身が、健康で、すこやかな成長をしていくために、欠かすことのできないものです。偏食をやめて、どんな食物でも食べる、好き嫌いのない子どもになってください。
 また、最近の新聞を見ると、暴力をふるう児童が一般に多くなってきているという。これもさまざまな理由があるかもしれないが、暴力は野蛮です。暴力は、自分自身の心を、自分で爆発させてしまうという、不幸な行動です。この関西創価小学校は、二十一世紀のあらゆる階層の指導者をつくりたいという念願から発足したものであります。ゆえに、関西創価小学校には、そういう人は一人でもいてはならない。よき苗木は、立派な大樹に育っていく。その苗木をつくっている一番大切なときが小学校時代です。
 また、家へ帰ると、お父さんやお母さんに叱られたり、家庭がおもしろくないという人がいるかもしれない。しかし、それは小さいことだ。社会には、不慮の事故や病気などで親を失い、悲しくつらい思いをしている子どもたちも少なくない。そういうことを考えた場合に、皆さん方はまだまだ幸福である。だから「自分は恵まれている。日本第一の関西創価小学校で学べることは、最高に幸福なんだ」、このように思っていただきたいのです。
 学校に来たならば、先生方が責任をもって皆さんを教育してくれます。家に帰ったら、今度は両親が責任をもって、未来の指導者を守ってくれます。そして、学校と家庭とがよく話し合いながら、皆さん方を守り、支え、成長させていくようになっております。
 身体を大切にして、勉強に運動にしっかり励んでください。勉強がいやな人もいるかもしれない。しかし、いやなことに挑戦していくところに、その人の偉さがあり、成長がある。
 どうか、ご両親によろしく。この次もまた元気でお会いしましょう。
19  関西創価小学校 第二回友情祭(メッセージ)〈昭和58年11月13日〉
 友情を大切に
 元気いっぱいの第二回友情祭、本当におめでとうございます。
 いまでも、九月にお会いしたときの皆さんの笑顔が目に浮かびます。
 皆さんの小学校には竹林があります。まっすぐに立つ竹も、目に見えない上の中では、しっかりと根っこでつながっていて、どんな大風が吹いても決してたおれることはありません。
 皆さんもこの青竹のようにまっすぐに成長しながら、友情という根っこでがっちりとスクラムを組んで、お友だちと仲よく、勉強に運動に頑張ってください。
 私は、大好きな皆さんとお会いできる日を最大の楽しみにしています。どうかお父さん、お母さんを大切に、立派なよい子に育ってください。お元気で。
20  東京創価小学校 第七回入学式(メッセージ)〈昭和59年4月5日〉
 世界一立派な生徒に
 第七回の入学式、まことにおめでとうございます。世界一の東京創価小学校に、よくおいでくださいました。新入生、ご父母の皆さま、本当におめでとうございます。
 きょうは、どうしても用事があって皆さんにお会いできませんが、また行ったときに、新入生の皆さんとお会いできることを楽しみにしています。
 どうか、小学校の六年間、校長先生、副校長先生はじめ、先生方のいうことをよく聞いて、世界一立派な生徒になって卒業してください。
 第七期の新入生の皆さん方が、健康ですくすくと成長していくことを心よりお祈りして、私のメッセージとさせていただきます。
21  関西創価小学校 第三回入学式(メッセージ)〈昭和59年4月11日〉
 正しい習慣を身につけよう
 待ちに待った関西創価小学校の入学式、本当におめでとうございます。
 真新しいランドセル、真新しい制服、真新しい靴、そして何よりも希望に胸をふくらませた皆さんの笑顔が目に浮かびます。
 きょうは私の大好きな、かわいい元気な皆さんに、ひとことだけ申し上げます。
 それは、正しい習慣を身につけてほしいということです。
 悪い習慣は、生涯自分を苦しめ、正しい習慣は、何ものにもかえがたい宝として、生涯皆さんを助けていきます。
 その習慣は、これから先生方のいうことをよく聞いて、しっかり勉強していけば、かならず身についてきます。
 どうか新一年生の皆さんは、胸をはって、明るく、関西創価小学校のなかでも一番、仲がよいといわれるようになってください。
 一日も早く、皆さんとお会いできることを、楽しみにしております。
22  関西創価小学校 第三回児童ドリーム・フェステイバル〈昭和59年6月13日〉
 「夢の祭典」を伝統に
