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創価学園1 中学校・高等学校[昭和62年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

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9  創価中学・高等学校 第十八回卒業式〈昭和63年3月16日〉
 わが青春の航海を勝利で飾れ
 早春の光に満ちた、晴れやかな卒業式、おめでとうございます。まさに、諸君の若々しい生命ににも似て、一切が伸びゆく季節であります。このときにあたり、東京・武蔵野と関西・交野の地から、新しき世紀の大空へ巣立ちゆく、わが愛する東京校十八期生、関西校十三期生の前途を、心から祝福したいと思います。
 またご父母の皆さま、本当におめでとうございます。諸先生方、大変にお世話になりました。ありがとうございました。
 学園というこのすばらしき「港」より、諸君は本日、晴れがましく人生の現実の大海原へ、船出していく。その出発にあたり、私は一言『わが青春の航海を勝利で飾れ』とはなむけの言葉を贈りたいと思います。
 イギリスのダーウィンといえば、「生物学のニュートン」とも呼ばれ、十九世紀を代表する大科学者であります。有名な『種の起原』をあらわし、進化論を生み出したことは、諸君もご存じの通りであります。
 科学の分野はいうまでもなく、広く人類の思想にまで新たなる世界を切り拓いた、このダーウィンの生涯を決定づけたものは何か。それは、青春時代の一航海であったといわれています。ケンブリッジ大学を卒業したダーウインは、尊敬する先生のすすめもあり、地質調査のためにビーグル号という船に乗り込みました。
 そして五年間にわたり、南アメリカ大陸、太平洋諸島、ニュージーランド、オーストラリアなど世界を一周し、観察と研究を続けたのであります。
 それは、決して楽な航海ではありませんでした。現代と違って、船の装備も十分ではありません。そのうえ、もともと体が丈夫ではなかった。また、ひどい船酔いが彼を苦しめたのであります。途中で船を降りて、懐かしい家族や友人の待つイギリスに戻りたいと思ったことも、一度や二度ではありませんでした。
 しかし彼には、人間として、科学の徒として、たとえわずかでもよい、何らかの新しき創造を科学の世界に残したいという、炎のごとき情熱がありました。その情熱が、くじけそうになる彼をつねに励ましたのです。この「一念」の力、決意と使命感は、人生万般に通じる道理です。
 つらいといえば、まことにつらい、その一日一日、ダーウィンは、大いなる自身の目的を胸に秘めつつ、一歩もひかなかった。「自分が決めたことだ。妥協しては終わりだ」、この決心で頑張り通した。苦しいときに妥協せず、わが信念を貫けるかどうか。ここに、偉大な人生となるかどうかの分岐点があるのです。
 彼はたくましく、そして朗らかに真剣なる努力を積み重ねました。この「朗らかさ」ということもまた、人生の力の一つであると思います。
 さて、このときダーウインがみずから苦労して身につけたものは、たんに研究方法だけではありませんでした。すなわち、長く苦しい航海にあって、快活なる忍耐力、自発性、また、わがままと戦い、労苦をいとわず、すべてにベストをつくす姿勢、さらには人間を見る眼等々、一切が彼のかけがえのない宝となったのであります。後年、彼は、この航海こそ自身の心の真の訓練であり、教育であった、としるしていることからもよくわかります。
 こうしてダーウィンは、青年時代、みずから勝ち取った航海を通して、あの進化論という壮大なテーマを見いだしていきました。そしてさらに、そのテーマを生涯かけてどこまでも探究し、完成させていったのであります。
 その彼の底力は、かの航海で、だれも注目せず、だれも知らないうちに、養われたのであります。この一点を見のがしてはならない。
 彼が、その青春の結実として『種の起原』を世に問うたのは、ちょうど五十歳。
 その学説があまりに革命的であっただけに、当然、猛烈なる反対もありました。いつの世も、あまりにも先駆的な思想は、かならず保守的な世間の反発をうけるものであります。しかし、ダーウィンは、そうした世間の野誉難蛾に流されませんでした。みずからの信条を堂々と貫き通しました。
 彼は、みずからの歩んだ道をふりかえって、「私は、名声を得るために自分の道から一インチたりともはずれたことはなかった」(『ダーウイン自伝』ノラ・バーロウ編、八杉龍一・江上生子訳、筑摩書房)と胸を張っていいきれるだけの人生を送りました。まことに味わい深い、また共感を強く覚える言葉であります。
 そこに私は、青春の航海でつかんだ「エンジン」と「羅針盤」をいだいて、わが信ずる道を生ききったダーウインの偉大さを見る思いがするのであります。
 諸君にとって、まずこれからの十年間は、みずからの生涯を決定づける、わが「青春の航海」であるといってよいでしょう。
 その前途には試練の嵐も吹き荒れる。激しい波に翻弄されるような日々もあるでしょう。
 反対に、地道な日々の繰り返しが、まるで退屈な航海のように、あきあきとしてくるときもあるにちがいありません。あるいは、他人の姿を羨ましいと憧れたり、世間の華美な流行に目を奪われたり、また空虚な気持ちになるような場合もあるかもしれません。
 ゆえに、この振幅の激しい、また周囲の環境に流されやすい青春期にあって、学園時代に若き生命に刻みつけた「何のため」という問いかけだけは、どうか手放さないでいただきたいのであります。
 お金があるからといって、かならずしも幸福ではない。お金があるために不幸になった人はたくさんおります。人気があるからといって、かならずしも幸福とはいえません。人気を失った後、普通の人以上の苦しみを感ずる場合があまりにも多いからであります。また美貌であり、優秀であるから幸福とはかぎりません。そのために不幸になる場合も、多々あります。
 物事はさまざまな側面をもっております。一面的に見ただけでは、真理を見のがしてしまう場合があります。反対の方向から見た場合に、初めて見えてくる真実もあります。
 ゆえに、人生においては、一つの方向だけから見るのではなく、逆の方向からも見つめることのできる余裕が必要であります。
 諸君は、尊き青春の一日一日を大切にしながら、みずから選んだ人生行路にあって、地味であってもいい、どこまでも自分らしく、何らかの新しき創造を、人生の価値を、すばらしき青春の思い出を生み出していってほしい。そして、そのなかから人生最終章の勝利の基盤を築き上げていただきたいのであります。
 私は創立者として、諸君の行く手に立ちはだかる暗夜の海にも、懸命に灯台の光を送り続けます。それが創立者の心であります。
 現在、学園の出身者は、日本中のいたるところで大活躍をしております。世界の各地でも、多くの先輩が活躍しております。学園出身と聞くと、私の心は躍ります。ここにもいたか、あそこでも活躍していたかと、涙が出るほどうれしい。
 学園出身の弁護士も増えました。医師も外交官も多くなった。会社の重役もいる。プロ野球の選手、サッカーの選手もいます。芸能界で、また、芸術家として活躍する人も現れてきた。世界を舞台に貿易関係で活躍する人、病める人の味方として白衣の天使として活躍する人、マスコミ界や航空関係で活躍する人もいます。幼稚園、小学校、中学校、高校、大学の教員として活躍する人もいます。その他、あらゆる方面で、この学園から社会に陸続と人材が巣立っております。
 このように学園生の活躍の舞台は、夏空に大いなる希望の雲が湧き出るごとく、年ごとに無限に広がっております。諸君もまた、その限りない舞台で、思う存分に「わが道」を生きぬいていっていただきたいのであります。
 最後に、わが愛する、そしてまた、私の命であり、魂である学園生諸君の健康と長寿と栄光を心より祈り、祝福のあいさつといたします。

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