 第三回の楽しい思い出の催しもこれで終わりますが、この集いを、いままで「お楽しみ大会」という名前で開催してきましたが、皆さんの後輩たちがその伝統を受け継いでいくという意義を考えた場合、きょうの第三回から「児童ドリーム・フェスティバル」(児童夢の祭典)、こういう名称にしておきたいと思いますが、いかがでしょうか(拍手)。
 将来を考えた場合に、スマートな名前のほうがいいと思う。ドリームというのは「夢」ということです。フェスティバルというのは「お祭り」ということです。そして、こうしたフェスティバルを、みんなの力で開催することじたい、立派な最高の勉強になります。
 きょう、孔雀小屋のテープカットを行いました。卵が生まれていました。不思議ですね。東京からこちらへ運んでいる途中で生まれたそうです。さきほど、テープカットをしましたら、孔雀のオスが大きく、羽を広げてむかえてくれました。
 校長先生から孔雀に名前をつけてほしいというので、このように考えました。孔雀のオスというのは、英語でピーコックというので「ピーコック」という名前でどうでしょうか(拍手)。それからメスのほうは、英語でピーヘンというから「ピーヘン」という名前でどうでしょうか(拍手)。それでは、そう決定させていただきます。
 それから、演奏してくれたアンジェリツク・ブラスバンドの皆さん、本当にありがとう。みんなで努力し、学校のために一生懸命やっているから、立派なのですね。
 じつは、中国から、創価小学校のお友だちに、十人か二十人来てくれませんか、というお話がきています。ハワイやルーマニアからも、何人かぜひ来てくださいと、いってきています。そのように、いくつかの海外の小学校や中学校から招待があるけれども、形だけではなく、世界第一の実力のある小学校をつくっていきたいと思っています。先生方も、皆さんも、頑張ってください。
23  東京創価小学校 第四期生卒業記念撮影会〈昭和59年12月21日〉
 ベートーヴェンのような情熱を
 久しぶりに、ベートーヴェンの「運命」を聴きました。卒業演奏にふさわしい、感動的なすばらしい演奏でした。私は、この感動を一生忘れることができないでしょう。
 私が、なぜベートーヴェンが好きか。それは、男らしく、人間らしい生き方をしたからです。
 ベートーヴェンは、人間として、芸術家として、自分は最高の生き方をしていると自負していました。ゆえに皇帝であろうと、権力者であろうと、無礼なことをすれば、いうことをきかなかった。信念に反することに対しては椅子をけって、ゆうゆうと帰ってしまったという。そういう生き方は非常に偉いと思います。
 ある演奏会でのこと。ご存じのように、ベートーヴェンは、耳が聴こえない。耳が不自由である。演奏の指揮を始めたけれども、何も聴こえない。それでもベートーヴェンは一生懸命、指揮をしている。人々にはベートーヴェンの真剣さ、彼の魂が伝わってきて、万雷の拍手でベートーヴェンをたたえたというエピソードがあります。
 私はこのような、ベートーヴェンの情熱が大好きです。
 耳が聴こえない、これは音楽家として致命傷である。こういう状況になれば、百人が百人とも、あきらめるでしょう。しかし、彼はあきらめなかった。ベートーヴェンの哲学、人生観のすばらしさは、自分の信ずる道をそのまま貫き通したことです。彼の生涯は「悩みをつき抜けて歓喜に到れ」(ロマン・ロラン『ベートーヴェンの生涯』片山敏彦訳、岩波文庫)との言葉に凝縮されているといえます。つまり彼は、不幸のどん底に入って、これ以上の不幸はないというところから、泉のように、こんこんとわきいずるようになったものが、本当の幸福であることを知っていた。
 この彼の生き方は、大勢の人に生きていく勇気を与えました。
 きょう、皆さんが「運命」を演奏するとは思わなかったし、聴けるとも思わなかった。すばらしい瞬間的な光景であったと思います。本当にありがとう。
24  関西創価小学校 第四回児童ドリーム・フェステイバル〈昭和60年1月22日〉
 「学校に行くこと」が大事
 小学校時代の恩師というものは、人生にあって生涯、忘れられないものです。私が小学校一年生のときの先生は、手島先生というお姉さんのような先生でした。二年生のときは、日置先生というお母さんみたいな先生でした。それから、三年、四年のときは竹内(現・水巻)欽吾先生、五年、六年のときは檜山浩平先生という男の先生で、お二人とも、いまでもおつきあいをしております。この四人の先生が、私には一番胸に残っている思い出の深い先生です。それほど小学校時代というものは、人格を形成していくうえで、深い影響力をもつ大切な時期です。
 そこで、きょうは一つだけお話ししておきたいことがあります。
 それは、春になると桜の花が咲く。同じ桜の花でも、早く咲く花もあれば、遅く咲く花もある。また、寒椿といって、冬に真紅の美しい花を咲かせるものもある。それと同じように人生にあっても、早い時期に花を咲かせる人もいれば、遅く咲かせる人もいる。
 たとえば勉学にあっても、小学校時代に伸びていく人もいれば、中学校時代で花の咲く人もいる。高校や大学の場合もある。
 だから、決してあせってはならない。いま大事なことは、毎日毎日、学校へ行くことにある。そして、一歩一歩と地道な努力を続けていくなかで、人生の根っこができあがってくるのです。「きょうは寒いから休もう」「試験がいやだから行きたくない」「先生が厳しいから、友だちが悪いから休もう」などといって、学校に行かなければ、根っこがつくれなくなる。それでは、花を咲かせることはできない。咲かない花は、花としての意味がなくなってしまう。
 だから、どんなことがあっても「学校に行く」ということが大事です。そのことじたいが最高の教育である。
 人は、一生涯、坂道を上っていくようなものである。さきに咲くか、あとに咲くかは別にして、皆さんもかならず花を咲かせる時期が来る。いま、自分は小学校で勉強することが一番、大切なんだと決めてください。
 また、家庭の問題や経済の状況などで、お父さんやお母さんの大変な苦労のなか、小学校に通っている人がいるかもしれない。しかし、皆さんがしっかり勉強して立派に成長し、将来、お父さんやお母さん、兄弟をみんな助けてあげようと決意して頑張れば、それでいいのです。一生涯の土台は小学校だから、大変でも、つらくても、学校に行けばしぜんのうちによくなっていきます。
 また、ふたたび、皆さんにお会いする日を楽しみにしています。
25  関西創価小学校 第二回卒業式〈昭和60年3月16日〉
 太陽の「二〇〇一年会」に
 第二期生の卒業式、まことにおめでとうございます。
 保護者の皆さま、本当におめでとうございました。また、校長先生、副校長先生をはじめ、教職員の皆さま、本当にありがとうございました。
 この卒業生のなかから、立派な二十一世紀の指導者がかならず出るということを思うと、私は、喜びでいっぱいです。
 皆さん方は、本当に頑張りました。雨の日も、風の日も、「世界の坂」を上り、「負けじ階段」を上って、元気に通い続けました。いま、皆さん方は、最後まで頑張りとおしたという、誉れある、晴れの卒業式をむかえたわけであります。本当にご苦労さまと申し上げたい。私は、創立者として皆さんを一畳濫、守ってまいります。皆さん方は、今度は、中学生になります。小学校で土台を築き上げた皆さん方は、中学生になっても、つねに「負けじ階段」を上っていったと同じような勇気で、優秀な中学生となって、勝ちぬいていただきたいのであります。
 皆さん方もよく知っている大音楽家であるヴェートーヴエンは、音楽家として致命傷ともいうべき、不運に出遭った。それは、耳が聴こえなくなったということであります。しかし、彼は頑張りぬき、ついに世界第一の音楽家になりました。
 そのベートーヴェンは、つねに「良き心を持っているということにしか、私は人間の優れた点を認めない」といっていたそうであります。美しい心、強い心をもった人が、すばらしい人間なのであります。
 ここで一つ、中国の古いお話をしようと思います。それは、「桃とか、李というものは何もいわない。何の語りかけもしない。しかし、多くの人々は、その花や実にひかれて集まってくる。そのうちにしぜんと木の下に道ができあがっていく」という話であります。
 このたとえは、皆さん方が、「あの人はよい。あの人がうらやましい。あの家がうらやましい」と、他の人と自分を比べるのではなく、自分の心を豊かにし、一生懸命に、自分の勉強を成し遂げていけば、しぜんのうちに、多くの人々から尊敬され、多くの人に光を与える幸福者となっていけるということであります。
 いよいよ中学生になる皆さんは、親を苦しめたり、他人に迷惑をかけるようなことは、絶対にしてはいけません。少年少女時代に親に心配をかけないことが、立派な親孝行なのであります。どうかお父さん、お母さんに何も心配をかけないで、すばらしい中学の三年間を送り、心身ともに磨きあげていってください。
 いつも優れたものに接し、よき友と接し、そして名作に接し、それを吸収して、大きく大きく成長していってください。
 私は、皆さんに「二〇〇一年会」と命名しました。二〇〇一年のきょう三月十六日、全員がこの体育館で、かならずかならず集い合うことをお約束しましょう。(大拍手)
 最後に皆さんがいつも健康で、太陽のような希望の光を輝かせながら、いやだと思う山も、いやだと思う河も、胸を張って乗り越えていただきたいことを心から祈って、私のあいさつといたします。
26  東京創価小学校 第四回卒業式〈昭和60年3月21日〉
 苦難に負けない自分をつくれ
 晴れやかな第四期生の卒業式、まことにおめでとうございます。
 また、保護者の皆さま、本当におめでとうございました。また、ご苦労さまでした。
 さらに、校長先生をはじめ、副校長先生、教職員の方々も本当にご苦労さまでした。厚く御礼申し上げます。
 いよいよ皆さんは、中学生になります。そこで、きょう、私は皆さんに一つお話をしたいと思います。
 それは「勇気のある人」「心強き人」になってもらいたいということであります。皆さん方の先輩で、創価学園を優秀な成績で卒業した、あるお兄さんが語っていた、インドの古いお話を紹介します。
 それはそれは果てしない、広い広い砂漠がありました。そこに五百台の荷車を連ねた隊商が通りかかりました。悲しいことに隊長であった父親が亡くなり、その息子が隊長になったばかりでした。あまりに長く苦しい旅だったので、案内人も疲れてしまい、どうしても休ませてあげなくてはならなくなった。そこで、その若い新隊長は思いやりの深い隊長であったので、「自分がこれから皆を案内していこう。安心してもらいたい」といって、案内人を休ませてしまったのです。ところが若い隊長は道に迷ってしまった。水のない砂漠で迷うことは、絶望を意味します。大勢の人々は、その新隊長と案内人を強く責めました。
 しかし、若い隊長は動じないで、絶対に水を探してみせると決心しました。それは、亡くなったお父さんが、どんなに苦しいことがあっても、どんなに困難なことがあっても、「勇気の心」を忘れてはいけない、といっていたことを思い出したからです。
 そこで若き隊長は、あきらめずに水を探しに探した末、砂漠の中に青い草むらを見つけることができました。この草むらの下を掘れば、かならず水が出てくると信じて、仲間の何人かと一生懸命掘りました。しかし、水は一滴も出てこない。そればかりか、大きな岩にぶつかってしまい、みんなあきらめてしまいました。だが、若き隊長は、みんなのために一人立って、いまこそ自分が勇気をふるいおこして、何とかこの岩をくだきたいと戦いました。その結果、ついに「ゴクッ」という音とともに、水があふれ出たのです。
 こうして若き隊長は、総責任者として全員を救った、という話であります。
 少々長くなりましたが、どうか創価小学校出身の皆さんは、これから、勉学にあっても、スポーツにあっても、また、通学にあっても、お父さんやお母さんに絶対に心配をかけないよう、いまから勇気ある自分をつくりあげていっていただきたいのであります。
 何かに迷うとき、十字路に立ったとき、決して弱音をはいてはならない。つねに「勇気の心」で前に進んでいっていただきたいのであります。
 最後に、私は創立者として、皆さん一人一人が優秀にして、有意義な中学時代を勝ち取っていただきたいことを心から祈って、きょうの私のあいさつとさせていただきます。
27  東京創価小学校 第八回入学式(メッセージ)〈昭和60年4月5日〉
 二十一世紀の大空へはばたけ
 待ちに待ったご入学、本当におめでとう。新一年生の皆さんの元気いっぱいの笑顔が目に浮かぶようです。お父さん、お母さんもきっとお喜びのことでしょう。
 さて、きょうは希望にあふれた出発のときです。そこで、私は皆さんと二つの約束をしたいと思います。
 一つは、丈夫な体をつくる心の強い人であってください。
 二つは、しっかり勉強に励む心の正しい人になってほしい。
 三つは、友だちと仲よく進む心の広い人に育っていただきたい。
 苦しいことがあっても、一つ一つ、乗り越えていってください。皆さんは二十一世紀の大空に羽ばたく人類の宝です。お兄さん、お姉さんたちに負けないで、若竹のようにぐんぐん伸びていってください。できれば、中学、高校の入学式の日に、皆さんのお顔を見に行きたいと思っております。
28  東京創価小学校 第五回卒業式(メッセージ)〈昭和61年3月18日〉
 待て、そして希望を忘れるな
 第五回の卒業式、まことにおめでとうございます。晴れやかに巣立ちゆく皆さんに、私は心からお祝い申し上げます。
 皆さんは『巌窟王』という本を知っていると思います。その最後のところで、主人公のモンテ・クリスト伯は、若者に一つのメッセージを贈っています。
 それは「待て、そして希望をもて!」(A・デュマ『モンテ・クリスト伯』生島遼一・奥村香苗訳、潮文庫)というひとことです。少年時代、私はこの言葉が大変に好きでありました。
 皆さんの前途には、つらいとき、苦しいときもあるかもしれない。学校に行くのがいやになる場合もあるかもしれない。どうかそのときには、この言葉を思い出してください。
 どんなに嵐の日があっても、重くたれこめた厚い雲の上には、いつも希望の太陽が燦々と輝きわたる、ひろびろとした青空がある。皆さんも何があっても大きな心、強い心でねばり強く進んでいってほしいのです。
 皆さんが「さすが、創価小学校出身だ」といわれる、見事に成長しゆく姿を思い描きながら、またお会いできる日を楽しみにしながら、私のメッセージとさせていただきます。
29  関西創価小学校 第三回卒業式(メッセージ)〈昭和61年3月20日〉
 強き意志で向上の日々を
 第三回の卒業式、まことにおめでとうございます。本日の晴れの問出を、私も東京の地より、心からお祝いさせていただきます。
 皆さんはこの六年間、よく頑張りました。私はその見事な成長を本当にうれしく思います。
 いよいよ中学生となる皆さんは、いままでの土台の上に、人生の骨格を築く年代に入るわけであります。
 かつて、あるイギリスの著名な登山家が、「意志があれば道は通じる」といったことがあります。
 どのような山であれ、登攀の途上には多くの困難があるものです。つらくて引き返したくなる場合もあるかもしれない。しかし、それを乗り越え、頂上に立ったときには、その人にしか味わえない爽やかな充実感がある。また、そこにはこれまで見ることのできなかったすばらしい世界が広がっている。
 小さな山を越えられない人は、決して大きな山に登ることはできません。勉学も、クラブ活動も、またさまざまな青春の苦悩も、人生という大きな山を登るための、一つ一つ不可欠な要素なのであります。
 その「強き意志」を、一歩また一歩と、自分らしく広げゆくなかに向上があり、そこに、かけがえのない人生の宝が築かれゆくことを、忘れないでください。
 誉れあるわが関西創価小学校出身の皆さんが、栄光の二十一世紀の彼の山を登攀しゆく凛々しき姿を思い描きながら、また皆さんとお会いする日を楽しみに、私のお祝いのメッセージとさせていただきます。
30  東京創価小学校 第九回入学式(メッセージ)〈昭和61年4月5日〉
 太陽のように明るいあいさつで
 晴れやかな入学式、本当におめでとう。
 胸をおどらせながら、元気いっぱいに創価小学校の校門を入って来た、皆さんの、キラキラと輝く瞳が、日に浮かぶようです。
 さあ、きょうから一日一日の学校生活を楽しく有意義に送ってください。
 そのためにも、
 太陽のような明るいあいさつで、一日を出発しましょう。
 大樹のような強い心で、丈夫な体をつくり、未来のために勉強に励みましょう。
 この六年間、つらいことや苦しいことがあっても、決して負けないで、一人残らず成長してください。
 それが私の願いです。大好きな皆さんとお会いできる日を、楽しみにしています。
31  関西創価小学校 第五回入学式(メッセージ)〈昭和61年4月10日〉
 明るく、たくましく、正しい人に
 待ちに待った入学式、本当におめでとう。
 皆さんは、この緑につつまれた関西創価小学校で、伸び伸びと、明るく、元気に育っていってください。そして、お友だちを大事にする人になってください。ときには、けんかをしたりすることもあるかもしれませんが、お友だちを思いやるやさしい心、強い心をもってください。
 皆さんが仲よく二十一世紀のとびらをひらいて、大空に羽ばたいていく姿を、私は、いつも心にえがいています。お父さん、お母さんに心配をかけないで、明るく、たくましく、正しい人に成長するよう祈っています。
 大きく成長しゆく皆さんとお会いできる日をたのしみにして、私のメッセージとします。
32  東京創価小学校 記念撮影会〈昭和61年5月21日〉
 社会に尽くす立派な人に
 人々のために尽くす指導者を育成したい、社会のために尽くす立派な人をつくりたい、世界のために尽くす偉大な人を育てたい、との思いで創立したのが、創価小学校です。
 皆さんのなかには、遠くから通っていて大変な人もいるでしょう。また、お父さん、お母さんも、皆さんのために、懸命に頑張っておられ、本当にご苦労されていることと思います。
 しかし、皆さんは、偉大なリーダーヘと育ちゆくために、本校に通学しているのです。この一点を深く胸に刻んで、日々、勉学に励んでいただきたい。
 私にとっても、小学校の時代が一番、印象強く、心に残っています。一年生の担任は手島先生、二年生の時は日置先生、どちらも女の先生で、じつに優しく、そして熱心に教えてくださった。三年生、四年生の担任は、竹内(現・水巻)欽吾先生、また五、六年生のときは、檜山浩平先生でした。忘れられない先生方です。いまでもお会いする先生もおられますし、大切に思っている方々です。
 私の通った小学校は、羽田第二尋常小学校といいましたが、その後、羽田高等小学校へ進み、東洋商業(現・東洋高校)に夜学で通い、大世学院(現上昌士短期大学)で学びました。
 しかし、小学校の先生方が一番、印象が鮮やかで、その姿はいまもまぶたに焼きついています。
 小学校時代は将来にとっても大切な時期です。どうか、全員が健康で、人々のために、社会のために貢献する、立派な人に成長してください。そして、お父さん、お母さんを、くれぐれも大切にしてください。
33  関西創価小学校 第五回児童ドリーム・フェステイバル〈昭和61年11月11日〉
 歴史に残る感動的な劇
 ご苦労さまでした。ありがとう。
 皆さんの成長した元気な姿を拝見し、また、成績もよいとお聞きし、とてもうれしく思っています。
 とくに、きょうの「太平洋にかける虹」の劇は感動的でした。この創作劇は、皆さんの生涯にとって、また、関西創価小学校の歴史にとっても、将来もずっと残る劇であると、私は思っています。
 映画にも撮っておきました。写真にも撮っておきました。関西創価小の皆さんは、すばらしく成長しています。
 昨日は、先生方、職員の方々が、夜中まで残って、きょうのフェステイバルの準備にあたってくださったことに対し、心より感謝しております。すばらしい、歴史に残るドリーム・フェスティバルでした。
 関係者の方々、ありがとうございました。
 お元気で。お父さん、お母さんによろしく。
34  東京創価小学校 第六回卒業式(メッセージ)〈昭和62年3月17日〉
 純粋な情熱、強い忍耐力で
 武蔵野の緑香る学舎から、きようめでたく卒業される第六期生の皆さん、本当におめでとうございます。
 六年間の思い出に心をめぐらせている人もいるかもしれない。四月から始まる中学校生活に夢を描いている人もいるでありましょう。
 私はひとこと「いまこそ力をつける時である」と申し上げておきたいのであります。海綿がグングン水を吸うように、皆さんの柔軟な精神は、すばらしい勢いですべてを吸収していくからです。
 皆さんは、イギリスの科学者ニュートンのことをよく知っていると思います。リンゴが落ちるのを見て、万有引力の法則を発見したといわれている有名な大科学者です。彼は、十二歳のとき、グラマースクール(日本の中学校にあたる)に入学しておりますが、当初は、勉学にあまり興味がなかったようであります。成績も、クラスで一番下であった。あるとき、そんな彼をいじめようとするガキ大将に、勇気をもって立ち向かい、打ち負かしたのです。
 このことがきっかけとなって、勉強にも「立ち向かっていこう」と打ち込むようになり、先生方が驚くほど成績がよくなった。大好きな科学の本も、次々と読み続けていったのです。
 ニュートンは、自分の力で目標をつかんだ。私は、この点が本当に大切だと思う。皆さんと同じころの年齢です。それからの彼は、学問探究の道を歩み続け、近代科学の建設にはかりしれない貢献をしたのです。
 そのニュートンが、自分の半生をこう語っています。
 「私は、世間には自分がどう見えるか知らない。しかし私自身には、海岸で遊びまわり、時おり、ふつうよりもすべすべした小石や美しい貝殻を拾って喜んでいる少年のようでしかなかったと思われる」(スーチン『ニュートンの生涯』渡辺正雄監訳、田村保子訳、東京図書)と。
 彼は、科学への好奇心を燃やし続けました。少年のときの純粋な魂を、生涯、もち続けたのです。
 皆さんにとっての小石や貝殻とは何であるか。すでに決まっている人もいれば、これから探すという人もいるでしょう。大事なことは、それが何であれ、自分で決めたことを達成しようとする純粋な情熱と、強い忍耐力をもち続けることです。
 何よりもまず、しっかり勉強に励んでください。知識を貪欲に吸収することです。絶えざる日々の蓄積があってこそ、時代を拓く英知も磨かれるのであります。
 次に、目を世界に向けていただきたいと思います。
 私は、二十一世紀は「地球は一つ」という平和な時代であってほしいと願っています。その実現に向けて、全力で世界をまわるつもりです。皆さん方のなかからも、将来、アメリカで活躍する人、中国やソ連に羽ばたいていく人が出ていただきたい。また、アフリカや東南アジアの平和のために汗を流す人も出てほしいのです。
 語学にも挑戦してください。体も大いに鍛えてください。皆さんの成長は、創立者として何にもまさる喜びであります。勉学に、そして心身の鍛えに、一人一人のこれからのご健闘を心よりお祈りして、祝福の言葉といたします。お元気で、またお会いしましょう。
35  関西創価小学校 第四回卒業式(メッセージ)〈昭和62年3月17日〉
 負けじ魂の努力の人に
 希望に胸ふくらませ、この関西創価小学校を巣立ちゆく私の大好きな皆さん、卒業、本当におめでとうございます。私は、大事な用事があって出席できませんが、元気な皆さんに、お会いできる日を楽しみにしております。
 どうか、皆さんは、中学生になって、ますますよく学び、たくましい身体を鍛え、若竹のようにすくすくと成長して、お父さん、お母さんを安心させてあげてください。
 有名なイギリスの科学者に、ファ一スアーという人がいました。ファラデーの発見した理論がなければ、今日の電気、電話、ラジオなどもありえなかったといわれるほど、重要な仕事をした人です。
 ファラデーは、貧しいため学校にも満足に通えず、ちょうど皆さんと同じ年ごろのときに、本を作る工場に勤めに出ます。しかし、読書好きで負けずぎらいのファラデーは、そうした環境にくじけず、ひまを見つけては、製本に回されてくる本を、片っぱしから読破していったのです。しかも、読むだけではなく、くわしいメモもとった。わずかな給料で実験道具を買い、書かれていることが本当かどうか、自分で実験もしております。たまの休日には、公開の講習会に出かけていって、勉強に励みました。
 やがて、そのようなファラデー少年の努力は、まわりの人に認められて、人々の援助によって、王立研究所に通えるようになる。そして、そこで有名な教授にめぐり会うことができ、ファラデーの大科学者への道は開けていったのです。
 どうか、皆さんは、ファラデーのように、負けじ魂の人であってください。フア一乙アーのように、努力し、力をつけてください。そして、フアラデーのように、幸運の星をみずからの手に招き寄せていってください。皆さんの凛々しくもはつらつたる姿を思い浮かべつつ、私のお祝いのメッセージとさせていただきます。
36  東京創価小学校 第十回入学式(メッセージ)〈昭和62年4月6日〉
 大きな希望と夢を胸に
 明るく元気な新一年生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
 きょうは、残念ながら大切な用事のためにどうしても出席できませんが、かならず近いうちに皆さんとお会いしたいと思っています。
 希望あふれる出発にあたり、皆さんにファーブルという人のお話をします。彼は、子どものころから虫や動物が大好きで、自然のしくみを知りたいと、一生懸命、勉強しました。ファーブル少年の心はいつも「なぜだろう」という、問いかけでいっぱいでした。彼は、大人になってからも、貧しさと戦いながら、熱心に、実験と観察をくり返し、努力を重ねていったのです。そして、有名な『昆虫記』を完成させました。偉大な仕事をなしとげた人はみんな、少年時代に大きな夢をいだいています。
 どうか、皆さんもファーブルのように、大きな希望と夢を胸に、苦しいことや、つらいことに負けない「強い心」の持ち主になってください。しっかり勉強に励み、本もたくさん読んでください。そして、丈夫な身体をつくってください。また、お父さん、お母さんに心配をかけないことを約束してください。
 私は、いつも皆さんの成長を見守っています。たくさんの新しい友だちができ、皆さんにとって楽しい学校生活となるように心からお祈りし、メッセージといたします。
37  関西創価小学校 第五回卒業式〈昭和63年3月20日〉
 強い心で自分らしく
 晴れやかな第五期生の卒業式、まことにおめでとうございます。祝福に駆けつけてくれた関西創価中学・高校のお兄さん、お姉さん方もありがとう。また、東京校第七期生の卒業式、おめでとうございます。
 ご父母の皆さま、本当におめでとうございました。そして、ご苦労さまでした。さらに、教職員の先生方、本当にご苦労さまでした。厚く御礼申し上げます。
 また昨日、関西小で開幕した「わたしたちの平和展」の大成功、まことにうれしく思います。けさの一般紙でも報道されましたが、私も大変、感動いたしました。
 ともかく創立者として私は、東京校も関西校も、この学園に学ぶ皆さんたちは、皆わが子と思って大切にしております。私の生命であり、希望そのものでもある。その愛する息子、娘のために、これからも全魂をそそいでいく決心であります。
 さて、瞳を輝かせ、きょうこの学舎を巣立ちゆく皆さんに、一言はなむけの言葉を贈りたい。それは「強い心の人に育ってほしい」ということであります。
 ただいま、皆さんが合唱した「太平洋にかける虹」のなかにも、「勇気の道を進もうよ」とありました。強い勇気の人であってこそ、本当の「学びの道」もあれば、「平和の道」もある。これから皆さんの行く手には、春の日差しのように暖かい、順調な日々ばかりが続くわけでは決してない。むしろ多くの悩みにぶつかりながら、歯をくいしばって耐えねばならない「冬」のようなときが続くことも多くある。これが、現実である。しかしどんなにつらいことも、長い人生からみれば、かならず自分のためになり、成長へのバネとなっていくものです。この一点を知った人は強い。この一点を忘れた人は、弱々しい人生を歩むことになってしまう。
 皆さんは、未来の指導者となる人です。その意味で、どんな悩みがあろうとも、悠々と乗り越えていける強い「信念」と、強い「勇気」をもってほしい。私も、この強い心で進んできました。
 いまから百二十年ほど前、アメリカに生まれたヘンリー・フォードという人がおります。この人は、さまざまな評価はありますが、世界一の自動車会社を設立した有名な研究家であり、実業家であります。彼が速くて性能のよい自動車をつくろうと決意したのは、ちょうど皆さんと同じ十二歳のころであった。(以下、村岡花子「努力の偉人」、『小学生偉人全集7』所収、あかね書房、参照)
 働き者の優しいお母さんが、重病にかかってしまった。親思いのヘンリー少年は、無我夢中で、十一キロも離れた町へ医師を呼びに走る。「お母さんが大変だ」と。しかし、当時は乗り物といっても、村には馬しかない時代であった。ヘンリー少年は、馬にムチ打って、必死で町に飛んでいった。しかし医師を連れてもどったときには、すでに優しい、大好きなお母さんは亡くなっていた。ヘンリーは、母のなきがらにすがつて、泣きながら叫んだ。
 「汽車のようにはやくて、ウマのようにどこでもはしれるのりものがあったら!」(回前)
 たった一足の差で母を救えなかったことが、彼には、くやしくてたまりませんでした。この悲しい体験は、少年ヘンリーの心に深く刻み込まれたのでした。
 しかし彼は、いつまでも涙にくれているような弱い少年ではなかった。このときの経験から、彼は、自分が夢に描いた乗り物をつくることを固く決意する。学校を卒業すると、彼は、蒸気機関車をつくる会社の見習工になった。そして仕事に打ち込みながら、そのかたわら一畳脇鏡ψ勉強にも励んだ。やがて、ガソリン・エンジンの研究を重ねた彼は、多くの困難を乗り越え、ついに三十二歳のときに、ガソリンで動く自動車を完成させたのであります。
 少年時代、青年時代の経験や、さまざまな労苦と悲しみは、いわば自分の限りない可能性を引き出すチャンスである。大切なことは、何があっても前向きに成長していこうという心です。その「強い心」をもっているかいないかで、皆さんの一生が大きく決まっていくからです。
 これからの中学校での三年間は、多くの青春の悩みに、ゆれ動く時代だと思います。しかし、決してあせる必要はない。また他人と自分を比べて、嘆いたり、うらやんだりする必要も、絶対にありません。どこまでも自分らしく、伸び伸びと、一日一日を精いっぱい生きていけばよいのです。それが一番正しく、尊い、また、人生の勝利への道であります。大いに「勉学」に励んでください。勉学をやりきった人でなければ、存分に活躍することはできない。また「スポーツ」で、丈夫な体をつくってください。どんなに優秀でも、体が弱くては将来、後悔することになる。さらに、外国語に勇んで挑戦し、友だちも世界中にたくさんつくっていただきたい。
 そして将来、全員が一人残らず、それぞれの道で、「勝利」と「栄光」の人に育ってほしいのです。いまは、その一切の「基礎」をつくるための時代であります。どうか二十年後、三十年後、「さすがに創価小学校の卒業生はすごい。たいしたものだ」といわれる一人一人になってください。私は創立者として、皆さんの成長する姿を、最大の喜びとし、懸命に祈りながら、じっと見守ってまいります。
 最後に、「お父さん、お母さんを、心から大切にし、幸せにしてあげられる人に」と申し上げ、私のあいさつといたします。きょうは、本当におめでとう。

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